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第四話 森の女神祭

第四話 森の女神祭


 豊穣を司る森の女神ギーナへの感謝の祈りを捧げる祭りを明日へと控え、ラインザルは町全体が祭りの熱気を孕みつつあった。

 各家の軒先には色とりどりの布が飾られ、風が吹くたびに美しく揺れている。

 これから厳しい冬を迎える。そんな憂鬱など少しも感じさせない楽しげな笑顔であふれていた。



 緑色の柔らかな生地のワンピースはたっぷりと布を使っていて、フレア状になっているスカートは歩くたびに風をはらみ、ふわりと膨らむ。

 襟元や裾には森の女神ギーナへの祈りの言葉が、色とりどりの糸で刺繍されており衣装の華やかさを増している。

 肩から腰に巻くようになっている帯にも精緻な模様が描かれており、その刺繍はシェスカの自慢の品だ。

 明日の祭り用の衣装を身につけて、母と祖母に見せる。

「綺麗にできたわねぇ」とほめてくれた。

 右手首に巻いている緑のリボンは未婚の娘の証だ。

 普段はあまり着飾ることをしないシェスカだが、祭りの日は特別だ。綺麗にして出掛けたい。


 シェスカは衣装の出来栄えに満足したら、普段着の紺色のワンピースに着替えて「ちょっと散歩してくるね」と家を出た。



 散歩と言っても、距離は歩数で言った方がいいくらいの距離だった。

 向かった先は庭を挟んだ所にあるアパートの1階。

 突き当りの部屋をノックしたら真後ろの―― アパートの共同の玄関が開いた。

 食事の買い出しにでも行っていたのか、紙袋を抱えたヴィルがシェスカを見て軽く眉を上げた。

「シェスカ? こんにちは、どうしたの?」

「あ、出掛けてたの? お帰りなさい」

 ただいま、とヴィルは笑って答える。

「どうぞ、お茶でも淹れますよ」

「ううん、ありがと。すぐ済むからここでいいわ」

 ヴィルは部屋の鍵を開けながら。

「何か良い事でもあったの?」

 とても機嫌が良さそうなシェスカを見て「明日の事?」と聞く。

「うん。ヴィルさんはどうするの? 予定がないならお祭り案内しましょうか?」

「―― いいの?」

 シェスカは、その問いににっこり笑って。

「もちろん。特別にとっておきの場所を教えてあげる。火傷の薬のお礼にね」

「シェスカが気にする事じゃないのに。―― まだ、ちょっと痕があるね」

 ヴィルは4日前に熱いお茶がかかり火傷を負ったシェスカの手を取り、具合を確認する。

「もう大丈夫よ、痛くもないし」

 それより、とシェスカは話を続ける。

 明日は早朝から振舞い用の炊き出しの準備があり、家にはいないから祭りが始まる正午前に北の広場で待ち合わせをしたい、と言ったシェスカに「いいですよ」とヴィルは笑って答えた。


