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第二話 あたりまえに大切なこと

第二話 あたりまえに大切なこと


 北大陸一の魔法王国。ビュードガイア王国西部フィール海地方ラインザル町。

 北にロン山脈をのぞみ、山のふもとでとれる質の良い鉄やフィール海で獲れる魚介類や塩が集まり、それらの加工工場や女性の内職として浸透しているシェール織に緻密な刺繍細工、高等教育が受けられる学園もあり若者も多く、職人も多い。そんなあかるく活気があふれる町。

(明るいのも、活気があるのもいいのですが)

 王都シェールから引っ越してきて、もうすぐ1カ月。鉄色の短い髪とはしばみ色の瞳の青年はアパートの自室でちょっと困っていた。

 先日買った長椅子には隣人が丸まって寝ている。

「とりあえず……」

 もう夜も遅い……明日、大家に相談に行こう。

 ヴィルブラインはため息とともに、自分も寝ることにした。それ以外何ができる?


***


 塩と水で練った小麦の生地に炒めた玉ねぎにひき肉、パン粉に香草を手際よく包んでいく。あとは鶏のだしで煮込むだけだ。じゃが芋とレンス豆のスープもよし。

 昼食の支度をしながらシェスカは戸口で立っているヴィルを横目で見ながら。

「オーデルさん家の夫婦喧嘩はもうあれね、恒例行事よ」

「恒例行事……」

 そんな恒例行事はいやだな、と心底思う。

「で、毎回だんなさんが追い出されるのよ。今まではたいてい勤め先の親方の家に逃げてたみたいだけど」スープをかき混ぜる手をとめて「隣室だし、ちょうど行きやすかったのよ」

 こともなげに言われて、ヴィルはどう返せばいいのかわからなかった。

(これからずっと夫婦喧嘩のたびに、家出先にされたらどうしよう)

「ねえ?」

「はい? なんです?」

「入って座ったら? 玄関にずっと立っていられたら気になるわ」

 言われてヴィルは目線だけで部屋を見る。今は昼食の準備をしているシェスカしかいない。

 それでなくとも女性 ― 1人は70歳を過ぎた老女だが ― しかいない家なのだ。シェスカが年頃の娘ということもあり、上がりこむのは気が引ける。

「―― いえ、さすがにちょっと」

「奥の部屋におばあちゃんいるわよ。母さんは教会の診療所におばあちゃんの薬取りに行ってるけど、もうすぐ帰ってくるし」

 豚の腸詰めを茹でながら言うシェスカにヴィルは。

「いえ、もう昼どきですし」

 帰りますと言いかけて、近づいてきたシェスカから。

「はい。煮物、味見してくださる?」

 と、湯気の立つ小皿を差し出され、思わず受け取る。 

「……おいしい」

 絶妙の塩加減。

 素直なヴィルの賞賛の言葉にシェスカはにっこり笑って。

「お昼、食べていきます?」

 ―― なんだかわかりやすく、にこにこしているシェスカに。

「……なにか、あるんですか?」

 ちょっと警戒しながらヴィルは聞いた。

 かわいらしく首を傾げながらシェスカは、女所帯って大変なのよねぇとしみじみ言って。「今日でも明日でもいいから薪割り手伝ってくださいませんこと?」


***

 

 薪割りって結構、背中と腹筋にくる。

 ヴィルは腰をさすりながら、夕食用にとシェスカの母 ― カシェが持たせてくれたスープとパンで夕食をとる。

 もうすぐ一日が終わる。寝室に備え付けられている机の引き出しから、たたまれたリネンのハンカチを取り出す。飾り気のない白地に縁を黒っぽい糸でかがっている。

「…………」

 魔法師であるヴィル自身の血で染めた糸 ―― その糸で縫い取ったハンカチそれ自体が一種の術具になる。

 声に出さずに名をつぶやく。

 こんこん、と叩かれる音に思考が止まる。玄関からだ。

(誰でしょう? ってまさか)

 ハンカチをしまい、玄関に向かう。はい、と言いってなんとなく覚悟をしてドアを開けたら、ほとほと困った顔をした隣人、ケフマン・オーデルが「どうだい? 一緒に飲まんか?」と酒瓶片手にやってきた。



「あの……」

「ん? ああグラスが空じゃないか、飲め飲め」

 言って苦味のある麦酒をあふれるほど注がれる。ちなみにさっきまで飲んでいたウォッカは空瓶になってテーブルの上にころがっている。このオーデル氏、かなりのザルらしい。見た目も話し方もしらふと変わらない。

(すごいですね……ってちがう)

「あの、ぶしつけでもう分けない。いいのですか?その、家――」

 夫婦喧嘩はどうなった?

