1-8
「おーい、エイギー!」
クノールがエイギーに追いついたのは締め切られた校門から塀に沿ってちょいと進んだ所だった。
エイギーもクノールに気付いたようで振り回していた尻尾を止めると首を下に傾けて地上のクノールへと顔を向けてきた。
「先に着いていたかクノ、早いな」
「おかげさまでな! それより俺は十年以上そんな移動方法を隠し続けられていたことに驚愕してるよ!」
「移動方法? ……ああ、これは別に私の能力というわけではなくてだな」
その言葉に応じるようにエイギーの背でコウモリの翼が広がった。
それを見たクノールは驚きに「おおう」とつい声を出してしまうが疑問はすぐに氷解した。
「ぜい……ぜい……や、やっほー」
ルーシャーだった。
コウモリの翼を広げていたのはルーシャーで、その両腕がエイギーの胴体を後ろから抱きかかえている。ああやって抱えたまま飛行して学園まで運んできたのだろう。
だが太ましい尻尾が特徴の地竜族は同じ体型の人間族に比べて体重が三割り増しくらいある。それを抱え続けるのはルーシャーの細腕には文字通り荷が重すぎたようで、エイギーを支える腕はぷるぷると小刻みに震えていた。
よくやるなあ、とクノールは感心半分呆れ半分に苦笑した。
「お前、結構無茶するのな」
「翼も無いのに朝っぱらから空中遊泳してたアンタに言われたくないわよ。ほら、忘れ物」
言うと手荷物でも投げるようにルーシャーが小さく反動を付けてエイギーを放り出した。
支えを失ったエイギーの身体が重力に導かれて落下してきたのでクノールはあわてて腕を伸ばした。
「おっとっと」
幼馴染は手足を広げた大の字で堂々とダイブしてくる。それをクノールは胸板で支えるように身体を仰け反らせて受け止めた。落下の勢いでエイギーの尻尾が跳ねるように荒ぶるがそこは慣れたもの。腕で支えて上手く重心を整えてやればエイギーの身体はすぐに具合よくクノールの両腕の中に収まった。
「ふう」
「クノ、ご苦労」
エイギーが労いの言葉を掛けてきた。
受け止めた勢いでエイギーの頭がクノールの肩に乗っかる形になり頬と頬がびたりと触れ合う。
鱗はちょこっと硬くてひんやりしているが、それ以外の部分は柔らかくすべすべしている。エイギーが等身大の女の子であることをクノールがしみじみ感じていると、まだ宙に残っていたルーシャーが「へっ」と鼻で笑っているのが見えた。
「えーえー見せ付けてくれちゃって、これまたいい御身分ですこと。友人をこき使って幼馴染を運ばせた挙句にその眼前でべったりスキンシップたぁ憎いねえ?」と言葉に出さずともその蔑すむような視線が何を言いたいのか物語っていた。
クノールはコホンと息を吐いて取り繕うと、すぐにエイギーの身体を抱えてその場に下ろした。
地面に足を下ろしたエイギーは履いているローファーの爪先を地面でトントンすると、そのまま顔を上げて空に居るルーシャーを見上げた。
「ところで、忘れ物という言い方ではまるで私がお荷物みたいな言い草ではないか?」
「お荷物よ!? まごうことなきお荷物!! 逆にそれ以外の何なのかこっちが聞きたいわよ!」
声を大にするルーシャー、
エイギーはしばし考え、一言。
「筋トレ器具?」
「入学初日から重度の筋トレ装備で登校とかアタシはバトル漫画のヒロインか!!」
「こうしている間にも校舎の影から次の強敵が様子を窺って……」
「ないわよ! 滑ったギャグを無理に続けても微妙な雰囲気が広がるだけだからやめなさい!」
ツッコミを入れながらルーシャーも翼を折り畳むと高度を下げてくる。こちらはエイギーとは対照的に静かなもので着地寸前に翼を打ってふわりと軽く浮き上がるとまるでステップを刻むように軽やかな足取りで地面に降り立った。
