第1話:ヤマト編
「…はあ…はあ…」
「そう…それ、で…いい、の、よ…」
「マ…マ…」
「ご…めん…ね…」
西暦二〇〇八年のある秋の日、一つの事件が世間を賑わせた。
母親が同居していた男を殺し自殺した、と言う内容だった。
当時七歳だった少年は身寄りが無く、保護施設に引き取られたと言う…。
…
………
……………
少年は地面の上で目覚めた。
脇には<北風の移動神殿>が有る。
周りには、同じように蘇った連中が起き上がっていた。
またあの場面か。
まぁ良い。作業は順調だ。
少年は仮面の下でニヤリと笑うと、モンスターの群れに再び向かって行った――。
……………
………
…
「何処行くんだよ」
「本当に出ていくの?」
「ああ」
心配するギルドメンバー達に対し、その少年は返事以外特に反応を見せず、身支度を済ませる。
<魔法鞄>は有るから、そうそう時間も掛からず済ませられた。
部屋の調度品も、持って行く物は殆ど無い。
レベル九二の<守護戦士>だから、旅に出ても問題は無い。
この世界で冒険者は酷く優遇されている。
死んだ所で大神殿やセーフポイントで復活する。
記憶が一部無くなるらしい。彼自身何度か経験しているが、物忘れ程度で済んでいる。
偽物の死――だからこそ、少年は――A児は――旅に出る事を決めた。
常々考えていた目的のためには、メンバー達との連携は不要だからだ。寧ろ邪魔ですら有る。
「エーちゃん、本当に持ってかなくて良いのか?」
「ああ、やるよ」
A児は振り向かずに答え、そのまま部屋を出る。
素っ気ない態度のためか、<妖術師>の少年がMPポーションを持ったまま所在無げに立ち尽くしていた。
ロビーを出て街を歩く。
無表情で一直線にギルド会館に向かう。
「A児君!」
後ろから呼ばれたが気にしない。そのままスタスタと歩く。
「待って…!」
声の主が追いかけて来る。
見ずとも声だけで分かる。ギルドに入ってから時々パーティを組んで来た<神祇官>の少女だ。
追い付いた彼女は、有無を言わせずA児の腕を掴み、半ば強引に立ち止まらせた。
「どう、して…?」
「別に…元々そのつもりだっただけさ」
少女は目を潤ませるが、振り返ったA児の表情は動かない。相変わらずの無表情だ。
「はみんは残るんだろ?だったらそれで良いだろ」
「ッ……」
はみんと呼ばれた少女は二の句が継げない。取りつく島が無かった。
A児は手を振り払い、そのまま行ってしまった。
立ち竦んで静かに泣くはみんを置き去りにして――。
◇ ◆ ◇
会館を出たA児は、改めてステータスを見た。
ギルド欄が空白になっている。
今まで「放蕩者の記録」の文字がそこに収まっていたが…脱退した事で何だか体が軽くなった気がする。
恐らく気のせいだろうが、それだけでも気分が多少明るくなった。
しがらみを一つ断ち切ったと思った。
何しろあそこはお節介な大人達が偽善者ぶって他人の支援をしている所だ。
自分にエルダーテイルを勧めた暑苦しいおっさんも、ログインした際には毎回の様に出入りしていた。
事務所の所長の妹――A児は心の中でそちらも「クソババア」と呼んでいたが――彼女がギルマスをやっていて、事務所のメンバーは全員漏れなく友好関係を築いていた。
それが。
どうにも。
イマイチ。
胡散臭い。
大人は一朝一夕には信用出来ない。A児は常々そう思っている。
勿論、色んな大人が居る事は知っている。
根っからの悪人、偽善者ぶって主張を押し付けるヤツ、中には本当の善人も居るかも知れない。
だがA児自身は、初対面の相手は先ず疑う事にしている。
尤も、相手が気分を害すると良く無いので表には出さないが。
だから、レイドの助っ人を頼まれた時も、ギルド加入に誘われた時も、暇つぶしの趣味にエルダーテイルを勧められた時も、もっと遡って鬱陶しい弁護士が事有る毎に施設に来て記者から自分達を守ろうとした時も、打算やなんかが有るのではと内心思ったものだ。
