第五話 小さな変化
北大陸の最北端に位置する、ここビュードガイア王国の冬の訪れは早く、標高の高い山々はすでに雪で覆われている。
王国の西部にあるラインザル町では、薪や保存食の蓄えを確認するなど、人々は冬支度に追われていた。
石畳の街中を歩く背の高い鉄色の髪の青年は、はしばみ色の目を手にした紙に落とす。
何か始めよう、と仕事の斡旋所に行き「こちらを先に記入してください」と、受付から渡された一枚の用紙。
職探しをするのは始めてで、こんな物を書くとは知らなかった。
「―― まともに書いたら雇われる、って形は無理ですよね」
15歳で王宮魔法師団第2大隊に指揮官補佐として入隊、― 中略 ― 魔法師団長就任。
十分に輝かしい経歴なのだが……。
問題は、書けと言われた職務経歴だ。書こんな経歴を書けるわけがない。
書けばまず、恐がられる。
ヴィルの就職活動は最初からつまづいていた――。
さて、どうするか? と考えて。
「―― 魔法具屋でも開くかな」
独りごちる。その時、すれ違った男が「お?」と声を上げた。
ヴィルは思わずそちらに目をやると、40代後半くらいの恰幅のよい男性が近づいてきた。
左胸に金と銀を2重に交差させたバッジを着けているので商人だろう。
バッジを見ただけでは、どこの商会の者かはわからないが。
「あんた、魔法師かい?」
「ええ、いちおう」
気さくな感じで声をかけられ、いささか戸惑いながらヴィルは答える。
男は「そうか、そうか」としきりに1人うなずき。
「私はギール商会の会長をしているポドナ・ギールだ。あんた魔法具に詳しいのか?」
「はあ、一通りの知識はありますが―― ヴィルブライン・ヴァン・カフカです」
結構な早口のポドナに圧されつつ、なにか?とだけ聞く。
「いやなに、この街は大きさはそこそこなんだが、専門の魔法具屋がなくて困っとったんだ。あんた、ヴァンさんは通信具は直せるか?先週から調子が悪くて首都のシェールからの通信に雑音が入ってな、商談するのに不便でならん。修理するにはシェールまで持ってかなならんし、どうしたもんかと思っとったんだ。今時間はあるのか? そうか、なら茶でも出そう。1回うちの通信具を見てくれんか? ああ、修理が出来るのなら代金は払うから安心してくれ。うちのモットーは明瞭会計だ。ドールフ商会のようなあこぎな真似はせん。しかし見かけん顔だな? フルト王朝時代の城跡を見に来た観光客か? どうした? 早く来んか私の家はすぐそこだ」
「はぁ」
どこにどう合いの手を入れればいいのか分からず、ミドルネームで呼ばれた事にもいささか驚き(フツー呼ばない)
しかし、商会の会長というのなら、本当に魔法具屋を開くにしても知り合っておいて損はないだろう、そう考えて「まぁいいか」とヴィルは後を付いていった。
ギール商会の天秤と薔薇をあしらった意匠には見覚えがあった。
扱う品が良く商会として信用度も高いので、この意匠のある商品は上流階級にも数多く出回っている。
ヴィルが案内された応接間は商談室としても利用されているらしく、華美ではないが品良く整えられており、商会の財力を示すのに相応しい高級な調度品の数々は目利きの者が見れば感嘆のため息がもれる物ばかりだ。
テーブルクロスに施されている美しい刺繍にも目を見張るものがある。
高級品かどうかには興味のないヴィルだが――。
「綺麗ですね。そういえば、この地方は刺繍細工も盛んなのでしたね」
香りのよいお茶を飲みながら言う。
「良い腕の職人だ。貴族連中にも評判でな。1人でやっとるから量産は出来んが、その分この出来栄えだ。付加価値がある」
そうですか、と頷き答えていると扉がノックされ。
「失礼いたします」
と、通信用の魔法具を持った赤い巻毛の少女が入ってきて、丁寧に小腰を屈めて礼を取る。
「娘のビアンカだ。息子もおるのだがな、まだ学校に行っとる。―― こちらは魔法師のヴァンさんだ」
ヴィルは、どうしてミドルネームなんだろうと思いつつ、挨拶し合って、断りを入れてから魔法具を手に取る。
形は軍でも採用されている半透明の球体の水晶だ。中に魔法力が込められており、対をなす水晶と離れた場所でも声を届ける事が出来る。
会話できる距離は魔法力を込めた者の力量に比例する。
