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20/25

彼と彼女のそれからは?

ディクリスとビアンカ



 2月。雪解けまでにはまだ後数ヶ月はあり、数日振りに雪が止み晴れた今日も耳が痛くなる程寒さは厳しい。とはいうものの、寒いと言って四六時中屋敷に篭っていたら気が滅入ってしまう。

 ただでさえ、この3日はふとした拍子に気持ちが沈みそうになるのだから、天気の良い今日、庭園を散歩するくらいの気晴らしはしておきたい。

 雪水が滲み込まない加工を施している皮のブーツに、裾が汚れないように踵より少し上の丈の若草色のドレス。そして暖かな狐の毛皮の外套に身を包み、ビアンカは案内役の侍女カミュと護衛役の魔法師の青年ルーカスと連れ立ち冬薔薇が咲く庭を散策していた。

 雪に覆われた庭園は領主が所有する森へと続いており、圧巻されるほどの広さと美しさがあった。

 

 ここはザントール領領主の屋敷。ディクリスの、言ってしまえば実家である。

 去年の夏の初めに婚姻を申し込まれて以来、ビアンカがほとんど知らない内に話は進み、今年の春に結婚することになっていた。

 そう、ほとんど知らない内に。

 ビアンカとて貴族でなくとも良家の子女である。顔も知らない相手との結婚も覚悟していたし、愛だの恋だのが入り込むなど、ただの一度も考えたことなどない。

 利害関係をゼロに出来るほど、世の中の仕組みは甘くない。その程度のこと聞かずとも分かっている。が、この結婚に関しては愛だの恋だのがどうやら入り込んでしまっている。らしい。

 忌々しげに『らしい』と付け足したのにはビアンカなりの事情が、心情がある。

 ここまでのやり様がどう考えても。

(ただの政略婚じゃなくって?)

 なのである。

 ビアンカの実家はビュードガイア国内でも実力のある商会だ。輸入出業にも手を伸ばし業績も一気に伸びている。成り上がりではなく土台もしっかりしている。

 ディクリスからの正式な求婚があるまでは、持参金目当ての爵位持ちからの求婚も後を絶たなかった。漠然とだが、何処かの貴族との結婚はビアンカ自身も考えていた。

 ディクリスとの結婚も自由恋愛というより利害関係の様な気がとてもしている。

 ザントールは海に面してはいないが、物流の主要路があるのだ。王都に物資、主に農作物を運ぶにしても、王都に集まった物資を地方に運ぶにしても大概この領地を通る事になる。避けようとすれば山越えが待っている。

 物と物の行き来。金になる事。

(まあ、利害関係なく嫁ぐよりは肩身は狭くないかしらね)

 ビアンカはそんな事を考えながら、柔らかい家業の営業時に浮かべる笑みを、カミュとルーカスに向けた。

 ビアンカと同年齢くらいのカミュは丁寧に小腰を屈め。

「ビアンカ様。これ以上はお体が冷えてしまいますわ。温室に午後のお茶の支度をさせておりますゆえ、どうぞそちらへ」

「ええ。そうします。ありがとう」

 と、ビアンカは疲れを感じさせない笑顔で答えた。


 ビアンカは3日前に領地入りした。ディクリスの両親と妹への挨拶の為に。

 そして未だに晩餐にも呼ばれず、目通りすら叶っていない。

 急な仕事が入ったとの事でディクリスとも会っていない。彼は今王都だ。2、3日は掛かると連絡だけがあった。

 仕事に対して愚痴を言うつもりは毛頭ない。軍の、国の仕事を捨て置いて来られるほうが「貴方馬鹿ですの?」と殴り付けなくてはならないだろうし、十分過ぎる数の侍女も護衛も手配さていたのだ。ディクリスに文句など言いようがない。

 それでも。

 ビアンカは手に息を吹きかける真似をして、溜息を付いた。

(ここまで歓迎されていないと、流石のあたくしでも腹が立ちますわね)

