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短編

隣で感じる、キミの温度

作者: 奈良ひさぎ

 ぼくのクラスには雪音(ゆきね)さん、という転校生がいる。

 つい二週間ほど前にここに来たばかりで、ほっそりした体型に銀髪、青い目と、相当日本人離れした容姿の子だ。それで人を寄せ付けないクールな性格なのかと思いきや、話しかけてくる人には誰にでも優しい笑顔で接している。それどころか、少しでも馴染もうとしているのかいろんな人に積極的に話しかけているところをよく目にしていた。


「夢みたいな話だよなあ……」


 ぼくも友達も、口を揃えてそう言うしかなかった。非の打ちどころがないとはあの子のことを言うのだろう、と。ぼくのような特にクラスの中で目立っているわけでもない人に対しても、何気ないことで話しかけてくれる。見たところ彼女を悪く思っている人はいないようだった。


 けれど、そんな友好的で元気な雪音さんだったのは、転校してきてから一週間ほどだけだった。今も積極的にいろんな人と会話したり、お弁当を誰かと一緒に食べたりということはしているみたいだ。だが雪音さんは以前と比べて、明らかに元気がなくなっていた。はきはきしていた声も今はだいぶ弱々しくなったなと感じるし、誰かと話をしている時もちらちらよそを見たりと、落ち着きもなくなっていた。


「どうしたんだろ、雪音さん」

「お前そう言うけどさ、おれたちには全然変わったように見えねえんだけど」


 問題はそれだけにとどまらなかった。この雪音さんの異変に気づいているのは、どうやらぼくだけらしいのだ。そこまで分かってくれる人がいないとなるとぼくが間違っているのかと不安になるが、ぼくにとっては雪音さんがいつも通りじゃなさそうだということが、まるで自分の体調不良のように分かるのだ。放っておくわけにはいかなかった。


「……雪音さん」

「うん?」


 ぼくは放課後荷物をまとめて帰ろうとする雪音さんに声をかけた。不思議と異性に話しかける時に身にまとわりつく妙な緊張感はなかった。これも雪音さんが普段からフレンドリーなおかげだ。


「ちょっといい?」

「うん、でもそんなにもったいぶらなくていいよ」

「じゃあ。最近、いつもの雪音さんじゃないなって思うんだけど。気のせいかな」

「……え?」

「ま、気のせいだよね。だってみんな雪音さんはいつもと変わらないだろって言うしさ、ぼくも思い違いかな、なんて」

「ちょっと……!」


 ぼくが冗談めかして言った途端、雪音さんの顔色が変わったのが分かった。深刻そうな表情で、荷物を肩にかけてぼくの手をぐい、と引っ張る。雪音さんの力は想像以上に強く、ぼくはあれよあれよと言う間に少し暗くなった階段の踊り場に連れていかれてしまった。そこは校舎の端も端、普段誰かが通っているのをほとんど見ない場所だった。


「雪音さん……って」


 ぱふっ。


 ぼくの体を柔らかい衝撃が走り抜ける。目の前に雪音さんのうなじが大きく映り込む。彼女の手がぼくの背中の方に回って、ぼくは雪音さんの体いっぱいで抱きしめられていた。


「……え?」

「やっと、見つけた……」


 すう、と背筋の方が冷たくなっていくのが分かった。初めて味わう感覚だったが、同時にどこか懐かしい感じもした。キンキンに冷えたアイスをよく味わいもせずに食べた時の感覚が一番近いのかもしれない。でもそれにしては少し遠いような。

 その背筋の冷たさはすぐに元に戻った。それと同時に、雪音さんがぼくの耳元でわずかに舌なめずりするような音が聞こえた。


「……ごちそうさま」


 心臓の鼓動がすぐ近くに聞こえる。とく、とくと落ち着いた雪音さんのものと、何が起きているのか分からなくて早まるばかりのぼくの鼓動が混ざり合っていた。


「ゆきね、さん……?」

「……ん。ごめんね、驚かせちゃって。ちょっと、我慢できなくて」


 ぼくは女子に、それもよりによって雪音さんに突然抱きつかれた、というので頭がいっぱいになっていた。あの雪音さんが、ぼくのことを? それとも他の人にもこんなことをしているのだろうか。


