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最終話 続く想い

少年は恋をした

森に抱かれ恋をした

悠久の時を刻む大地に佇む緑の女神

木々を花を草を愛する慈愛の女神

少年は己の全てで恋をした

風に声を捧げ愛おしい歌を贈った

どうか愛を知ってください


***


 かんかんっと釘を打つ音が響く。

 明るく勢いの良い男たちの声が、秋深くなってきたラインザル町のあちこちから聞こえている。

 中央広場には舞台が設置され、太鼓を鳴らすために高く立てられたやぐらの上からヴィルは町を見下ろした。

 東西南北に伸びた主要路には市が建ち、買い物に勤しむ人々の姿が見て取れた。

 歌が、聞こえて来たのは何処からだろう? とヴィルは耳を澄ます。

 森の女神祭で歌われる恋歌。緑の女神に恋をした樵の歌。

 やぐらの手すりにもたれていると地上から「おーい」と馴染みの声に呼ばれヴィルは下を覗き込んだ。

 口元に両手をあててヴィルを見上げているのは、アパートの隣人のケフマンだった。

「ヴィルさん太鼓置けたなら、こっち手伝ってくれ」

 男手が足りんと、ケフマンは声を張り、頷いたヴィルがとった行動に「ひっ」と引きつった悲鳴を発した。

 頭上、15メートルの高さからヴィルはひらりと手すりを越えて、唖然としているケフマンの前にゆっくりと降り立った。

 難しくもない術なのでヴィルは平然としているが、飛び降りてくるとは考えもしなかったケフマンは驚きで心臓が縮んだ気がした。

 周りに居た数人も目を丸くしてヴィルに視線を向けている。

 はあーっと息を付き胸を撫で下ろして、ケフマンは鉄色の髪の青年を見やる。

「ヴィルさん、あんた本当に魔法師だったんだな。あれか? 鳥にみたいに空も飛べるのか?」

 どこか少年の様な関心顔で聞かれヴィルは小さく微笑んだ。

「鳥ほど自由には難しいですが飛べますよ? 抱えて飛んでみましょうか?」

 そう提案するヴィルにケフマンは元からある顔の皺を深くした。

 嫌そうなケフマンの表情に、高い所が苦手なのだろうかとヴィルは思ったが。

「興味はあるが遠慮したい。男に抱えられた姿を想像したくない」

 そう言われ、ふと筋肉質の年相応に髪が後退した親父を抱きかかえている自分を想像してしまい、ヴィルは心底げんなりした。


 ヴィルはケフマンと共に篝火用の薪を配り歩いた。

 そこかしこで笑顔が溢れている。

 豊穣豊作を願い今年の実りに感謝を捧げる女神祭まで後3日。

 去年は越してきたばかりで祭りの準備には参加しなかったが、今年はケフマンやシェスカたちと同じ6区から裏方として携わっている。

 こうして、少しずつ、この町に馴染んでいく。町の人間になっていく。

 ヴィルはラインザル町に来て一年と少し、2度目の秋を迎えていた。


 正午を知らせる教会の鐘が鳴り響くと、皆作業の手を止めて母や妻がこしらえた弁当を広げだした。

 ヴィルとケフマンは西の広場まで向かい、辺りを見回してバスケットを提げた待ち人を見つけた。

 髪を一つに纏めた上品に年を重ねた女性と、まだ柔らかな幼さを残す少女。

 ヴィルは立ち止まり少女に、シェスカに微笑む。シェスカもまた笑みを返した。

 シェスカの隣にいた女性―― マイラは夫ケフマンに軽く手を振った。

 「お疲れ様あなた。ヴィルさんもお疲れ様。祭りの準備なんて初めてで疲れたでしょう?」

 お昼にしましょうと言うマイラに、たくさん作ってきたのとシェスカが後を続けた。

