春休みへ
それなら。
「楓から見て冬緋さんはどんな人だった?」
今度は冬緋さんという人そのものについて聞いてみる。
他人のことを第三者に聞くのはあまり好きではないが、今回の場合は事情が事情なのでそんなことを言っている場合でもない。
「倒すべき敵だった。」
が、肝心の聞くべき相手を俺は間違えたようだ。
「何言ってんの?」
「弦ちゃん。私というめんこい娘がここにいるのに、なんで他の女の話をするのかな? その山田うどんっていう人が弦ちゃんの昔の女なのか知らないけど、その話は聞きたくない。お腹いっぱいもうたくさんです!」
関東を中心に展開している某チェーン店と山田さんの名前をさりげなく言い間違える楓。
ぷうっと頬を膨らませる彼女はまるでリスのよう。
「ごめんごめん。悪気はなかったんだよ。あとうどんじゃなくて冬緋な」
失態だ。これで楓からも冬緋さんの話を聞きづらくなってしまった。
焦りから相手の反応も気にせず、質問を続けた己を悔いた。
「ふふん、過去なんてもんはさっと水に流してしまえばいいのよ。若人よ、今を生きていこうぜい! ちなみに私はうどんよりもそばが派だから!」
楓が俺の手をとってぶんぶんと上下に振る。うどんのようなそばを作る楓が言うと、説得力があるようなないような。ないな。
少し暑苦しいが、謝罪の意味も込めて今は楓の好きにさせておくことにした。
「悪かったな」
「、分かればいいのじゃ。かっかっか」
俺の控えめな謝罪に満足したらしい楓は、機嫌を治した高笑いしていた。
それからもチャンスがあれば冬緋さんについて聞いてみようかとも思ったが、一度した失敗を、舌の根も乾かないうちに重ねるわけにもいかず、結局は聞けずじまい。
「それじゃ、今日のところはそろそろお暇しましょうかね~」
日も暮れた頃、ぱっとベッドから降りた楓は大きく伸びをしながら言った。
「お、もうそんな時間か」
幼なじみの楓とする他愛の無い話の数々。
ただ駄弁るだけという無為かもしれないその行為は、今日一日色々とあった俺をリフレッシュさせてくれる効能があった。
「楓、三年になってもよろしくな」
玄関で楓を見送る最中、ふとでた言葉。
それはやはり、俺が楓と今の関係をこれからも続けていきたいと無意識に願っているからの発言なのだろうか。
「こちらこそよろしく! 次は同じクラスになれるように呪いかけとくから」
ぱあっと輝くような笑顔で元気に返事をする楓。長く一緒にいるせいで忘れがちだが彼女の屈託の無い笑顔は魅力だと思う。
「かけるなら祝福にしてくれ」
大事な部分の言葉を間違えるのは残念だと思うが。
「がってん承知! それじゃまたね~ばいばい」
「おう、またな~」
楓は大きく手を振るとドアを開けて去っていった。
夜の帳と共に、賑やかだった空間に静けさが舞い降りる。
だがしかし、俺が静寂に浸る間もなく、電子音が。
携帯を確認すると、
『貴方は大事なものを盗んでいきました。それは、私の心です! 怪盗カナダの国旗より』
という文章が目に入った。
サトウカエデという希代の怪盗は、盗みに入るつもりが、うっかり自分の方から大切なモノを差し出してしまったらしい。
別に受け取ったつもりないのだが。
「はは、不思議な奴」
幼なじみの置き土産は、なんともあいつらしい、笑えるものだった。
その日の夜。俺は眠りに入るまでずっと今日一日にあった出来事を考えた。
冬緋さんの言うことは、本当なのだろうか? 揺れる天秤のように肯定と否定が揺れ動き、結局結論は明日に持ち越す運びとなった。
浅い眠りから醒めた俺は、春休みにつき休暇中の目覚まし時計を手に取る。
「こんな時間か」
午前八時半。
まだ眠い。気になる事が多すぎたせいなのか、眠りに就くのが遅かったらしい。
「おはよう」
外出できるように着替えを終えた俺は、部屋を出てリビングに到着すると親父の姿を発見したので挨拶をしておく。
「おお、弦。おはよう」
父親の挨拶はこころなしか昨日よりは元気だった。
「弦、今日はどこかに出掛ける用事でもあるのか?」
新聞記事に視線を落としたまま父親は言った。
「ああ、ちょっとね」
「そうか、そういえば昨日楓ちゃんが家に来てくれたらしいな」
「そうだね」
情報伝達の速さに驚き。おそらく楓から楓の母親、そして親父へと伝わったのだろう。
あまりにもスムーズな連携にどこか薄ら寒いものを感じる。
「そうか、あの娘には感謝しないとなあ」
父親が紙面から顔を上げてしみじみと一言。
たしかに、一食の恩には感謝せねばなるまい。
「それじゃあいってきます」
「気を付けてな」
声を背中に受け、玄関から外へいざ出発。
自転車に跨りペダルを踏み込む。流れていく景色。
昨日に比べると寒さも和らいでいて、だいぶ肌にやさしい。
昨日の山田さんと行った鳩山マンションを目指し進む。
住宅地を通り抜けながら信号のない交差点を右に曲がる。それからやや進んで一方通行のやや細い路に入った時。
「ん? なんだ、あれは?」
視界におかしなものが映り込んだ。