 予定している持参金を上乗せしてやろうかしら? と考え、赤字経営の領地ではい事を思い出し、金貨の袋で叩いてさしあげられないわと、ビアンカはまた溜息を付いた。

「まあ、素晴らしい温室ですわね? あのお花は東国の物ですわね?」

 こちらで頂くお茶はとても素敵でしょうねと、ビアンカは家業で培われた微笑を惜しみなく披露した。


 そして、その日の夜もディクリスは帰らず、ビアンカは一人、客室で夕食を摂った。

 亡母から譲り受けている土地も持参金に付けてやろうかしら? とかなり本気で考えた。


   ***


 ビアンカは朝の支度はほとんど一人で行う。洗顔の湯を持ってきて貰ったり、一人では到底着られないドレスなどの場合は手を借りるが、それは来客がある時だけだ。

 しかし、当然といえば当然、ザントール領に来てからは、ほぼ全て侍女の手で行われている。

 のだが、朝くらいは愛想笑いなくゆっくりしたいと言うのがビアンカの本音だ。

 侍女3人がかりで着付けされ、髪を結い上げられたビアンカはぐったりしそうになりながら、ぴんと背筋を伸ばし、無い食欲を総動員させて朝食を食べた。

(慣れるしかないですわね。まったく! あの男ときたら呼びつけておきながら音沙汰なしとはどういう了見ですの!)

 カミュが淹れた濃い目の紅茶を口に運びつつ、ビアンカは4日目の朝から心の中で毒づいていた。

 どうせ今日も「体調が優れない」という子供の様な理由で挨拶も出来ず「お部屋でお寛ぎください」などと言われた。きっと昼食も夕食も一人だ。

 溜息くらい好きに好きに付かせてほしいというのに、カミュには四六時中張り付かれ、ルーカスには護衛に託けて見張られるのだ。

(何か失敗でもすれば、きっと領主に報告されるでしょうね)

 ディクリスが帰ってきた暁には、ご苦労様でしたと労う前に罵詈雑言を浴びせなければ気がすまない。

(と言っても。領主も奥方も妹も、使用人たちには好感もたれているのよね)

 それが腑に落ちない。

 平民を見下している人種ならば、ここまで使用人たちが世辞なく褒めるだろうか?

 昨日散策した庭も温室も細部まで美しく手入れがされていた。庭師や掃除婦が手を抜いていない証拠だ。

 手抜きしていないという事は、彼らの主がきちんと細部まで眼を通しているからだとすれば、使用人たちも主が正しく評価する事が分かっているから手を抜くことなく仕事をしているという事になる。

 そうでなければ人が気付き難い所で怠ける者が出てくる。出てくればあんなにも美しく整えられていないだろう。

 そうして対外的に観察した所、未来の義理の家族に対するビアンカの評価はまずまずだ。

 実際接してみなければ分からないことの方が多いのだが。

(いつになったら会えるのかしら。反対はされていないなんて、全身で拒否されていてよ。馬鹿男っ!)


 ビアンカはカミュと上滑りの会話を続ける。

 お喋りは好きだ。だのに、日に日に楽しくなくなっている。

 艶のある自慢の赤毛も何だかきしんできた気がする。

 ビアンカは微笑を浮かべる。その時、客室の扉が一度叩かれた。

 カミュが対応し、花束を抱えて戻ってきた。

 それを見てビアンカは、口元だけで、笑った。

「あの、ビアンカ様」

 カミュは言い難そうに顔を伏せた。それを見てビアンカは、今度はちゃんと笑ってやる。

「カミュが気に病む事ではなくってよ。花瓶はどこかしら? 飾ってくださる?」

 小首を傾げるビアンカに、カミュは「はい」と答え部屋を下がった。


(今日中に馬鹿男が帰って来なかったらラインザルに帰ろうかしら?)


 あの花束は、ビアンカから領主たちに贈った見舞いの品だった。


   ***


 ビアンカはここに来て4度目の昼食を、宛がわれた客室で取る。

 忘れてはいけない事は笑顔で給仕等の下働きを労う事だ。過度な言葉は必要ない。ありがとうと、去り際にでも一言掛けるだけで印象は変わる。

 小技だろうが使用人からも総すかんなど御免こうむりたい。

 だからビアンカはにっこりと笑う。疲れていても笑う。青筋が浮きかけても笑う。ここには居ない馬鹿男の顔面に蹴りを入れたくなってもにっこり笑う。口にも表情にも出さない悪態など可愛いものだと思う。

 だから、カミュの何気ない言葉にも笑顔で答えられる。

「ビアンカ様。こちらにはもう慣れましたか?」

「ええ。良くして頂いておりますもの」

 ああ、なんて不毛な会話!

「ディクリス様もきっともうお戻りになられますわ。心細かったのではありません?」

 まったくそんな事はなくってよ!

「そうですわね。早くお戻りになられないかしら?」

 理不尽だろうが何だろうが無性に引っ叩いてやりたい。

(でも、本当にこのまま放っておいたら、あたくし拗ねてしまいますわよ?)