 マイラは夫の背中を突いてにっこり笑う。一瞬きょとんとしてからケフマンはわざとらしく咳払いをして。

「あー。職場の若いもんの分もあるから、あー。昼からの作業は点検程度だからな、後でここで」

 と、言葉を詰まらせながら婦人を連れてヴィルたちから離れた。

 ヴィルは気を使った様子の隣人を見送り、傍で耳をほんのり赤く染めたシェスカからバスケットを取る。茶も入っているのか結構重い。

「ありがとうシェスカ」

「どういたしまして。公園で食べよ?」

 そう言って照れた様に笑う少女が、とても可愛らしく思える。


 こうして少しづつ、この町に馴染んでいく。この町を故郷と、選んでいく。


 広場近くのこじんまりした花壇とベンチしかない公園で、ヴィルはシェスカ手製の挽き肉と玉ねぎのパイを頬張る。程よく利いた香辛料が食欲をそそった。

 薄く焼いたパンにチーズやハムをのせた巻いた物も美味しく、朝早くから櫓を組んだりと、体を動かしていたヴィルはあっさりと食べきった。

 シェスカから手渡された紅茶を飲んでヴィルは一息付き「ご馳走様でした」と料理に込められた好意を感じて礼を伝えた。


 風にさらわれる髪を手で押さえるシェスカ。その様子を無意識に見ていたら、ふと目が合った。

 重なった視線が言葉よりも如実に語っている。

 1年前とは感じる空気が違う。

 とても穏やかで、とても離し難いひと時。


「今年は振る舞い担当でしたよね? 何時まで掛かりそうですか?」

 問われシェスカは小首を傾げる。

「片付けもあるから点燈式までには、んー。ぎりぎり終わるかな?」

「じゃあ夕方迎えに行きます」

 そう言ったヴィルにシェスカは笑って頷いた。



 17にもなれば大抵身長は止まる。少年ならば成長期で一気に体が大きくなる時期なのだろうが、シェスカの背丈は去年からほとんど変わっていない。

 力はある方だと自分では思っているが、両手で支え持っていた昼食が入ったバスケットを片手で軽々と持ち上げた人の様にはいかない。

 とても些細な事で男の人だと感じてしまう。父が早くに亡くなった所為もあるのかも知れないが、見慣れない男性の仕草に最近、ほんの小さな事で心臓が締め付けられる。

 潮が満ちるときに吹く風のように――。

 小さな胸の限界まで、気持ちが溢れる。

 何気ない会話の中の大切な時間。

 シェスカはヴィルに柔らかく微笑んだ。


*** 


 シェスカは古いが丁寧に使い、艶のある木箪笥から女神祭用の衣装を取り出した。

 ハッカや香水木が詰められた小袋から、まだほんのりと香りがするのを確かめて虫除けの匂い袋だけを箪笥に戻す。

 納期の短い仕事が立て込んでいて、虫干しするのをうっかり忘れていたのだ。

 精緻な刺繍が施された緑色の服を手に、シェスカは裏庭に向かう。

 干し終えてからうんっと伸びをして、左手で右手首から手のひらまでを揉み解した。

 刺繍仕事をしていると腱鞘炎になりやすい。

 シェスカは冷やしておこうかと、母屋とアパートの間にある井戸に向かった。

 汲み上げた水をハンカチに浸して、手首から親指と人差し指を中心に冷やしていく。

 井戸の横手に腰掛けて、雲が随分高くなった空を見上げた。

「・・・・・・一年、か」

 そう、そっと呟いた。



 朝、目が覚めるとシェスカは窓際に向かう。

 窓を開け冷えた清しい空気を胸いっぱいに吸い込む。

 昨日、風に当てた衣装は袖を通すと少しきつい箇所があった。太ったのか? と焦る娘にカシェは嬉しそうに「成長しているって事よ」と微笑んだ。

