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第七話 ただ一つの事において

 最近、定位置になり始めた暖炉の前に、ヴィルはクッションを敷いて座り込む。

 週に1度の掃除がされたばかりの部屋は、ホコリも取り払われてすっきりしている。

 ヴィルは今朝届いたばかりの手紙の封を切り、内容をさっと確かめて。

「―― また増えました」

 と、呟いた。

 嫌な知らせではない。むしろ喜ばしい報告だったが。

 2番目の兄に2人目の子供が出来たとの知らせに、甥か姪がまた増えるのかと思うと、中々に感慨深いものがあった。

 さて、祝いはなににすべきか?

「守護の術を施している守り石を贈りますか」

 そんな事を考えながら手紙をめくっていく。

 最後の一文を読み終えたとき――。少し慌ただしく裏戸が叩かれた。


 戸を開けると、肩や髪に雪をつけたシェスカが頬を上気させていて。

「ヴィルさんっ! どうしよう?!」

「どうしたの?」

 ヴィルは身振りで入室するように促し、ついた雪を払ってやる。

 シェスカは少し興奮気味に、手にしていた手紙をヴィルへと見せ。

「どうしよう?」ともう一度言った。

 ヴィルは読んでもいいのかを確かめてから――。

「エルフォンスから、ですか?」

 弟からシェスカに宛てられた手紙の内容は、一文に直すと『兄弟に子供が出来たのでパーティを開くので祝いがてら遊びに来てね』だ。

 手紙の意味はわかったが、シェスカを誘う意味がわからない。

「あ、あのね? それと、タルズさ、元帥様からも手紙と、その、荷物が届いていて」

 ヴィルは困惑顔のシェスカを暖炉の前に座らせた。

「荷物って?」

「ん、と。パーティで着るようにって、ドレスが……」

「……ああ、貰っていていいですよ。1着や2着何ともないでしょうから」

「あの、ドレスもだけど、母さんが慌てちゃって――」

「カシェさんが?」

 ヴィルはタルズからの手紙も受け取り目を走らせる。

 それには爵位も役職名もきっちりと記されていた。

 その事に胸中で批難する。

 貴族と国軍元帥からの招待状だ、平民ならばまず断れない。カシェが慌てるのも無理はないだろう。

 懐妊祝いのパーティは、祝いの品だけ贈って遠慮するつもりでいたのだが。

 シェスカ1人をカフツールに行かせるわけにはいかない。

「一緒に行きますか? 心配しなくてもただのお祝い事ですよ?」

「うん。でも、カフツールまで1か月以上はかかるでしょう?」

 滞在期間も考えて往復で3か月はみておかなくてはならない。さすがに、そこまで家を空けられない。

「仕事もあるし」

「それは大丈夫ですよ。転移陣使えばすぐです」

 ヴィルがあっさりと言ったら、シェスカは青ざめた。

「そんなに怖い魔法じゃありませんよ?」

 耐性の術具を持っていれば、だが。

 シェスカはかなり逡巡してから、こくんと頷いた。


***


「さてと、もう日がないから早く選別しておかないとね」

 豪奢な銀の巻毛を作業の邪魔にならないように束ねながら、アスティリア・ティク・クロークは机に積み上げられた肖像画に目を通していく。

 8人いる兄弟の中で一番淡白で薄情な弟が、数年ぶりに実家に帰って来るというのだ。

 チャンスとタイミング。逃してはならない。

「ヴィル。そろそろ観念なさい」

 アスティリアは使命に燃えていた。

 仲人夫人との別名をいただく自身の腕に懸けて、兄弟の中で唯一、結婚も婚約もしていない朴念仁の弟の縁組をまとめ上げなくてはならない。

「そういえば。大家の家の子供も連れてくるって言っていたわね」

 エルフォンスとタルズが気に入っていた様で、それで招待したらしいが。

「軍への勧誘かしらね? どんな少年かしら?」

 アスティリアは肖像画と紹介文を丹念に見比べながら、うちの子供と遊んでくれるかしらね、と考えた。


***


 カフツールでの滞在期間は1週間。準備期間は約3週間。

 シェスカはその間、睡眠時間を少し削って仕事をこなし、せめて挨拶だけはと元貴族のマイラ夫人に貴族流の礼の仕方を教わった。

