14 皇女と騎士
「ありがとう。イリアさん。街の案内だけじゃなく、買い物の代金まで立て替えていただけるなんて。本当に助かりました」
隣を歩いているアンが改まって謝礼を述べた。私は手を振る。
「とんでもございません。先に難癖を付けて迷惑を掛けたのは私の方です。これくらいさせていただいて当然です。代金の方も大した額ではないので、そのまま受け取ってもらって構いません」
「いえ、そこまで甘えるわけにはいきませんよ」
アンは頑なに断って微笑んだ。
二人は街の大通りを歩いていた。この辺りはゴブリンの襲撃の被害が薄かったお陰もあって、いくつかの店が営業を始めており、買い物客がちらほら現れている。復興のためにも落ち込んでいるより無理やりにでも日常を振る舞った方がいいと、カルバンの住人は知っているのだ。
イリアとアンは旅の必需品の買い出しに来ていた。突然着の身着のまま出発することになって、ほとんど何も持っていない状態なのだとか。買い物しようにもアンには先立つものがなかったため、イリアがまとまった金額を貸すことにした。
主な買い物は携帯食料と魔道具だ。他に寝具とテントを欲しがっていたが、それらの商店はまだ営業再開していなかった。
ベルゼブブは同行していない。アンが出かけることを伝えると、あの魔人は街の中なら安全だろうと言い捨てて、ベッドに潜ってしまった。ずっと強がっていたが、アンが目を覚ましたことで張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。
「ベル君って素直じゃないから」
パートナーにまでこう言われる始末だ。
「彼の服も買って帰りましょう。さすがにあの格好のままでは哀れですから」
「ええ。ベル君、喜ぶと思います」
素直に頷くアンを見て、私は奇妙な齟齬を感じ、しかし口を噤んだ。
アンがじっとイリアの顔を見つめていた。
「何かイリアさん、かしこまっていません? 妙に距離を感じますけど」
「いえ、ごく当然の態度でございます。かしこまってなどおりません」
「『ございます』とか言ってるし……。どう見てもかしこまっているじゃないですか。それって、さっきベル君と話していたことが理由ですか?」
「……っ!」
驚いて振り向くと、アンは申し訳なさそうに顔を俯かせていた。
「実はさっき聞いていたの。二人の話。盗み聞きする気はなかったんですけど、イリアさんが私も知らない、私の話をしていたから驚いちゃって」
イリアはすぐさまその場に片膝を着いた。
「……失礼いたしました! 本来なら、すぐに皇女様へお話すべきことを意図的に黙っておりました。身勝手ながら、過去の悲劇を知らぬのならその方がよいと。しかし、騙すようなかたちになってしまったことは事実であります」
「ああ、いいんです! どうか立ってくださいイリアさん。私、全然怒ってませんから。ただ驚いたというだけで」
「かしこまりました。皇女様がそう仰るのなら」
イリアは立ち上がり、恭しく頭を垂れた。アンは困った顔をしていた。
「そういうのも止めてください。私、皇女様じゃないですし。お願いですから、普通にしてください。最初に会ったときみたいに」
「いえ、そういうわけには……」
「私はアルミラ帝国の王家の人間じゃないし、イリアさんももうアルミラ帝国の騎士じゃないでしょう?
