38 旅立ち
「ふわあああ! よく寝たでやんす」
「貴様は寝すぎだ、阿呆。昨日丸一日寝ていたじゃないか」
「それはブブの魔力が少ないからでやんす。ブブがもっといっぱい魔力を供給してくれれば、おいらも頑張れるでやんす! アン様はいっぱいくれたのになあ……」
「アンはお前を甘やかし過ぎていた。奴隷に与える魔力など、今ので十分だ」
「ケチぃー! 貧乏性! 貧弱! 貧乳!」
「最後のアンへの罵倒になってないか?」
雑踏の中、一人で口論する少女が歩いている。白昼堂々と独り言を繰り広げる少女に、当然のように視線が集まるが、当の本人はまったく気にしていない。時たま「ああ、腹話術、腹話術」とわざとらしく呟いているのも、余計に目立っていた。
目ざとい者が見たら、コートに覆われた肩の上にスライムが乗っているのに気付いただろう。コートで隠す気遣いはあるのに、声は隠さない辺りがチグハグだ。
金髪の少女は、カルバンの街の大通りを外に向かって歩いている。
荷物は軽装で武器の類は持っていない。その上誰とも連れ添っていなかった。もしも彼女が冒険者だとしたらあまりに無防備すぎるし、無謀すぎる。
と、少女が立ち止まり、空の一点を睨みつけた。
「……気のせいか」
「どうしたでやんすか?」
「変な気配がした。それだけだ」
少女は足を再開して、正門に向かった。正門の脇にいた二人の番兵が彼女に気付き、機敏に敬礼した。正門は常時開きっ放しで、誰が通過しても番兵は目もくれない。しつこく話しかける番兵たちを邪険に追い払いながら、少女は正門を潜っていった。
中央の大通りを一人の女が走ってきた。甲冑を着込み、顔に大きな入れ墨を彫った女騎士。巡回中の兵士らが彼女に気付いて振り向く。
「ど、どうされたのですか?」
女騎士は走りながら、兵士らに言い返す。
「心配ない! ヴェルダン侯と皆に謝っておいてくれ!」
「何を言っているのですか? どこへ?」
兵士らとの距離が離れる。女騎士は快活な笑みを浮かべ、大声で叫んだ。
「世界を! もっと広い世界を見てくる!」
そして前方に向き直り、誰かを追いかけるようにさらに足を速めた。
女騎士の疾走に人混みが割れる。誰ともぶつからないように走っていた女騎士だったが、曲がり角から出てきた女性と接触しかけて、相手を転ばせてしまう。
女騎士は慌てて立ち止まり、その女性に駆け寄った。
「すまない。私の不注意だ。怪我はないか?」
「いえ。大丈夫よ。ふふふ、私が心配されるなんておかしい」
「……? いや、守るべき民の心配をするのは当たり前のことだ」
女性はその言葉ももう一度くすくすと笑う。
「あなた、世界を見に行くのね?」
大声で宣言したことを確認され、女騎士は羞恥で顔を染めた。
「いいえ。恥ずかしがることはないわ。実は、あなたに伝言を頼みたいの」
「申し訳ないが、別の人に頼んでくれないか? 私はここを離れるのだ」
「気にしないで。急ぎの用じゃないから。もしこの先、あなたたち五人全員が瀕死に陥ったとき、目の前の神様にこう伝えてほしいの。『これが私の最高傑作』って」
「……はあ? 失礼だが、やはり頭を打ったのでは」
「じゃあ、またね」
女性が手を振り、踵を返して雑踏に紛れる。女騎士は立ち尽くして逡巡を見せていたが、遠くから何人もの兵士が走ってくるのに気付いて、慌てて逆方向に走り出した。
女騎士は正門に全速力で向かう。
「番兵ぇえ! 隊長を止めてくれぇー! ご乱心だぁー!」
「え? あ? え? ひぃ、た、隊長? 何で?」
番兵の二人が困惑している間に、女騎士は正門を駆け抜けて、街の外に飛び出した。
そして口笛を鳴らすと、街の裏道から白毛の馬が飛び出してきた。女騎士は馬に飛び乗ると草原に見える小さな少女の背中に向かって、一目散に走っていった。
カルバンの街を出発した二人と一匹がどこへ向かったのか。
それはこれから紡がれる物語。