***


「それって逢引じゃなくって?」

 リンゴの蜂蜜漬けを一口大に切り分けていたから、思わず手元が狂って変な大きさになってしまった。

「ち、違うわよ! 火傷の薬のお礼よ」

 シェスカは顔を赤くして、友人、ビアンカに言い返す。

 この町一の商会の娘で、刺繍細工品の納品に行っているうちに同じ年齢という事もあって、自然に仲良くなっていた。今では大切な友人の1人だ。

 同い年とは思えない色香のあるビアンカは「耳まで赤くってよ?」と、なんだか嫌そうに言った。

「変な事言うからでしょう――?」

 もう、とシェスカは言って、切り分け損ねたリンゴを口に放り込む。

 たっぷりの蜂蜜で漬けられた甘い果物は、祭りでもないと食べられないので美味しさに顔がほころぶ。

「んまぁシェスカ! お行儀が悪いですわよ?」

 と、言いつつビアンカも切り分けたリンゴに手をのばす。

「シェスカもビアンカもつまみ食い禁止です」

 止めに入ったのは2人の共通の友人、ミルレだ。

 シェスカ達よりも1つ年下の彼女は、町の東通りにある本屋の娘だ。

 見た目通り性格も2人に比べておとなしい。

「早く切り終えて、次の料理の支度をしないと間に合いません」

 はぁい、とシェスカとビアンカは答えて、しばらく黙々と手を動かした。


 町は8区に分かれており、振舞い用の酒やご馳走はそれぞれの婦人会が中心になって準備をしている。青年団は飾り付けや篝火(かがりび)の設置など、力仕事を担当している。

 シェスカとミルレは6区になる。ビアンカは2区なのだが、なぜか毎年こっちにいる。



「広間のかまどは準備できてるの? じゃあ、このシチューもう運んでちょうだい」

「テーブルの数が足りないのよ、調理に使っていたテーブル運んできて!」

「こぼさないでよ?!」

 などなど、祭りの裏方は騒がしく人の声が行きかっていた。

 シェスカ達は任された分を片付けると、作業が遅れ気味の所を手伝いに行って――。

「準備終わりぃ……!」

 シェスカは両手を上げて伸びをする。

「はい。ごくろうさん。あんたたち来年は振舞い担当だからね? 今年はもうゆっくり祭り楽しんどいで」

 あんまり羽目を外しすぎないようにね、と婦人会の会長から言われ「はい」と3人は答えた。



「で? シェスカは本当にヴァンさんでしたかしら? ビル? まあ、どっちでもいいわ、と2人で出掛けますの?」

 なんだか少し拗ねているふうにビアンカは言う。

「行くよ、お祭り。今年はビアンカもミルレも家の用事でお祭り見に行くんでしょう? 1人で廻ってもつまんないしね」

「それはそうですけど……」

 ビアンカは軽く口を尖らせながら言う。するとミルレが、ぽんと手を打ち。

「わかりました。ビアンカはシェスカを男の子に盗られたみたいで嫌なんですね?」

「! だ、誰もそんな事言ってなくってよっ?!」

 むきになっている所を見ると、どうやらそうらしく。

 気恥ずかしいが、なんだか嬉しくもある。

「べつにリボンを渡すわけじゃないし……。渡す相手が出来たら2人には一番に教えるわよ」

 2人に笑って言っていたら――。

「え!? シェスカ渡す相手見つけたのか!?」

 横合いから驚きの声。

 赤毛の背の高めの少年が、あんぐり口を開けていた。

「お兄様……女性の話を盗み聞くなんて品がありませんわよ?」

ビアンカは急に現れた実兄に非難の声を向けた。

ミルレは特に驚きもせず「こんにちは」と、のほほんと挨拶した。

「こんにちはミルレ。で、その相手って俺?」

 シェスカが口を開きかけたら、ビアンカに先をこされた。

「本当に品がなくってよ? お兄様。なにしにいらしたの?」

「冷たいなぁ、兄弟仲良くって言葉があるだろう?」わざとらしく肩をすくめて「客人がもう着いたんだ。呼びに来たんだよ」

 あら、大変。とビアンカは「またね」と手を振り、足早に帰って行く。


 ビアンカ達を見送って――。

「あれで結構仲良いんだから、やっぱり兄弟っていいなぁ」

 うらやましそうに呟くシェスカを見て、ミルレは自分に弟が出来た時に「欲しい!」と言われた事を思い出して、小さく笑う。

「―― シェスカ、本当にリボン渡す人が出来たら教えてね? わたしもシェスカとビアンカには、お母さんより先に教えますから」

 シェスカは微笑んで言う――。

「うん、約束ね」


***


 まだ町全部を散策したことはなくて、北区域には初めて来た。

 広場はたくさんの人で溢れており、笑い声が行きかっている。

 人にぶつからないよう注意しながら、ヴィルはシェスカを探す。

 人混みをかき分けるように進んでいくと、広場の中心にある樫の木の下で目的の少女の姿を見つけた。

 祭り用の衣装を身に着けているので、この町の娘だとすぐにわかる。

 少しくせのある青褐色の長い髪は、今日は結われていない。

「こんにちはシェスカ。待ちました?」

 声を掛けると、シェスカはなぜか頬を赤らめた。

「人混みで酔いましたか?」

「え? ううん、違、大丈夫」

 シェスカは慌てて手を振って答える。

(もう!ビアンカがあんなこと言うから……!)

