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ベルゼブブ魔人戦記  作者: ましろゆう
28/38

28 少女の叫び

「…………ッッッ!」


 ベルゼブブは口から漏れかけた嘆きを押さえた。


 それは見慣れたはずの光景だった。戦場では虐殺、陵辱が当然のように振る舞われる。敗者に対してどれほど悪逆の限りを尽くそうが、勝者が罵倒されるいわれはない。

それが勝者の権利なのである。勝てばすべてが許され、正当化される。


ベルゼブブ自身、これ以上残虐な行為をしたこともある。これよりもっと死者を愚弄したこともあった。だからここで俺が感情を揺るがすのはお門違いだ。


 俺は感情が理解できない。こんな思いをするくらいなら感情などない方がいい。

 思わず目の前の光景から目を背けようとし、そんな卑怯者の己を恥じた。

 両脇のゴブリンは膝を着き、絶望している。目の前で騒ぎ立てる不埒者どもは、祭りに夢中でこちらの来訪に気付いていない。


 ザッ、と背後の森で足音が聞こえた。覚えのある気配を感じた。


「なに……こ、れ……」


 俺は急いで振り返り、彼女の視界を塞ごうとした。


「アン! 駄目だ、見るな!」


 アンネローゼ・クラウディウスは立ち尽くしていた。

 虚ろの目は何を映すのか。すべてを目の当たりにしたあとで、何を隠そうというのか。

 俺は手遅れを悟った。彼女の心が粉々に砕ける音が聞こえた。


 そこには地獄の景色が広がっていた。


 長い槍に三、四匹のゴブリンが頭から尻まで貫かれて、火に炙られている。

 オークがまるまると膨らんだズタ袋を蹴って遊んでいた。ズタ袋の玉は蹴られるごとに真っ赤に染まり、かたちをぐにゃぐにゃと変形させる。


オークが生きたままのゴブリンを頬張り、散々咀嚼してから地面に残骸を吐き出した。

肉と肉と肉と肉をこね合わせて作られた死体の玉があちこちに転がっていた。

遊び飽きた肉塊は適当に投げ捨てられ、竜の餌になるようだ。


 どちらが制限時間でたくさんのゴブリンを握り潰せるか競っている奴らがいた。握り潰した基準はゴブリンが死ぬことらしい。競技で使うためのゴブリンがまだ何匹も残っていた。


 残虐な遊びはシンプルだ。ただ地面に叩きつけて破裂させる遊びや、殺したら負けというルールでひたすら嬲り続ける遊び、地面に敷き詰め、その上にダイブしてプチプチと潰れる感触を楽しむ遊びなど、そのアイデアは枚挙に暇がない。


 血祭りの中央には巨大な頭部が飾られていた。もはや何も語らなくなったゾルアの片目は刳り貫かれ、その顔には苦悶と憤怒と悲嘆の表情がありありと刻まれている。彼の身体は四肢を引き千切られ、残った胴体を竜が啄ばんでいる。


 オークが最も群がっているのは巨大な鉄鍋の前で、そこでは子供やメスのゴブリンが熱した油の中に投入され、次々に揚げられている、


 そこに倫理はなく、ゆえに禁忌もない。


狂気も理性も彼らにはないのだろう。ただ無邪気に残酷に愉悦を満たしているだけ。

安全な場所に避難させたはずの子供とメスがなぜここにいるのか。いや、そんなのは分かり切っている。より俺たちを苦しめようと、奴が捕らえてきたのだ。


絶望に震えているこちらの姿に、醜悪な存在が気付いた。

ゲスブルーはまだイリアの姿のままだった。


「ああぁぁれえええええ? やっと来たんですねえ、あんまり遅いから、私たちお先に始めちゃいましたよ。そっちがあなたの大事な小娘ちゃん? ああでもご安心ください。あなたたちのためにメインディッシュは残しておいてあげたのですねえ。優しい心配りのできる最高素敵な私ですねええええ!」


