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ベルゼブブ魔人戦記  作者: ましろゆう
34/38

34 血濡れの魔女

 この瞬間をベアトリクスが目撃するのは二度目だった。


 さっきまで少年のかたちをしていた肉片の山から淡い光が浮かび上がった。

それは新たな宿木を探してうろうろと彷徨う。


 ベアトリクスはその光景を見たまま、なぜか戦慄を覚えていた。ゾワリと身体が震え、尋常じゃないほどの汗が全身の汗腺から噴き出る。


 ああ……これが運命だとしたら、あまりにも恐ろしすぎる。


 なぜならば魂は導かれるようにアンの死体へと入っていったからだ。

 そうなると分かっていた。そのつもりで殺したのだ。だのに、なぜ怖いのか、ベアトリクス自身でも分からなかった。冷血な己がただ感動に支配されていた。


 こうなることが運命だったのだと、次元の魔女は言うだろう。


「――――」


 それが貫くのは一瞬だった。


 反魔術のバリアを突破し、純然たる暴力がベアトリクスの身体を襲った。再生も間に合わない。その前に身体の細胞が分解され死滅していく。

ベアトリクスの腹を貫いているのはアンの右腕。アン――の肉体に入ったベルゼブブが鋭い眼光でベアトリクスを威圧する。


「『灰の手』。魔力を伴う物理攻撃だ。反魔術では防げない」

「…………がはッ!」


 目を離したつもりはなかったのに、ベルゼブブは一瞬で起き上がり、距離を詰め、こちらを攻撃したのだ。話し合いや裏切りへのリアクションよりも先に、一番に反撃を選ぶのはさすが彼であろう。戦いが魂に染み付いているのだ。


 ベルゼブブに貫かれた箇所の肉がジュクジュクと腐り、傷が広がっていく。まだ胃と肺の一部を冒されただけだが、腐敗はやがて心臓に達するだろう。


『灰の手』は本当に腐らせているわけではなく、魔力で直接細胞を弄っているだけだ。理論は回復魔法と変わらない。ただしそれを回復魔法よりも細かい細胞レベルで、接近戦に対応できる基準の速度で行っている。戦いながら外科手術を施しているようなもので、ベアトリクスレベルの魔術師でも真似できる芸当ではない。


「なぜ俺を殺したかなんてどうでもいい。敵ならば殺す。ゆえに死ね」


 アンの声で囁かれる殺意に、ベアトリクスは久しぶりに死の恐怖を抱く。まともに攻撃を食らったのも何年ぶりだろうか。宣言どおり、ベルゼブブはおれを殺すだろう。


 そしてそれこそが、予言のあらすじだった。

 ベアトリクスがアンに殺される光景。

 そして、ソロモンが死に際に掛けた封印が解ける瞬間。


「ははっ……! ありがとよ」

「……っ!」


 ベアトリクスの感謝の声に、ベルゼブブは咄嗟に飛び退いた。

 彼の目は見開かれている。今しがたベアトリクスが取った行為を図りかねているようだった。ベアトリクスは口を大きく開いて、ベルゼブブの頭に噛み付こうとしたのだ。


「おいおい、一口ぐらい齧らせてくれよ? ベッキー、朝から何も食べてないんだぜ?」

「貴様、俺を食おうとしたのか……?」

「あ? そりゃ目の前に美味しそうな魔力をぶら下げられたらな。お前の不死能力も食べれるのか試してみたいところだぜ」

「『食べる』? ……そうか。貴様、隠しダネを持っていたか」

「『暴食』っつうんだぜ」


 ベアトリクスは自身の固有能力『暴食』を発動しようとした。自分の他に、その能力のことを知る者はいない。なぜならば知った者はことごとく食べ尽くされてしまったからだ。そしてソロモンに封印され、ずっと使えない状態だった。


 ベルゼブブの腕が抜けたことで腹の修復が始まる。


「おかしいと思わなかったか? なぜおれがアンに世界の融和を託したかを」

「貴様は失敗した。だから諦めたのではなかったのか?」

「ははっ、んわけねーだろ」


 血塗れの魔女はせせら笑う。まったく見当違いなことを言ってくれる。

 冷血で執念深いおれが諦めることなど絶対に有りえないからだ。


 ベアトリクスは人生で最高の気分だった。トップクラスでハイエンドにハッピー×ラッキーの上機嫌無限大で、今だったら醜い芋虫下種野郎でさえも許してやれそうだった。いやさすがにそれは言いすぎだった。奴は生理的に無理だ。マジで。