 クレンも同じように目を細め、息子の忘れ形見の孫娘を見た。

 胸と腰周りは少し直しましょうねと母に言われ、太ったわけではないとわかりシェスカはほっとしたと同時に少し、気恥ずかしく感じた。

 寸法直しは昨夜の内に終わっている。掛けられている衣装は見た目だけでは昨年と変わらない。

 一年を掛けて、少しづつ、色々な事が変わって、育っていった。


***


 クルミ入りの焼き菓子に梨のシロップ煮と東国から仕入れたという珍しいお茶が並べられたテーブルには、温室で育てられたカモミールが硝子皿に一輪飾られている。

 ビアンカの部屋は花が絶える事はない。

 最近は特にそうだ。3日と置かずに花が贈られてくる。

 あたくし花屋になる気はありませんわよ? と何度となく伝えても婚約者になってしまった男は言うことをきかないでいる。

 祭り前という事もあり、贈られてくる花々をビアンカは惜しみなく配り歩いている。

 今日も花の塊をシェスカとミレルに貰ってもらう予定だ。

 菓子を摘まみながらお喋りに興じていると、ミルレがぽんっと手を合わせ。

「はい、どうぞ。お待たせしました。アーニグランドの冒険の最新刊です」

 まだラインザルでは出回っていませんよ? とミルレは得意げにシェスカとビアンカの前に一冊づつ本を置いた。

 そしてまた本の話題からあれこれと話をしていく。

「本はお祭りが終わってからゆっくり読むね」

 と言うシェスカにビアンカは小首を傾げて尋ねる。

「仕事、忙しいんですの?」

「ん? 今はそうでもないわよ。新年用の衣装の刺繍の直しが何着か残ってるだけだから」

「それだって1日2日じゃ出来ないでしょう。シェスカ、貴女少し働き過ぎですわよ? 休む時は休まないと体壊しますわよ?」

「んー。無理はしてないんだけどね。うん。気をつけるね」

 答えるシェスカにミレルが。

「そうです。健康第一です」と続け「そういえば、今年はシェスカとビアンカはお祭りどうするんですか?」

 何気ない友人の問いにシェスカは挙動不審に視線を泳がせ、ビアンカはこめかみに手を当てた。

 ミルレ自身の予定は既に伝えている。ダルビーにリボンを渡す、と。

 唸りはじめた友人2人を交互に見て、ミルレは少し冷めたお茶を飲んだ。


 シェスカはぐいっと一気にカップに残っていたお茶を飲み、自分なりに意を決して唇を開いた。

「あ、あのね? あたし、その今年はヴィヴィヴィ、その」

 あの、と言いよどむシェスカにビアンカは。

「ヴィルブライン様にリボンを差し上げますのね?」

 それにさして驚く事もなくミレルが。

「がんばってくださいね」

 とにっこり笑った。

「な、なんでわかったの?!」

 焦りながら言うシェスカに2人は、わからない訳がないとそれぞれ答えた。

「ビ、ビアンカはどうするの?ディ」

「叩きつける準備はしてあげていますわよ?」

 と、ビアンカはとても上品に焼き菓子を口に運んだ。

 女神祭のリボンを叩きつけるなど聞いた事がない。シェスカとミルレはどう答えれば良いのかわからず「そ、そう?」と曖昧に相槌をうち、茶を淹れなおした。

 

 一年前とは違う会話。それぞれが歩みたい道。それでも変わらない楽しげな空気、それだけは変わらずに在ってほしいと、そう思った。


***


 ラザール領で一番大きな祭りは森の女神祭だ。ここラインザル町以外でも同時期に開催されているが、500年前に栄えたフルト王朝時代の城跡があることもあり、ラインザル町の女神祭が一番有名ではある。