自分に好かれるために。TVや新聞に顔を売るために。施設に恩を売るために云々。
流石に十年も付き合うと、人柄やら何やらが分かって来る。
施設の他の子供達と比べると恐らくまだ信じ切っては居ないだろう。逆に言うと、施設の連中はあの暑苦しいおっさんに懐き、慕っていた。
A児の中では少し距離を置いていたが、それでも、エルダーテイルを一緒にやるぐらいには信頼度は増していた。他の大人よりは。
そう言う自覚はしている。
そうで無ければ、そもそもゲームをやって無いし、会う事も拒否していただろう。
彼は彼なりに、それを自己分析し、理解していた。
多分ここの連中はそれなりに頼っても良いだろう、と。
A児はアキバを出ると、街道を西に向かった。
目標は明確だった。だから迷う事も無かった。
元居たギルドの情報網は流石である。
神出鬼没に近いその集団の動向を、ほぼ正確に追跡していたのだから。
だから今どの辺に居るかも予測出来た。
何日か掛かったが見つける事が出来た。入り込むのも簡単だった。
望郷派は、名前の通り故郷への帰還を強烈に望む者達で構成されている。
それは、冒険者全員が多かれ少なかれ抱いている願いでもある。
だからこそ、拒む者は居ない。
この集団に接触し入りたいと望む者は人一倍その願いが強いだけだから。
方法が有るなら、と縋り付く気持ちも分かる。
目的はともかく、方法は同じだ。
皆と同じ仮面を付ける。準備は出来た。
さぁ、行動開始だ――。
◇ ◆ ◇
<北風の移動神殿>を前線に設置し、全員で<ワイバーン>の群れに突っ込んで行く。
連携も何も無い。ただの特攻だ。
全員の目的が一致しているため、躊躇いが無い。
味方への攻撃や自爆も散見される。だが、誰も文句を言わない。
それどころか殆どの冒険者が笑ったり楽しそうに突っ込んで行く。
まるで狂気の宴だ。
A児自身は笑わない。黙々と作業をこなす。
だが確かに滑稽だと思う。
現実に戻るために、その記憶を失っているのだ。
A児には分からないし、分かりたくも無い。
記憶を失うのは良いとして、それで現実に帰れるとは微塵も思わない。
帰りたいとは思わないが、冷静に考えてそれは違うだろうと思っている。
アレはただの夢だ。
記憶を捧げてこっちに戻るための手続きの様な物だ。
頭が良ければ小学生でも分かりそうな物だが、彼らはそうでは無いらしい。
まあ止めずに一緒に突撃している辺り、自分も大概だと自覚しているが。
タクヤと名乗る冒険者が泡になって消えた。
誤爆がダメージの半分を占めていたが、皆お構いなしだ。
ワイバーンが尻尾を振って攻撃するが、魔術師姿の女性が突っ込んで吹っ飛んだ。
自分も剣を振りかざし突っ込む。
闇雲に<アンカーハウル>を発動させ、モンスター達を集めていく。
そうだ、それで良い。
自分に向かってモンスターの群れが殺到する。
ワイバーン以外のモンスターも来ている様だ。誰かカイティングでもしたか。
まぁこの状況では気にしない事にする。どの道やる事は同じだ。
周りの冒険者達も突っ込んで来る。
今回のA児に対する最後の一撃は、背後からの炎の矢だった。
…
………
……………
とあるアパートの一室、A児の目の前に、幼い子供が立っている。
その手には鮮血の付いた包丁が握られている。
目の前には、血だまりに沈む肉塊――さっきまで養父だったモノ――が有った。
顔は既に覚えていないが、正直無くても構わない。
子供が着ている服は少しボロボロで、べったりと返り血が着いている。
服の元の色は水色だった筈だが、それが水色と暗い赤のマーブル模様になっていた。
「っ!…英児!?」
震える声が背後から聞こえた。懐かしい母親の声だ。
カタカタと体を震わせ、その顔は…既に靄が掛かり始めている。
こちらも、笑った顔などは既に思い出せなくなって来た。
振り返った子供は無表情だった。それは今のA児と同じ面影が有る。
「ママ…?」
子供が不思議そうに母親の顔を仰ぎ見る。
英児は母親を守りたかっただけだ。
