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第九話 彼と彼女と友達とⅡ

 雪が解けきるまではまだ遠く、朝夕は身を切る寒さがいまだに続いている。

 それでも日中の陽射しの温かさは北国の人々にはやさしく、過ぎる季節と迎える季節を窺わせていた。


 ビュードガイア王国の城下街は、各地方から様々な品が集まり、民家よりも商店や宿屋、図書館などの公共施設が多く建てられていた。

 物流を国の中心に置けば人は自然に集まり、物と人が居れば金が集まる。そしてそれらは外貨を産み、国と人を潤していく。

 輸入雑貨を扱う商店も多くあり、その一画をディクリスは濃紺の軍服姿で精悍な顔立ちに、なにやら嬉しげな表情を浮かべ歩いていた。

 立ち寄る先は仕立て屋や宝飾店――。その幾つかを見て回り、星をかたどった素朴な銀細工の首飾りを選び、満足げに会計を済ませる。

 もちろん綺麗に包ませリボンも付けさせた。

 彼女の―― ビアンカの首元できっと、この素朴な飾りは自然な美しさを見せるに違いない。

 こんな風にディクリスはもう3か月ほど、10日に1度の割合でビアンカに会いに行き贈り物攻撃をしていた。

 それとともに、ディクリスにとっては真摯な言葉で口説いているのだが……ビアンカの反応は今ひとつだ。

「ごみ箱行きにされた事はないからいいか」

 と考えて、懲りもせずに贈り物片手に彼女の元へ通う準備をする。


***


「はあぁ」

 というやたらと誇張した友人のため息に、遊びに来ていたミルレは何と言えばよいのか扱いに困った顔をした。

 それでも何か言わなければこの1歳年上の友人―― ビアンカはいつまでも浮かないため息をついていそうで。

「そう言えば、そろそろ10日経ちますね」

 そう独り言のように小声で言い、ビアンカの部屋の片隅に目をやる。

 そこには、ふんだんにレースをあしらったドレスに帽子や象牙細工のオルゴール等々、ビアンカのため息の原因になっている男性からの贈り物で埋められていた。

 ビアンカはミルレと同じように、しかし表情は明らかに嫌そうに、贈り物に目をやった。

「…………」

 ビアンカは贈り物をされる事には慣れている。

 家業は商会として十二分に成功しており、先代から領主とも懇意にしている。

 爵位こそないものの、そんな商会の1人娘であるビアンカは婚姻を結ぶには好条件の娘と見られ、求婚された事も1度や2度ではなかった。

 正直、財政難の続く貴族からの持参金目当ての求婚にはうんざりしている。

 彼もそうなのか? といぶかしんだ事もあったが、出自を知りそうではない事はわかった。

 わかったが―― 問題はその後だ。

 ドレスを贈ってくれば『着せてやろうか?』首飾りを贈ってくれば体を寄せて手ずから着けてくるし、オルゴールを鳴らせば断りもなく腰に手を廻してきて踊り出す――。

 怒れば斜に構えて笑うだけ。その態度が癪に障る

 ディクリスの思う通りに遊ばれている様で、そう考えてしまう事にも。

「ああ! 腹の立つ……!」

 1人で悶々といきどおっているビアンカを、ミルレはその内落ち着くだろうと持参した本を読みながらのんびり待つことにした。


***


 最近定位置になった暖炉の前に、ヴィルとシェスカは並んで腰を下ろしている。

 シェスカは勉強と掃除の日以外でもヴィルの部屋を訪れて、1時間ほど会話を楽しむ事が増えている。

 午後のお茶を飲みながら、ゆったりとした時間を過ごす。

「へえ。じゃあ春には魔法具屋さん開店するの?」

「ええ」

 今はギール商会を通して自警団や消防団に束縛の術具や耐火の術具を作っているが、西の3区、このアパートから歩いて20分ほどの所に、ちょうど良い空き店舗を見つけたので借りる事を決めたのは昨日の事だ。