ここラインザル町から首都シェール間で通信出来るという事はそこそこ力のある魔法師の手による品だろう。
手に取ってわかった事といえば。
「摩耗していますね。魔法力が尽きかけています」
「ということは買い替えるしかないのか?」
ポドナは渋い顔をする。
買い替えるとなると修理費の軽く5倍はするだろう……。
「魔法力を込め直せば大丈夫ですよ」ヴィルは少し考えてから「2日程お預かりできれば修理しますよ?」
それに「ふむ、助かる。修理費はこれでどうだ?」と金額を示された。
相場が良く分からないが、たぶん妥当な額だと思いヴィルは修理を請け負う事にした。
「割れないように包ませよう―― ビアンカ、頼む。
それでヴァンさん、どこの宿を取っておるんだね? 観光に行くならうちの者を案内に付けてやろう」
「あ、いえ、観光ではなく、この街に住んでいます。ケキ通りのフォンボルトさんのアパートです」
すると「ほう」「まあ」と親子で目を丸くした。
「なるほど、シェスカ嬢が言っておった新しい住人とはあんたの事か」
「ご存じなのですか?」
シェスカと商会の会長との接点が結びつかずヴィルは首を傾げる。
ポドナはテーブルクロスを指さしながら――。
「この刺繍は彼女の手による物だ」
言われて、今度はヴィルが目を丸くした。
***
「え? ヴィルさん来たの?」
クルミ入りの焼き菓子をつまんだ手を止めて、シェスカはビアンカに視線を向ける。
「お父様が連れて来たのだけどね。魔法具の修理を頼んだのよ」
話しながらビアンカはテーブルに置いている呼び鈴を鳴らす。
「はい。お嬢様」
時間をおかずに扉の外から女中の声がした。
「新しいお茶を――。ローズティーにしてちょうだい」
かしこまりました。と足音が遠ざかる。
シェスカたち友達が来ている時は、部屋に入らないよう言ってあるのでやり取りは扉越して終わる。
「……こういう時はビアンカってお嬢様なんだなぁって思い出すわ」
「何だか微妙な言い回しですわね?」
じと目で見られてシェスカはあははと笑う。
「誰か来た……?」
ばたばた、と慌ただしく足音が近づいて――。
「ただいま――!」
勢いよくビアンカの部屋に入って来たのは、彼女の兄のダルビー。
顔が少し赤く、走ってきたのが良くわかる。
「―― お早いお戻りですわね? お兄様」
「ビー、そこは嫌がるところじゃない、嬉しがるところだ」
ダルビーはやれやれ、と大げさに首を振り、シェスカの隣に腰かけた。
「ほんと、2人とも仲良いね」
と、シェスカが言うと。
「どこが?!」「そうだろう?」
と同時に言われた。
夕方になりシェスカが帰ろうとした時に、ダルビーが「この時期はすぐに暗くなるから危ないよ。送って行くよ」と言い―――。
ビアンカが「妙な事をすれば、ただじゃおかなくってよ?」と実兄を睨み付けた。
「やっと2人で話せるね。最近どう? 変わりない?」
並んで歩きながらダルビーはシェスカに話しかける。
「ないわよ。ダルビーは学校どうなの?」
聞かれたダルビーは大仰に肩を落とし。
「経済学がこんなに難しいとは思わなかったよ。置いて行かれない様に必死だよ」
わざとらしく意気消沈する様子を見てシェスカは笑う。
「あは。がんばって。未来の商会長さん」
ダルビーはシェスカの手を取り、表情を見ながら――。
「がんばるよ、未来の旦那さんになる為にね」
「商会長じゃなくて旦那様って呼ばれたいの? そういえば、従業員の人たち小父さんの事そう呼んでるわね。あ、火傷はもう治ってるわよ?」
表情も歩く速度もなにも変わらないシェスカを見て―― 手を取ったのも傷の確認だと思われて。
「……だね……」
と、ダルビーは本気でちょっと肩を落とした。
シェスカとダルビーが、聞く人が聞けばちょっと憐れみを誘う会話をしている頃、ビアンカは1人自室で考えを巡らせていた――。
どうも実兄が友人にちょっかいを出し始めている。
最近流行りの自由恋愛と言えば聞こえはいいかもしれないが、兄が一方的に言い寄っているだけのようだし、シェスカにまったくその気がないのだから迷惑でしかないだろう。
「シェスカの事ですから、気付いてなさそうですわね……」
気付いていない友人は、離れた場所で天然の防御を発揮している。
ビアンカは視線を落として――。
「お兄様も気付いていませんわね……。まったく、あの馬鹿兄のどこがいいのかしらね……!」