 そう言ってゲスブルーが俺の足元に投げてきたのは、ゾルアの眼球だった。

 かつて強さと思慮深さを湛えていたその瞳は、今では虚ろを映すばかりだ。


 俺とアンに付き従ってきたゴブリンが泣き崩れる。恐怖に怯えるものもいる。

 俺たちはここで嬲り殺しにされるだろう。ここに来る前から分かり切っていたことだ。この少人数のゴブリンではオークと竜には勝てない。俺とアンの実力では、たかがゲスブルーに傷一つ負わせることもできない。俺たちは虚しいほどに無力だった。


 ゲスブルーは心からの愉悦を浮かべる。

 勝利を確信し、慢心した愚物の笑みだ。


「蝿の王。そっちのションベン臭い小娘も簡単には殺してあげませにょほお? 私が遊んで遊んで遊んで遊んで満足するまで可愛がってあげますですねえええ。両手両足を切り取り、両目両耳を潰し、舌も歯も引っこ抜いて、自殺することもできない、ちっぽけな芋虫のまんまで何十年も何百年も大事にいたします。ぐぎゅうるふふふふふふふふふふふふ!」

「…………して」


 ぽつりと。

 俯いたままピクリとも動かなくなったアンが声を漏らした。

 ゲスブルーが耳聡く反応した。弱者を甚振るセンサーに引っかかったのだろう。


「んん? 小娘さん、何か仰いましたぁ? 何て言ったんでしゅか? バブウ!」

「……して、こんな……」


 アンはゆらりと顔を上げた。その目はどこも見ていない。


「どうして、こんなことが、できるの」


 少女の単純な質問に、魔人はあっさりと答えた。


「ありませんねえ、理由なんか」

「…………」

「しいて言うなら楽しいからですね。ええ、他者を踏みにじり、弄ぶのは何て楽しいハッピーライフ! あのオークどもは復讐と食欲を同時に満たせて実に楽しそうです。小娘ちゃんそんなことも知らないのでちゅか? チュパチュパ。世界中、誰もがみんな、己を楽しませるために生きているんですねえ。殺戮も拷問も遊びですよ。善人様が語っている平和やら平等やらってもの、結局そいつ自身の楽しみでしょう? 偉そうなこと言って褒められるのが嬉しいんですねえ。みーんな褒められたいんでちゅよ。偽善ご苦労ちゃまでちゅ!」

「…………」


 アンがふらりと前に出る。俺はそれを止めようとした。


「・……ッな!」


 だが、彼女の身体から発せられた波動に弾き飛ばされ、適わなかった。


 アンの身体が強く光っている。いや、正確には光っているのは彼女の懐の中にある球体だ。衣服もアンの身体も透かして、ガイアの宝玉が光を破裂させている。

光には魔力が宿っており、アンの周囲に波動が放たれ続ける。

まるで暴風雨のような波は何人たりも彼女に近寄らせない。

光に包まれたアンが首を仰け反らせ、絶叫した。


「――――ッッッッッああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 大気が大気が震えた。

 重く沈みこむように、世界が揺り動く。


 それは彼女の絶叫によるものではなかった。

 ズズン、と大地が鳴動した。膨大な重さに耐え切れず、地面が一度沈んだ。


 ベルゼブブの背後で、巨大な存在が立ち上がった。

 一体ではない。何体も、何十体も。


 俺が振り返るよりも先に、すぐ横に巨大な足が踏み下ろされる。

 俺は横に立ったその存在を見上げた。

 森の高さを遥かに越え、キングゴブリンのゾルアをもゆうに上回る超巨人。

 十五メートルのサイズに巨大化したゴブリンたちが、一斉に雄叫びを上げた。


「―――――ッォォォ!」


 貧弱な魔人の声が遠くで聞こえる。


「なっ、なぁなんですかねええ、これはあああああ? 完全な予想外ですねええ!」


 俺は、ただそれを見ていることしかできなかった。


 巨大化したゴブリンの足が振り下ろされる。

 プチッ、と呆気ない音がして、惨めな存在は踏み潰された。


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