お姫様も騎士も過去の話。今の私たちには関係ないわ。次に皇女様と呼んだり、敬語を使ったりしたら、私怒りますよ?」
有無を言わせない口調で諭され、イリアは根負けする。
「はい。分かりました、アンさ……」
ジロリと睨まれ、慌てて言葉遣いを改める。
「分かった。分かったよ、アン」
「ありがとう」
「…………」
にこりと優雅に微笑まれ、不覚にも言葉を失うイリア。敬われることを拒否したアンだったが、その笑みには確かに女王の風格が漂っていた。自覚があるのかないのか、アンは元通りの人懐っこい笑みに戻った。
太陽は陰りを見せている。必要な買い物は済んだからあとは、ベルゼブブ(と妙なスライム)が待っているギルド本部に戻るだけだ。この後の予定もあるが、もう少しゆっくりしている時間はある。イリアたちは急がずに歩いて帰った。
「ああ、言うのが遅れたが、アーサーを治療していただいたこと感謝する」
ベルとの戦闘で場所を移した際、あの場に残した愛馬をアンは治してくれていた。ベルが付けた傷は致命傷ではなかったが、あのまま放置していたら二度と歩けなくなっていただろう
「いいですよ、お礼なんて。元はベル君がやったことですし、私が責任を取るべきです」
「いや、責任を取るべきはあいつ自身だろう。そもそも私から仕掛けたことだ」
「じゃあこれでお相子ですね。うふふ」
この話はおしまいとばかりにアンは手を閉じた。
無邪気に笑う彼女に再び齟齬を感じ取り、今度は口に出した。
「しかし、君は普通だな。こうして見ている限り、ごく普通の少女だ」
「普通? そりゃあベル君やヤンス君と比べたら、普通だと思うけど」
「いや、そういう意味ではなくて……」
「じゃあどういう意味?」
問い詰められ、イリアは抱いた齟齬を具体的な言葉にする。
「何というか、申し訳ないのだが、もっと非常識な性格だと思っていたんだ。魔物と対等になろうと言うくらいだから、もっと、変人じみているという先入観があった」
だが実際にアンと話してみると、礼儀は知っているし、一般常識も弁えているし、淑女のような慎み深さがある。一見すると、育ちのいいお嬢様という印象だ。
「もっと激しさやきつさがあると覚悟していたのだが、驚くくらいに君は素直だ」
「イリアさんの驚きポイントがよく分からないわ……」
「いや、私の感覚の問題だ。君が気にすることではない」
途中で気恥ずかしくなって、イリアは話を断ち切った。まったく自分は何の話をしているのか。こちらが勝手に彼女のことを勘違いしていただけではないか。
「気になっていたのだが、旅の目的は聞いたが、ベルとはどういう関係なのだ? 契約で結ばれているとか聞いたが、そもそも魔人と契約を結ぶなんて……」
「……すっかり、ベル君と仲良くなったんですね、イリアさん」
「え? ああ、まあな。仲良くなったと言われると語弊があるが、認め合う関係にはなったかもしれん。魔人だから、魔物だからと目を曇らせていた私を正してくれた」
「ベル君って実は優しいんですよ。絶対認めようとしないけど」
「優しい? あれが? 不器用なだけじゃないか」
「ベル君と私は、うーん、どういう関係なんですかね? えへへ」
アンは誤魔化すように笑った。不思議な物言いだと感じた。
「仲間ではないのか?」
「違いますよ。力は貸してくれるけど、仲間じゃないです。友達でも部下でもない。簡単に言ってしまえば、奴隷と主人の関係です」
「……奴隷……ッ?」
アンは己の右手の紋章を見せつけた。奴隷紋という魔術は知っている。使ったことはない。あれは相手の人権を貶める卑怯な魔術だと、騎士としてのプライドが拒絶していた。そのため、己の認識と彼女の性格とのギャップに多大なズレを感じた。アンが奴隷紋で人を支配する姿が想像できなかった。
「いや、ベルは魔人だから勝手が違うのか……?」
「だから分からないんですよ。私とベル君の関係。奴隷と主人の関係でしかないのか、他の呼び方があるのか。彼は私をどう思っているのか。私は彼とどういう関係になりたいのか……」
寂しげに呟くアン。その孤独な胸中を勘繰ることは無粋だろうか。
「……大事なのか。彼が」
「……はい。会ったばかりなのにおかしいと思いますけど、とても……」
「そうか」
珍しい関係ではあるだろう。他人が口を挟んでいいものではない気がした。
イリアが声を噤むと、アンがじっとこちらの顔を見つめてきた。そのすべてを見透かすような眼差しに、私はドキリとする。いったい何を言うつもりなのか。イリアは鼓動を乱しながら、アンの言葉を待った。
「私の夢はマスターから受け継いだものでした。私自身、叶えたいと強く願っていました。世界のために、人と魔物の壁を取り払いたいと。物心付いたときから、ずっと思い続けてきました。でも今は、ベル君のために夢を叶えたいと思っているんです」
「……どうして? あいつは反対しているのではなかったのか?」
「変ですよね。私のわがままに付き合わせているのに、それがベル君のためだなんて」
アン自身、整頓できていない心理なのだ。ここにベルがいないから吐き出せた本音なのだろう。私がここですべきなのは、簡単に否定することでも肯定することでもない。ただ聞いて、頷いてやることだけだ。
「そうか。それがあいつへの想いなんだな?」
「――はい」
迷いのある顔だったが、その声は強く、躊躇いは微塵もなかった。
イリアは口を挟むことなく、一つのことを祈った。
二人の行き先ができるだけ苦難の少ない道でありますように、と
その後、無難な世間話をしながらイリアとアンはギルド本部に戻っていった。




