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焦燥

 一つ、胸の奥に引っかかることが。

 果たしてあの屋上は冬緋さんにとって本当にお気に入りの場所なのだろうか?

 彼女の仲間であった鈴木君は、飛び降りて消えてしまったと言っていた。

 

 どこから飛び降りた?

 

 心あたりはひとつしかない、あの屋上だ。

 とすると、冬緋さんにとってあそこは、仲間が消えてしまった因縁の場所ではないのか?

 ならば、気に入るというよりは忌避する場所になるのが普通ではないか?

 何ともいえぬ嫌な予感。

 

 ――――もしかしたら冬緋さんは先人たちのように、孤独を恐れるあまりに死ぬことを考えているのではないか?

 

 彼女に限ってそんなことなどあるはずがない。冬緋さん自身も俺を置いて消えたりしないと確かに言っていた。

 頭を左右に振って嫌な考えを否定しようとする。

 だがこびり付いた不安は晴れることなく時間と共に少しずつ積み重なっていく。

 年を経て連鎖している消失。次の順番が冬緋さんであるという事柄が、ここにきて俺の心をかき乱し始める。

 思い浮かぶ冬緋さんの姿。細い身体に整った容姿。落ち着いた声ながらも、時折捻くれた物言いをする。それらが合わさりなんともいえない彼女独特の不思議な魅力を放っていた。

 彼女がふと見せた憂いの顔。黄昏ている彼女はどこか儚く見えて、触れようとすれば蜃気楼のように消えてしまうのではないかと思えた。 

 胸がざわつく。

  一度、気になり出すと、良くない方向にばかり考えが転がっていく。

 考えすぎだ。というか、何を一人で悶々としている。

 だが万が一ということも……

 孤独の怖さを今にして垣間見たからこそ、独りであるということが怖くなる。

 自分勝手な懊悩の挙句に、悪い予感ばかりが堆積していく。  

 迷った末、俺は思いきって冬緋さんの携帯に電話をすることにした。


「現在、この電話はお客様の申し出により――」


 冬緋さんの声を聞いて安心したかったのだが……

 彼女は電話に出なかった。代わりに無機質な音声がただ流れるだけ。

 なぜ繋がらない? 

 焦燥にかられた俺は何度も何度も電話を掛ける。だが結果は変わらない。


「くそっ」


 居ても立ってもいられなくなった俺は、ベッドから跳ねるように起き上がると、すぐに部屋を出た。


「どうかしているな。俺は」


 自嘲しつつも、俺はがむしゃらに自転車を漕いでいた。 

 冬緋さんが居るかもしれない場所。心当たりはあそこしかない。

 向かう先は一つだった。

 それは、俺にとって思い出深い場所であり、冬緋さんにとっては業も深い所。 

 マンションの前に立った俺は、駆け足でエレベーターに乗り込む。


 ――――頼むから居てくれよ!


 祈るようにボタンを押すと、小さな箱が俺を最上階まで導く。

 エレベーターから降りた俺は、錆びついた鉄の扉を思い切り引く。

 駆け足で踏み込んだ先の屋上に広がっていたのは、眩しい空が覗く朝昼とは違う、日の落ちかけた黄昏の世界だった。

 冷静に考えてみると、こんな時間に、冬緋さんが居るわけない。


 ――――でも、もしかしたら――――いや、ひょっとしたらもう既に……


 願望と不安が入り混じる。希望を見つけたい俺は、目を凝らして冬緋さんの姿を捜した。 


「あ」


 俺は屋上全体の半分を見渡した所で、フェンスのすぐ後ろに立つ冬緋さんの姿を見つけた。  


「なんで居るのさ」


 俺の口から出たのは安心と疑問の言葉。

 冬緋さんに改めて問い質したいことがあった俺は、彼女の元へと静かに近づいていく。  

 長い髪が風に靡いてはためく。近くまで足を進めた俺は、この風が止んだ瞬間に話し掛けようと心に決め、呼吸を落ち着かせる。


「下原君? どうしたの? こんな時間に?」


 だが、こちらが声を掛けるよりも早く俺の存在に気が付いた冬緋さんが、振り返って首を傾げた。


「キミこそ、何してんの?」


 素直に冬緋さんを捜しに来ましたとは言えず、質問を質問で返すという失礼を冒す。


「ふふ。色々と思い出していたのよ」


 茜と群青の狭間に、冬緋さんの白い透き通った肌が映える。月の淡い燐光を身に纏っているかのようで、闇に魅染められた幽女さながらの美しさだ。

 一瞬、先ほどまでの動揺も忘れ、改めて綺麗だと見惚れる。   


「それは、鈴木君のこと?」

 

 惚けた頭に浮かんだ言葉を俺は無意識のうちに口にしていた。


「そう、ね」


 ゆっくりと頷く冬緋さんは、とても悲しそうだった。まるで、想い人を悼むように。 


「冬緋さん。君は鈴木君のことが好きだったの?」


 こんなことを聞きく予定ではなかったが、ふと口に出てしまった。 


「どうかしら。好きか嫌いかでいえば、好きだったとは思うけど……それはあくまで仲間としてであって、異性としてあまり意識したことはなかったわね。安心した?」


 俺の顔を覗き込むように顔を近づける冬緋さん。既に顔から悲しさは消え、笑顔が貼りついていた。


「癪だけど、安心したかもね」


 白状すると、ほっとしていた。それは冬緋さんの好きな相手が鈴木君でなかったことに対してでもあるし、彼女に今出会えたことでもある。


「あら、いつになく素直ね」


 俺の反応が予想外だったようで、冬緋さんの方は意外そうな顔をしていた。


「まあ、たまにはね」

「習慣なのよね。一日に一回、この場所でいなくなった鈴木君のことを想う。彼を悼みながら私なりに色々と考えるの。鈴木君は私と居る時もずっと辛かったのかな? あの時、傍にいたのだから、彼の為にしてあげられることがあったのではないかな? なんてことをまあ色々とね」

「優しいね」


 彼女は、自分を置いて消えてしまった鈴木君のことを責めることはせず、むしろ慈しんでいた。 

 居なくなった人のことを悪く思っても仕方ないのかもしれないが、だからといって思いやりを向けることなどそうそう出来るものではない。

 だから俺は、皮肉ではなく尊敬の念を込めて言葉を贈った。


「あら、心外ね。私こう見えて、けっこう情の深い女なのよ」

「……かもね。まあ、マリアナ海溝ほどではないだろうけど」


 そして認めるからこそ、冗談で返せる。 

 冬緋さんには、他者を想うことの出来る懐の深さと慈しみの精神があった。


「ふふ、さしもの私も大自然には勝てないわね。ところで下原君。 少し様子がおかしいけどどうかした?」


 鋭い人だ。

 こうも優れた観察眼を持つ冬緋さんには下手なごまかしなど通用しないのだろう。

 だからここは覚悟を決めて、気恥ずかしくとも正直な気持ちを吐き出すしかなさそうだ。。


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