「中を少し改装して、術具作りもそこで出来るようにします」

「お店だけだよね? 引っ越しはしないよね?」

 シェスカの不安げな面持ちと微かに揺れた青褐色の瞳。

 ヴィルは口元に笑みを浮かべて。

「仕事だけ。家はここですよ」

 そう言う。

 良かったと、安心したようにシェスカは笑う。

 その安心が何に係るものなのかは、考えると今の穏やかな繋がりが変わってしまいそうで、無意識のうちに思考を止めてしまっている。

 シェスカは暖炉の上にある暦表に興味を移して、思惟を別の事柄にした。

「―― そういえば、そろそろ来るね、ディクリスさん」

 言われた友人の名に、ヴィルはどうしたものかと、言葉を探す。

 10日に1度の休息日には必ずディクリスはやってくる。

 本来ならば表向き、国の脅威になり得る魔法師であるヴィルブラインの動向を見る為の訪問のはずなのだが……。来てすぐに女性を口説きに出かけてしまう。

 3か月掛けて喧嘩友達の地位は獲得できたようだが――。

「12歳も違う喧嘩友達って珍しいですよね」

「気が合ってるって事でしょう?」

 大人びたビアンカと子供っぽいディクリスは、口喧嘩においては息が合っている様で、傍から見ていると漫才のようだ。

 シェスカは手にした熱い茶に息を吹きかけながら言う。

「どういう間柄でも仲良くなるのに歳の差は関係ないんじゃないかな?」

「まあ、それは聞けてちょっと安心しました」

「?」

 シェスカは首を傾げながら、苦笑しているヴィルを見上げた。

 ヴィルは軽く肩をすくめただけだったので、シェスカはたいした事ではないのだろうと冷ましたお茶を飲んだ。


 ほのぼのした―― 傍から見ていたらじれったい2人に、いつ自分が転移してきたかを告げようか、ディクリスはヴィル達の後ろで困った顔をして立っていた……。が。

「お前ら大概まどろっこしいな……」

 呆れ口調で言ってやった。



 それから3人連れ立ってギール商会へと向かった。

 ヴィルは本格的に開業する事に伴う商会への登録の為に、シェスカは商品の納品、ディクリスはもちろんビアンカに会う為にだ。

 商会館と邸宅は1つの敷地内にあり、会長であるポドナは商談などで出掛ける以外は会館に詰めている。

 出入り口は分れている為 ― 中は渡り廊下で繋がっているが ― ディクリスはヴィル達と別れて邸宅の玄関に向かう。

 ビアンカの―― 逸らさずに真っ直ぐに射抜く視線が好きになったきっかけだったと、ディクリスはふと口元に笑みを浮かべた。


***


 ビアンカ・シア・ギールは大変ご機嫌斜めである。

 ミルレとオルガンなど弾きつつ楽しく語らっていたというのに、来訪者の名を女中から聞かされ鍵盤を叩き壊しそうになってしまった。

 ビアンカは意気揚揚とした訪問者に、貼り付けた笑顔を披露しながら。

「ディケンズ様。よくいらっしゃいましたわね? 嬉しい事にお構いはできませんの、ごきげんよう」

と言った。

 しかしディクリスは気にする事もなく当然のようにビアンカの傍に行き、やけに綺麗な敬愛の礼を取る。

 今までにないディクリスの行動に、新手の嫌がらせか? とビアンカは顔を引きつらせた。

 ディクリスは、どうか貴女の手を取らせて下さいのポーズのまま。

「愛しのわが君。先ほどオルガンの音色が聞こえておりました。妖精を呼ぶような可憐な音色をこの女神の手で奏でてお――」

「あたくしではなくてミルレが弾いていましたわよ。女神の手を取りたいなら跪く相手が違ってよ? では、ごきげんよう」

「あー違ったかぁ。ミルレちゃんも来てるって聞いたから半々だなっと勝負したのに」

「何の勝負ですの? ええい! うっとうしい! いつまで跪いている気ですの?!」

「もちろん俺の女神の手を取るまで」

 言われたビアンカは冷ややかな眼差しでディクリスを見下ろし。

「頭髪を全てむしり取られたいのなら一生そうしていらしたらいかが?」

 結局いつも通りのやり取りが始まり、見ていたミルレはそっとため息をついた。



 ギール商会の品質管理担当者から合格をもらいシェスカは胸を撫で下ろす。

 刺繍細工は自分でもしっかりと糸の始末が荒くなっていないか等確認してはいるが、担当者からの検品が終わるまでは結構落ち着かないものだ。

 今まで1度も返品された事などなかったが、それでも毎回緊張する。

 担当者の男性は人の良い笑顔で。

「では少し待っていてください。会計係りに代わります」

「はい」

 シェスカは担当者の背中をそれとなく見送って、代わってやってきた会計係りから商品の代金を受け取った。

 貴族から注文を受けたテーブルクロスだ。商会からシェスカが受け取る何倍の値で売るのかは知らないが、売り値の10分の1であったとしても大金に変わりなく大事に服の中に仕舞った。

(おばあちゃんと母さんに何か買って帰ろうかな?)

