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ベルゼブブ魔人戦記  作者: ましろゆう
12/38

12 貫いた意思

「いた! あそこ。ベル君、止まって」


 腕の中でアンが指示を飛ばす。俺はその方向に走り、倒れたゴブリンや人間のそばにアンを下ろす。アンは負傷した彼らに飛びつき、次々に癒していった。

 俺はその間、周囲を警戒して安全を確保する。防御に専念していればそれほど危険なことにはならない。やばくなったら逃げの一択だ。わざわざ追ってくる敵は少ない。


 俺はアンの素質を見くびっていたことを思い知る。

 奴隷紋や付与魔術の能力にも驚いたが、純粋な回復魔道士としての才能にも舌を巻いた。回復魔法は肉体構造に対する知識と緻密な魔力の操作が求められるはずだが、アンは拍手するような速度で、いとも容易く回復魔法を振る舞うのだ。


 しかしどうなのだろう、と冷静な頭で考える。

 アンの勢いに流されて、つい従ってしまっているが、この行動は果たして意味があるのだろうか。このやり方で戦闘が止まるとはとても思えないのだ。


 実際、アンに治癒された者は、人間でもゴブリンでも、最初信じられないような顔でアンを見たあと、周囲の状況を思い出して、再び戦闘に向かっていった。

 怪我人を治すのは確かに善行であろう。だが、治った怪我人はもう一度戦いに向かうだけだ。次の戦いを始めるだけで、今の戦いを長引かせるだけにしかならない。

 それでも迷いなく、アンは怪我人に慈悲の手を差し伸べていく。

 そうして彼女の真意が伝わることもなく、奴らは戦いに戻る。

 これではいたちごっこだ。アンの魔力が枯れ果てるまで、無益な遊びは終わらない。


「こいつら、ぶん殴った方が、素直に改心すると思うぞ」

「うん。でも少しずつ、力を貸してくれる人が増えている」

「……少しだけな」


 それも認めざるを得ない事実だった。ほんの僅かだが、種族を問わずに治療して回るアンの行為に感銘を受けて、協力してくれる者が出てきていた。ゴブリンと人間から数名ずつだ。彼らは街の方々に回って、同胞を説得したり、負傷者の救助をしたりしている。


「ずっと続けていれば、もっと増えていくはずだよ」

「そんなに甘くないことは、分かってるだろ。百人に一人程度の割合だぞ」

「少しでいい。あとはみんな

が気づいてくれる」

「…………」

 十人にも満たない功績は、彼女を勇気付けるのに十分だったらしい。

 しかしそれはいい。アンの馬鹿は今に始まったことではない。

ベルゼブブの懸念はもう一つあった。

 負傷者たちは助けてくれたアンにただ感謝するだけだが、アンの奇行を見ているのは彼らだけではない。必死に逃げ惑い、建物の中に避難する街の住人もその行為を見ている。


 もう一つの懸念とは、アンが魔獣に回復させるごとに増えていく、街の住人からの敵意だ。理解できないものに対する恐怖なのかもしれない。だが、敵意である。アンに対する住人らの目付きが、段々と化け物を見るかのようなものに変わって行っている。

 住人からすれば、ゴブリンは街を襲った外敵だ。

 ならばそれを癒すアンは、ゴブリンの仲間と見られても不思議ではない。


「アン。このまま続けたら、お前が討伐対象にされるぞ」

「分かってるよ。ちゃんと分かっている」


 アンはまっすぐの瞳で、ただ己のすべきことに向かう。愚直で危うい目だ。

 ……不安が的中したか。

 ここに来る前に感じた、一抹の不安が当たったことを俺は悟る。

 アンは魔物を同等に扱い過ぎている。それは他者から見たら、狂気そのものだ。精神が病んでいると思われるならまだマシで、危険なのは人間の敵だと見なされることだ。

そうなったら、アンは人間の社会にいられなくなる。


 事実、アンは我が身を省みていない。自滅も辞さない覚悟で突っ走る。

 だが、その先に待っているのは、避けようのない破滅の道である。

 アンは野望を貫き続けるだろう。だがそこに、彼女の幸せはあるのか?

 心配しすぎている自覚はある。ベッキーの親心が移ってしまったか。


「……ッ、アン!」


 目を離した隙に、アンが怪我人の上に前のめりに倒れていた。その手に回復魔法の光は宿っていない。魔力が枯渇して気絶したのか。精神疲労マインドダウンと呼ばれる症状だ。俺はアンの肩を揺すった。


「これ以上は無理だ。一旦休め」

「……ん、んんん」


 アンは項垂れたまま首を左右に振った。駄々をこねても許すわけにはいかない。俺はアンを担いで、休める場所を探した。冒険者ギルド本部。あそこなら安全だろう。

 リズムカルな蹄の音が聞こえた。

 通りを曲がると、馬とぶつかりそうになった。馬が急停止する。


「……やっと見つけたぞ!」


 馬上から女の怒声が落ちてきた。イリアだった。


「女か。ちょうどいい。アンを連れて行け」


 俺はアンを道路に下ろす。図ったようなタイミングで、俺に掛かっていた『肉体強化』の効果が切れる。これではアンを担いで走り回ることはできない。

 イリアが馬を降り、疲労困憊のアンの身を受け止めた。


「ずっと、回復し続けていたのか? まさか、本当に……?」


 イリアと別れてから四時間が経過している。太陽は頂点に昇っていた。


「戦況はどうなってる。まだまだ元気に殺し合っているか?」


 皮肉に嘲笑する。イリアは顔の入れ墨をさすり、唾を飲み込んで言った。


「……ゴブリンどもが、引き始めた。とても信じがたいことだが。追撃部隊を送るという意見があったが、反対する者がいたので保留中だ」

「ふん。まあ、そんなところだろう。上々だ」


 俺もそろそろ体力の限界だ。俺は意識のないアンに向かって言葉を投げ付けた。


「喜べ。貴様の意地の勝利だ」


 聞こえたはずもないが、アンが頷くように身動ぎをした。

 俺たちは、イリアの馬に乗って、冒険者ギルド本部に向かった。


 …………。

 …………。

 …………。

 何か、大事なものを忘れているような気がしたが、気のせいだと思うことにした。

 そう、そもそもあんな不可解なスライムがこの世に存在していいはずがない。

 ヤンスなんて最初からいなかった。

つまり、そういうことだ。


「ひ、酷いでやんす~! 悪鬼羅刹の所業でやんす!」


 冒険者ギルドの前で待っていたヤンスは、思いきり嘆いた。


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