15 追放
その日の夕刻、俺たちはこの街の領主と面会することになった。
最初からそういう予定で、知らせを聞いた領主の到着を待っていたらしい。
案内役をイリアが勤め、街の中心部にある塀に囲まれた豪邸に行った。そこは警備の厳重さを示すように、ゴブリンの襲撃の爪痕がほとんど残ってなかった。
ヴェルダン侯はこの街だけではなくここ一帯の地方を治めている領主だとイリアが解説した。この豪邸はヴェルダン家が抱える別荘の一つだとか。
豪邸に入り、ベルゼブブとアンは最奥の部屋までまっすぐ案内される。
謁見の間は、巨大な二枚の扉で閉ざされていた。両側に控える兵士がその扉を開けた。
部屋の中に入ると、何名もの武装した兵士がずらりと待ち構えていた。
その奥に豪奢な椅子に腰掛けた、深刻な顔つきをした老人がいる。
(まるで王様気取りだな)
俺は第一印象から不愉快さを抱いた。
「ようこそ。カルバンの街へ」
まったく歓迎されていない。そんな気配を感じつつ、俺たちは老人と向かい合った。
嫌な予感が、湿った空気のようにまとわりついて離れなかった。
イリアが進み出て、俺たちのことを紹介した。
「ヴェルダン侯。彼らが此度の争乱を収めてくれた英雄たちです。彼女たちの尽力がなければ、より多くの死傷者が出ていたことでしょう。右の少女がアン。左の少年がベルです。二人は旅人で、偶然立ち寄ったとのこと」
「うむ」
ヴェルダンは仰々しく頷いた。シワに覆われた目が鋭くこちらを観察する。
アンはこういう場の空気に慣れていないのか、カチコチに緊張していた。
やがて老いた領主は、重い口を開いた。
「その者ら、名を聞かせてくれ。姓はあるのか?」
「は、はい。私はアンネローゼ・クラ……」
うっかり本当の名前を言おうとしたアンに、俺は肘打ちをする。
事前に忠告しておいたのだ。その姓は危ない気がするから偽名を名乗れと。
それを思い出し、アンは慌てて言い直した。
「アンネローゼ・クランクランです」
「クランクラン? 珍しい名だな」
「俺はベル・ミラージュだ。ふん、まあ俺のことは気にするな」
少年の顔から出た居丈高な口調に、ヴェルダンは虚を突かれていた。
「……う、うむ。アンネローゼ・クランクラン。それにベル・ミラージュよ。まずは感謝を告げよう。我が民の命を救ってくれたことを、カルバンを代表して感謝する。貴殿らの勇気ある行いに、力づけられた者も多かった。お陰で、無事に悪魔どもを打ち払うことができた。奴らには何度苦しめられたことか……」
イリアが補足説明した。
「この近辺にはゴブリンの巣が点在している。ヴェルダン侯は、何度も討伐隊を出しているのだが、なかなか殲滅し切れずにいる。噂ではゴブリン種の統率者である、ゴブリンキングが近くに潜んでいるらしいが、真偽は分からない。今日ほどの規模は初めてだが、過去にも奴らの群れが街を襲ったこともあった」
「うむ。そういうわけだ。あの醜い悪魔どもを絶滅させるのが、我が使命、おしてやカルバンの市民の悲願なのだ。よって貴殿らには褒美を取らせようと思った。しかし、貴殿らの行為には不可解な点があったという報告が来ていてな……」
そら来た、と俺は身構えた。
やはり嫌な予感が当たってしまったわけだ。当然といえば当然の摂理。この腐った果実のような顔をした老人の次の言葉がありありと想像できた。
しかしそんな現実を読めない阿呆がすぐ横にいた。
「お言葉ですが、よろしいですか。ヴェルダン侯」
アンがいきなり発言した。俺は顔を青褪めさせて振り向く。
この阿呆娘、何を言うつもりだ。いや、聞かずとも分かる。口を押さえつけてやろうかと思ったが、その前に怒りを宿したアンの目を見てしまい、身体が硬直する。
まずい。これは何を言っても聞かないモードだ。だから余計にまずい。
「っむ? 何かな」
ヴェルダンが発言を許してしまう。ああ終わった、と俺は諦めた。
「あの子たちを醜い悪魔と言ったのを撤回してください。あの子たちは悪魔じゃありません。ゴブリンです。同じこの世界に生きる隣人です」
アンの大胆な発言に、謁見の間の空気が瞬く間に凍り付いた。
玉座のヴェルダンを始め、立ち並んだ兵士、イリアも両目を剥く。
「……やった! 言ってやったでやんす! さすがアン様でやんす!」
俺の服の下に隠れている青色液体が喝采したので、空気を読めない馬鹿がもう一人いたことを思い出し、憂鬱になる。もう一人の馬鹿は服の上から殴って黙らせた。頼むからこれ以上ややこしくしないでくれ。
「な、何ださっきの変な声は!」
ヴェルダンが顔色を変えて俺を睨んだ。おっと、聞かれてしまったか。
「ああ、気にするな。俺の腹話術だ。うん」
「そ、そうか。腹話術なら、まあ、……腹話術?」
怪訝に頭を傾げるジジイだったが、それよりも重大な問題を思い出す。
「アンよ。その言葉、どういう意味だ。あのゴミどもを隣人と言ったのか?」
アンは毅然と言い返す。