 ベアトリクスはにやりと笑った。この興奮を誰かに伝えたかった。


「どうせだから全部教えてやんよ。おれのとびっきりな運命を」

「ほざけ。夜中に一人でシコってろ発情ザル。俺たちを巻き込むな」

「まあまあそう言うなって。五十年物の封印が解けて、ベッキー、テンション挙げ挙げだぜ? ……それとも、今すぐおれに『食わ』れるか?」

「…………」


 互いの力量差はベルゼブブも理解しているだろう、彼は押し黙った。

 最初の不意打ち。あれがベアトリクスを殺せる最初にして最後のチャンスだった。『暴食』を取り戻したベアトリクスには、弱体化した魔人ごとき敵ではない。


 ベルゼブブは警戒を解かない。だが話を続ける気はあるようだ。


「急にトチ狂ったかとも思ったが、貴様が無駄なことをするはずがないな、糞ビッチ。アンを見殺しにし、俺を殺した。はっ、その調子だとキャラバン壊滅の真相も、貴様が握ってそうだな。そうか、やはり貴様が裏切ってぶち殺したのか」

「そうだ。ゾルアから聞かされていたか?」

「ソロモンが宝玉を仲間ではなく、別れるゾルアに預けた理由を考えれば分かる。ソロモンは恐らく予言で知っていたんだろうよ。キャラバンが近い内に壊滅することを。そして生き残ったのは貴様だけ。怪しんでくれと言っているようなものだ」

「……ったく、次元の魔女も余計なことをしてくれたもんだぜ」


ソロモンは次元の魔女から予言を聞かされていた。だから、次元の魔女のアドバイスに従って、砕けた宝玉をゾルアに持たせたのだ。


「あいつがどこまで未来を知っていたのか気になるところだな。あるいは、おれの裏切りまで知っていたのかもしれねえ。知った上で、私を信じてくれたのだろう……」


 ソロモンはそういう男だった。魔物を愛し、仲間を愛する男だった。

 ベアトリクスは二重の意味で彼を裏切ったということだ。


「……そんなの今さら知らされたって、どうしろって言うのよ」


 私は目を伏せ、誰にも聞こえない小声で呟いた。


 時は戻せない。たとえ戻せたとしても、あの運命を変えられるとは思えなかった。

 何回時間を繰り返しても、ソロモンは王女と結ばれ、私に振り向くことはない。


 だから、結局これはなるべくしてなった結果なのだ。

 本当に? と問いかける女々しい自分に蓋をし、最強の魔女は魔人と向き合う。

 ベアトリクスは飄々と肩を竦めた。


「言っておくが、アンが死んだのはおれも予想外だったんだぜ? ソロモンが宝玉を残していたのも昨日知ったばかりだ。まあ、ソロモンも予言に従っただけで、五十年後、その宝玉が孫の命を奪うとは思いもしていなかっただろうがな」


 その結果、アンの肉体に魔人の魂が入ることになったというわけだ。

 運命はこちらの思惑を超え、誰も予想できない方向に逸れている。


「はっ、アンが死んだのは偶然の産物で、だとすると俺はアドリブで殺されたのか? そいつは大層素晴らしい運命だ。アンも知っていたら、喜んで死んだろうよ」


 こちらの言葉を聞いたベルゼブブは唇を吊り上げ、皮肉ってきた。ただしアンの可愛い顔では悪人面の効果も半減だった。


「『肝心な部分は分からない。だがそれでも人は希望を信じるし、結末が変わることはない』。次元の魔女だったらそう言うだろうな。俺も予言を盲信しているわけじゃねえ。だからそう噛み付くなって。メインストーリーはこっからなんだぜ?」


 ベルゼブブは憮然と鼻を鳴らし、しかし次の皮肉を挟んでこなかった。

 どこから話すべきか、ベアトリクスは記憶を整理した。


 やはりあの出来事から話すのが一番いいだろう。


「五十年前、おれはキャラバンの仲間を食らった」


 滔々とベアトリクスは語り始めた。


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