 タルズが贈ってくれたドレスは淡い桃色で、絹糸で編まれたレース飾りと所々縫いつけられた小指の爪程の水晶が光を反射させ美しさを装っている。

 肩と背中が開き過ぎていて風邪を引きそうだと思ったが、ビアンカが言うには流行りだそうだ。

 その流行りのドレスを着るためには、ドレス用のコルセットが必要で、それが結構高くて痛い出費になった。

 パニエはドレスに付属していたので助かった。買っていたら旅費がなくなっていただろう。

 ヴィルは「招待されたのだから旅費や滞在費は必要ない」と言っていたが、いくらかは持っておかなければ不安がある。

 出発は明日。

 シェスカは荷物の確認をして、硬い寝台に寝転がる。

 ヴィルから渡された転移用の術具を手のひらで転がして。

「…………。ヴィルさん、本当に貴族だったんだよね」

 いきなり屋敷に行っても驚くだけだろうからと、生家の事を聞いた。

 ヴィルが貴族だろう事は薄々気付いてはいたので、ああやっぱりねと、思っただけだったが――。

「本当に平民のあたしが行ってもいいのかしら?」

 きらびやかな衣装やパーティは考えただけで心浮き立つものがある。が、漠然とした不安があるのもまた事実。

 シェスカは何度も寝がえりをして、夜半過ぎにやっと眠った。



 近頃、アパートの裏庭が転移場所になってきている。

 春に花、ちゃんと咲くかしら? と、魔法についての知識がないシェスカは不安を覚え出している。実際はまったくその様な事はないのだが。

 ヴィルは先に荷物を転送させて、シェスカを傍に手招いた。

「術具はちゃんと持っていますね?」

 聞かれシェスカはこくんこくんと、首をたてに振る。忘れるなんてそんな恐ろしい事はできない。

 魔法とはシェスカにとって未知の恐怖だ。

 ヴィルは幾分血の気が引いているシェスカの手を取り。

「大丈夫ですよ。では、カシェさん行ってきます。1週間お預かりしますね」

「宜しくお願いしすね。シェスカ、粗相のないようにね」

「う、うん。行ってきます――」

 シェスカは引きつりながら見送りに来た母に手を振って、聞こえだした呪文に慌ててヴィルの手を離して、腰にしがみ付いた。



「えっと、シェスカ? さすがに痛いのですが。もう着きましたよ」

 手をつなぐだけでは安心できなくて、ヴィルの腰に抱き付いていたシェスカは。

「え?! もう?! 目、開けても平気? 何ともない? グニャグニャしてない?!」

 グニャグニャって何だろう? そう思いながらもヴィルはシェスカの背中をやさしく叩いて。

「大丈夫ですよ。目、開けてごらん」

 言われてシェスカは深呼吸をしてから、恐々と目を開ける。最初に見えたのは、くすんだ青い色。

 しがみ付いているヴィルの服だと分かり、慌てて体を離して。

「うん、大丈夫」

 と、どうにもなっていない事を、シェスカは体中をぱたぱた触って確認する。

 ヴィルはそんなシェスカの様子に軽く苦笑いをした。

「ここ、もう家なの? 何にもないね」

 シェスカは室内を見渡しながら言う。

 絨毯が敷かれているだけで。家具類はなかった。貴族の屋敷というのだから、もっと飾りがあると思っていたのだが。

「空き部屋を転移用に使っていますから。荷物は、客室に運ばれているようですね」

 行きましょうと、ヴィルはシェスカを促し部屋を出た。


 廊下の途中で迎えに来た侍女と会い、そのまま案内された客室は続き部屋のある立派なものだった。

 暖炉にはすでに火が入れられており室内はとても暖かく、高い天井には精緻(せいち)な細工のシャンデリアがあり、品の良い木目調の調度品は落ち着いた雰囲気なのだが。

「広すぎて落ち着かないわ」

 ふかふかの絨毯も長椅子に掛けられている狼の毛皮も「汚したらどうしよう?」そう思って座るのが怖かった。

 ヴィルは帰省の挨拶に行っており、シェスカは1人好奇心からの ―― 落ち着いて座っていられないという事もあり、室内の探索中だ ――。

 暖炉がある部屋を中心に左右に扉がある。右側の部屋は寝室で、天蓋付きの寝台に驚いた。寝具の手触りの良さにも驚き、金細工で飾られた鏡台にも驚いた。左側の部屋が洗面所と浴室になっていた事にも。