「先に話せばよかったんだけど、本能でこうなっちゃって。ごめんね、悪気とか好意があったとか、そういうのじゃないの」


 ぼくの心の中を知ってか知らずか、平気そうに雪音さんは言ってのけた。悪気がないのは何となく知っていたが、好意もなかったことにぼくは少しがっかりした。


「じゃ……じゃあ、いったいどういう」

「これは秘密だよ」


 何より先に雪音さんはそう言った。先手を打ってそう言われたことで、ぼくは思わず口をつぐんでしまった。

 そこから先帰り道で雪音さんが話してくれたことは、確かに人に言いふらすべきものではなかった。


 雪音さんは昔からある地域にすみつく妖怪の血を引いている。もとをたどれば吸血鬼の親戚のようなものらしく、人間の血をすする代わりに体温を奪わないと生きていけないそうだ。


「……って言っても、昔の話よ? 昔はそれこそ人里に下りては体温だけ奪い去る、なんてことをやっていたらしいし、結構なペースで奪わないとすぐに弱っていたらしいんだけど、今はそれほど人の体温は必要ないし」

「さっきなんか一瞬ひんやりしたのも、そういうことだったのか」

「そう。ほんのちょこっと、おすそわけしてもらえれば十分なの。今ではその妖怪の血もだいぶ薄まったしね。けどそれでも、さっきみたいに直接抱きつかないと体温を吸い取れないし、ずっと体温をもらわずにいると弱っちゃうし」


 突然あんなことしてごめんね、と雪音さんは改めて謝ってきた。気にしないでとぼくは言う。実際驚きはしたけど、ドキドキしたし何なら少し嬉しかった。


「……もしかしてぼくのを奪うまで長い間、体温をもらえてなかったとか?」

「そう。……実は転校してきたのもそれが原因で。さっきみたいにおすそわけしてもらってるところを見られて、変なうわさが広まっちゃって。居づらくなったのよね。それでこっちに来てからは、ずっと誰かから体温をもらうのをためらってて」


 確かに勘違いされてもおかしくない行動だ。もし見られていたら雪音さんの立場は悪くなっていただろう。さっきのぼくにそんなことを考える余裕はなかったけれど。


「……でも、よかった。キミみたいに私の体調に気づいてくれる人がいて。これからもちょこっとずつ、あったかさをおすそわけしてもらいたいんだけど。いいよね?」

「え……うん……」

「大丈夫、今度は人に見られないようにするし、ほんとにたまにだから。一週間に一度とか、そんな感じだし」

「でも……」


 ぼくは言おうとしたことが言えないまま、さっさと道を曲がっていく雪音さんを見守るしかなかった。


「そういう問題じゃ、ないんだけどな……」


 力なく、自分にしか聞こえないような声でそう言うしかなかった。



 その夜から、ぼくの気持ちにはどこか曇りがかったままになっていた。雪音さんがあそこまで言ったということは、おそらく雪音さんの体調不良に気づいていたのは本当にぼくだけだったのだろう。誰かを頼りたい、でも雪音さんからみんなに打ち明けることはできない。一方で誰も気づいていないからこそ、どん詰まっていた。

 そんな雪音さんに、ぼくなんかが力になれることが嬉しい。あれくらいのひんやりを一週間に一度体験する程度で済むのなら、ぼくはいくらでも雪音さんに協力したいと思っていた。だがそんな嬉しさをもってしても、ぼくの心の中に巣食い始めたもやもやは消えなかった。


「そうそう。それでね……」


 次の日からの雪音さんは、ぼくの目から見ても元気そうだった。そして転校してきた時そのままの明るさがそこにあった。そんな元に戻った雪音さんを見てもなお、ぼくはもやもやしていた。


「どうしたんだよ、お前。昨日の今日で急に元気なくなったじゃん」

「え? そう見える?」

「だいぶ分かりやすいぜ。……あ、もしかしてあれか? お前雪音に惚れてるんだろ」


 その時のぼくにとって、友達の返答は意外なものだった。


「……いやいや。そんなことないって」

「そうか? ま、別に関係ねえけどさ」


 もやもやの正体はまさかそのことか、とぼくは自分自身の心に問いかけてみる。今までしつこくまとわりついていたもやもやが、急に晴れ渡っていくような心地がした。ぼくは雪音さんのことが好きなのだろうか。ほとんど話したことさえないのに?