 その為祭りの当日は何処からこんなにも人が来るのか? と思うほど人口がふくれ上がる。

 前日から振る舞い用の料理の下準備が始まり、朝靄が晴れぬうちから仮設の竈に火がくべられて調理が始まる。

 区ごとに分かれての準備なのだが、1人違う区にいるビアンカは今年もやはりシェスカたちの区の準備を手伝いに来ていた。

 シェスカは大鍋にシチューの材料を放り込み、特大の木べらを使い焦げないように炒めていく。

 ビアンカとミルレは果物類の皮むきに追われていた。

 10時頃に小休止を挟む頃になってやっと話しをする事ができた。

 シェスカとミレルはこのまま居残り、ビアンカは家業の都合で家に帰る事になった。

「ビアンカも大変だよね。お家の手伝いでお持て成しして案内して?」

 しみじみと言うシェスカにミルレは小さく微笑んで。

「領主の親戚らしいですよ? 今日のお客さんは」

「うわ。気疲れしそう」

「あ、そういえばダルビーがディケンズさんも来るって言ってましたよ?」

「そうなんだ?」

 シェスカはくつくつと煮えだしたシチューをかき混ぜながら、ビアンカの手が空くまでディクリスはどうするのだろう? と首を捻った。



 正午を告げる鐘の音が町に響き、森の女神祭が開催された。



 こじんまりとした店の扉は開け放っている。

 ヴィルはテーブルを1つ表に出し、クロスを掛けて守りの魔法具をいくつか並べ、椅子に座ってぼんやりと本を読み始めた。

 祭り中といっても自分の店がある場所は表通りからは少し離れているので、雑貨屋が多いこの界隈の観光客はまばらだ。

 それでも人が集まる日は書入れ時というもので、休業はしないものなのだろうと思い、一応形として店を開けたのだが、暇で眠かった。

 客が来るとすれば、4つの広場を巡回している劇が移動している時ぐらいかと考えてヴィルは口元を手で覆い欠伸をした。

 本から目を離し、通りを眺める。

 行き交う人々は皆、楽しそうだ。高揚した気持ちのまま明るい表情をしている。

 ヴィルは1度欠伸をし、ぐっと伸びをした。

「よ! 暇そうだなってぇか馴染んでるな、お前」

 掛けられた言葉にヴィルはそちらを向いた。

 片手に紙袋を提げたディクリスが空いた手を軽く振り、申し訳程度に商品が並べられたテーブル越しに「ほらよ、差し入れ」と紙袋をヴィルに投げた。

 両手で受け取ったそれは温かい、というより熱い位だったので直にテーブルに置いた。

「どうも。パンですか?」

「おう。ソーセージにパン生地巻いて蒸し焼きにしてた露店があってさ、美味そうな匂いしてたから買ってきた」

「椅子持ってきますからテーブルに座らないでください」

 言われディクリスはへいへいと気のない返事を返した。

 店の奥に椅子を取りに行ったヴィルを見てディクリスは「ほんと、馴染んでるな」とぼそっと呟いた。



「なあ」

 呼び掛けられ、ヴィルは差し入れられたパンを食べつつ読み掛けの本から顔を上げた。

「なんです?」

「なんで祭りっだてぇのに男2人で並んで座って店番やってんだ?」

「ビアンカさんの所にでも行けばいいでしょう? 無理なら子供じゃないんですから1人で見物に行けばどうです?」

 冷たい奴だよなぁお前とつまらなさそうに言うディクリスに、ヴィルは軽く肩を竦めて見せた。

「なぁ」

「なんです?」

「お前もう軍戻る気やっぱねぇの?」

 道を横切る人数が少し増えた。きっと劇が終わったのだろう。他の店の店員たちがそれぞれ快活に売り込みを始め出す。

 親子連れが店の前で足を止めた。ヴィルは守護の印を施した魔法具ですと説明し、やっぱり魔法具は高いなと去って行かれるまでディクリスのほうは見なかった。

 ヴィルはしばらくまた通りを眺めて「ないですよ」とぽつりと答えた。

 そっかと、ディクリスは呟き返した。


 3時の鐘の音が聞こえてヴィルは店仕舞いをはじめ、ディクリスは手伝う事もなく椅子に座ってその様子を眺めた。

「なぁ」

「なんです?」

「がんばれよ」

「……意外な事言われましたね」

 何度も瞬きするヴィルにディクリスは眉を顰めて「ぬかせ」と毒づいた。

 立ち上がるディクリスにヴィルはふと聞いてみた。祭りのリボンの意味は知っているか?と……。


***


 振る舞い用の料理も酒も、豊作だった今年は例年より多く用意していたのだが、1時間ほどでなくなる物が30分延びただけになった。

 しかし、その1時間半は目まぐるしく忙しかった。いったい何人来たのだろう? 汗を浮べながら仕込んだシチューは数十分で空になり肉料理もパイも果物もなくなって、今は残骸があるだけの状態。