さて、どうしたものか……。
***
昨晩は遅くに雪が降ったようで、朝になり窓から外を見たら少し雪が残っていた。
ヴィルは黒いツイードの外套を着込み、魔法力を込め直した通信具を持って部屋を出た。
元になる魔法具本体は出来ているから、作業自体はそう難しいものではなかったので、通信具の修理は昨日のうちに終わっていた。
アパートから出て、うす曇りの空を見上げ呟く。
「昼過ぎくらいにまた降りそうですね」
ヴィルは通信用の魔法具を抱えて、北通りにあるギール商会へと足を向けた。
ギール商会へと行くと、早く修理が済んだ事にポドナは大変喜んだ。
王都シェールにある商会館へさっそく通信を入れて「買った当初より感度が良い」と仕上がりにも満足した。
ヴィルは昨日と同じ応接間に通され、茶を振舞われている。
ヴィルにとってはここからが本題だ。
「それで、昨日言われていましたが、この町には専門の魔法具屋が無いのですか?」
「うむ。うちも魔法具は多少は扱っておるのだが、いかんせん魔法師がおらんでな。王都まで行って魔法師を引き抜こうにも、魔法師協会からなかなか許可が下りん。
協会から独立しとる者は少ないからな、探すだけでも苦労する――」
言ってポドナは、お? と思いついた様にヴィルを見た。
ヴィルに取っては願ったりの展開で。
「ヴァンさんは独立しとるのかね?」
「ええ、しています。実は魔法具屋を開こうと考えているのですが、店を出すには商会の許可が必要なのですか?」
「いや、店を出すのは自由だが……そうだな、商会には入っておいた方が良い」
ここからは商売の話、だ。ポドナの顔付きが一商会を牛耳る男のものに変わった。
高い魔法力を持っていると思われる魔法師とつながりが持てるのであれば、店を出す援助くらい先行投資の内だ。
だが、目の前にいる鉄色の髪の魔法師は、金に困っているふうには見えない。
着ている服も質の良い物だし、何より所作が丁寧だ。彼の振る舞いは貴族のそれに似ている。
利になるならば、またとない好機だろう。
商売人の顔のままポドナはヴィルと話を続けた。
***
アパートの階段や廊下などの共同部分の掃除はシェスカが一人でこなしている。
2階の隅から順に掃き出して、柄のついた雑巾で拭きあげていく。
「うー。手、荒れてきたなぁ。でも、お湯使っても荒れるし、水だとあかぎれになるし」
手荒れの軟膏まだあったかな? と考えながら、掃除道具を片付けていく。
ふと、1階の奥の部屋を見る。
そういえば、この2,3日まともに話をしていない。
「……掃除、しに行ってあげてもいいよね?」呟いて、ヴィルの部屋の前へ行く。
シェスカはノックしようとして手を止めた。
(―― アパートの掃除してるんだから変じゃないわよね? えっと……)
あれこれと ― 掃除をする理由 ― を考えてしまい、どうして理由を考えているのかも考えてしまい。
何だかよく分からずに困ってしまった。
留守だった事に、ほんの少し、ほっとした―――。
ギール商会から使いの者がやって来たのは昼を過ぎた頃だった。
「刺繍の新しい意匠画が出来上がったので見てほしい」との事だった。
普段なら意匠画を持って来るのだが。
技術面で直接話したい事でもあるのかもしれない、シェスカはそう思いいたって了承した。
ギール商会に着いてすぐに意匠画を受け取り、他にも貴族の子女向けのハンカチーフの刺繍の仕事もあったので納期について担当の従業員と話をして――。
「では、3月末納期で納めますね」
かなり凝った意匠だが、5か月もあれば縫いあげられる。念のため一か月の余裕ももらったので大丈夫だろう。
「はい。よろしくお願いします。あ、ついさっきミルレさんがいらっしゃいましたよ」
「ミルレ来てるんですか?寄っていこうかな」
シェスカが言うと「案内させますね」と、従業員の男性は奥の部屋へと行く。
しばらくして案内の女中が迎えに来た。
最初の頃はこの『案内をされる』という行為に慣れなくて戸惑ったが、今はだいぶん気にならなくなってきた。
絨毯が敷かれた長い廊下は4,5人並んで歩けるほどの広さがある。
ビアンカの自室は2階にあり、1番日当たりの良い部屋だ。
「お嬢様、シェスカさんが見えられました」
中から「どうぞ」と声がして、シェスカは扉を開けて―― ぽかんとした。