 そんな事をふと思ってしまい、ビアンカは眉を顰めた。

 まるで自分がディクリスを待ち侘びているいるようではないか。

「まあ、ビアンカ様。その様なお顔をなされてはいけませんわ」

 と、カミュにそっと頬を触られた。

「? ええ。そうね?」

 何か、違和感を感じたのだが、それがどこから来るものなのか分からずに、ビアンカは首を傾げた。

 カミュはビアンカの疑問には気づかずに。

「午後からは西の塔を散策いたしますか?」

 そう提案する侍女に、ビアンカは「そうね」と答えた。


 茶器を片付けるカミュを、その一点を見つめて違和感の正体を知り、ビアンカは自身の考えにげんなりした。

 流石に飛躍しすぎであるし、意味が分からない。

 領主の屋敷へ行儀見習いとして奉公に上がったのであれば、荒れていない手は可笑しくは無い。良家の女子であれば……。

 ビアンカは部屋を出て行くカミュを見送った。馬鹿げた疑問は胸に仕舞って。


   ***


 カミュが先を行き西の塔へとビアンカを案内する。そして後ろには護衛のルーカス。

 ルーカスはいつ見てもぎゅっと口元を引き結び、話し掛けても一言二言しか返してこない。彼は時期ザントール領領主であるディクリス個人の部下であるらしい。

(あんな男が領主だなんて、貴族の世襲制はやはり見直すべきですわね)

 ビアンカはカミュからの塔についての説明を聞き流しつつ、ぼんやりとカミュの後を付いて回る。

 壁は見目良いタぺストリーや絵画が掛けられ、品良く並んだ飾り棚には宝石で彩られた茶器や花瓶などが飾られていた。

「御領主様は骨董品がお好きですのね」

 ビアンカはにっこりと笑いながら会ったことのない領主の趣味を褒め、湖が描かれた一枚の絵を見つめて、これには本心から「素敵な絵ね」と感嘆とともに呟いた。

  少し、和んだ気がする。

 ディクリスが帰ってきたら、口喧嘩はせずに話をしようと、そう思えた。

「ねえ? カミュ。ディクリス様の御家族は、あたくしが嫌いなのかしら? それとも平民が?」

 後者であればまだ当たり障りなくやっていける自信はある。だが、ビアンカ自身を毛嫌いしているのであれば?

(跡取りの男児を産めなければ、お払い箱ね)