「…………場違いすぎるわ」

 ぽつりとこぼした。



 1時間ほどしてヴィルが戻ってきた。

「今日はもう自由にしてもらって、明日には兄たちも来ますから紹介はその時にしますね」

 その言葉に正直シェスカはほっとした。

 部屋の内装だけで気圧され気味のところに、貴族に囲まれて小腰をかがめろと言われたところで緊張して出来そうにない。

「温室がありますから行ってみますか?」

 ヴィルは落ちつかなげなシェスカに言う。

「温室まであるの?」

 シェスカはこれ以上びっくりさせないで欲しいと思った。


 草花に囲まれた温室は季節感を狂わせる―――。

 冬には咲かない花を見て、シェスカは違いを思い知らされた気がした。


***


 ヴィルは温室からの帰りにシェスカに自室の場所を教えておいた。

 夜は客人のシェスカをもてなす為に晩餐会を開くと言った両親に「初めての場所で疲れているようなので部屋で」と、シェスカも緊張するだけで落ち着いて食事もできないだろうと思いそう言った。

 夕食はシェスカの客室で2人で取った。下働きの給仕を気にしている様子だったので下がらせた。

 気分転換になればと思い、温室に行ってから明らかに様子が変わった。その変化は、なかば予想していたものではあったが。

 夕食後にアーニグランドの冒険の新刊を差し出したら「音読するから間違いがあったら教えて欲しいと」読みの勉強の時間になり、朗読する彼女の声が普段よりも幾分か低かったように感じた―――。


 侍女が入浴の支度に来たので、就寝の挨拶をして部屋を出るまで、彼女の様子は変わらなかった。



 実家にある自室は、感覚的には専用の客室だ。4年ぶりの部屋は懐かしくはあるが、何かを深く感じる事はない。

 10の歳に士官学校に入学し寄宿舎生活を始めて、年に数回帰るだけだったからかもしれない。

 真ん中っ子は自立心が強いと言うが、確かにそうかもしれない。10歳で家族と離れて首都で暮らしても、故郷や家族を思い出す事はあっても帰りたいとは思わなかった。その辺りも含めて姉たちからは薄情者と言われたりもしたが。

 ヴィルはつらつらと、そんな事を考えながら厨房から拝借してきたブランディを湯で割って飲む。

「…………」

 ――― 彼女はちゃんと眠れているだろうか?

