35 魔女は語る
五十年前、ベアトリクスは『暴食』の能力で五人の仲間を食らった。
『暴食』は食らった相手の能力を自分のものにするという能力だ。ソロモンに封じられてからは相手の魔力を食らうだけの力になってしまった。
ベアトリクスの野望は当時から変わらない。
すべての人間と魔物を隷属化させ、世界を平定する。
そのためには二つの力が必要であると考えた。一つは、誰も逆らえぬほどの圧倒的な武力。もう一つは、魔物と意思疎通し、奴隷化させる固有能力。
キャラバンにはその二つが揃っていた。
最初からベアトリクスは、彼らを裏切る目的でキャラバンに入ったのだ。
逆に言えば、仲間になって油断を解かなければ、五人には絶対に敵わないと認めていたわけである。
しかし、キャラバンでの冒険の日々は切ないほどに楽しかった。裏切りの決行は三年、五年と後ろに引き延ばされ、一時、本来の目的を忘れかけるほどだった。
五人の顔も声も、五十年経った今でさえ鮮明に思い出せる。
アギトはリーダーでありながら戦闘の指揮をソロモンに丸投げする適当な男で、ソロモンがいつも損な役回りをしていた。ベリアルは海賊気質が抜けない粗野な女で、よその冒険者とよくいさかいを起こしていた。シグマは鍛冶師のくせに剣を握らない格闘家であり、特注の剣を次々と使い潰すアギトのことをよく嬉しそうに愚痴っていた。サロメは妖艶な女で、妖精に愛された狩人だった。普段は優しいお姉さんに振る舞っていたが、戦闘時にはどんな遠くの敵も確実に仕留める彼女を誰もが恐れていた。
そして最後に仲間になったのはベアトリクスだった。強力な魔術で決定打を放つ自分が加わったことで、キャラバンは最強のパーティになったのだ。
だが、どんなに楽しい夢も覚めるときが必ず来る。
何がきっかけだったのかは定かではない。当時は怒涛の連続だった。魔界で手酷い失敗を重ねたことか、次元の魔女と遭遇したことか、アルミラ帝国での竜の大騒動か、あるいはアギトが魔物との融和を諦め、メンバーがそれを受け入れたことか。
いつからかベアトリクスは他の仲間に物足りなさを覚えていた。勿論、戦闘能力に関しては申し分ないし、友として最高の連中であることは間違いない。物足りないのは彼らの甘い行動原理だった。旅を続けるほどに、失敗を重ねるほどに、キャラバンのやり方では世界は変えられないという思いが確信に変わっていった。
確信は段々と不満に変わり、ふと彼らの中身が邪魔だと思ったとき、ベアトリクスは本来の目的を思い出し、裏切りを実行することを決めた。
キャラバン参入から六年目の日だった。
最初に手に掛けたのはアギトだった。彼だけは油断しているときに狙わなければ、歯が立たなかったからだ。不意打ちで最大威力の魔術をぶつけ、動揺したところを丸呑みした。それ以来、話し方が彼のものになってしまったのは『暴食』の弊害だ。
アギトを殺した次はベリアルを狙った。弾丸に様々な魔術式や機構を込めて撃ち放つ彼女には苦戦させられたが、辛くも勝利した。絶対命中精度の遠距離射撃を持つサロメは厄介になると警戒していたが、ベリアルの力を奪ったことが功を奏し、楽々と勝利した。その後に向かった先はシグマだった。シグマは抵抗せず、恨み言も吐かずに食われていった。最高の剣士であるアギトが死んだ時点でこの世に未練はなかったのだろう。
ソロモンを最後に残したのは、彼は歯牙にも掛けない相手だったからだ。
付与魔法主体の戦闘を行う彼に、ベアトリクスが手こずるとは微塵も思わなかった。
しかし、結果的にベアトリクスは、ソロモンのせいで大きな後退を余儀なくされる。