 何気なく呟かれたビアンカの言葉にカミュとルーカスは顔を見合わせた。眉根を下げて視線を外す。

 ビアンカはそんな2人の反応に「戯言だわ。気にしないで」と苦笑した。


「あ、あの、ビアンカ」

「あら? あれは?」

 カミュが遠慮気味に掛ける声とビアンカの怪訝な声が重なった。

 ビアンカは目を凝らして、回廊の先にある物を見る。そして、そちらに向かおうと足を進めたビアンカをカミュとルーカスが止めた。

「ビアンカ様。お部屋へ戻りましょう!」

 カミュが体ごと先回りしてビアンカを通せんぼする。

 ビアンカは怪訝に首を傾げた。

「何ですの? あそこ、床の上に何か割れていてよ? ご領主様の収集品ではなくって?」

「そ、そのようです。そうですっ、すぐに管理の者を呼びます! ですからビアンカ様はお戻りください」

「カミュ、もう――」

「ルー。でも」

「何ですの?!」

 これ見よがしのカミュとルーカスの遣り取りに、ビアンカが少し不満げな声音で割って入る。

 回廊の先から、ビアンカたちに向かい足音が近づいてきた。

 塔の、収集品の管理者だろうか?と、そう思っていたら姿を見せた者は、50代中程の男性だった。

 着ている物は上品で質良くその身を飾っている。

 ビアンカが、彼が領主だと直に分かったのは雰囲気がディクリスと良く似ていたから。

 此方へと片眉を上げて近付いてくる未来の義父からビアンカはカミュへと視線を移す。カミュもルーカスもとても困った顔をしていた。

 その様子を不思議に思いつつもビアンカは近づく領主へと道を空け、(こうべ)を垂れた。

 傍まで来た靴音が止まった。少し涸れた低い声は加齢の為だろう。若い頃はこの声もディクリスと似ていたのだろうと思える。

「この飾り皿はどうして割れているのかね?」

 そう聞かれ、ビアンカは顔は上げずに目線だけでカミュを見る。そして、ルーカスは兎も角、カミュの姿勢に目を細めた。

「どうして割れているのかと、問うているのだが?」

 口角を上げ、ザントール伯は言う。

 ビアンカはすっと、背筋を伸ばし。目を瞑ったまま笑い出しそうになるのを堪えた。

 さて、どう出るか、が問題だ。そう思いたい。

 人が思いもしない事、まさかこんな所で? と思ってしまう場所で予想外の事をされたら、もう笑うしかない。

 ビアンカは心の中で誓った。必ずディクリスを殴り飛ばす。と―――。

 ビアンカはにっこりと花の様に微笑んだ。

 ザントール伯もルーカスも、同姓のカミュも思わず見とれ、はっと居住まいを正す。

「お初に御目見得申し上げます。ザントール伯閣下。あたくしはポドナ・ギールの娘、ビアンカ・シア・ギールと申します。ええ、閣下の御子息であられるディクリス様の婚約者です。きちんと挨拶も出来ずにとても心苦しく思っておりましたの。『偶然』と言えどお会い出来て本当に良かったですわ。御風邪を召されていたと聞いておりましたが、お顔の色も良い様でなりよりですわ。所で、そこで割れているお皿ですが、あたくしたちが通りかがる前から割れていたと、どの言葉で伝えてもお聞き入れはされませんでしょう? ならば、どう言いつくろうと同じこと」

 ビアンカはほぼ一息で言い切り、割れた皿が飾られていたのであろう、飾り棚に近づき、金と銀とに縁取られた絵皿を一枚手にし、見せ付けるように確実に割れるように、絨毯が敷かれていない石床がむき出しになっている箇所に落とした。

 ザントール伯たちは一様に目を丸くして絶句した。ビアンカは気にもしていないという表情のままドレスの腰帯から護身用の短剣を取り出し、柄をザントール伯に向け、膝を付いた。

 戸惑う伯にビアンカは目を細めて白い項を差し出した。

「これはあたくしが割りました。1枚も2枚も同じこと。そう思いませんこと? どうぞ?」

(やれるものならやっておしまいっ!)

 ビアンカは内心、自棄くそ気味にそう叫んだ。

 慌てだしたのはザントール伯たちだ。

「いや、あの」とか「遣り過ぎましたわ」とか「あっ」とか3人それぞれ口にする。

 ビアンカは膝を付いた姿勢のまま、額に青筋を浮かべた。顔は伏せているので伯たちにはビアンカがどういう表情をしているのかは見えていない。

 微かに身を震わせているビアンカにザントール伯は「ビ、ビアンカ嬢」とおろおろし出した。

「何やってんだ?」

 と、ビアンカの耳に聞きなれた男の声がした。

「か、帰ったのか?!」

「お兄様っ。こ、これはその」

「ディクリス様」

 軍服姿のままのディクリスは、割れた陶器の破片と跪くビアンカと父親と妹と側近を順に見て。

「何やってんだ?」と、もう一度聞いた。

 女の低い声でふふふと笑い声が聞こえ、全員がビアンカに目を向ける。

 ビアンカはさっとドレスの裾を捌きながら立ち上がり。

「ふふ。おーほっほっほっほっ!!」

 突然高笑いしだしたビアンカに、ディクリス以外は戦慄した。ディクリスは意味が分からず婚約者の少女をぽかんと見た。

「何を? 何をやっているのかですって? あたくしから御令息に答えても宜しいでしょうか?」

 こくこくとザントール伯は頷いた。

 ビアンカはにっこり笑って。

「ありがとうございます。では、間違いがあれば、仰ってくださいませね!

 大方、興信所で調べたあたくしの事と実際に接したあたくし、どう違うか直接様子を見たかったのではありません? ええそうでしょうね。ですから侍女としてご令嬢があたくしに付いたのでしょう? 何故? 何時気付いたかですって? 手を見れば分かりますわ! 侍女の手がこの時期にまったく荒れていないなんておかしいでしょう? ああ、それでですわね? お見舞いの花を返された時に俯いていたのは嘘の表情を隠す為ですわね!

 先ほどの、ザントール伯様がお越しになられる前に、あたくしをこの場から帰そうとしたのは良心の呵責からかしら? そうですわね、確かに少し遣り過ぎですわね!

 でも、納得はしましたわ。人間、好意を無下にされたり、意地悪をされたら隠れた所で本心が出ますものね? あたくしがどう出るか、確かめたかったのではなくて?

 この絵皿も難癖付けて侍女に意味の分からない責任を押し付けるかどうか見たかったのでなくて?