「本当かな……」


 ちょうど一週間後の放課後に、ぼくは前と同じ場所で雪音さんと落ち合うと約束していた。改めて別の認識をしてしまった雪音さんにどう接すればいいのか、答えが出ずに頭の中がごちゃごちゃのままぼくはその時を迎えた。


「ごめんね。先週は驚いたと思うけど、人の体温をもらう方法で一番無難なのが、その人に抱きつくことだから」

「うん……」


 準備はいい?

 かばんや他の荷物を全て床に置いて、雪音さんがぼくに向かって腕を広げて言う。こんな思いを女子に対して抱くのは、正直初めてのことだった。でも雪音さんが相手なら、不思議とそんな思いも言える気がした。

 同じようにその場に荷物を置いたぼくに、雪音さんがそっと抱きつく。雪音さんの手がぼくの腰の方に回って、一瞬雪音さんの暖かさがぼくに伝わる。直後、ぼくの体の奥の方が少しだけひんやりするのを感じた。


「……うん。ごちそうさま」


 ごめんね、これからも毎週こんなことしなくちゃいけないんだけど。女の子で私のこと理解してくれる人がいたら、その子にお願いするから。


 両手を合わせて、雪音さんがぼくに苦笑いしつつ笑った。それを見て、ほんの一瞬ぼくの中の時間が止まる。そのまま先に帰ってしまいそうな雰囲気をまとった雪音さんを、反射的に呼び止める。


「雪音さん……!」

「うん?」

「いいよ、これからもずっと。こうしてくれて」


 雪音さんのきょとんとした表情。ぼくは構わず続ける。


「雪音さん。ぼくが好きになっても、いいですか」


 今度は雪音さんが目を見開く。その意味を悟って、少しだけ嬉しそうな顔をした。だがすぐにうつむいて、トーンの落ちた声を出す。


「……私が、妖怪の末裔でも?」

「関係ないよ。雪音さんに妖怪の血が入ってて、たまに人の温度をもらわなきゃいけないだなんて、そんなのはぼくにとってはささいなことだから。雪音さんが元気でいてくれるならそれでいい。ぼくはいつも元気で、みんなにも優しくて話しかけやすい雪音さんが好きなんだ」


 顔中が熱くなっているのを感じる。ほとんど一息で雪音さんに言い切ってからも、しばらくは恥ずかしさで雪音さんの顔をまともに見れなかった。ぼくが口にした言葉が全部、何度か頭を駆け巡ってから、ぼくはようやく落ち着いて顔を上げた。


「……うん。そっ、か……」


 ぼくの言葉の意味を、雪音さんもたっぷり時間をかけて解釈していたらしかった。ぼくが顔を上げたタイミングで、雪音さんはちょうどそうやって口にした。


「ありがとう……!」


 一度肩にかけたかばんを雪音さんはもう一度床に置いた。今度は置いたというより、落としたのに近いような音がした。そしてさっきと同じように、雪音さんがぼくにそっと抱きついてきた。今度はぼくもおそるおそる、雪音さんの腰の方へ手を回す。いつまで経っても、ぼくの体の芯の方がひんやりする感じはなかった。


 その後は二人で手をつないで帰った。まるで幼稚園の子供がするように、ただお互いにぎゅっと握り合っていた。


「キミの手、あったかいね。私の、好きな温度」


 ぼくも雪音さんのあったかさ、その手から伝わる温度が好きだ。照れ隠しのように、ぼくはうつむいて笑った。

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