途端、皮膜に覆われたルーシャーのコウモリの翼は黒い煙となって空気に溶けて消えていく。
夜天族であるルーシャーの翼は、魔法剣バストライナーなどと同様に魔力で形成されており着脱自在となっている。
完全に翼が消えてからルーシャーはぎこちなく肩を回した。身長はエイギーと同じくらいなので飛んでいる時と違い、クノールが見下ろす形になるが、そんなことでルーシャーの調子は変わらない。
「あーもう、めっちゃ凝ってるわー。なんで入学初日からこんな目に遭わなきゃいけないのよ? 家に帰って枝豆とジンジャーエールで一杯やってそのままラジオを聴きながらソファーで爆睡とシャレ込もうかしら?」
「休日のおっさんみたいなシャレ込み方だなお前」
クノールは肩をすくめた。
しかし、何だかんだ言いながらもエイギーに付き合ってくれるあたりルーシャーに、クノールは軽く笑ってしまう。
だが途端に、ルーシャーはキッと夜闇の漆黒を湛えるような黒い瞳を鋭くしてクノールを睨み返してきた。
クノールはおもわずたじろぐ。
「な、なんだ?」
「なんだじゃないわ。何を部外者面してるのよ? 魔王さんを迎えに来るのが保護者たるアンタの仕事でしょ?」
「別に保護者じゃないっす」
「同棲までしといて否定すんな」
「お互いに両親と離れて住んでるから防犯上しかたなくっす」
「いちいち口答えしない!」
ルーシャーは「あー、もう!」と横に一度頭を振った。
「こちとら途中でアンタにバトンタッチ出来ると思ってたから渋々と運んできたのに結局そのままゴールしちゃったじゃないのよ! つーか、マジでアンタは何をやってたのかしら? 魔王さん放り出して十分以上そのままとかすっごく気になるんだけど?」
詰め寄ってきたルーシャーがジト目で睨み上げてくる。その黒い瞳には強い疑念を抱いているのがありありと窺えた。クノールは特に異常だとは思ってなかったが、エイギーを放置しっぱなしにする行為はルーシャーにとって異常な事態らしい。遠まわしに普段から幼馴染とベタベタしている過保護なヤツだと言われているようでクノールはちょっとだけ傷ついた。
クノールは頭を掻きながら舌打ちする。
「着地の時にちょっとあってな、それで戻れなかったんだよ」
「ちょっとあったって、何があったのかしら?」
「それは……」
口を開くがそこでクノールは言葉を詰まらせた。
思い返せば色々とありすぎた。空からサラが降ってきたり、いきなりレーナに斬りつけられたり――。
なんと説明すればいいのかクノールが悩んでいるとルーシャーはその沈黙を別の意味に受け取ったらしい。
「あれ? あれあれあれ? もしかして入学早々にどっかのお嬢さんとイチャイチャして恋愛フラグでも立てていたのかしら?」
ルーシャーがよこしまな微笑を浮かべて面白そうにクノールを仰ぎ見てきた。
クノールはあわてて首を横に振って否定した。
「ち、違うっての! ち、着地に失敗して校舎裏の物置を壊してしまったから用務員に怒られていたんだよ!」
「なんだ、つまんないの」
クノールが咄嗟の機転で嘘をついてごまかすと、興をそがれたルーシャーは両肩を小さく持ち上げてそっぽを向いた。
「どっかのお嬢さんと恋愛フラグ」という単語にギクリと内心肝を冷やしたクノールだが上手くごまかせたことに胸を撫で下ろす。イチャイチャなんてしていないはず、とは思うクノールだが、サラとレーナは女子、それも外見は美少女の部類に入る。もしエイギーを放っといてそんな二人と会っていたなんてルーシャーに知られた日には、何をしていたのかという事実はともかく、話に尾ひれや胸ひれや触手やらが追加されて事実無根の悪意あるクリーチャーに転生させられて面白おかしくクラスに広められるのは目に見えていた。