 それで、伯から見たあたくしは次期領主の正妻には相応しく思えましたかしら?

 ああ、安心してくださって、あたくしが割った絵皿は盗難対策用の贋作ですから!」

 呆気に取られている家族をディクリスは半眼で見やる。

「まさか、母上まで一緒になって?」

「いえ、お母様は本当に流感で。えっと、それでお父様が思い付いて……」

「いや、ちょっと、息子の嫁がどんな女性なのかっと、お、親心?」

「ご家族のお気持ちは理解できますわ」それよりと、ビアンカはディクリスに向き直る。

「遅くってよ! 呼びつけておきながら何日待たせますのっ?」

「いや、悪い? それより、今一状況が分かってないんだが?」

「頭を総活動させなさいっ!」

「え~と。俺の家族、お茶目だろ?」

 言われビアンカはぐっと言葉を詰まらせた。

「考えた答えがそれですの?」

「あ~。俺が居ない間に仲良くなったみたいだな?」

「ディクリス」

「ん?」

「大人しく。今すぐ。蹴られなさいっ!」


 ちなみに仕事で徹夜していたディクリスは、騒ぎを聞きつけ駆けつけた母親がその場を治めるまでビアンカから逃げていた。

 ディクリスは落ち着いてから父に改めて状況を聞き、ビアンカの変わりに拳骨を落としておいた。

 

   ***


 その日の夜は(当たり前と言えばそうなのだが)ザントール伯より晩餐への招待状が届いた。

 そして正真正銘の侍女の手に寄って支度を整えられて、ビアンカは食堂へと向かう。

 高く結い上げた紅の髪には真珠が品良く飾られ、落ち着いた色合いの藍色のドレスは胸元から長い裾までの色合いを段階的変化させており、動く度に縫い付けられた小さな水晶が光に反射し控えめだが美しさを誇示していた。

 ビアンカの姿に満足げに笑うディクリスを見て、ビアンカは少しむっとした。

 彼の為に美しく装っているのではない。と言えるのなら言いたい。


 晩餐は問題なく穏やかに過ぎた。

 妹のカミュが後妻の連れ子だと言う事も聞いた。道理で、容姿や雰囲気だけで兄妹だと気付かなかった訳だと、ビアンカは1人頷いた。

 ザントール伯曰く「つい、ちょっとした悪戯心」についてはディクリスと奥方から制裁を受けたと聞き、ビアンカは呆れ顔を隠しながら笑って流した。

 とりあえず、舅姑との争いはせずに済みそうだ。


 食事が済み、本来ならば夜10時頃に女主人である領主の妻の自室でお茶を頂くのだが、此方は本当に熱で臥せっており(騒ぎに駆けつけたことでまた熱発したらしい)ビアンカは新しく用意された部屋へと下がった。

 先に宛がわれていた客室よりも室内の調度品が女性向けに設えられており、落ち着いた雰囲気の中に可愛らしさがあった。

 

 ビアンカは色々と疲れた体を湯に沈める。湯浴みを手伝う侍女が髪を洗い、頭皮や指先を揉み解していく。

ビアンカは、ほうっと息をつき眠そうに瞼を閉じた。

 化粧水と乳液を全身にすり込まれ、魔法師らしい侍女に髪を乾かされる。

 薄絹の夜着の上から毛織物の丈の長いゆったりとした室内着を羽織り、のんびりと暖炉の前で茶を飲んだ。


 此方に着てから初めて落ち着いて飲んだ茶に、自然口元が緩んだ。

 早めに寝てしまおうかしら? とビアンカが考えていた時、部屋の扉が叩かれた。

 ビアンカは眉を顰めて「今度はなんですの?」と呟き、侍女が全て下がっている為、渋々立ち上がり扉を開けた。

「……なんですの?」

 ビアンカは似たような姿のディクリスを見上げて言う。

「何って、今後の話とか?」

「……どうぞ」

 追い返そうかとも思ったが、あまり意味が無い様に思え、ビアンカはディクリスを室内へと案内した。

 羽織った毛織物の上から肩掛けを巻き付けて、ビアンカはディクリスに茶を淹れてやる。

 そういえば、こうして向かい合って話すのは久しぶりだと思い当たり、ビアンカは我知らず溜息をこぼした。


「親父たちが迷惑かけたな」

「ええ。本当に」

「お前の事は随分気に入ったみたいだぜ?」

「そう。良かったわ」

「この部屋はどうだ? 内装が気に入らなければ好きに替えればいい」

 そう言われビアンカは、この部屋が婚姻後の自分の部屋になるのだと知った。

「ええ。そうしますわ」

「んで、先に届いてた荷物はビアンカの好きにしろ」

「ええ。そうし――― え?」

 荷物? とビアンカは首を傾げた。

「あれはお前の財産だ。増やすも減らすも好きにしろ。後な、急で悪いんだが、領内の小児病院の慰問を2ヶ月以内で終わらせてほしい。公務だよ公務。それから」

「ちょっと待って。荷物? 財産?」

 それって……持参金?

