16 魔物との融和
やれやれというか、何というか。
俺は溜め息交じりに、赤い空を仰いだ。この無駄な動作も何度目になるか分からない。地平線に夕日が沈もうとしている。今夜もまた野宿になりそうだ。
街を追い出され、次にすべきことも分からない。
予想通りの展開だったとはいえ、ここまで乱暴な扱いをされるとは思わなかった。
途方に暮れても仕方がない状況である。
心配なのは、アンが今傷付いていないかということだった。
俺は、隣を歩いているアンの様子をこっそり窺った。
アンは意外にも応えていないようだった。俺は胸を撫で下ろす。考えてみれば、旅が始まってから、俺も含め様々な人間が彼女を追求してきた。それでも彼女はぶれず、今もこうやって堂々と前を向いている。彼女の精神は強い。
時おり、弱くなってほしいと願うほどに。
「付けられているな」
俺は振り向かずに気配で読み取った。背後に悟られぬよう一瞬だけ追っ手を視界に入れる。彼らも隠れ切れるとは思っていないだろうが、距離を詰めずに慎重に付いてくる。彼らがいつ仕掛けてくるか、今はそれだけに集中した。
「? 領主は私たちを見逃したんじゃなかったのかしら」
「奴らも一枚岩ではなかろう。同胞を殺された恨みをぶつける相手が目の前にいるんだ。勝手に動く連中がいてもおかしくはない」
「私、あの人たちと話してくる」
アンはきっぱり宣言すると、あろうことか踵を返しやがった。俺はすぐさま彼女の腕を掴んで止めた。まったく、ご立派な自殺行為はこれで何度目なのだ?
「止めておけ。今の奴らに何を言っても無駄だ。傷付いた獣にはすべてが敵に過ぎない。ましてや俺たちは『加害者』だ。分かり合えるわけがない」
「話してみなきゃ分からないわ。彼らだって、ゴブリンの死体もたくさん目にしたはず。同じ状況なんだって、分かってくれるわ」
「まったく違う。アン。お前の考え方が特殊なんだってことにそろそろ気付け。奴らにとってゴブリンの死体は戦果であって、同情する対象じゃない」
「でも、私を手伝ってくれた人もあの街にはいたのよ? 全員は無理でも、何人かは分かり合えるかもしれない」
「その何人かのために自分の命を危険に晒すのか? 自己犠牲がお前の正義か?」
「自己犠牲でけっこう。それでも私は世界を信じるわ」
お前が信じているのは、自分の信じたい世界だけだ。
そう言いたかったが、アンは俺の腕を振りほどいて歩き出す。
この女、一発思い切り殴ってやった方が世界平和のためにもいいのじゃないか? と真剣に思った。奴隷である俺には主人への反逆行為はできないが、半ば本気でそう考えてしまうくらいアンは手に負えなかった。
この娘を野放しにしたら、間違いなく世界を振り回す。それが最低条件だ。
俺たちの押し問答を見てか、遅々としていた追っ手が足を速めた。彼らの頭数は十数人。どいつもこいつも、ギラギラと憎しみの感情を剥き出しにしている。
こんな奴らと平和的な対話が望めるべくもない。何を言い訳しても、ゴブリンたちを治癒していたという事実がそれを塗り替えるだろう。
どうやって切り抜けよう。真剣にそれを考え出したとき、俺は見つけた。こちらの様子を窺っている三十匹ほどのゴブリンの群れを。
「ご主人様、あれ、ゴブリンたちででやんす!」
ヤンスが大声を出した。アンも言われてから気付く。
「あれ? あの子たち、どうしてまだ街の近くにいるの?」
「街を再び襲いに来たか?」
俺はそう考えたが、すぐに否定した。撤退したゴブリンの群れも、損傷被害は軽くなかったはずだ。これほど早く、立て直せる余力があるとは思えない。
「おそらく、あの街を監視してるんだろう。にしては数が多い気がするが」
「偵察は目立っちゃダメでやんす。少数先鋭が基本でやんす」
「たまにまともなことを言うと思ったら、貴様が斥候を語るな。殺すぞ」
「一言目と二言目の論理性がまったくないでやんす!」
「イラッと来た。だから殺す。ひどく簡単なガキでも分かる論理的帰結だ」
「というより、ガキレベルの幼稚な理由やんす」
有無を言わせず俺は糞スライムを握り潰した。物理判定は無効化されるから手加減は要らないと分かったので、容赦なく『灰の手』で痛めつけた。
「ぎゃああああああああああでやんす! と、溶けりゅううううううでやんす!」
まだまだ余裕あるよな、こいつ。
「こら、喧嘩しない」
すると、アンに窘められた。一方的な虐待だが何か問題が?