 そんな事を思っていたら、商館の方にはめったに来ないミルレが息を切らせて駈け込んで来た。

 ミルレの泣きそうな顔と戸惑いの色に、はっとしてシェスカはミルレに駆け寄った。

「どうしたの? なにかあったの?」

 シェスカはしゃくり上げるミルレを懸命になだめた。


 きっかけは、些細なやり取りだった。

 ディクリスとビアンカのいつもの応酬。それでも聞く者によっては些細な事、ではなくなってしまう事も事実としてはある。

 項垂れたミルレからぽつぽつと何があったのかを聞いたシェスカは、憮然とした面持ちでミルレを連れて、ビアンカの自室へと向かった。

 主のいない部屋へ――。


***


 呆れたほうが良いのか、怒るのが良いのか……。

 どちらにせよ当人同士の問題なのだから、放っておく事が一番だというのはわかってはいるのだが。

「子供?」

 ヴィルは結局呆れ気味にそっぽを向いているディクリスに言った。

 ディクリスは顔を顰めながら、悪かったなガキ臭くてとぼそっと言い返す。

 売り言葉に買い言葉。ビアンカとの会話は投げ返される言葉の速度が軽快で、つい言い過ぎてしまう事もままあった。

 ただ、ああ返されるとは予想していなかった。


『でも、ビアンカは俺が来る事を拒否していないだろう?』

『――。ザントール領伯の子息の訪問が平民に断れて?』

 そう言われて、ディクリスは目を軽く見開いた。


 身分差を盾にしたことなど1度としてなかった。正式に名乗ったのも頻回に訪問していた為、礼儀として、当たり前に告げただけだ。

 言い合っても付き合ってくれている。贈った物も捨てないでいる。その理由が階級差故だと……。そう言われたのも同然で、ディクリスは酷く、苛立ちを覚えた。

 剣呑になった雰囲気に、さすがにミルレが止めに入ったのは間違った行動ではなかった。が、わだかまる空気は何気ない言葉を攻撃的なものに変えるには十分だった。


 何を言って何を言われたのかは、ミルレは言おうとはしなかった。

 気にならないと言えば嘘になるが、そんな事よりも気がかりな事は――。

「何がどうとかもういいからビアンカを探しに行かなきゃ!」

 シェスカは俯いているミルレの手をぎゅっと握りながらヴィルに問う。

「魔法で探せないの?」

「彼女には魔力がないから、術具も持ってなかったようですし」

 無理だと、ヴィルは首を横に振る。

「まあ、そう焦らないでもいいでしょう? 一人になって落ち着く時間も欲しいかもしれませんし」

 ビアンカが部屋を飛び出してから10分程だ。ヴィルは少し考えて。

「あともう10分待って探しに行きましょう」

「……うん」

 渋い顔でシェスカがそれでも頷いたのは、一人になって落ち着きたいと、そう考えるのも確かだと思えたからだ。

 ディクリスとミルレもそれに続いた。


 ―― ビアンカは夕方になり、日が沈んでも見つからず、帰らなかった。


***


 冷えた風が吹く上空でヴィルは険しい表情で眼下を見下ろす。

 夜になりかなり気温が下がってきた。探している少女がどこか建物の中に居るのであれば問題はないが、もしも外に居るのであれば死活にかかわる。

 町中はギール商会の従業員たちが探して回っている。

 その他でビアンカが行きそうな場所を探さなくてはと、ヴィルとディクリスは町全体を見る為に飛翔術を使いあたりを付けているところだ。

「ドレス姿のビアンカが歩いて行ける範囲なんて限られてるだろ……」

「それと日中はさほど寒くない場所、ですかね」

「少し遠いが遺跡の方を探してきてくれるか?俺は丘を探しに行く。遊歩道もあるようだし、もしかしたら散歩のつもりで行って日が暮れて、暗くて帰れなくなったのかもしれねぇし?」