 無駄に意識してしまった。

 そんな心情を知らないヴィルは。

「そう? 服の刺繍、自分で?」

「え、うん。帯もね」

 綺麗ですね、とほめられてシェスカは素直に嬉しかった。


 正午を知らせる町の教会の鐘の音と共に、女神祭は開催された。

 広場には楽曲が流れ出し、樫の木を中心に輪が2つ作られる。内が男性、外が女性だ。手を打ち合い、軽快にステップを刻みだす。

 ヴィル達も踊りに参加した。男女違う方向に回って行き、1曲が終わると次のグループに場所を開ける。何曲も続けて踊る者もいれば、見て楽しむだけの者もいる。

 踊っていてヴィルが気付いた事は、右手首に緑のリボンを巻いている女性だけが髪を下ろしている事だった。


「リボンは未婚の女性だけがする飾りで、髪はギーナ神が結ってないから真似てるの」

緑は女神が愛する森の色。

「へえ、そうなのですか」

 ひとしきり踊った後、振舞い酒を貰い(料理はもうなかった)露店で揚げ菓子を買って、今は広場の隅に置かれたベンチで小休止中だ。

「もうすぐ出し物があるわよ。森の女神に恋をした木こりの話――」

 出し物は北の広場から順に各広場を回るらしい。

 しばらく菓子を食べながら、他愛もない話をして時間を過ごす。



 劇仕立ての出し物は半時ほどの公演で、多くの拍手で幕を閉じた。



「女神役は3年同じで、いちよう公募で決まるのよ」

「シェスカは応募しないのですか?」

「だって公募って言っても後援者ついてるもん。くわしい大人の事情は、あたしまだ知りたくない」

 まだ色々な事に夢見ていたい。

「そういえばヴィルさんってどこ出身なの? 王都のシェール?」

 露店を見物しながらシェスカが聞く。

「実家は東のカフツールです。ビルド火山が近いですよ? 湯治で有名な地域です」

「カフツール? ああ、おばあちゃんが行ってみたいって言ってた所だわ。腰痛に効く温泉がある所よね」

 シェスカは聞きながら、ガラス製の小さな飾り玉で作った小物を置いている露店で足を止める。

 ヴィルもシェスカと同じように見ている物に目をやりながら会話を続けた。

「神経痛とか肌荒れとかにも良いらしいですよ? お祖母さん腰痛酷いの?」

「寒くなると酷くなるみたい。他はまだまだ元気なんだけどね。うーん」

 小さなガラス玉で出来た腕輪を見ながらシェスカが悩みだす。

「欲しいの?」

「ん。けど買っちゃうと今月お小遣い無くなるからいいわ。ねえ、南の広場の方にも行ってみましょう? あっちは鉄細工の工場が多いから、こっちとお店の品が違うと思うよ?」

 シェスカは廻れるだけ廻ろう、とヴィルの服を引っ張る。

 買いましょうか? という言葉を言い損ねてしまったヴィルは、ねだらないシェスカをこの子らしいなと笑って見下ろした。


***


 ヴィル達は露天を見て回り、器用にナイフを操る大道芸人に拍手とおひねりを贈り、町のあちこちを歩いて廻った。

 今は夕暮れし差し掛かろうとしている。空は群青色や橙色が折り重なり、自然の美しさを誇示している

 今日はかなり歩いた。そして今はもう30分近く、丘を登っている。

 息を切らせながら先を行くシェスカは――。

「も、もう少しだから……が、がんばって歩こう」

「はあ、というか、もうすぐ暗くなりますよ?」

 息を切らす事なくヴィルは後に続いている。元軍人、体力はある。

「角灯あるから平気。もうちょっとだから――。ここ左に入るからね、足元に気を付けてね」

 言ってシェスカは道をそれ、林の中に入って行く。

 夕暮れ時、さらに薄暗い林の中に誘われて……。

 しばらく歩いて――。

「……シェスカここ誰と来たことあるの?」

「お父さん。―― ヴィルさんお疲れさま。着いたよ」

 丘の林を抜けた先には2,3人が立つのがやっとの広さの場所があり、ラインザルの町がよく見えた。

「……良い景色ですね」

「ふふ、もうすぐよ?」

 いたずらをする子供の様にシェスカは笑う。とっておきは言っちゃいけないから。

「―― あ」

 眼下に広がる町、夜の闇を照らすように明かりが灯る。町の中心から放射状に明かりが広がる。

「この丘からしか篝火が広がっていく様子見えないのよ」

「ここがとっておきの場所?」

 ヴィルの隣にいるシェスカはふわり、と花のよう笑う。

「うん。知ってるのは、あたしとお父さんだけ。点燈式(てんとうしき)を上から見る人は北側のちゃんとした道から上まで行くから、穴場なの。あ、もちろん秘密の場所だからね? 内緒にしてね?」