少年からすれば不本意だが、まだその理由が思い出せる。
あんな男は死んで当然だ。
だから、母親が何故そんな怯えたような声を出すのか分からなかった。
表情は思い出せないが、恐らく声と同じく怯えたような顔だっただろう。
茫然としていた母親はやがて正気に戻ったのか、買い物袋をテーブルに置き、英児の側に寄って来た。
そして英児を抱き締め、何事か囁くと、英児の手から包丁を優しく奪い取った。
今ではその言葉も最早失われてしまったが、母親に見つめられた英児は震えながらコクリと頷いた。
それを見届けた母親は、逆手で包丁を握り、自分のお腹に当てる。
ご丁寧に英児の握っていた部分を拭い、自分で握り直して。
それから、母親は英児に自分の手の上から包み込む様に手を握らせ…倒れ込む様に、自分のお腹に勢い良く突き刺した。
生暖かい液体がぬるりと傷口から染み出し、英児の手を濡らしていく。
母親は、最後の力を込め、包丁を抜き取った。
勢い良く血が吹き出し、英児に掛かる。
母親はそのまま倒れ、血溜まりの中に沈んだ。
少年の息が上がる。
「そう…それ、で…いい、の、よ…」
「マ…マ…」
最後に母親は何事か唇だけ動かし、息絶えた――。
……………
………
…
A児は大神殿の中で目覚めた。いつもの夢を体験して。
「今回は…アレか…」
A児は石棺の中でポツリと呟いた。
見る夢には幾つか種類が有るが、何れも自分の過去、しかも最悪だった頃の記憶を見せられている。
もう何回死に戻りしたか、既に覚えていない。
何百回と体験し、時系列はランダムだがある程度パターン化されているようだ。
ある時はドアの陰から見ている時、別のパターンでは母親が自分を庇っている時…その度にあのクズは何度殺しても飽き足らないと思った。
世間では母親が犯人だと思われている。警察も弁護士も裁判官もマスコミも、大人から子供まで全員だ。
そうなったのは自分が証言したからだが、お節介な連中も、あのやたら鋭い夜櫻や朝霧でさえ、自分がしたのは自殺幇助だけだと思っている。
真相は自分以外誰も知らない。
処でここは何処だ…ああ、ミナミか。A児は大神殿の外に出て思い出した。
そう言えばサフィールからミナミに戻ってきて、近くのフルレイドに挑んだのだ。
無論、ミナミに戻る途中でも何回か<移動神殿>のお世話になった。
最初に死んだのはどういう状況だったか、もう余り思い出せない。
何回も死に続けて記憶がゴチャゴチャになっている。
昨日や一昨日の晩ご飯は思い出せるが、半年前のご飯は?と聞かれて思い出せないのと同じぐらいの感覚だ。
いや、食事は一日三回だが、死に戻りは一日何回もやっているから、記憶の風化がもっと早いかも知れない。
今回もいつも通りの特攻だった。今回の死亡原因はレイドボスとレイドエネミーからの挟み撃ち。
事情を知らない奴らからすれば嫌悪感を催すか、練度皆無でカンストした連中かと思われるかも知れない。
残念だが、自分含めてここに居る連中は元ゲーマーだ。ライトなヤツからハイエンドな連中まで揃っている。
それでも、いや、だからこそか。何が何でも地球世界に帰るために、死に続けている。
死ねば元の世界の記憶を見る事が出来る。
嫌な記憶だったとしても、見る事が出来る。一時的な夢でも、向こうの人に会う事が出来るのだ。
そして、一時的だからこそ、皆こぞって死にに行くのだ。
何をバカな事を、と内心思う。
こんなのは過去の記憶を穿り出してるだけだろうに。
それに付き合っている自分も大概だろうが、これで戻れるとは思っていない。
そんなのは現実逃避も良い所だ。
これはただ記憶を削ぎ落として行くだけの作業だ。
それでも作業は止めない。たとえ夢であっても、元の世界の人間に会えるのだから。
A児の場合は記憶を削ぎ落とすのが目的であって、戻りたいとか会いたいとは思わないが、手段として有効だと判断しそのまま付き合っている。
A児はため息を吐いて街を出た。再び無謀な突撃を敢行するために…。