 その後は立ったままお茶を飲み短時間休憩してから、惨状と化した場の片付けが待っていた。

 片付けまで終える頃にはへとへとで、押し車に調理器具を積め込み区の倉庫に仕舞う頃には足と腕がかなりだるくなっていた。

 お疲れさんと、婦人会の会長が容器に入ったリンゴの蜂蜜漬けを一欠けらづつ食べさせてくれた。疲れた体に程よい甘さは、沁みていくように美味しかった。

 劇を見て楽しむ事も踊りの輪に加わる事も出来ずにいたが「祭りの裏方」も、それはそれで楽しかった。


 倉庫のある場所は大通りから1本道を挟んでいる為、喧騒は遠い。

 会長の挨拶があり解散となったその場には、数人居残って話し込んでいる程度で、あとは皆祭りを楽しむために中央広場へと向かったのだろう。

 シェスカとミルレの2人も少し話をしてから、それぞれの目的地へ行くことにした。

「じゃあ、ミルレまたね」

「はい。あ、報告、ちゃんとくださいね? 私もしますから」

 そう笑って手を振るミレルにシェスカは「うん」と頷き返し、石畳の街中を歩いていった。

 シェスカは露店が立ち並び観光客が溢れている道は避け、地元民だけが知っている裏道を使い北の広場へと急いだ。


 

 去年も待ち合わせた樫の木に、先に来ていたのはヴィルだった。

 人ごみの中、足早に向かってくる少女を見つけ目を細めた。

 

「お疲れ様、シェスカ。忙しかった?」

「人が多すぎて訳わかんなくなっちゃった」

 こぉんなと、両手を広げて輪をつくり「特大のお鍋で作った料理あっという間になくなったよ?」と言うシェスカの頭をヴィルはぽんぽんと軽く撫でてやる。

「それは、ご苦労様でした」

「ヴィルさんは? お店出してたんでしょう?」

「意外と買う方がいて吃驚しました」

 ヴィルの言い様にシェスカは「売れて驚いたの?」と、くすっと笑った。

「点燈式まではまだ時間がありますけど、丘で見るのならもう行きますか?」

「うん」

 頷いたシェスカの手を取って、じゃあ行きましょうとヴィルは歩き出した。


 

 正午から始まる森の女神祭は点燈式前に一旦休憩と準備に入る。

「人ごみに酔ってしまいましたわ」とわざとらしく弱々しく言う来客の為に、早めに館に引き戻ったビアンカは形程度の見舞いをし、自室へと帰った。

 折角の祭りもほぼ毎年来客に潰されている。たまにはシェスカたちと3人で露店を見て回ったり、買い食いというものをしてみたいのだが。

「接待も営業活動ですものね。仕方ありませんわよね」

 お嬢様育ちではあるが、しっかりと商売人の娘であるビアンカは家業を手伝わない選択肢は自然とない。それでも友人と祭りを楽しみたいという想いもあるので毎年6区まで赴き準備の手伝いをしていた。

