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あるアパートの住民

 これは、とある北国の、とある町のアパートに住む住人の日記を抜粋したものである。 



******


ギナ暦447年8月某日

 昨日は早く寝たので朝はかなりすっきりと目覚めた。とは言ってもアパートの大家であるカシェさんに起こしてもらったんだけどな。

 今日は経済学の試験があるから少し早めに学園に向かった。

 アパートの階段を掃除している大家の娘のシェスカと会って朝の挨拶をした。

 我ら学生の癒し。妹的存在のシェスカから「いってらっしゃい」と言われると何だか1日頑張れる。

 可愛いよなぁ。


8月某日

 シェスカが半年ほど空き部屋だった1階の奥の部屋の掃除をしていた。

 前の住人はちょっと変わった画家だった。魚を描くことに目覚めたと言って海際の町に引っ越したのだが、また変わった人が来るのか? と思って聞いてみた。

 そうやら退役軍人が来るらしい。

 軍人かぁ怖い人じゃなければいいな。

 

 先日の試験結果が発表された。どうにか合格点が取れた。


9月某日

 引越しして来た人は軍人とは思えない感じの人だった。越して来てそうそうマイラさんたちの夫婦喧嘩に巻き込まれたらしい。

 喧嘩する程仲が良い。夫婦喧嘩は犬も喰わない。とは言うものの、皿の割れる音には慣れそうにない。


9月某日

 先日のマイラさんたちの夫婦喧嘩は息子さんの結婚祝いで流れたようだ。祝い膳を俺たち2階に住む学生たちにも振舞ってくれた。

 結局、喧嘩の原因なんだったんだろう?

 それより、カフカさんだっけ? 新入りの住人。なんかシェスカと仲良さそうにしてたな。

 新入りの癖に生意気な!

 って思ったけど話してみたら案外気さくな感じの人だった。年下の俺相手にも丁寧な話し方してた。良いとこのぼんぼんかな?


10月某日

 なんか怖そうな顔のおっさんがカフカさん家に出入りしてる。怖い。軍人怖い。


10月某日

 マイラさんが俺たちにミートパイを差し入れしてくれた。シェスカのパイも美味いけど、マイラさんのも美味いよなぁ。

 つーか、マイラさん結構美人なのに何であんな筋肉もりもりのケフマンさんと結婚したんだろう? 若い時は美女と野獣って感じだっただろうな。


10月某日

 抜け駆けはなし。これは2階の住人の合言葉だ。女神祭にシェスカを誘うなら堂々と宣言してからってな。

 学生同士で様子の探り合いをしてる内に、どうやらシェスカはカフカさんの案内を買って出たらしい・・・・・・。

 新入りの癖に! ちょっと顔良いからって生意気な! 三十路のじじいのくせに!


11月某日

 なんか、なんだ? シェスカがカフカさんの部屋に出入りしてないか?

 かかかか勘ぐっちゃいかん。シェスカはそんな子じゃない!

 俺が卒業して就職するまではシェスカは無垢なままの筈だ!


11月某日

 掃除をしているシェスカに思い切って聞いてみた。ら、字を教えてもらっているらしい。

 それくらいなら俺だって教えられたのに。先、越された……。

 カフカさんは俺の敵だ!