「確かに、ずっと戦っていたのなら、良い感情を抱くのは難しいと思います。ただ彼らにも感情があり、事情があるのだということを知ってください」
「感情? 事情? まるで奴らを人間みたいに言うではないか。報告を聞いてまさかとは思っていたが、あの悪魔どもの味方をするのか?」
「悪魔ではありません。ゴブリンちゃんです」
アンは一歩も譲らない。最初緊張していたのが嘘みたいだ。
剛直なアンの態度に、ヴェルダンのこめかみに血管が浮かぶ。
「悪魔でもゴブリンでも同じことだ。やはり貴様! 奴らの味方なのだな」
「味方? いいえ、それは違います」
アンはきっぱりと否定した。そこにヴェルダンは激しく追及する。
「何が違うというのだ! 今さら言い逃れようとしても無駄だ。貴様が戦闘中に、悪魔どもを治療していたことは大勢が目撃している! この街を襲い、民を痛めつけ、命を奪った奴らを貴様はあろうことか治療したのだ! 治療された奴らは再び街を襲い、大勢を傷つけた。貴様の行為によって絶望が広がったのだ!」
「お、落ち着いてください、ヴェルダン侯。アンは決してそういうつもりで、ゴブリンを治療したわけでは……。アンは人間も治療して……」
激昂した領主と少女の間で、女騎士がおろおろと立ち往生する。
アンは言い逃れしようとしなかった。
「私の治療行為で、いたずらに戦闘が続いてしまったことはお詫びします。もっとよい手段があったかもしれません。それは私の責任です。感情で突っ走ってしまいました。ただ一つ、言わせてもらえるのなら、私はあのとき五百人ばかりの人間を治療しました。ゴブリンも大体同じくらいです。今回の戦いの死者は、百人ほどだったと思います。私が治したゴブリンたちが傷つけた数より、私が治した数の方が多いのは明白です」
堂々と言い切る姿に、俺はぞくりと背筋を震わせ、思わず笑ってしまう。
人命を数としか見ていない冷血な支配者はよくいるが、根からの善人でそれを言える者がどれほどいるか。悪意がない分、悪人よりも悪魔的である。
案の定、ヴェルダンはぷるぷると震えたあと、怒号を破裂させた。
「大勢助けたから目を瞑れと抜かすか売女! 馬鹿にするなよ愚図!」
じーさん、口悪くなってんぞ。
「き、貴様はふふふ、街に来たとき、ゴブリンを引き連れていたというではないか。スライムらしき魔物を従えていたという報告もある。はははは! だいたい、娘一人、小僧一人で旅をしているというのも怪しい。偶然立ち寄ったというのは嘘で、今回のゴブリンの群れを操っていたのは貴様ではないのか? 英雄などは幻想だ。すべては貴様が仕組んだことに相違ない。それで英雄を気取ろうとするとは卑劣漢め!」
「冷静になってください、ヴェルダン侯! 彼女が仕組んだなどと、証拠もないのに決め付けては無礼です。街の恩人を罵倒するなど」
ついに見ていられなくなったイリアが弁護に入る。
ヴェルダンの底意地の悪い目付きがイリアの方に向けられた。
「ほう? 私に意見する気か? イリア・レルフォント。拾ってやった恩人に牙を剥くとは、偉くなったものだなあ? 誰が国々を放浪していたレルフォント家を受け入れてやったと思っている? 再び一族郎党、荒野を彷徨いたいのか?」
「そ、それは……」
領主に射すくめられ、たちまち萎縮するイリア。
過去の恩義をかさに部下を酷使するその姿は、暴君そのものだ。
「小娘よ。これではっきりとしたな。貴様は悪魔の味方だ。貴様は人間を脅かす害虫だ」
「違います。何度言ったら分かるのですか」
ぶつけられる悪意に怯まず、アンは正面から立ち向かう。
「何が違うと申すか! 今さら何を言おうが無駄だ!」
「私は悪魔の味方でも、害虫でもありません。私は彼らのお友達です」
お友達。ここでもアンはそれを口にした。
ここまで来れば、やあ天晴れと拍手喝采で褒め称えて、未来永劫語り継いでやりたいところだったが、しかし現実が許してくれなかった。
必殺のお友達発言に、領主も兵士も呆気に取られ、一瞬、時間が止まった。
驚愕から覚めたヴェルダンは、もはや議論しようとしなかった。これ以上は時間の無駄だと悟ったのだろう。それで正解だ。まだ石ころの方が説得できるだろうて。
「アン。ベル。貴様らに追放を命じる。今すぐこの街から出て行ってもらおう。そして二度と我が領地に踏み入るな。民を救った行為に免じて、処刑は見逃してやる。
話は以上だ。出て行け」
「そんな! ヴェルダン侯! お考え直しください!」
兵士が俺とアンの腕を掴み、無理やり連行した。閉じた謁見の間の扉越しに、イリアの抗議の声が聞こえたが、その続きを聞く暇もなく、俺たちは外へ引っ張られていった。
街の外に投げ捨てられ、ようやく解放された。
ここまで運んできた兵士たちが仁王立ちして、俺たちを厳しく睨みつけた。
俺とアンは起き上がり、砂埃を叩いて、カルバンの街から離れるように歩いていった。
さて、これからどうしたものか。




