食の自由
「ふふ、ありがとう」
素直に礼を述べる冬緋さん。
穏やかに笑う彼女はとても綺麗だった。
「……」
「……」
話が途切れ沈黙が続く。
どうやら語るべきことはもう無いらしい。
「ねえ、何か食べに行かない?」
俺は話題を切り替え、しんみりとした空気を変えようとした。
「はい?」
冬緋さんの背後にはてなマークが見える。
俺の突拍子もない話題転換に驚いたのだろう。
些細なことではあるが、たまには俺の方から彼女を驚かせてみるのもいい気分だ。
「ふふ、いいわよ。何がいいかしら?」
だが勘の鋭い冬緋さんは、俺の言葉の意図をすぐに理解したらしく、すぐに調子を合わせてきた。さすが、適応能力の高い人だ。
「そうだね、せっかくだから奮発して焼肉なんてどう?」
財布には厳しい選択だが、気分転換には美味い食べ物がちょうどいい。
「あら、いいわね。ちょうど熱々のポテトが食べたい気分だったのよ。美味しいわよね、マックのポテト」
捻くれた返事。噛み外した会話。いつもの冬緋さんが還ってきた。
「やっぱり熱いうちに食べるのが美味いよね。ちなみに俺はとんこつ派なんだけど冬緋さんは何ラーメンが好き?」
対抗した俺も会話の脈を外す。
「そうねえ、迷うところではあるけど、私はイクラが好きかな。でも新鮮であればお魚全般好きよ。お寿司って食べやすい大きさだからついつい食べ過ぎちゃうのよね」
交わることのない、平行線の話がすすむ。
「そうそう。あと一杯だけと思いながら、何杯も飲んじゃうよね、ビール。飲んだことないけど」
進んだ先に宛などない。
「しかたがないわよ。よく甘いものは別腹だっていうじゃないの」
とりとめのない、不毛な会話が長々と続く。
俺にはそれがとても心地よい。
俺と山田さんはそれからもぶらぶらと園内を周り、日が傾いた頃に動物園を出て電車に乗った。ちなみにご飯は何も食べなかった。
「下原君、今日は楽しかったわ」
駅のコンコースを出た所で冬緋さんが足を止める。
暮れなずむ夕日のオレンジ色に照らされた彼女。ともすれば太陽と一緒に地平へと消えてしまいそうな儚さが滲む。
「俺も楽しかったよ」
そしてあっという間だった。
「じゃあ、またね」
別れの挨拶をしながらこちらに振り向いた彼女は、橙色の燐光に照らされ淡く輝いている。
黄昏に溶け落ちてしまいそうな冬緋さんは綺麗だった。
「ああ、またね」
俺も、彼女との再会を願い「またね」と告げる。
冬緋さんと別れてから歩いて家に帰るまでの間、茫洋とした海の真ん中に浮かんでいるような感覚だった。
頭がぼうっとする。熱に浮かされている感覚を初めて味わった。
デートをした後は、誰しもがこんな風になってしまうのだろうか?
今日一日のことを思い出す。
冬緋さんと突然のデート。
誰かの気まぐれな発言に付き合ったおかげで、色々と楽しめた。
そして今、これまで味わったことのないような感情が萌芽している。
さっき別れたばかりなのに、もう既に冬緋さんに『会いたい』と思っている。
これは、他人からすれば理解に苦しむ情なのだろう。
事実、これまでの俺であれば、さっきまで会っていたのに何を言っているのだと笑っていたはずだ。
だがしかし、今は自分自身が理解し難い笑い者になっている。
「あ、そうか」
道化者である俺がふと気づいたこと。
それは、この『会いたい』という気持ちが続くと、寂しいという感情が沸いてくるということだ。
つまり、『会いたい』は『寂しい』に変化するかもしれないのだ。
ん?