「もちろん。秘密にしますよ。あ、シェスカ――」

「なに?」

 ヴィルは何気に手をのばして――。

「リボンほどけかけていますよ?」

 シェスカは右利きだから右手首に1人でリボンは結べないだろうと思い、ほどかけたリボンに指を掛ける。

 さらり、とリボンはシェスカの手首から離れた。

「結び直しますよ。シェスカ?」

 ヴィルは返事をしない少女をいぶかしむ。

「どうしたの? 手、出して結び直すから」

 もう一度言ってシェスカの顔を覗き込む―― と、口をぱくぱくさせて耳も顔も首も真っ赤になっていた。

「シェスカ?」眉根を寄せて少女の名を呼び――。「あ、これ祭り終わるまでは、ほどいちゃ駄目だったの?」

「そ、そうよね……。うん、知らないんだから……うん」

 シェスカは大きく息を吸ってゆっくり吐く。気を落ち着かせなくては。ヴィルは意味を知らないのだから。

「うん。お願い結び直して……外したまま帰れないから――」

 シェスカの挙動不審さに首を傾げつつ、ヴィルはリボンを結び直してやる。

 辺りはすっかり日も暮れて暗くなっている。

 シェスカはそろそろ帰らなきゃと、持って来た角灯に火を入れて2人は丘を降りた。



 どうしてだか口数が減ったシェスカを家まで送った後、ヴィルは1人で街に足を運んだ。

 隣家のケフマン・オーデルに「夜は近所の男連中が集まって飲むから来い」と誘われていたので教えられた酒場へ向かうと、やっぱりというか案の定というか、ケフマンはすでに出来上がっていた。

 男連中20人ほどで、祭りが無事に終わった事に乾杯した。

 しばらくはがやがやと、酒を酌み交わして。

「ああ、そうです。ケフマンさんは、祭りのリボンの意味知っていますか?緑色の――」

 ケフマンに聞いたはず、なのだが、周りが盛り上がってしまった。

「俺も若い頃は何人ものリボンを解いたもんだ」

 っぷっはあー、と麦酒を飲みながら1人が言うと。

「ガキの遊びでリボン取ってただけだろうが?」

 鼻先を真っ赤にしている男が言い。

「わしはお(かあ)がくれて結婚したぞ」等々、そこら中で声が上がる。

 ヴィルは困り顔で「―― で、何なのです?」

「なんじゃあ知らんのか?」

「ありゃ未婚の女の印だぞ?」

「女の方からリボンを渡せば好きですって告白の意味があんだよ」

「そうそう、で、男が求婚して返事にリボン貰えたら、いいわよぉって意味でぇ?」

 ヴィルはこくこくと頷きながら、あちこちからくる声に「はあ」とか「へえ」とか返していく。

「で、告白なしでリボンをとく! ここ重要! 勲章ものだね」

「何なんです?」

「仲良しになろう、ってこと。わかんだろ? この助平!」

 一瞬「はい?」と、思ったが、理解して―― うわ、と手で顔を覆った。

 茹でられた様に真っ赤になっていたシェスカは、意味を知っていたはずで。

 急いで丘を下りたのも口数が減ったのも、その事を気にして、だろう。

 酒の匂いを振りまきながらケフマンが。

「なんだヴィルさん、誰かのリボン貰ったのか?」

 言うと―― ちょっと考えて……。

「シェスカか?」

 と、聞いてきた。

「知らなくて外しちゃいました」

「……謝っとった方がいいぞ?」

 女性の恐ろしさを身をもって知っているケフマンの言葉にヴィルは。

「そうですね……」

 と答えた。



 翌日、意味を知らなくてリボンを外してしまい、びっくりさせてごめんねとシェスカに何気に言ったら――。

「い、意味、誰かに聞いたの?!」

 シェスカは一歩後ずさって聞く。

「ケフマンさんたち――」

 目の前にいる少女が、みるみる顔を赤くしていく様子を見て。

「―― 来年からは触らないから」

 と、言って安心させてやる。

 こくん、とシェスカはうなずいた。



 ちなみに、リボンを外した相手に結び直させるのは「今は気持ちが追い付かないから、ちょっと待ってて」という意味なのだが……。

 シェスカは忘れる事にした。




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