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新生活


安藤和真。23歳。今年、社会人になりました。


漸くここまで来たんだ、グッと胸に込み上げるものを感じながら、俺は過去を振り返った。

小学校の頃、将来の夢は消防士か警察官だ、なんて友達と言い合ってはしゃいでいた。

中学生になって、それは現実的な夢ではないと知った。じゃあ自分は何がやりたいのだろう、と思ったりもしたけど、周りにそんな事考えるやつはいなかった。

高校生の頃、課外活動で行った企業見学で、初めて商品開発の過程を見てマーケティングに興味を持った。人々が真に求める価値が統計的に分析されていくのにとても感動した。

自分の進路が見えた瞬間だった。しかし気付いた時には高校生活は残り1年を切っていた。

学費や諸々の事情でどうしても国公立大学の経済学部へ進みたかった俺は、遅れを取り戻すように猛勉強した。あの時以上に勉強した時期は無いと思う。その甲斐もあって、無事合格通知を貰った時は、柄にもなく泣きそうになりながら家路についたのを覚えている。

大学ではサークルや部活には入らず、ただひたすらに経済学に打ち込んだ。目的だったマーケティングはもちろん、経済史や会計学、統計学など様々なものに手を出した。それが楽しくて仕方なかった。そうして就職活動期間を迎え、早々に都心にある大手メーカーのマーケティング部に内定を貰ったのだ。


こうして夢を叶えた俺は今、新たな生活の要となる新居の前に立っている。

築32年の2階建てアパート、「サンシャイン」。最寄駅から徒歩7分の1DK。バストイレ別。最寄駅の傍にはスーパーがあり、アパートから100mほど進めばコンビニもある。家賃はぎりぎり5万円台。見た目は少しボロいが生活するには困らないだろう。角部屋は残念ながら全て埋まってしまっていたが、2階左奥から2番目の204号とその隣の203号の部屋が空いていた。そのため、204号室を選べば右隣に人が入ってこない限りは角部屋の人間しか気にする必要はないだろうと考え、そこに決めた。

「さて、と。片付けるか。」

引っ越し業者に頼んで家具や荷物を詰めた段ボールはすでに部屋に運び込まれている。後はそれを片付けるだけだ。俺はギュッと気を引き締めた。




それが数時間前の話。

大体片のついた荷物を横目に窓の外をみると日はすっかり沈んでしまっていた。時刻はすでに20時前を指している。

「もうこんな時間か。……腹減ったな。」

確かこの辺に、とつい先ほど置き場所を作ったインスタントラーメンの山の中からひとつを取り出す。片手鍋に水を入れIHヒーターの電源を入れた。

ふと、テーブルに置かれた菓子に目が行く。俺の故郷の銘菓で10個入りでひと箱400円ほどのそれは、母親が隣人に挨拶に行く際に、と持たせてくれたものだった。

「……つか、今時お隣さんに挨拶とか、ないだろ。」

母親には悪いと思いながらも、お湯を沸かす間の空腹に耐えられなかった俺はその箱を開け、中身を1つ口へ運んだ。モチモチとした触感とくど過ぎない甘さが口の中に広がる。

「うま。」

地元の菓子なんて自分じゃ口にすることがない。それなのに何故か懐かしい気分にさせるそれをもう1つ頬張った。


『……っ……』


「?」

どこかから何かが聞こえた。家の中には自分以外誰もいない。お湯が沸騰した音とも明らかに違う。外か、と思いベランダに近づいて窓に耳を当てるがこれといって何も聞こえない。

「まあアパートなんだし、人の生活音とか普通に聞こえるよな。」

そう独り言ち、菓子の箱を手に真新しいベッドにボフンと腰かける。弾みで箱の中身が何個か零れ落ちた。


『…あっ、ん』


「!?」

女の声だった。はっきりと聞こえた。しかも明らかに艶を含んだ声色に思わず固まる。その間も女の嬌声は止まることなく、むしろ大きくなっているような気さえした。

一体どこから、なんて考えなくても分かった。ベット横の壁を1枚挟んだ向こう側、つまり隣の部屋で、女が喘いでいる。


『あっ、あぁっ、もっ……!』


大音量でAVでも見ているのかという期待は、わずかに聞こえるギシギシという軋む音にかき消される。じゃなきゃ何をしているのかなんて考えたくもない。そりゃあまあ借家とはいえ自分の家なのだから、そういう行為をする場所としては正しいのだろうが。角部屋の人間が鳴かされているほうなのか、鳴かしている方なのかは知らないが、仲良くはなれそうに無いと思った。渡された菓子は自分で食って正解だった。ラストスパートでもかけられているのか、女の声は徐々に切羽詰まったものになる。いや、それよりも。


『っ……!あ、イくっ……!』


「……最っ悪。壁薄すぎ。」


キッチンの片手鍋のお湯はとうに沸騰し、グツグツと煮えていた。今日は眠れそうにない。


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