「……サラには悪いけど今日校舎裏で会っていたことは皆に内緒にしとくか」
サラには後で口裏を合わせてもらえばいいと考えたところで、そもそもどのクラスなのかすら聞きそびれていたことに気づいた。
すぐには会えないだろうが同じ学年ならいつか会えるだろう、クノールはそう結論付けて、
――あれ? そういえばサラたちに何も言わずに来てしまったような気が……。
嫌な予感が頭をよぎるのと同時だった。
「あっ、クノール!」
突然、背後から聞こえたのは鈴を転がしたような嬉しげな声。
クノールはぴしりと固まった。
すぐ前でエイギーとルーシャーが揃って目を丸くしているのが見える。
しかし、ルーシャーは面白い物を見つけたように次第にニヤニヤと笑みを深め、エイギーは無表情ながら無言の『圧』を全身から滲ませ始めた。
クノールはまるで油の切れたゼンマイ人形のようなぎこちない動きで背後を振り返る。
そこにはちょうど後を追ってきたサラとレーナが、クノールの元へと早足に近づいてくるところだった。
「急に走り出して驚きました、いったい何があったんですかクノール? おや、そちらのお二人は?」
ふうふうと小さく息を弾ませながらサラが聞いてくる。
クノールが何も言えずにいると、横からすかさずルーシャーが話に割り込んできた。
「わたしはルーシャー・アクスム、うっかり遅刻してしまったしがない入学生でございます。そういう貴女はどちらさまで?」
「あっ、すいません、自己紹介は先にするべきでしたね。わたしも新入生で名前はサラ・ビンソンといいます、こちらは――」
「レーナ・マゼラン、気軽にレーナと呼んでくれてかまわない」
持っていたフランスパンをもっしゃもっしゃと食べながらレーナが答えるが、ルーシャーは眉一つ動かさずに笑顔のままさらに尋ねた。
「まあまあ? それでお二人はクノール君とはどういうご関係で?」
言葉丁寧に聞きつつルーシャーの瞳がきゅぴーんと光る。獲物を狙う鷹の目だ。
非常にまずい事態だった。
誤解を解くために今すぐにでも割って入りたいクノールだが、しかし幼馴染からの刺すような視線がクノールをその場に縫い止める。
もうクノールには祈ることしか出来ない。サラが誤解を招くような事を言わないことを祈るしかないのだ。
――頼むぞ、サラ。
クノールは懇願するようにサラを見る。
しかしサラはそんなクノールの懇願にも気付かずルーシャーの言葉に思いっきりむせ返った。
「ご、ごほぇっ!? ク、クノールとの関係ですか!? えっと、その、それは何と言いますか、会ってまだ数十分と経っていませんが、短い間にも色々と返せないくらいに親切にしてもらいまして、とても……はい、とても良い方だと思っています!」
「正直、好みの男子的な?」
ズバリと核心を突きにいくルーシャー。
その瞬間、まるで火がついたかのようにサラが慌てふためき始めた。
「な、なななっ!? い、いえ! べ、べべべべ別にそういう意味では無くてですね! 本当です! 本当ですよ!?」
「では、どういう意味で?」
「え? あ、いや、その……」
振り返るサラとクノールの目が合う。
その瞬間、ぽっと火が付いたように赤くなって顔を逸らすサラ。
「と、とにかく! 違うったら違うんです!!」
頬を熟れたリンゴのように赤く染めて首を横にぶんぶんと振るサラ。あまりにもな反応にルーシャーもご満悦の表情だ。
クノールも一人の男子なのでそういう気のあるような態度は嬉しい。
だけど出会って十数分のクノールにサラが惚れるような要素は無く、純真無垢なサラが上手くからかわれているのは見て明らかだった。
クノールは頭を抱えるが、そこに助け舟が出された。
「姫様が困っている。残りは私が伺おう」