「―― ふぅ」

 オーデル氏は深いため息とともに。

「女はわからん。まったく話を聞いてくれん……」

 あ、しまった、と思ったが遅かった。ヴィルは一晩中オーデル氏のヤケ酒に付き合うことになった……。


***


「はい、お水と薬」

 やれやれ、といったふうのシェスカからヴィルは薬茶を受け取り一気に飲んで、冷えた水で口の苦みを流す。数年ぶりに飲んだ二日酔いの薬はやっぱりすごく苦かった。

「すいません」

「オーデルさんに付き合わされたんでしょう? 薬持って行ってやってほしいって頼まれたのよ」

「そのオーデ、うっ……」

 ヴィルは長椅子から起き上がろうとして、酒の吐き気に再び寝転がった。

 シェスカはそんな様子のヴィルを見て、些か呆れた気持で息をつく。

 どうして男の人はたまに加減をわすれるのだろう―― と。

「そのオーデルさんはちゃんと仕事に行きました。で、なにか聞けたの? なんか今回はマイラさん、奥さんね。一言も愚痴言いに来ないのよねぇ」

 言いながらシェスカは空になったコップを受け取り、さっとすすいで片付ける。

「奥さんって、いつも喧嘩のあとは大家さんの所に?」

 長椅子にぐったり横になりながら聞くヴィルに肩をすくめてシェスカは答える。      

「ほぼ毎回」

 台所から椅子を運んできてシェスカはヴィルの横に座わる。

「昨日、仕事から帰ったら『いろいろ考えたい、顔を見たらどうなるか分からない』って言われて家に入れなかったそうですよ。訳が分からないって言ってましたけど……」

 うーん、と考えながらシェスカは言う。

「口を出すことじゃないのはわかってるんだけど。マイラさん憔悴しきってるっていうか……様子がね?変なのよ」

 大丈夫かしらと心配気味のシェスカに、ヴィルはのろのろと起き上がりながら。

「まあ、御夫婦の問題ですし、長く一緒にいれば行き違いも出てくることもあるでしょう。話を聞いてあげるだけでもすっきりする事もあるでしょうしね」

「……そう、よねぇ。さっき母さんがマイラさん呼びに行って、お茶してるはずなの。本当、話してすっきりしてくれたらいいのに」

 他人事なのに本当に仲直りしてほしくて悩んでいる少女にヴィルは優しく言う。

「なんとかなるものですよ? 盛大に喧嘩しても結局仲がいい夫婦も多いですし」

 そうよね……とつぶやくシェスカに、ヴィルは思い出したように。

「そうだ、シェスカに頼みたいことがあるんですが」

「なに?」

「刺繍の仕事って個人からでもお願いできるのですか? ハンカチになにか、花とかを入れてほしいのですが」

「ハンカチに?」

 ええ、と答えるヴィルを見てシェスカは仕事の予定を整理する。

「んー凝った物じゃなければ今週中には、ほら、来月には森の女神祭があるでしょう? 祭り用の刺繍が追い込みなのよ」

 夏の終わり、短い秋の恵みを感謝し豊穣豊作を願う祭りだ。色とりどりの衣装には恵みの森の女神、ギーナ神への祈りの言葉が刺繍されている。

 シェスカの刺繍の腕前はなかなかのもので、注文数もかなり多い。

「ええ、十分です。材料はお渡しします。糸と針とハサミはそれ以外使わないでほしいのですが、縫えますか?」

 まかせて、とシェスカは胸をはった。

 

 

 まかせて、と言ってシェスカは材料を受け取ってアパートを後にする。庭をはさんで母屋である自宅がある。石壁はかなり傷んできている――。

(注文分を全部終わらせたら、壁の修理費はどうにかなるわね)