四人が殺されたことを知った彼は、アルミラ帝国に逃げ込んだのだ。アルミラ帝国はベアトリクスに懸賞金を掛け、国内への侵入を封じた。ベアトリクスは出身国のロマンド王国の王に働きかけ、二国間で戦争が始まった。のちに英雄戦争と呼ばれた激しい戦争の最中、ベアトリクスはソロモンを倒し、戦争はあっさりと終結した。
死に際にソロモンは付与魔法の奥義を使って『暴食』を封印した。
ソロモンの魔物奴隷化の能力は手に入れられなかった。彼の力こそが、世界を平定する最後の鍵だったのに。加えて『暴食』が封印されたのも痛手だった。
命を賭した封印を解けるのは、掛けた術者と同じ血を引いている魔術師だけだ。しかも同程度の実力を持っていないとならない。不幸なことにソロモンには親類がいない、天涯孤独の身だった。『暴食』の封印解除は絶望的だった。
ベアトリクスは指針を失い、しばらく旅をしながら機を待った。
そのときになって、やっと次元の魔女から聞いていた予言の意味を理解した。
『魔女ベアトリクスは最後の弟子に殺される』
『そして奪われた力を取り戻す』
奪われた力とは『暴食』のこと。殺されるとは穏やかではないが、予言が続いていることや『最後の』と条件が付いているので深刻に考えなくてもいい。それにソロモン以外のキャラバンの仲間を食った自分を殺せる存在がそうそういるわけがない。
ベアトリクスは予言をこう解釈した。ソロモンの血族を弟子にし、ベアトリクスを殺せるレベルの熟練の魔術師に鍛え上げる。その後『暴食』の封印を解除してもらう。
一見困難な道のりに思えるが、いつか必ず予言のときが来ることを信じ続けた。
そして、そのときはやってきた。
アルミラ帝国は魔術が盛んな国だ。ベアトリクスがソロモンと王女の間に産まれた子供に手出しするのは難しかった。国に入っただけで守衛のゴーレムが追ってきた。
だが、アルミラ帝国内で起きた政変こそがベアトリクスの救いとなった。
産まれた王子は両親の能力を受け継ぎつつも、ソロモンに似て平和主義だった。一方でアルミラ帝国の重鎮は戦争をしたがっていた。宝玉はその頃には失われていたが、魔物を従えることができれば、兵力を消費せずに戦争に勝利できる。
先代の国王(王女の実父でソロモンの義父)が病死して、王子が王位を継承したのは二十歳の頃だった。それから十四年後、アンネローゼが生まれた年にそれは起こった。
親王派によるクーデターだ。ソロモンの低俗な血が王家の血統に混じることを嬉しく思っていなかった貴族のグループが、第三皇女の誕生を機に奮起したのだ。
重鎮の大臣らは反乱の兆しを読み取っていながら、より操りやすい君主を求めて見ぬ振りをした。魔物を使役できる血筋も貴重だが、まずは王を変えねば話にならないと。
クーデターは成功し、現王は処刑され、穢れた血が混じった皇子らも皆殺しにされた。従兄弟の家系がアルミラ帝国の王位を継ぎ、政治の実権は親王派の貴族が握った。
赤子のアンを連れて国外に逃亡した臣下もダンジョンで倒れ、ベアトリクスはアンを手中に収めることに成功した。
「私はすぐにアンを手厚く保護した。ソロモンの血筋を引く最後の末裔。ダンジョンで彼女の才覚を垣間見たときは心が躍ったよ。これで何もかもが上手くいくと」
ベアトリクスの名は良くも悪くも有名だった。そんな存在がいきなり少女を拾ってきて育てたら、どこの誰でも怪しむ。だからベアトリクスは一旦アンを孤児院に預け、のちにアンを引き取っても違和感がないように、酒場兼風俗宿『BOB』を経営して、身寄りのない若い女をたくさん雇った。採算度外視のどんぶり経営だったが、赤字でも黒字でもどうでもよかった。金儲けが目的ではないのだから。
