動物園
「ねえ下原君。ひょっとすると、実ちゃんは私達が二人でデート出来るように気を遣ってくれたのかしら?」
エレベーターで下っている最中に冬緋さんはぽつりと口を開いた。
「いや、あいつはそんなことに気を遣うほど、空気を読めるような奴ではないと思うけど……」
が、変なところで気を遣いそうな奴でもある。
「真相は本人にしか分からないね」
「そう、ね。でも実ちゃんは私と下原君に何かを期待している気がするのよね?」
冬緋さんの言葉は時々思わせぶりだ。
「何かってなに?」
俺は、そんな彼女の言葉につい乗せられてしまう。
初めて出会った時から感じたが、不思議な魅力が冬緋さんにはあった。
「もっと私と下原君の二人が親しくなるってこと」
「なんだそれ」
理解し難い乙女の思考に疑問しか浮かばない。
「父母である私と下原君が親密になれば、より良い家族になると思ったのかな?」
「……なるほど、そういうことか」
続きを聞いて納得。木霊実は親という存在に憧れている。ならばその延長線上にある家族という存在にも憧憬を抱くのは必然なのかもしれない。
「実ちゃんは、私と下原君が付き合ったら良いと思っているかもね」
「俺と冬緋さんが付き合ったら、本当の家族みたいになれるとでもあいつは思っているのかな?」
恋人と夫婦は違うモノだが、似ている所も多々あるはず。
「ふふ、ありえるわね。だから私と下原君を彼女なりに応援しているのかも」
もし本当にそうだとすると、子供の癖に気を回し過ぎ、大きなお世話だ。が、ささやかな願いを叶えようとする、憎めない奴でもある。
それにしても、
「冬緋さんは色々なことを考えているのだね」
よくもまあ、可能性の話をここまですらすらと話せるものだ。
もちろん俺には出来ない。
「ふふ、いい女は思慮深いものなのよ」
そう言いながらいたずらっぽく笑う冬緋さん。美貌の中にあどけなさの混じったその顔は、
確かに良い女の子が表情だと思った。
「じゃあ、現地でまた」
「了解。またあとで」
マンションを出た俺たちは冬緋さんの提案という名の命令により、一旦解散ししてから改めて動物園内の広場で待ち合わせをすることにした。
彼女曰く、デートの醍醐味は待ち合わせ、なのだそうだ。
冬緋さんと別れた俺は、駅前の本屋に寄り道して時間調整。
「いやあ、読書の春ですなー。弦ちゃん」
すると、立ち読みでもしようかと思っていたところで声が掛かった。
「楓か。おはよう」
現れたのはよく知った顔の幼なじみ。
「奇遇、いや運命ですな。こんなところで愛し合う予定の二人が出会うとは」
胡散臭い運命の再会を演じ、気安く話しかけてくる楓。
そんな予定は未定である。
「ところで、何しているんだ?」
楓の戯言を受け流し、質問。
「うーんとですね。豚の解体について詳しく書いてある本がないものかと」
手打ち蕎麦の次は、ソーセージかハムでも作るつもりだろうか……
こいつの探究心と行動力は、ちょっと想像がつかないレベルだ。
「ここには無いと思うよ」
が、俺にも想像出来ることくらいは、アドバイスする。幼なじみのよしみだ。
「くうう、なんですとー。まったく世知辛い世の中だぜ。まあいいや。弦ちゃん遊ぼうぜ」
立ち直りの早い楓がすぐに頭を切り替え、俺を誘ってきた。
「いや、ちょっとこれから用事があってな」
動物園でデートする約束があったので、当然その誘いには乗れない。
「ほほう。何の用事だい?」
楓の瞳に興味の色。
「んー。秘密」
説明するとややこしくなりそうだったので、ここは黙秘することを選択。
「ミステリアス弦! 気になるですぞ!」
駄々をこねる子供のように手足をばたつかせる楓。
「落ち着こう」
人目が気になったので、俺は元気に過ぎる幼なじみを諌める。
「ふむ。追いかけすぎても男は逃げる。仕方ないここは我慢するとしんぜよう」
「いい心がけだ」
独自の理解で、素直に言うことを聞いてくれた楓に感謝。
「今は雌伏の時。良い女の条件は、待つことって言うしねん」
握りしめた両拳をわなわな震わせ、楓は耐える女を表現した。
「ああ、そうだな。待っている女子は素敵に見えるもんだ」
いつの間にか楓のペースに巻き込まれ、勢いに圧された俺は思わずそう返事をしてしまう。
「まあ今度、私としっぽりと遊ぼうではないか。その時は私特製の腸詰でもごちそうしてあげるよ」
ソーセージか。楓が言うからには、本当に作るのだろうな。
「じゃあな」
「またねん」
楓と別れ電車を待っていると、なぜか少し気分が悪くなったが、一時間ほど電車に揺られていると自然回復した。
時間は午前十時半。上野駅で電車を降りた俺は改札を出て動物園へと向かう。
切符を買って園内へ入場すると、子供を連れた家族などの姿がちらほらと。平日ではあるが春休みということもあって、それなりに賑わっているようだった。
周りの状況を把握し、俺は山田さんの姿を捜す。
まだ来てないかな?
「いらっしゃい」
と思ったらすぐに見つかった。




