27 疾走
ベルゼブブは山中を疾走していた。両脇をゴブリンに守られながらの移動だ。
アンが交信の最後に送ってきた回復魔法のお陰で、自分の足で動けるくらいには回復した。それまでは『雷刃鮫』のダメージが抜けずに寝込んだままで、ゴブリンに担がれて逃亡している始末だった。
今でもたまによろめいたりして、その度に脇のゴブリンが支えてくる。外の怪我は塞がっているが、中の神経は修復し切れていないのだ。どう繕っても満身創痍の体だが、ベルゼブブはゲスブルーを追って、ゴブリンの里へ急いでいた。
アンもきっとそこを目指している。アンと合流するのが最優先事項だ。無闇に森の中を探し回るより、ゴール地点に先回りしておいた方が確実である。
里ではゲスブルーが待ち構えている。奴を倒す手段は見つけられていない。むざむざ言ってもアンと共に嬲り殺しにされるだけだろう。それだったら里もアンもゾルアも見捨てて、わずかなゴブリンの生き残りを引き連れ、新天地を目指した方が現実的かもしれない。
そんな自己保身の手段を思いつき、すぐさま却下した。
逃げたところでゲスブルーが諦めるとは思えないのが理由の一つ。奴は地の果てまで俺を追い詰めるだろう。
もう一つの理由は、アンを見捨てようとは微塵も思えなかったためだ。
むしろ自分の命を賭してまで守ろうと思った。
アンのお人好しが移っている。実に悪い影響だ。
足を動かしている間は余計なことを悩まずに済んだ。結局自分がどれだけ矛盾に満ちた行動を取っているのか分かっている。理屈で説明できるものじゃない。愚かな自殺行為だと他者から蔑まれようと、身体が勝手に動いてしまうのだ。
「ゴブリンたち。俺が死にかけたら、お前らはアンを連れて全力で逃げろ。アンが拒否しても無理やり担いで持っていけ。いいな?」
「プギィ!」
左のゴブリンが元気よく返事した。アンに可愛がられていた個体なのかもしれない。俺は見分けを付けることができないが、何となくそうだったらいいと思った。
「……ん。あれ? どこに向かっている最中でやんすか?」
懐に抱えていたブルースライムがぶるりと震えて声を発した。
「ようやく起きたか、寝ぼすけ野郎め」
ヤンスは槍となってゲスブルーと接触したとき、弾き飛ばされてからずっと気絶していた。ヤンスは魔力に反応しやすい体質を持っているため、あの一瞬、ゲスブルーに接近したときに奴の濃密な魔力に当てられてしまったのだろう。視力のいい奴が強烈な光を直視してしまい、しばらく目が潰れるのと似たような症状だ。
「アンと合流するために、里に戻っている。まだ戦いは残っているぞ」
「おいらに頼っているでやんすか? 仕方ない後輩でやんすね。任せるでやんす!」
「ああ、頼りにしているぞ」
俺は言葉を返した。ヤンスは言葉を失った。
「…………はぇ? な、何でやんすか、その素直な態度! 罠! 罠の予感でやんす。もうおいらはその手は食わないでやんす。さあ、カメラはどこでやんすか?」
「はっ。やはり憎たらしいな、貴様は」
俺はにやりと笑い、ヤンスを掴んだ。ヤンスが変形し、ゴブリンが使っているサイズの短剣になった。殺傷力ではなく速度を重視したチョイスである。
長い長い森のトンネルの出口が見えた。あの先がゴブリンの里だ。
妙に騒がしい声が聞こえる。悲鳴と嘲笑。断末魔と歓喜。慙愧の念。
あそこに、ろくでもない光景が広がっていると予想するのは容易かった。
ベルゼブブは最後の疾走を掛け、森を抜けた。
そして――