 持参金が今あるという事は、これは、挨拶訪問ではなくて。

「あたくしたち、足入れ婚ですの?」

「あれ? お前の親父さんからの提案だったんだが。知らなかったのか?」

「聞いてませんわよっ?! なんですのそれ!」

「何って事実婚? 大っぴらな同棲?」

 首を傾げて答えるディクリスにビアンカは噛み付いた。

「意味を尋ねているわけではなくってよ! 何なの! この吃驚箱の様な結婚は! それより貴方はそんな大事な日に4日も遅れるなんて誠意かなくってよ! 手紙の1つも寄越すべきではなくって?!」

「寂しかった?」

「馬鹿じゃなくって! ああもう! で、それからなんですの?」

 ビアンカはぐったりとソファーにもたれ掛りながら冷めてしまった紅茶を飲んだ。

「ん? ああ。体調は? 平気か?」

 ディクリスはそう問いながらビアンカの手から空になったカップを取り、テーブルに置いた。

 ビアンカは怪訝に首を傾げる。

「あたくしより貴方こそどうなの?」

「俺? 夕方に1時間くらい寝たから平気」

「そう」と答えながらビアンカは何と無く気まずく、視線を泳がせた。

 ディクリスはビアンカの髪を一房手にとって、口付ける。

 いい香りだなと言われ、ビアンカは身を引いた。

「ドレスも良く似合ってたぜ。髪の色も肌の色も綺麗に栄えてた」

「……そう?」

 ディクリスはビアンカの髪をつ掴んだまま、じっとビアンカを見つめて笑った。

 ビアンカは、ディクリスが醸し出す妙な色気に顔を引き攣らせた。


 足入れ婚。今日って初夜?


「お疲れなら早く寝たらいかがかしら? あたくしももう休ませて頂きたいわ」

 じりじりとビアンカはソファーを移動する。が、髪を持たれていてあまり離れられない。

「早く? んな勿体無い」

 ディクリスはつんつんとビアンカの髪を引っ張りながらそう答えた。

「何がですの……っきゃ」

 腰を引かれたかと思ったら肩に担がれた。ビアンカの視界が一瞬反転する。

「あたくしは荷物じゃなくってよ?!」

「知ってる」

「勝手に足を触らないで!」

「足触っていいか? 腕触っていいか?む」

「馬鹿男っ!」

 真っ赤になりながらビアンカは抗議の声を張り上げる。

 ディクリスは気にする事無く寝室の扉を開けて、広いベットにビアンカを下ろした。


「…………」

 ぱしっ。

 ぺしっ。

「……………………」

「……………………」

 ぱしっ。

 ぺしっ。

「……………………」

「……………………」

 ディクリスはビアンカの腕を取ろうと手を伸ばす。

 ビアンカは両足に力を入れて足元にずり下がり逃れる。そして、さっと体を反転させて乱れた夜着の裾を直した。

 ディクリスは腕を伸ばしてビアンカの細く引き締まった足首を掴み引き寄せた。

 シーツに皮膚が擦れてしまいビアンカは「っつ!」と痛みに眉を顰めた・

「っと。悪い」ディクリスはぱっと手を離した。

 ビアンカはばさっと肩掛けを外してディクリスに被せ視界を塞ぎ、すぐさまベッドカバーも被せて逃げる。が。

「ちょっと?! 転移するなんて卑怯ですわよ?!」

 ビアンカの真後ろに移動したディクリスは、ビアンカの腰をさらってもとの位置に組み敷いた。

「……………………」

「……………………」

 ぱしっ。

 ぺしっ。

「……………………」

「……………………」

 ぱしっ。

 ぺしっ。

「……………………」

「……………………」



 しばらく2人は睨み合い。

 

「眠い……」

「あたくしもよ」

 そう言って、お互いがお互いに譲歩しあい、結局ただ睡眠を取って朝を迎えた。


 この2人の正式な結婚まで後約4ヶ月。

 愛の言葉の囁き合いはなくとも、それなりに仲は良い。ようである。


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