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好意の芽生え

 翌朝、俺は半分閉じた眼をこすりながら、服を着替え部屋から出る。

 木霊実は見当たらない。

 冬緋さんのところに居るのだろうか?   

 トーストを齧りながら二人の姿を思い浮かべる。

 彼女たちという不思議な存在と出会はしたが、今のところ俺の生活に大きな変化はない。 

 が、俺の気持ちには変化が起こりつつあった。

 冬緋さんが気になるのだ。

 彼女が不思議な存在だからとかそういうことではなく……

 昨日、動物園に行ってから、山田冬緋という一人の女性が頭から離れない。

 胡散臭い笑顔。物憂げな顔。澄ました表情。

 そのどれもが鮮烈に脳内に焼き付いている。

 ひょっとしたら、今日も屋上に行けば会えるのだろうか?

 気が付けば俺は、トーストを口の中にねじ込むと、自転車に乗って例の屋上へ向かっていた。

 マンションに到着。最上階に上がると、見慣れてしまった鉄の扉を開ける。

 すると目に映ったのはぬけるような青い空。と、

「とう! むふん! この!」

 

 冬緋さんではなく木霊実の姿だった。

「そんな格好で何しているの?」


 これでもかというくらいにひらひらしたフリルが張り付いた黒いワンピースを着ている木霊実。一見するとゴシックロリータ風のファッションにも見える。が、小さな右手に握られているピンク色の布団叩きが、彼女の存在を混沌に落とし込んでいた。


「おはようです、ダディ。見て分かりませんか?」


 布団叩きをびゅんびゅんと振りながら彼女は得意げに言った。


「はてしなく分からない」


 わかりたくもない。


「私は今、埼玉県川口市朝日三丁目二番地の平和を守る、まほう少女なのですよ。きゃっほい!」

「ああ、そういうことね」


 小さな子供がよくやる、ごっこ遊びか。

 だがそれにしたって……


「せめて一つの町内くらいは守ろうとする位の志は持てよ」


 守備範囲が限りなく狭い魔法少女もあったものだ。 


「下原さん、見ていてください。行きますよ、必殺マジカルスパンキング!」 


 木霊実はピンク色の布団叩きを両手持ちにし、大きく溜めを作ってからホームランを狙うバッターさながらにフルスイングする。


「物理的な技だな」 


 魔法の欠片も感じない必殺技に、悪い意味で感心。 


「うほほい。これにて悪は滅びました。まほう少女の大勝利!」


 空想上の敵をやっつけたらしき木霊実は居丈高に布団叩きを掲げる。


「平和だな」


 楽しそうに一人遊びをする木霊実を見て、しみじみと思った。


「おはよう、下原君」


 晴れ渡る屋上に訪問者。

 透き通った声の主は冬緋さんだった。


「冬緋さん。おはよう」


 会いたい人に会えた喜びで胸が満たされていく。


「暇人である下原君はどうしてこんな所に居るのかしら?」


 そんな俺の気持ちを知らない冬緋さんが、いつもの調子で声を掛けてくる。


「おっしゃるとおり、暇だからだよ。そういう冬緋さんこそどうしていつも屋上に居るのかな?」


 答えると同時に今度は自分の聞きたい事も尋ねる。

 何事もギブアンドテイクが基本だ。


「この場所がお気に入りだからよ」

 冬緋さんはゆっくりとした動作で腰を降ろしそのまま仰向けになると、お腹の上で手を組んで空を見つめながら口を動かした。 


「どうして?」

「秘密」


 意地悪く笑う冬緋さん。


「そう」


 彼女の言葉は、なんとなく自分が予想していた通りの答えだった。

 俺は瞳を閉じて眠り姫のように佇む冬緋さんを無遠慮に眺める。


「今、私のこと見ているでしょう?」


 目を瞑ったまま、彼女がにこやかに笑う。 


「秘密」


 俺は内心ドキリとしたが、平静を装って言葉を返す。

 目には目を、秘密には秘密を、だ。

 その場に座り、冬緋さんを見つめる。


「ふふ。下原君って面倒な人ね」

「それはお互い様でしょう?」

「かもね」

「ああ」


 会話が途切れる。

 沈黙が訪れる。

 この静かな間も嫌いじゃない。


「うひょー!」


 かと思えば、木霊実の嬌声が屋上に響く。

 布団叩きを持って駆け回っている。 

 まあ、この喧しさも悪くはない。ということにしておいてやろう。

 どうやら音の静騒は関係なく、二人と一緒に此処に居ることが心地良いらしい。

 気が付いた俺は解放的な気分になり、冬緋さんと並ぶようにして寝そべる。

 視線の先に広がる蒼穹がとても綺麗だった。

 ここは古びたマンションの屋上。

 三人だけの領域で、他の誰しもが立ち入ることの出来ない神聖な場所。

 俺はそんな幻想じみたことを想いつつ、そっと瞳を閉じた。


「下原君。そんなところで寝ていると風邪をひくわよ」


 聞き覚えのある声で意識が目覚める。


「ん、ああ」


 返事をすると、身体に気だるさを感じた。

 どうやらそのまま眠ってしまったらしい。 


「下原君、とても無防備な寝顔だったわよ。ごちそうさまでした」


 いたずらっぽく笑う冬緋さん。


「寝ている間に何かした?」


 俺は衝撃を覚え、自分の顔をぺたぺた触る。


「ふふ。冗談よ」


 楽しそうに答える彼女。

 人の気持ちを弄びやがって。   

 どれくらいの時間、寝ていたのだろうか?

 携帯を見ると、午前十一時半過ぎだった。


「よかったら昼、一緒に食べにいく?」

 数字で認識した結果、胃袋も反応したようで腹が空いてきた。


「うーん。遠慮しておく。お腹空いてないのよ。私のことを想いつつ、一人で家に帰って食べたらいかが?」

 

 にやにや笑って俺をからかう冬緋さん。


「お言葉に甘えて、自意識過剰な誰かさんを放って家に帰るとしますかね」


 対する俺は、名残惜しさを皮肉で隠すように返事をする。


 「じゃあね」

 

 屋上を後にし、家に着いた俺は、カップラーメンを食べ、部屋に戻った。

 特にやることもないのでもう一度、屋上に向かおうかとも思ったが、誰も居なかったら無駄足になるので辞めておくことにした。

 ベッドに寝転び天井を見つめる。

 時間を忘れながら眺め続ける。

 ぴったりとクロスに覆われた天井は、いくら見続けても無機質な白だった。

 当たり前だが、あの蒼い空とは違う。

 冬緋さんは、あの屋上をお気に入りの場所だと言っていた。

 俺も同じ気持ちになりつつある。

 

 ――――いや、まてよ?


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