 ディクリスに言われ、頷いたヴィルはふとある事を思い出して聞いた。

「ビアンカさんが飛び出した理由って結局何だったのです? そこまで怒らせる事言ったのですか?」

 ディクリスは口元を歪めて――。

「ん? むかっ腹が立ったのは確かだけどな……。止めに入ったミルレにちょっとな、勢いで八当たりしちまって、自分の言葉に自分で落ち込んでってやつ」

 自分に対してはかなりな事を言っているのだが、友人に対して言い放ってしまったことにビアンカは酷く自己嫌悪に顔を強張らせていた。

 扱いの差に理不尽も感じるが、ビアンカの1つの気性とやさしにも思えてだた見ていたのだが―― まさかに部屋を飛び出すとは予想出来なかった。

 ヴィルは黙り込んだディクリスに「わかりました。では遺跡の方を探してきます」と言ってその場を離れた。



 格好など構っていられなかった。

 ビアンカは暗い林の中、どうにか雪をかき分けて落ちていた枯れ枝を使い、崖の側面の土を掘って体をそこに入れた。

 これで多少は体温を保てるはずだ。

 じくじくと痛む左足首は熱を持ち腫れだしている。

 骨が折れているかもしれない――。そう思った事に薄ら寒いものを感じた。

「さすがにもう家の者たちも探しているでしょうけど」

 こんな崖の下で果たして見つけてもらえるのだろうか?