 本当は去年修理したかったが、費用を貯めきれなかったのだ。

 アパートを経営しているといっても、8室中5室が苦学生なのだ。母の意向でかなり安く貸し出している。アパートの維持費を算出するので手いっぱいだった。

 一番大きな部屋をこちらの言い値で借りてくれたヴィルには感謝している。その分、母の内職を減らせることもできた。

 父がシェファ大戦で戦死し、軍から支給された幾ばくかの戦死手当だけでは一冬、口をしのぐだけで精いっぱいで、アパートを手放さなくても済むように、母は懸命に働いていた。苦労を口にすることは一度だってなかった。『へっちゃらよ』と明るく笑う母に助けられながら、当時は今より体が動いた祖母とともに9歳だったシェスカも頑張った。

 シェスカの刺繍は名手と言われた祖母クレン直伝だ。

 父が死んで1年後に戦争は終わった。

(刺繍か……)

 なんだかつまらない。魔法師の彼にはもう花の刺繍のハンカチを贈る相手がいるのだ。

 シェスカは軽く首を振って思考を切り替える。

(仕事仕事仕事)

「ただい―」

 ま、まで言えなかった。母とお茶をしていたマイラ夫人が。

「―― が、子供が出きたって家まできたのよぉ!!」

 うわあん、と声を張り上げて泣き叫んでいた。

 必死で母がなだめている。

 シェスカは玄関の扉を閉めることも忘れて、しばらく立ち尽くした。

「…………」

 なんだかぜんぜん大丈夫じゃないみたい……。


***


 ガタガタ、と揺れる乗合馬車の中で二十歳ほどの娘は不安げな面持ちで、隣にいる青年に語りかけた。

「ねえ、ランツ。本当に大丈夫かしら?」

 あの時はとても緊張していて上手く話せなかった。あれではまるで不審者だ。

「もちろん、大丈夫さ。きっとびっくりしすぎたんだよ」

 ランツと呼ばれた、娘よりは幾つか年かさの青年は笑顔でうけおう。

「ほら、もうすぐだよ」



 もうすぐ、決戦がはじまる。

 場所はフォンボルト家の食堂。4人掛けの木のテーブルを挟んで向かい合っているのはオーデル夫妻。審判役はシェスカの母カシェ。

 沈痛な面持ちの3人を固唾を飲んで見守るのは、シェスカとヴィルブライン、ケフマンが勤める鉄細工工場の雇い主とその妻とオーデル夫妻と付き合いの深い友人3名。

(どうして、僕がここにいるのだろう)

 大変なの! ヴィルさんも来て! とシェスカに呼ばれて、何事かと来てみたら―― その場はピリピリと凍りついていた。

 こほん、とカシェが咳をひとつ。いよいよ始まるのか、と全員が固唾をのんだ。

「教会にね? 行く前にやっぱり、お話しし合ったほうがいいと思うのぉ。お互いにね? 落ち着いてお話しましょうね? ねえ?」

 間延びした、緊張のかけらもない声で―― 決戦ははじまった。

 次に声を出したのはオーデル氏。かなり焦った物言いで。

「きょ教会? なぜ教会など? 告解するようなことでもあるのか?」

「す、するようなことでもあるのかですって?! あるのでしょう!?」

「な、なにを言っとるんだお前は?」

「とぼけないで! ひどいわ!」

 夫が話せば夫オーデル氏を、妻が話せば妻マイラ夫人を、ヴィル達8人はハラハラしながら見守る。

「い、今までだって何回もケンカしてきたけど、それってお互いのこと理解し合う為とか、泥酔して帰ってお財布落としてきたりするからじゃない!? そりゃ私のわがままでケンカになっちゃう事も多いわよ? でも、でもこんな、こんな……」

 ぐっと泣くのを堪える30年連れ添った妻の姿に夫、ケフマン・オーデルは。

「お、落ち着け……何がどう」

「落ち着いてなんかいられるわけないでしょう!? 私今までこんな事になるなんて1度だって、それだけは心配したことなかったのよ? こんな、こんな、浮気されたあげく子供まで作られるなんて!」

「……は?」

 鳩が豆鉄砲を食らった顔とは、今のケフマンの事だろう。彼はそんな表情で固まっていた。

「浮気の心配だけは一度だってしたこと無かったのに……! そうね、あなた子供たくさん欲しいって言ってたものね。私、1人しか産んであげられなかったから……そんなに子供欲しかったの? 誰かがあなたの子供を産むなんて悔しくてならないわ! ああ、でももうどうしょうもないもの、でも他の女があなたの子を産んで育てるなんて我慢できないっ!」