そんなお遊びの空気と反対に、背後の集団には緊張が走っていた。
「ゴブリン……、ゴブリンだ!」「ぬけぬけと現れやがって、ぶっ殺してやる!」
追っ手もゴブリンの存在に気付いたようだ。剣を抜き、棍棒を構え、戦闘態勢に入る。今にもやり合おうという勢いだが、奴らにも負傷者が多く混じっているようだ。すぐさま飛び掛かってくることはなかった。それもそうだろう。昼の戦いが終わったのが正午とするなら、まだそれから六時間しか経っていない。そんな短時間で疲れが取れるはずもないのだ(俺とアンにしたって疲労が濃く残っている。ヤンスは知らん)。
そんな緊張状態で、むしろゴブリンたちの方が距離を縮めてきた。三十匹余りのゴブリンたちは真っ先にこちら、アンの方に近づいてきた。
「アン、どうする。戦うなら早めに言ってくれ」
「大丈夫。ベル君は何もしないで。彼らは私を襲ったりしないわ。おいでヤンス君」
ヤンスは俺の手から嬉しそうにご主人の肩に乗り移った。
「ご主人様はヤンスが守るでやんす!」
俺たちはゴブリンの接近を許した。俺も言いつけに従い、何もしなかった。主の判断を信じたという理由ではなく、ゴブリンたちから敵意を感じなかったからだ。
ゴブリンたちの方も何匹かが怪我をしていた。
アンがそれに気付き、その個体を手招く。
「あら、怪我をしているのね。可哀想に。こっちにいらっしゃい」
「ブギ、ブギイ」
「…………」
俺はここは我慢した。
もしもこの世に空気が読めない奴コンテストがあるとしたなら、この少女は間違いなくぶっちぎりで優勝するだろう。コングラチュレーション。追っ手が凝視しているのをよそにゴブリンの治療を始めたアンを見て、俺はそう思った。
「やっぱり……」「やっぱりだ」「悪魔の所業」「何と不届きな」「俺たちは騙された」「ありえない」「ありえない」「ありえない!」「奴は人類の敵だ!」
背後が一気にざわつくが、もうどうしようもないな。これで確定だ。
アンと人間の確執は広がり、和解の道は完全に途絶えた。
追っ手集団がゴブリンから、俺たちの方に殺意を移した。
そのとき。
追っ手と俺たちの間にゴブリンたちが割って入った。
「「ブギ、ブギ、ブギイ!」」
ゴブリンたちは短い腕を突き上げて、追っ手どもに威嚇した。
追っ手どもはそら見たことかと、いっそう元気になって騒ぎ出した。いや、本当に元気だよなあいつら。そんなに元気が余っているなら街の復興に向ければいいのに。
「やはりだ、あの女はゴブリンを従える悪魔だ! あの小僧もそうに違いない!」
集団の誰かがそう言った。他の人間も「そうだ、そうだ」と呼応する。
まったく不愉快極まりないよし殺そうと思った。即断即決だった。
しかし冷静に考えてみても、あの人間どもを葬らなければ今後の旅に支障が出る。下手をすれば賞金首を掛けられる。盗賊団や凶暴な魔獣と同じ扱いをされるというわけだ。今後人間の街に立ち寄ることはできず、旅の道中でも冒険者や騎士団に命を狙われる。
まったくもって素晴らしいバカンスだ。心が躍る。
「ベル、どうして笑ってるでやんすか! とうとう頭イカれちまったでやんすか!」
「ふん。笑ってなければやってられん」
「逃げましょう。ゴブリン君たちが里まで案内してくれるって」
アンは能天気にゴブリンとコンタクトを取っていた。
「そこでまた丸焼きにされなければいいがな」
「ゴブリンの長に会わせてくれるみたいなの。その方に頼めば、ここ一帯のゴブリンは私たちに協力してくれるかもしれないわ」
「さっそくゴブリンを仲間にしたでやんすか? さすがアン様すごいやんす!」
興奮したヤンスが叫ぶ。アンもまんざらではなさそうだ。
「うふふ。この調子で他の魔物ともお友達になれたらいいわね」
「奴らが来る。行くぞ」
追っ手は深追いしてこなかった。草原を抜け、俺たちは深い森の中に入っていく。馬も通れない木々が密集した獣道を、ゴブリンの案内によって奥へ奥へと導かれる。
これからどうしたものか。俺の不安は解消できていない。
ゴブリンの里。ゴブリンの長。この先に待っている未来が、せめて街の住人を敵に回した以上の成果があることを期待するしかなかった。
鬱蒼とした山道を登っていくと、不意に視界が開け、里が現われた。中央に巨大な樹が聳え立ち、その周りに生活空間が形成されている。水車小屋や穀物畑、いくつもの住居。かまどや訓練場まである。人間のように暮らす、ゴブリンの姿がそこにあった。
そして、里の入口で、とんでもない巨体が俺たちを待ち受けていた。
「よぉうこそ。儂はゴブリンキングだぞえ」
アルミラ語を流暢に話す、五メートル級のゴブリン。
何だか、こんな旅にも慣れつつあった。