 骨折しているかもと思った事よりもぞっとして、ビアンカは両腕で自分を抱きしめる。

 自業自得。

 口の悪さは自覚している。

 それでも友人にあんな事を言った事はただの1度もなかった……。


『上流階級の事などミルレには分からないでしょう! 口を挟まないで!』


 あんな言い方……。

「嫌われた、かしら……」

 逆の立場なら憤慨していると思う。同じ目線で立っている友人から、そう思っていた友人から下流階級は口を出すなと、見下されたのも同じだ。

 自分の発言に青ざめた。謝れなかった。

 ディクリスに対して言った事とミルレに対して言ってしまった事は意味は違うが性質は同じ―― 階級差がある者は従えということか? と――。

「違う……そんな風になんか思っていないわ……」

 俯いた考えはこの寒さがいけないのだ。ちゃんと言葉にすればミルレは笑って気にしていませんと言ってくれる。

 その時、風ではない木の揺れに気づき、背筋が凍った。

 雪を踏む軽い音。本能的に人の足音ではないとわかった。

 心臓が潰れるのではないかと思えるくらいに早鐘を打つ。

 冷えた空気に漂う白い息は、狼のものだった――。

「っ!」

 髪の付け根がぎゅっと締まる。

 ビアンカは動けずにただ恐怖の色で近づく狼を見た。

 ちゃんと謝れてからなら良かったのに――。


 ビアンカは枯れ枝を握り締める。役になど立つはずもないそれが唯一彼女を守るものだ。

 身を低くした狼にビアンカは恐怖に目をきつく閉めて、闇雲に枯れ枝を振り回した。

「き、来たら殴り倒しますわよっ!!」

「殴り倒すのは勘弁してくんない?」

「うるさあ……あ、え?」

 怖さで震えていたのを一瞬にして忘れてしまった。

 ビアンカは驚きに顔を上げ、見知った顔を見てゆっくりと強張った体を緩めていく。

「お、狼は?」

「気絶させた。群れからはぐれた奴かな? てか、助けに来てくれたのね! ディクリス愛してる! とかなんねぇ?」

「なるわけなくってよ……」

 力のこもらない言い返しに、けれどもディクリスは肩を僅かに上げて見せただけで、ビアンカに近づき膝をついた。

 短い呪文を唱えて光球を生み出す、薄暗さが魔法の光で払われる。ディクリスは外套を脱いでビアンカを包む。

 ビアンカの白い滑らかな指の先が土で汚れているのを目にし、掘られた土を見てため息を付く。

「保温? ―― 動けなかったのか?」

 怒られている訳でもないのに、多分、自分の子供じみた行動が恥ずかしくて……ビアンカはディクリスから視線を外して答える。

「帰ろうとした時に、雪で足を滑らせてしまったんですの……その時に足を捻ったようで。穴は、ええ、保温になればと思いましたの」

 左足首を触れられて、ビアンカが痛みに体を強張らせる。

 ディクリスはいつになく真剣な顔つきで、医者に早く診せたほうがいいなと言い。

「暴れるなよ?」そう言ってビアンカを抱き上げた。

「今は足以外は痛くないか?」

「……ええ」

 その答えにディクリスは頷いて、再び光球を生み出し今度は空高く打ち出した。

 それを見上げ、首を傾げたビアンカに。

「見つけた合図。ヴィルも家の奴らも探してる。ミルレとシェスカは家に帰らせてるけどな、暗いし危ねぇし」

「そう」

「―― 大人しいと調子狂うな」

 なるべく腕に抱えた少女に振動が伝わらないように歩きながらディクリスは嘆息する。

「言っちまった事はどうにもなんねぇよ。酷いこと言ったって思ってんなら、んで反省しまくってんなら、ちゃんと謝ればいいだろ。つーか、ぽんぽんぽんぽん俺には言い返すくせにこの差はなんな訳?」

「貴方に、身分差の事で非難したのに……それを、ミルレに返してしまったから」

 冷えた体が温められていく。包まれた大きな外套のおかげなのか、抱き上げられた状態であるからか。ビアンカはふっと体の力を抜いた。

「ミルレは気にしてないよ。彼女、お前の兄貴好きなんだろ? 見てたらわかるよ。目が追ってる。繋げて考えた? 階級違うんだから引っ込んでろってさ、言っちゃった気になった?」

 ディクリスの言う事は、自分で考えていた事とは違うけれども―― ミルレがもしそう解釈してしまっていたら? 受け取り次第で言葉の意味など変わってしまうのは事実だ。

「かもしれませんわ……一生懸命なのは知っていますのに」

「俺の一生懸命さも知って欲しいな」

「まったく信用できませんもの」

「…………即答かよ」



 左足は重い捻挫だった。骨に異常がなかっただけありがたいと思うべきだろう。

 包帯が巻かれた足を見て、泣きそうになったミルレにビアンカは謝った。

 愚直な謝罪は素直さを伝えた。


***


 小さな事件から1週間経ちそれぞれがそれぞれの日常を過ごす。


 店を見に行きますか? とヴィルから誘われて、シェスカは喜んで頷いた。

「結構広いんだね」

 シェスカは改装中の店内を見渡して言う。

 帳場を新しくする為に運びいれられた木の匂いがする。

 まだ何も片付けられてはおらず。木材と大具道具が床の半分を取っているが、がらんとしたヴィルの店は考えていたよりも広く感じた。

「棚とか置けばちょうどいい位の広さになると思いますよ。奥に小部屋が2つありますが倉庫ですね。1つは作業部屋にします」

「魔法具作るのって広い場所でなくてもいいの?」

 頷くヴィルにシェスカは「そうなんだ」と答えた。

 魔法についてはヴィルから聞いた事くらいしか知らない。興味はあるが魔法耐性がないシェスカでは、知ったところで雑学にしかならない。

 そうだ、とシェスカは覗いていた小部屋から顔を出し店内の内装を見ていたヴィルに声を掛ける。

「ビアンカの足の固定具取れたよ。まだ走るのは痛いみたいだけど、階段は平気になったって言ってたわ」

「それは良かったですね」

 笑うヴィルにつられてシェスカも笑って返す。


 こじんまりしていても落ち着いて物静かな日常は、ずっと続けばいいと思える時間で、僅かでも離れるなんて考えても見なかった。


 家に帰り、ヴィルの部屋でお茶を淹れていた時、シェスカは何度も感じた空気の揺らぎにディクリスが転移してきたと思った。

 けれども崩れ落ちるように室内に転移してきた者は、濃紺の軍服に身を包んだ見たことのない青年だった。


「?! オト」

 ヴィルは青ざめている青年に駆け寄りその名を呼ぶ。

 かつての部下であり、元王宮魔法師団長である青年はヴィルを見上げ。

「ヴィルブライン師団長っ! 結界が崩されました!」

 

「すいません、ちょっと行ってきます」


 ヴィルはシェスカにそう言って、オトを連れてアパートから消えた。



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