店員を奴隷紋で縛り付けていたのは、アンに奴隷紋を親しませるのと、万が一刺客が紛れ込んでいた場合の予防策だ。当然、管理と保護の用向きもある。
目論見は上手くいき、アンの素性を気にする者は誰一人いなかった。
ベアトリクスは悠々とアンに魔術の手解きをし、力を付けさせた。
「だが、アンに奴隷紋を覚えさせ、最初の使い魔としてヤンスを与えたとき、おれは自分が失敗したことに気が付いた」
ベアトリクス自身、そのきらいがあったことは感じていた。
アンの成長を見守る上で、それは避けられないことだと思いながら。
「おれはアンを甘やかし過ぎたんだよ。アンは、おれを頼りにし過ぎていた。ソロモンの封印を解くにはどう考えても力不足だった。旅の道中でアンを育てようと計画していたが、おれと一緒にいる限り、アンは成長しねえ。おれは計画を変更することにした。おれは裏方に徹し、すぐそばでアンを守る存在が必要だった」
「それで、子守り役として、俺に白羽の矢が刺さったというわけか」
「魔界の噂は聞いていたぜ。魔人ベルゼブブが他の六大将軍に攻め込まれているという情報を知ったおれは、お前を計画に組み込むことを決めた。正直言って、自分でも正気じゃないと思った。でも、そうでもしなければソロモンとの因縁は消せない気がした」
すべてが、巡り巡って今の状況を生み出したのだ。
「ついでにネタ晴らしすると、お前が少年の身体になっている理由を知らないと言ったが、あれは嘘だ。あの少年の死体はお前さんのために用意した入れ物だよ」
「知らぬ間に死んでいたのか。いや、そのときもお前に殺されたのか?」
「何でもかんでもおれのせいみたいに言うなよ。ベッキー、傷付くぜ?
逃亡時の傷が深かったのか、転移してきたお前はすぐに命を落としたんだ。お前は覚えてねえようだがな。おれは急いで葬儀屋から新鮮な死体をかっぱらって来て、死んだばっかのお前さんの横に置いた。魂は死体に入り、お前は無事生き返った。まあ、そのあと五日間眠り続けていたんだがな。目を覚ましてからは、お前も知っての通りだ」
「俺とアンは旅に出て、戦いに巻き込まれていった、か」
「被害者みてえに言うなよ。アンが引き起こして、周りを巻き込んでいったんだ」
「ああ、そうだな。確かにそうだ畜生」
ベルゼブブが忌ま忌ましげに顰め面になる。おっと、アンの嫌味には反応するか。
「そう怖い顔をするな蝿の王。今ではお前が少年になって良かったと思っている。お前を簡単に殺して、アンに憑かせることができたんだからな。おれにも予想外のかたちだったが、これで予言が果たされ、計画が上手くいった」
ベアトリクスの計画。成長したアンがベアトリクスの封印を絶ち、その彼女を『暴食』で食らい、すべてを支配下に置く力を手にすること。
奴隷紋の力で人間も魔物も支配してしまえば、戦いが起きるはずもない。
規格外のソロモンの能力を知ったときに抱いた野望が、何十年も経て、実現のときを迎えたのだ。
「まさか、お前がアンになって俺の封印を破るとは思わなかったぜ。どうして魔人のお前がソロモンの封印を解けたんかな?」
「俺が知るか。……と言いたいところだが、ひとつ心当たりがある」
「へえ、聞かせてくれよ」
昔話を語り尽くし、おれは心に決める。
この答えを聞いたら、ベルゼブブを殺そう、と。
魔女と魔人の視線が交差する。
ふと、首筋に鮮烈な熱が迸るのをベアトリクスは感じた。
蝿の悪魔は冷笑を浮かべ、事もなげに言った。
「俺の奴隷紋がソロモンの付与魔法を上書きしたんだよ」