一つの事柄を自分なりに解釈すると、今度は喉の奥に何かが引っかかったようなもどかしい感覚が生まれる。
「よ、お帰りなすって!」
「楓か。よく会うな」
思考を遮ったのは神出鬼没な幼なじみだった。
「ふん、私たちは運命の赤い鎖で繋がれているのだよ」
「囚人みたいだな」
せめてもうちょっと細いモノで繋いでおいてほしい。
「はっはっは! 人はいつだって愛に囚われているのさ」
待っていましたとばかりに、得意げに声を張り上げる楓。
「じゃあな」
俺は幼なじみを無視し、颯爽と家に帰ることに決めた。
「ちょっとちょっと~。ご飯作るから一緒に食べようよ。弦ちゃんのお家で」
楓が腕にぶら下げていた買い物袋を掲げる。
「あ~、いつも悪いな。自分でどうにかするから、あんまり気にしないでな」
楓はよくご飯を作ってくれる。が、俺は彼女に対して相応のお返しが出来ていない。
それがちょっと申し訳ない。というのは半分で、残りは冬緋さんに誤解されたくないという想いが生まれたのかもしれない。
「いいってことよ、こちとら好きでやっているのだからね」
恩着せがましい様子など微塵もなく、楓は厚意を示してくれる。
「ありがとうな」
心優しい幼なじみに感謝。
「いえいえん。にしても、弦ちゃんやい。いつになく獣臭いね」
小さな鼻をひくつかせる楓。
もしかしたら動物園に行っていたから、獣臭がするのかもしれない。
が、普通気が付くか?
恐ろしい嗅覚である。
「ただいまー。では状況を開始する!」
家に着くやいなや、楓はキッチンに向かって走り出した。
「俺も手伝うよ」
玉葱を刻む楓の後ろから声を掛ける。
「むむ、非常に魅力的な提案だが、遠慮します。ここはもう戦場、そしてこれは私の戦争なのだよ。ということで、弦ちゃんは座して待つべし!」
「はいよ」
剣呑な輝きを放つ楓の瞳に促され、俺はリビングに向かった。
「料理と掃除は私にお任せあれ。花嫁としての資質はマーベラス!」
陽気な声で訳のわからない言葉が躍る。
「邪魔なモノは綺麗にお掃除! 貴重な食材は余すことなく調理!」
鼻唄を歌いつつ、機嫌よく料理をする彼女は確かに良い花嫁になりそうだ。
素直で明るい楓のような奴こそ、多くの男子に好かれるタイプなのかもしれない。
「今煮込んでいるからもうちょっと待っていてねん♪」
「はいよ。ありがとな。わざわざ」
返事をしつつ、調理をする楓にお礼を述べる。
簡単な料理でもありがたいのに、わざわざ煮込む工程が必要なメニューを作ってくれている彼女へあらためて感謝をしたのだ。
「なんのこれしき、たいしたことではないですぞ。……もっと褒めて」
「はは」
愉快な返答に思わず笑みがこぼれる。
「出来たぞよー!」
幾ばくかの時が経つと、キッチンから大きな声が。
「はいよ」
返事をした俺が楓の元へ歩み寄る。
鍋からは湯気。僅かに刺激のある食欲のそそる匂い。
そこには出来立てのカレーがあった。
「いただきます」
配膳を終えた俺は、手を合わせると、カレーを食べ始めた。
昼から何も食べていなかった俺は、勢いよく口の中にカレーをかきこむ。
熱が広がってくるが、水で冷まし胃に流し込む。
「どう?」
「美味い」
いつもの辛さと味。安定した旨さがそこにあった。俺にとっておふくろの味がこのカレーになりつつあるのかもしれない。
「よしよし」
楓はテーブルの上に肘を乗せ、俺の食べている姿を満足そうに眺めていた。
「弦ちゃんと知り合ってかれこれ五十年か」
ぼそりと呟く
「十二年くらいな」
誇張するにも程度がある。
「色々あったけど、今こうやって仲睦まじくしていられるのが嬉しいですなあ」
「ああ、そうだな」
付き合いは長い。思い出も多い。事件とまではいかないが、ちょっとした問題が起こったこともあった。
が、なんだかんだあっても、楓と俺は今こうしてここに居る。
「これからも弦ちゃんと私はずっと一緒だぜい!」
「できるだけ、な」
この関係が生涯続くものではないというのが、おぼろげながら分かってはいる。
いつかは此処から離れ、お互いの人生を歩んでいくことになるのだろう。
「むむ。いざっとなったら弦ちゃんの首に鎖巻いてでも、私は連れていくぞ」
「はは。それは誤解を生むからやめてくれ」
幼なじみではなくだいぶ変質的な関係となってしまう。
「安心して。優しくし巻いてあげるから」
「そういう問題じゃない」
親父が帰ってくるまで、とりとめのない会話は続いた。
楓のような妹が居たら、毎日が賑やかで楽しいだろう。
「またね、弦ちゃん」
食事が終わり、夜も更けてきた頃。楓が帰ると言った。
「ああ、またな」
俺は手を振ってアスファルトを歩く、小さな背中を見送る。
見慣れた背中は少しずつ夜の闇に溶け込んでいったのだった。