 ぱかぁん、としている夫をよそに妻は思いの全てを言いつのる。

「―― てる。育てるわ。あなたが欲しがってたあなたの子だもの、私きっと愛せるわ!」

 外野の8人はどよめいた。別れ話になるのでは? と思っていた大半の予想を裏切った発言だ。

「でももうあの女の顔は見たくない!」

「ちょっと待てっ!!」

 放心状態だった夫は立ち上がり妻に詰め寄る。

「何の話だっ!?わしは浮気などしとらん!あの女って誰だ?何のことだ?」

「お、おとつい家まで来た黒髪の女よ! オーデルさんの子供が出来ましたって家まで来たのよ?!」

「ありえん!! わしはお前でしか勃たんっ!!」

 御歳53歳のケフマンは言い切った。


 し~~ん。


 なんとなく気になってヴィルは隣にいるシェスカを見た。意味が分からないのか赤裸々すぎてついてこれないのか、怪訝そうに首を傾げている。どういう意味かは聞かないでほしい、と心から願った。

「なあ、おいマイラ……お前、騙されてやせんか? あれだ、慰謝料出せとか、何か脅されたりはなかったのか?」

 オーデルは真摯な様子で妻に言う。

「え? い、いいえ『オーデルさんの子供が出来たので挨拶に来ました』って……わ、私……」

「マイラ、忘れんでくれ……あの時、駆け落ちを決めた時にわしが言ったことを――」

 その場に居た全員が目をむいた。

 ヴィルは小声で。

「駆け落ち?」

「あたしも初めて聞いたわ……」

 シェスカも唖然としている。

「覚えているわ、忘れたことなんかないわ」

 はらはらと涙を流しながらマイラ夫人は答える。


 

 鍛冶屋の息子と貴族の娘は偶然街で出会い、一目で恋に落ちた。

 誰からも祝福はされなかった。貴族の娘の父親は慌てて娘を嫁がせようとした。労働階級の身分も地位もない男に娘をやれるわけがない。2度と近づくな! と鍛冶屋の息子は貴族に逆らった罪でムチ打たれた。

 階級意識の強い父の逆鱗に触れた為に閉じ込められていた娘は、その身一つで逃げ出した。 恋した男に会うために。

 ムチで打たれた背中の傷は赤黒く腫れあがり、男は熱を出し倒れていた。 

 ごめんなさい、と何度も謝り泣く娘に鍛冶屋の息子は笑って言う。傷の痛みも熱の辛さも、いとしい娘の姿を見たら何でもなくなった。痛みも熱も恋の前では些細なことだ。

 ― 笑って……笑いジワのたくさんあるおばあちゃんになってほしい、君にはいつも笑っててほしいから……だから結婚しよう ―

 鍛冶屋の息子と貴族の娘は夫婦になる為に国を出た。



 ヴィルは関心した。恐妻家の呑み助の隣人と思っていたのに―― 事実そうなのだが。人間どんなドラマが隠れているかわからない。

「えっと……」小声でシェスカ「30年前?ってことは23と……マイラさん14?!」

「……大恋愛駆け落ち婚」

「あ、あのぉ……」

 玄関から遠慮がちに聞こえた声に10人全員が振り向いた。

「え、あ、すいません、ノックもしたんですけど、両親の話声が聞こえたもので――」

 全員に視線を向けられて、いささか身を引いた訪問者である青年を見て。

「ランツどうしたの? 突然帰ってくるなんて」

 マイラ夫人は驚き立ち上がる。

 誰ですか? とヴィルはシェスカに聞いた。

「息子さん。隣町で勤めてて、たまに帰ってくるけど……こんな時に」

 確かに間が悪い。

「突然って、母さん手紙は届いてないの?」

「え、手紙? 届いてないわ。ど、どうしたの?」

「あれ? おかしいな……えっと、紹介したい人がいて……エディおいで」

 呼ばれておずおず、と姿を現したのは……黒髪の女性。

「あっ!! あなた……!」

 息子が連れて来たのは、おとつい家に来たその人だった。



 結局、妊娠していたのは息子ランツの恋人で、仕事がなかなか休めなかったランツは懐妊と結婚の報告を手紙で知らせ、恋人のエディが先にあいさつに訪れた。

 その際エディは緊張から扉が開くなり「オーデルさんの子供ができました」とだけ言ってしまい(息子もランツ・オーデルだから間違いではないのだが)手紙を見ていなかったマイラ夫人は激しく取り違えてしまった、と。

