なぜか、父になる
「ごめん、ほんとにごめん」
俺は自分の浅慮だった発言を反省し、ただ謝る。
突然の事態に他にどうしたらいいのか分からなかったのだ。
「帰っても誰もいないの嫌だ! パパとママに会いたいよ!」
感情の爆発は収まるどころか、勢いが増していく。
大人ぶっていても彼女はやはり子供だったのだ。
そんな木霊実は父親と母親に飢えていた。
もしかしたら俺という男と、冬緋さんという女と一緒に公園へ行くことにより、父性と母性を感じようとしたのかもしれない。
「パパァ! ママァ!」
普段はふざけた奴なので気に留めなかったが、考えれば考えるほどに切なくなる。
俺は冬緋さんに視線を送り、この状況を破るにはどうしたらよいのかと、目で助けを乞う。
自分で蒔いた種だが、他人を頼る。もはや手段を選んでいる場合ではないのだ。
「下原君、私に頼るということは、覚悟はできているのね?」
「ん?」
俺はただ木霊実に泣き止んでほしいだけなのだが……
なんで覚悟が必要なのだ?
「どうなの?」
泣き声が続く最中、冬緋さんの透き通る声が俺を試す。
「わかった」
大げさ過ぎると思いつつも、返事をする。根拠はないが、冬緋さんなら木霊実をあやすことが出来る気がする。
「実ちゃん。安心して。私と下原君が今からあなたの母親と父親よ」
「⁉」
ぴたりと声が止み、静謐が部屋を支配。
何を言ってるんだ、冬緋さんは。 いくらなんでもそんな子供だましみたいな言葉が通用するはずがない。
「本当ですか? やったー!」
こともなかった。
「うほほい。ダディ! マミー!」
喜びも露に、部屋の中で飛び回る木霊実。もしかすると子供より単純なのでは……
「家族結成ですよー!」
心底嬉しそうな彼女に対し、家族とは結成するものなのか、と指摘するのは野暮か。
それにしても先ほどまでとえらい変わりようだ。げんきんな奴。
「まだまだ未熟な父母だけどよろしくね」
冬緋さんが興奮する木霊実に親として挨拶。
「こちらこそ、よろしくですよ! ほら、ダディも何か言ってください」
木霊実は満面の笑みを冬緋さんと俺に向ける。
「あ、よろしく」
促され挨拶。
奇妙なことに巻き込まれたものだ。
「よし、ダディとマミーが出来て満足したので私は帰ります!」
そしていきなりの帰宅宣言。ころころ変わる表情と言動に、俺は翻弄されるばかりだった。
「えらい急だね」
子供の帰宅を見送る、親である俺。なにがどうなっているのか分からない。
俺の理解を待つこともなく、木霊実はとたとたと部屋から出て行った。
「台風みたいな奴だな」
過ぎ去った嵐の後で、俺はしみじみ思う。
「ふふ。宣言したからには私たちも親として責任をとらないとね」
母というよりは、小悪魔のように冬緋さんがいたずらっぽく微笑む
「それにしても、よくあんな言葉で実ちゃんは納得したね」
落ち着いた今になって考えると、酷過ぎると思う。
「本当に納得したと思っているの?」
まあ、と口に手を当てて驚く冬緋さん。
「え?」
びっくりしたのは俺も同じだ。まさか木霊実は、納得していないのに泣き止んだというのか?
「下原くん。おめでたい頭をしているのね」
大げさにため息を吐き、やれやれといった様子の冬緋さん。
「どういうこと?」
冬緋さんの母親宣言にどんな真意があったのか、俺には想像がつかない。
「ないものねだりをしたって、手に入らないものは手に入らない。だから落とし所をつけてそれで我慢するしかなかったのよ」
まさかの言葉。はしゃいで喜んでいるように見えたが、木霊実は裏でそんな風に思っていたのか?
「いない父母を欲しいと願ってもどうにもならない。実ちゃんだってそれは分かっていた。だから私たちからの厚意を受け入れて納得するしかなかったのよ」」
「だから実ちゃんは冬緋さんの言葉に合わせて……」
冬緋さんはゆっくり頷く。
木霊実は茶番といってもいい寸劇に付き合ってくれたのか。
「だからキミも優しくしてあげてね」
子供のくせに、気を遣い過ぎだ。
「ああ」
冬緋さんの話を理解すると、五月蝿かった木霊実の存在が愛らしく思えた。
「下原君。隣の芝生が青く見える時、キミならどうする?」
「自分の所の芝生も青くしようと手を加える。かな」
羨ましければ、自分もそうなりたいと願い努力する。目標を立てて、それに向かって行動するのが一番だろう。
「そう。健全な答えね」
「ただ、実ちゃんの場合、そこにある芝生を大切にするしか道がなかったのよ」
無理なものは無理。ということか。
「確かに、そうだよね」
世の中には努力で達成できることと、どうにもならないことがある。今回のことだけではなく、木霊実にとって多くのことが後者であるのは嘆かわしいが事実。
他者から認知されないあいつは制約が多すぎる。
ならば冬緋さんと俺くらいは木霊実を労わってあげてもよいのかもしれない。
「実ちゃんが望むなら、色々と付き合ってあげるか」
俺は無邪気な顔を思い出し、ふとそう思った。
「優しいわね。キミのそういう所、好ましく思うわ」
冬緋さんがベッドの端に座る俺の隣に、ちょこんと腰かける。
「それは、どうも」
冬緋さんのはっきりした物言いと、仄かに香る甘い匂いに心がざわつく。