この部屋の主であるビアンカ、彼女の兄のダルビーにミルレ。それから。
「―― ヴィルさん?」
ティーカップを手に、名前を呼ばれたヴィルもシェスカと同じような表情をしていた。
「―― で、学友から借りた魔法論理学書でどうしても解読出来なかったページがあってね? ヴァンさんがちょうど修理した魔法具を持って来ていたから、時間をさいてもらっていたんだ。まったく、3ページ分だけ魔法文字で書いていたんだよ」
他はゲルト語でちゃんと書かれていたのにと、ダルビーはやれやれと首を振る。
「シター魔法文字。発見されている中で一番古い魔法文字ですよ」
と、ヴィルが言葉を付けくわえた。
「ゲルト語の象形文字とは作られた過程が異なるからね。文字の形は南大陸のドラサナ語に似ているけど、つながりはまだ解ってない。研究している魔法師も多いよ?」
ヴィルはシェスカに説明しのだが、シェスカはちょっと困ったような顔をして。
「ふうん。そうなんだ……」
「本の話をするなら、アーニグランドの冒険のほうがいいわ。ミルレ、新刊はまだなの?」
お茶を飲みながらビアンカが話を変える。
「王都ではもう出ていると思います。雪も降ってきたので、ここまで来るのに1ヵ月はかかるから、遅くても年末までには入荷できます」
本屋の娘はおっとりと答えた。
しばらく話したあと「仕事があるからまたね」とシェスカは席を立つ。
「では、僕も。お茶美味しかったです。ありがとう」
と、ヴィルもシェスカにつづいた。
「またねシェスカ。ヴァン様も、ぜひまたいらっしゃって」
ビアンカはにっこり笑ったまま兄を見て。
「お兄様。ミルレも帰りますから送ってやってくださらない? 荷物もありますし」
こういう場合、兄は断ったり嫌がったりはしない。それが分かっているから言う。
「かまわないよ」
兄妹の会話にうろたえたのは、ミルレだった。
ビアンカはそんなミルレを半ば無視して――。
「玄関まで送りますわ」
と全員を部屋から出した。
しんしんと粉雪が降り出した街中を、ミルレは滑りやすくなった足元よりも右隣を気にしながら家路についた。
***
「ああ、やっぱり雪、降り出しましたね……」
どんよりとした雪雲を見上げながらヴィルは隣を歩いている少女に声をかけた。
「積もるまではいかないだろうけど……。水仕事やだなぁ」
げんなりしている様子のシェスカに、ヴィルは口元で笑う。
「―― シェスカ、さっきどうかした?」
え? とシェスカはヴィルを見上げる。
「本の話していた時」
「ああ」前を向き直して「……難しい字だとあんまり読めないから」
12になるまでは月に2回程、教会で読み書きと算数は教えてもらっていたが、日常で使用する文字と簡単な計算だけだったため、小説を読むとなると読めない単語がある。
「アーニグランドの冒険くらいならどうにか読めるんだけどね。わかんない単語はビアンカかミルレが教えてくれるし」
でもねと、シェスカは続ける。
「指示書とか注文書とか、読めない単語とかあって―― 習いには行きたいんだけど、私塾って高いでしょ? 授業料が。なかなか行けなくって」
独学しようにも、辞書自体が高価なものなのだ。
「習う気はあるんだね?」
「気はね……」
「ゲルト語の読み書きなら教えようか?」
言われ、シェスカは足を止めて「え?」と、またヴィルを見上げた。
「毎日は無理だけど―― 週1回くらいで、その本が一人ででも読めるくらいには教えられると思うよ?」
シェスカ自身が字をまったく知らないわけではないので、教師の真似ごとも出来るだろう。
「いいの? 本当に?」
驚きの声で言われ、ヴィルは笑って「いいよ」と返した。
「あ、でも……」シェスカはちょっと声を落とす。
「……ああ、うん。いいよ。じゃあ交換条件、字を教えるかわりに、そうだね、掃除でもしてもらおうかな?」
ヴィルは言葉がつかえたシェスカを察して「お礼が出来ない」と言われる前に言う。
「あ……」
何か納得がいったような顔でシェスカは「うん。え……と。お願いします」とぺこりと、ヴィルにお辞儀をした。
「うん。よろしく」
ヴィルはシェスカを見て、笑って言った。
― 掃除をする理由 ― が見つかって、字を教えてもらえる事よりも、シェスカはなんだかほっとして、うれしかった。