 ちなみに手紙は酔ったオーデル氏がポケットに入れたまま忘れていた。もちろんこっ酷く叱られていた。

 浮気騒動から3日経ち、今は懐妊祝いのパーティー中だ。

 中庭に出したテーブルには食べきれないほどのご馳走と、とっておきのワインが並んでいる。ランツとエディはとても幸せそうで、それを見守るオーデル夫妻も幸せそうに笑っている。

「家族だもんね。何かあっても仲良いのって当たり前なんだろうけど……。それって大切よね」

 しみじみ、とシェスカはヴィルにいう。

「オーデルさんの所は仲良すぎて喧嘩になる事もありそうですね」

 それはあるかも、とシェスカは笑う。

「あとハンカチ。縫い終わったから、でもあの糸の長さじゃ小さいバラ一輪しかできなかったけど」

「早いですね。十分です。ありがとう」

「染めむらのせいかな? 糸が引っ掛かってやりにくかったわ。何で染めた物なの?」

「僕の血」

 一瞬、シェスカの動きが止まる。ヴィルはそれ以上なにも言わない。周りのにぎやかな話し声が遠くに聞こえた気がした。

「あ、あぁ、魔法の道具? あたしが縫っても使えるの?」

「大丈夫ですよ。血とか、まあ体液とか肉とか自体が術具になるので、よっぽど呪に間違いかない限り問題ないですよ」

 ふーん、と答えたが魔法師ではないシェスカにはよくわからない。

「じゃ、あとで渡すね?あ、リンゴ焼きあがったみたい。あたし焼きリンゴ大好き。行こうヴィルさん無くなっちゃうわ」

 よっぽど好きなのか目がきらきらしている。そんな少女の姿に魔法師は笑った。


***


 家族だもんね。何かあっても仲良いのって当たり前なんだろうけど……。それって大切よね。

 そう言った、シェスカの言葉が耳に残った。

 パーティーも終わり、それぞれが楽しい時間を惜しみながら家に帰った。

 もう日も沈み、深夜といっても差しつかえない。

 明かりのない自室でヴィルは虚空を見つめ、ゆっくりと息を吸う。

「ザラヂス・ザラスチス・この血をもって命じる・かの地へ・飛べ」

 呪文は精神統一のためのもの。世界のすべての事柄に干渉するためのもの。

 ヴィルブライン・ヴァン・カフカの姿がぐにゃりと歪み、消えた。



 ビュードガイア王国王都シェール。小高い丘に建つ王宮は堀に囲まれ、その美しさと堅牢さは国民の誇りでもある。

 西の塔の一室、続き部屋のある広い部屋は落ち着いた淡い桃色で統一されていて、調度品はどれも最高級品ばかりだ。

 縁を金と銀で飾られた鏡台の前に、月の光を紡いだかのような美しいまっすぐな長い銀の髪の少女が座っている。弧をえがく眉、銀の瞳は長いまつ毛に彩られ濃い影をおとす。ふっくらとした桃色の唇。細い肩はまだ子供のものだ。あと数年もすれば、どれほどの美姫になることか。

 少女はどこか不安げな面持ちで鏡に映る自分を見つめる。ふ、と背後の空気が揺らいだ気がした。この感覚は知っている。魔法だ。

 驚き、少女は振り返る。

 見慣れた―― 鉄色の髪とはしばみの瞳。どこが寂しげに笑う。

「兄さま……!」

 駆け寄る幼い妹をヴィルは優しく抱きとめる。

 どうして? と少女は聞く。1月ほど前に兄は都を出たはずだ。

「餞別」小さな薔薇の刺繍があるハンカチを差し出す「それを、離さずに持っておいて……お守り。どこにいても必ず行くからね」

 もうすぐ13歳になる妹は、和平の証としてかつての敵国、ファイゼン王国の王太子の元へ嫁ぐ。

 ― 家族だもんね。何かあっても仲良いのって当たり前なんだろうけど……。それって大切よね。―

(そうだね……何があってもどこにいても、当たり前に大切に思うよ)

「幸せにね?」

「兄さま」

「婚家で虐められたりしたら潰しに行くからね」

「兄さま」

 どうか幸せに、そう言ってヴィルブラインは妹姫を抱きしめた。



 夏の終わり、銀の姫君と呼ばれる少女はファイゼン王国へと嫁いだ。



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