12月某日

 ケフマンさんから飲もうか? と誘われた。こういう時はマイラさんの手料理付きだ。

 俺たち学生は浮き浮きとお呼ばれした。

 カフカさんも居たから(隣部屋だしな)それとなく観察した。たまに、暗い目をする人だなって思った。

 退役軍人か。シェファ大戦経験してんだよな。なんだかなぁ。

 敵とはいえ素っ気無くは出来ないよな、人として。

 そう思って酒を注ぎあった。


12月某日

 嬉しい事にシャツの釦が取れた。母屋に行ってシェスカにお願いしたら、快く引き受けてくれた。その上、お茶まで出してくれて。

 シェスカが釦を付けてくれている間あれこれと話が出来た。

 やっぱシェスカ可愛いなぁ。


12月某日

 年末年始は実家に帰るわけだが、その間シェスカには当然会えない。

 はぁ、今のうちにしっかり目の保養しておこう。

 俺んち男所帯でむさ苦しいんだよな。


ギナ暦448年1月某日

 やっとアパートに帰ってこれた。家族に会えたのはそりゃ嬉しかったけどな。母さんの墓参りもできたし。

 シェスカに帰省のお土産の櫛を渡したら癒しの笑顔でありがとうって言ってくれた。

 ああもう本気で可愛い。

 進級試験頑張ろう。なんか色んな事に前向きになれる笑顔だよな、シェスカって凄い。


2月某日

 日記にかなり間が空いた。

 何故なのかは分からないがシェスカがカフカさんの兄弟の懐妊祝いに彼の実家に行ってた事が判明した。

 なんだそれ? いつのまに? 俺の立場は?

 会計士になって食わせていける足場を作ってからとか悠長すぎたのか? どういう事?


2月某日

 進級試験にはぎりぎりで合格した。成績あげないと奨学金が危ない。

 勉強頑張んないとな


3月某日

 シェスカをデートに誘った。いや、勉強も大事だけどさ、ぼやぼやしていられない気がして、抜け駆け禁止令を破った訳だが。

 仕事が忙しいようで時間が合いそうにない。無理強いは良くないしな。

 つーかシェスカ……買い物なら母さんに頼もうかって、そりゃないだろ?


3月某日

 シェスカの友達が夜になっても戻らないらしい。それを聞いて俺たち学生組みもケフマンさんも探すのを手伝った。

 見つかった友達は怪我はしていたようだが、たいしたことはないらしい。無事で良かった。


4月某日

 アパートに帰るとカフカさんの部屋から焦げた匂いがしてきていた。

 何か作ろうとして焦がしたらしい。

 

4月某日

 マイラさんたちがまた夫婦喧嘩をしたようだ。ケフマンさんが酔っ払って素っ裸で寝ていたのが原因らしい。

 筋肉親父に下着姿で避難して来られたカフカさんも災難だな。


5月某日

 先月切り詰めたお陰で生活費に余裕が出来た。

 どうにか花を一厘買ってシェスカに贈った。

 嬉しそうに受け取ってくれて俺の心は舞い上がった。が、おばあちゃんが好きな花なのありがとうって……ごめん、言葉が出ない。


5月某日

 何だかシェスカの様子がおかしい。話し掛けたらいつもの様に笑って答えてくれるけど、疲れてるのかな?

 癒しの笑顔が早く戻ってきてほしい。


5月某日

 カシェさんが俺たち2階組みにシチューを差し入れてくれた。本当、優しい大家で良かった。

 そういえばカフカさん最近見てないな。


6月某日

 怪しい。非常に怪しい。

 帰省していたらしいカフカさんが戻ってきてからシェスカの笑顔が戻った。

 こ、これはどういうことだ?

 奨学生という不安定な立場を抜け出して、会計士になって食べさせていける自信がついたら、なんて思っていた俺は……い、いや、まだ分からん。


7月某日

 ケフマンさんと俺たち2階組みとでカフカさんの部屋で飲む事になった。

 シェスカのことを聞きたかったが、切欠がなかった。

 なんかこの人、最近目がずっと穏やかだな。

 んまあそれより、今年の女神祭は俺頑張ろう。


8月某日

 会計士の資格試験が近い。仕送りしてくれている家族の為にも、今後の俺自身の為にも失敗する訳にはいかない。

 気合入れるぞ!


8月某日

 シェスカの誕生日に何か贈りたかった。試験前という事もあり日雇いの仕事を減らしてしまった為、碌な物を贈れなかった。

 安物の小さな花の髪飾りを笑って受け取ってくれたシェスカは可愛くて良い子だ。


9月某日

 やった! 合格した!