ずいっと、さっきまでモシャってたフランスパンを食べ終えレーナがサラを庇うように前に出た。
「あら? アナタはレーナさん、でいいのよね?」
「うむ、それで私とクノールに何があったのか話せばいいのだな?」
「んー、クノールってどちらも呼び捨てなのが高ポイント! ぜひ教えてちょうだい!」
ルーシャーがせびるように続きを促すと、レーナは軽く瞼を伏せる。
数秒の逡巡、突然レーナがその場で四つん這いになった。
「関係うんぬんの話をするより先に、まずは罪に対する罰を受けるのが道理だ。さあクノール、遠慮なく私の尻を叩いてくれ! 姫様がしていたように!」
なんて抜かしながらレーナは尻を向けて四つん這いになった。厄災クラスのキラーパスだった。それも受け取った奴が死ぬキラーパスだ。
最高のネタを掴んだルーシャーが九回裏逆転満塁ホームランでも決めた球児のようなテンションで「いよっしゃー!」とガッツポーズしているのが見えた。
隣ではサラが自分から話題の矛先が逸れたのをいい事に無関係を装いつつ「使いますか?」とクノールに鞭を勧めてくる始末である。
クノールは無言で空を仰いだ。
空以外に視線を向けていい物が無いからしょうがない。地上には情け無用の厳しすぎる現実が溢れているのだ。
「あっはっは……終わった」
「クノ」
すぐ背後からエイギーの静かな声。
だがそのいつもと変わらない声の調子にぞくりとクノールの背中に悪寒が走る。
発する気配から察するにエイギーは怒っていた。尻尾が苛立つように地面をびたーんびたーんと叩く音も聞こえる。
そう、間違いなく怒っている。
なのに声が普段の調子なのだ。こうなると面と向かって怒られるよりも恐ろしい。
「クノ」
続けてクノールを呼ぶエイギーの声。
クノールは理解するしかなかった。
終わりではない。これから始まるのだ、と。
――ぎゅるん。
クノールが何も答えられずにいると、急に何か硬くてずっしりした物が首に巻き付いてきた。
エイギーの尻尾だ。
ぶっとい尻尾はそのまま凄まじい力でクノールの首を捻る。これにはクノールもたまらずその巨体ごと向きを変えた。
クノールの身体はコマのようにその場で半回転し、回る視界がエイギーを正面に捉えたところで首から尻尾が離れてクノールは解放される。
いや、解放されてはいない。なんせ顔を向けた先では幼馴染がじっとクノールの方を見据えており無言の圧力でクノールを押さえこんで来ているのだから。
やがてエイギーがゆっくりと口を開く。
「クノ、知っているか?」
「何を?」
クノールの頬を冷や汗が伝った。
そしてエイギーがとうとうと語り始める。
「さっきまであのレーナという女生徒が食べていたフランスパンのフランスとは国名らしいのだ。機械族が昔教えてくれた。しかしこの大陸にフランスという国は無い。一説によると機械族は『箱舟』とやらに乗ってグリーシス大陸を訪れたらしいが、その際にメートルなどの単位や高度な数学的計測技術も伝来したと伝えられている。ということは、海の向こうにフランスという国があったり数学物理に優れた国があるということになるが、しかしそれらしい大陸は見当たらない。何故だと思う?」
うんちくを真面目な顔で説明するエイギー。
話が婉曲的すぎて何を言いたいのか分からないが、これもエイギーが怒っているときの反応だった。
エイギーの怒ったときの反応は大別してふたつ。
一つはぶち切れて大魔法をぶっ放すか、もう一つは今のように延々と無意味なトリビアを垂れ流し相手を拘束してうんざりさせるのである。
「そっかあ、フランスパンにそういう由来があったんだ、そうだなあ、俺が思うに……」
クノールはいそいそとその場に自ら正座して話に乗っかった。
他に選択肢なんてありはしなかった。