 こんなふうに、他者からの都合で、生家の事を話すつもりはなかった。

 歴然とした身分差は、一つの事においては馬鹿げたことであっても。


『あいつは―― マイラの手は、花や宝石しか持ったことがないような綺麗な手だった。それが、どんどん生活で荒れてきて、それが辛かった時もあった』


 酒を酌み交わしていた時に、ケフマンがそう言った事があった。

 ただ一つの事においては、確かに馬鹿げたことであっても、挫くきっかけにはなる。

 それを支え合ったオーデル夫妻は、恐妻家に変貌していようとも―― うらやましく思える。

「…………」

 ヴィルブラインは、普段の彼ならばらしくなく、八当たり気味に舌を打った。

 その時、叩かれた扉に思考が中断される。

 もう深夜だ―― 日付も変わっている。いぶかしながらも扉を開け、所在無げに立ち尽くしているシェスカを見て、目を見張る。

 ヴィルは夜着に毛織物の肩掛け姿のシェスカにちょっと眉をしかめた。

「風邪引きますよ。どうしたの?」

 彼女が居る客室とは別棟なのだ、そんな格好では体が冷え切ってしまう――。

「あの」シェスカは云いにくそうに俯き、視線だけをヴィルへと向け「一緒に寝てもいい?」と聞いた。

 ヴィルは口が開きそうになるのを我慢して。

「いいですけど、どうしたの? とにかく火のそばにおいで。なにか温かいもの淹れますから」


 暖炉の前に座らせて寝室から持って来た毛布でシェスカの体を包み、お湯でかなり薄めたブランディを渡し並んで座る。

 シェスカは息を吹きかけながら一口飲み、ふうと息を付く――。

「…………。ごめんなさい。こんな時間に」

 暖炉の炎を見ながら言うシェスカにヴィルは。

「起きていましてから、いいですよ」

 眠れない? と聞く。

 シェスカが答えるまで、少し間が開き。

「うん。なんか、よく分からなくなって」

 それだけ言って、シェスカは手にしたカップに目を落とす。

 ヴィルは黙って先を待つ。

「ビアンカが前にね? 地位とか身分とか、人として見るならどうでもいい、みたいな事言ってて、それは、そうだと思うんだけど……」

 言葉を切り、カップに口を付けてから――「遠くはあるね」と言う。

 お互いが感じた溝を、自分が思っているように出来れば、馬鹿げたことで終わるのに。

 どう、言えば伝わるのか――。

「シェスカは、神様信じていますか?」

「え?」

「ギーナ神でも太陽神ノールノースでも、南の方では海の神が信仰されています。東の大陸では神はどんなものにでも宿ると考えられています」

「どんなものにも?」

「ええ、どんなものにも。信仰の違いで、戦争になったりもありますよね?」

 シェスカはヴィルが何を言いたいのか分からなかったけれど、その優しい声音はすっと体に沁みこむ気がした。

「例えば、そうですね―― 信じている神が違って、生まれた国も違って、言葉も分からなくて、容姿も見た事がない肌や目の色をした人が道に迷っていたらどうします?」

「身振り手振りでどうにかなると思うわ」

 迷子になって困っているならどうにか助けてあげなければ、知らない場所で一人では不安に決まっている。

 当り前の事のように答えられて、ヴィルは微笑む。

 シェスカの―― 彼女の性質はきっと、真っ直ぐな優しさで出来ている。そう思う。

「うん。―― でも、その違いは大きいよね?」

「…………」

 ヴィルが、何になぞって話をしているのか―― それに気がついて、シェスカは榛色の瞳を見上げる。

「関係ないって思える人でも、目の前にそういう溝があったら取り留めもなく不安になると思う。ですけど案外、どうだっていい事でもありますよ? 面倒くさい柵はあってもね? それだってどうでもいいですよ。なんとかなるものです」

 信ずる神、守るべき故郷、選べない肌の色や生まれ――― そんなもの。

「ただ一つの事においては馬鹿げたことでしかないから――」

 暖炉の薪がはぜて―― 一瞬炎が強く揺らぐ。

「一つのこと?」

 聞き返されてヴィルは立てた膝に肘をつき、シェスカと視線を合わせた。

「好きって事」

 シェスカはそっと目を閉じて―― 息を付く。

「そう、だよね。そう、好きって気持ちにそういうの関係ないよね?」

 身分も地位も、付属品でしかない。

 シェスカは温くなったブランディのお湯割りをぐいっと飲んで。

「でもびっくりしたの! 違い感じてちょっとへこんだの」

「家の広さ、とか?」

「それもあるけど、お風呂が一番びっくりした。貴族の女の人って1人でお風呂入れないの? 2人がかりで髪と体洗われたのよ? 髪油塗りたくられて、体中乳液すり込まれたわ」

 異文化に接して受けた衝撃は当分忘れられそうにない。

「……そう」

 信じられない、と話すシェスカに、ヴィルは小さく笑う。


 ブランディを注ぎなおして、しばらく2人で話を続けた。

 士官学校時代の話、刺繍を祖母に習い始めた時の話、兄弟の事、両親の事、友達の事。たぶん、今までで一番たくさんの事を話した。

「カフツールから東の方にある温泉郷は神経痛にも効くそうなので、お祖母さんへのお土産はそれにしますか? 転移の術で移動にな――」

 ヴィルは左側に感じた柔らかな重みに言葉をきる。

 規則正しい寝息。もたれ掛かって眠るシェスカに苦笑いして――。起こさないようにそっと抱き上げて寝台に運んだ。


「―― おやすみ」

 ヴィルはそう言って眠るシェスカの髪を撫でる。

 音をたてないように寝室の扉を閉めて―― ブランディを瓶ごと飲み直してから、長椅子で寝た。


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