 アパートの皆がお祝いしてくれた。

 来月からは研修を受けながら学校の卒業試験の勉強だ。

 そして、女神祭だ。り、リボンを下さいって今から言う練習しておこうかな。


10月某日

 結構寒くなってきたのにカフカさんが庭にあるリンゴの木の下で昼寝をしていた。

 シェスカに見つかって、風邪を引くと、叱られていた。

 なんか、空気がやわらかい感じがして、その場から逃げてしまった。

 抜け駆け禁止令は、そういやカフカさんには適応されてないんだよな―――。


10月某日

 意を決してシェスカを女神祭に誘った。

 が、今年は振る舞い担当で祭りを見て回る時間はないと言われた。

 夜に少し時間が欲しいと伝えたら、困った顔をされた。

 それ以上誘えなかった。

 気持ちの押し売りはしたくない。シェスカを困らせたくない。

 

 単に、俺が振られる勇気がなかっただけか……。


11月某日

 研修先の会計事務所でがんがんに扱き使われてへとへとになった。

 簿記という概念が定着し始めたのはまだここ10年程だから専門知識を持っている人も少ない。

 遣り甲斐のある仕事だと思う。

 今は研修を頑張ろう。


11月某日

 隣部屋のギリが熱を出した。カシェさんとマイラさん、それからシェスカが交代で看病していた。

 他人の事に真剣に優しく出来るシェスカはやっぱり目で追ってしまう存在だ。


12月某日

 年越し前のアパートの大掃除を住民皆でした。

 冷たすぎる水は、カフカさんがお湯に変えてた。元軍人って、ま、魔法師だったのか?!

 魔法、初めて見た。


 カフカさんがシェスカを見る穏やかな目が、ちくりと俺の胸を刺した気がした。

 ああ、やっぱりな。

 消化しないとな、シェスカは俺たち学生の妹的存在だ。そう、彼女の立場は妹だ。

 言い聞かせてる俺は、結構格好悪いよな。


ギナ暦449年1月某日

 卒業試験が近い。

 無事卒業出来たら研修先だった会計事務所が雇い入れてくれる事になった。

 これでやっと仕送りされるんじゃなくて、仕送りしてやれる。


1月某日

 卒業試験の朝、アパートの掃除をしていたシェスカが激励してくれた。

 試験は上手くいったと思う。

 シェスカの笑顔は活力剤だ。


2月某日

 無事に卒業試験に合格した。

 職場はここからでも通えるので、賃貸契約を延長しようかちょっと悩む。

 まあ、卒業式は1ヶ月後だからな、もう少し考えるか。

 

3月某日

 なにを、どう書けばいいのか…………。

 事実だけを誠実に書こう。


 シェスカがカフカさんと部屋を訪ねて来た。

 結婚する、と。

 嬉しそうに頬を赤らめたシェスカはやっぱり可愛かった。けど、下腹部に手を当てた時は、母親の顔で幸せそうに微笑んだ。

 

 あんな幸福を噛み締めている表情を前に何をどう言えと?

 でも、その笑顔に未消化の想いが消えた。

 おめでとうってちゃんと言えた。

 俺らの妹泣かせたら殴りに行くからなってカフカさんに言ってやった。



3月某日

 卒業式も終わり、アパートの荷物も片付けた。

 そう、ここを引っ越す事にしたんだ。

 新しい場所で頑張ろうって思ってさ。


 3年間暮らしたアパートを去るのはちょっと寂しい気もしたが。カシェさんやシェスカ、腰が痛いだろにクレンさんまで見送りに着てくれた。もちろんマイラさん夫妻も他の2階組みも。

 いいアパートで暮らせて良かったなって思える。

 カフカさんも当然のように――― 当然なのか。シェスカの横に立って見送ってくれた。

 いつでも遊びに着てねってシェスカが笑う。その様子は変わりなく可愛い。

 俺は幸せにって笑ってアパートを去った。



 シェスカ、本当に幸せになってくれよ。



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