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黒の魔法師

 ギナ歴四四一年春――。のちに、三年戦争と呼ばれるようになったシェファ大戦は終結した。

 小さな諍いから領主同士の小競り合いになり、地方だけでは収まらず、国軍を投入し、少なくない犠牲者を出し、戦争は終わった。

 ―― そう、終わったのだ。少なくとも、国民にとって、表向きの、戦争という名の殺し合いは。

 終わった後の国同士の思惑など、今日のパン一つに負ける。


 終わってしまえ、そう思う。


 人を、絶対的優位に立ち、殺していくために、魔法師としての血を継いだのであれば、終わってしまえばいい。そう、思う。

 血に濡れた臓物を引きちぎるような感覚が消えない。

 虚脱感がねっとりと肌に纏わり付く。

 酒や女への刹那的な快楽は、求めても逃避にすらならなくて、ふとした時に虚無に襲われる。

 

 きっかけが何だったのか、今では曖昧で思い出せないけれど、その一つは確かに妹の、カルティアーナの婚姻だった。

 ビュードガイアの後宮には、敗戦国であるファイゼンから贈られてきた若く美しい姫たちがすでに数人いる。

 どうでもいい、関係のない話だと興味もなかった。

 実父であるカフツール領領主ヴォルフラムに呼び出されるまでは――。

 父である男はあっさりとこう言った「ティアがファイゼン王太子の下に嫁ぐ事になった」


 化け物と呼ばれた自分への人質として、自国の王が妹を、ファイゼン王国へと差し出した。

 ファイゼンでの己の評判は、決して良くはない。どちらかといえば最悪だろう。

 ―― あの戦場で、自分は絶対的勝者だった。殺す側だった。

 両手から、錆びついた鉄の匂いが立ち上る。


 終わってしまえ、そう思った。



***



 ぴちゃん・・・・・・ぴちゃんと、ぬるりとした生暖かい体液が、腕を伝い指先へと集まり落ちる。

 一気に体温が消える、ぼうと視線を向けた目の前の景色が霞み、意識を手放しそうになり、やり過ぎでは?と嘆息した。

 なかなか言う事を聞かない体を、多少の無理をして動かす。

 とは言っても声を出すための行為しか出来なかったのだが。

「・・・・・・スーティ、あなた、僕のこと殺す気ですか?」

 ヴィルブラインは硬い診療台に横たわったまま、ぼやけた視線の先にいる女に愚痴のように言った。

 スーティと呼ばれた白衣姿の女は、ぴくりと片眉を動かし心外だわと首を振る。

「殺すなんて勿体無い。あんたまだまだ体液搾り取れるでしょう?」

「・・・・・・せめて血液って言ってもらえませんか?」

 うんざりしつつヴィルは短い呪文を唱えて、左腕の、血液を採取するために切られた傷を塞いだ。

 見た目の傷が治っても、脳に残る痛みはすぐには消えないし、失った血液がすぐに回復することもない。

 ヴィルはくらくらする頭を押さえて、肘を突いて緩慢に上体を起こした。

 スーティは悪戯気に笑い言う。

「私としては研究に使えるなら精液でもいいのよ?」

「あなたとだけは絶対に嫌です」

「光栄だわ私もよ。摂取は電撃法でいい?」

「家畜と一緒にしないでください」

「種付けには使わないわよ、禁止されてるし。はい、しっかり肉食べてしっかり血液作って頂戴」

 軽い口調でスーティが目の前に置いたのは、肉汁たっぷりの分厚い牛肉の焼き料理に、鉄分の多い野菜の盛り合わせ、数種類の果物にたっぷりの水と果汁。

 ヴィルはそれらの料理を見て、ちらっと床に置かれた桶を見る。

 これだけ血を抜かれてよく死ななかったなと、どっと精神的に衰えた気がした。

 ヴィルは失血した分を補うために、無理やり食事を胃に流し込む。

 摂取した血液を用途ごとに選り分けるスーティを、なんとはなしに見て、水を飲む。

 

 魔法には固体の魔法耐性が必要であり、それは遺伝によるものだ。

 魔法耐性についてはまだまだ研究途中のものであり、近年急激に失われつつある魔法耐性を維持する研究は国家機関によってなされている。

 スーティはその研究所のいち所員だ。

 研究に必要な魔法師の体液や肉、髪や爪を提供する側は主に軍に所属する魔法師たち。

 ヴィルとスーティの関係も、提供者と研究者だった。


 ヴィルはだるさの残る体を診療台に投げ出して、息を吐く。

 食べれるだけは食べた。あとは少し眠れば動けるだろう。

 そう思い、はしばみ色の瞳を閉じた時、ばさりと顔の上に軽い物を置かれて、ヴィルは眉を顰めながら片目を開ける。

 数枚の紙。地図と――。

「賃貸契約書?」

「そ。ラザール領のラインザルってとこ。カフツールとは離れてるし、領主同士の付き合いも無い。魔法師協会の支部もないし。国軍の駐屯地からも離れてるしね。ま、隠居するには良い町だとは思うわ」

「ラインザル・・・・・・」

「お貴族様のあんたが住むような所じゃないけどね。素性隠さないと部屋も借りれないから、その辺は我慢して」

「十分ですよ。助かりました」

「いいわよ別に、報酬の血液はたっぷり貰ったし、あんたじゃ探すのも難しいでしょうしね。」

 ゆったりと椅子に腰掛けたスーティは、軽く足を組み頬杖を付いた。

 スーティは、にっと笑ってヴィルブラインは見やる。

「これは研究者としてではない質問だけどいいかしら?」

 聞かれ、ヴィルはどうぞと視線で答える。

「軍辞めてどうするの? 逃げれっこないのに」

「・・・・・・・・・・・・」

「カルティアーナがファイゼンに売られる事は変わらないし、ブランデ議院もヴェスト議院も、静粛なる森も、国王も、あんたの事は放って置けない」

「わかってますよ。そんなこと」ただと、ヴィルは続ける「ただね、今の自分に嫌気が差したんです。隠居なんて、逃げるだけですよ」

 檻から籠に、だとしても。

「嫌気? 今更?」と、くすくすと笑うスーティを軽く睨んで、苦笑した。

 眠気は大分おさまってしまっている。ヴィルは診療台から足を出し、靴を履く。

 まだ少しふら付くが、倒れる程ではない。

 ヴィルは立ち上がり、魔法師の血の匂いが立ち込める部屋の扉を開ける。

「住むところ探してくれてありがとうございます」

 振り返り言うヴィルに、スーティはひらひらと手を振った。

「ま、せいぜい世間の波風受けてきなさいよ」にっと笑って「さよなら、黒の魔法師さん」

「ま、邪魔されない昼寝が出来るように頑張りますよ。さよなら、スー」

 手は振らずに、その扉を閉める。


 

 鉄色の髪を血で黒く染め、戦場に立つ姿を恐れられ、味方からも敵からも畏怖され、黒の魔法師と呼ばれた男が退役したのは、それからすぐの事だった。

 緑の森の女神への、信仰が残る町で、こじんまりとした店を構えるのは、まだ少し先の話し。


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