 来年は、どうなるのか分からないけれど。

 女中が淹れた紅茶を飲みながら日が落ちてきた窓の外を見た。

 部屋の扉が軽く叩かれる。腰を屈めた女中がディクリスの訪問を告げた。

 少し前までは彼がビアンカの部屋まで来るのを待っていれば良かったのだが……。

「わかりましたわ。行きますわ」

 ビアンカはささやかな抵抗に、残りの紅茶をゆっくり飲んでから立ち上がった。


 玄関広間になっている所で婚約者になってしまった男が居た。

 ビアンカは階段に差し掛かった所でむっとして足を止める。

 自身の左手首にはシェスカ手製のリボンが巻かれている。それを妙に意識してしまう。それが何となく腹立たしく流麗な眉を顰めた。

 ディクリスはそんな様子のビアンカを知ってか知らずか、気楽な様子で彼女の元へと階段を上った。

「んな眉間に皺寄せてたら取れなくなるぜ?」

 傍まで来てそういうディクリスをビアンカは睨むように見上げる。

「それ、祭りの衣装か? 綺麗だな。似合ってるよ」

 事も無げに言う彼が、悔しいくらい憎らしい。

「よくもまあ、抜け抜けと言えたものですわね! 人が知らない内に回りを固めて婚約者に納まった様な方が……っ」

 気づいた時には外堀を埋められていた。家紋入りの指輪を受け取った、実際には置いていかれたのだが、その事が仇となった。え? っと思っているうちに断れない状況を作られていた。

 権力は使う為にあると、飄々と言われた時は殴りそうになったが堪えた。大人になったと自分で自分を褒めてあげる事で落ち着かせた。

「っ?!」

 急に腰を引き寄せられ声も上げれずにいたら、目の前にひらひらと緑色のリボンが揺れていて。

 解かれたリボンの意味を、ビアンカは勿論知っている。

「な、な」

 絶句するビアンカにディクリスは悪戯が成功した子供の様な顔で。

「解かれる為に巻いてたんじゃないのか?」

 と言い。ビアンカに本気で階段から落とされそうになった。



 玄関広間に差し掛かり、頭上から聞こえてきた妹の罵詈雑言にそちらを仰ぎ見てダルビーは嘆息した。

 正式な婚約はまだだが、家人からは既にそう扱われている2人なのだが。

「仲が良いのか悪いのか……」

 近くでおろおろしていた女中を呼び、本気で蹴り落としそうなら止めてと、難題を課し館を後にした。



 後半刻ほどで日が暮れてくる。

 ダルビーは少し早足で自分を待っている少女の元へ向かった。

 街の娘たちがそうであるように、ミルレも緑色の衣装を身に纏っていた。

 妹が着ていた物より濃い色のそれは、淡い金茶色の彼女の髪に合わせたのだろう。

 どこか所在無げに佇むミレルに多少の罪悪感を感じた……。くれた気持ちに答えられないでいる自分自身に対しての。

 ふと目が合って、嬉しそうに微笑んだミルレに精一杯笑い返した。


 来てくれてありがとうございますと、言ったミルレにダルビーは頭を掻いた。

「来なかったらずっと待ってるだろ?」

「流石に、帰りますよ」

 そう言って困った風に笑うミルレに、嘘だろうなと思った。

 忍耐強い愛情なのだろう。重く思われない様に必至に笑う姿は、確かに健気だ。

「俺、そんな良い男じゃないよ?」

 ミルレはただ小さく笑う。

 ミルレはすっと手首に巻かれたリボンを解きダルビーに差し出した。

「それでも、私は貴方が好きです」


*** 


 角灯は持って来なくていいとヴィルが言ったので、シェスカは手ぶらで来た。

 薄暗くなってきた時に、ヴィルが短い呪文を唱えて小さい光玉を生み出したのを見て、なるほどと納得した。

「魔法って使えたら便利ね」

「少しはね」

 と、手を握り直して丘の林の中を歩いた。

「そういえば、ディケンズさんも来てるって聞いたけど会ったの?」

「店に来ましたよ。今頃はビアンカさんの所でしょ」

 答えてヴィルは小さく声なく唸った。

 祭りの説明のつもりで、去年ケフマンたちから聞いたリボンの意味を教えたのだが、にやっと笑ったディクリスを思い出し、何か遣らかしそうだなと少し後悔している。

 どうしたの? と首を傾げるシェスカに、何でもありませんと答えた。

 街を見下ろせる場所まで来て、2人は息を付く。

 シェスカはふと暗くなってきた空を見上げた。

「星もだいぶ出てるね」

「雲もないですし綺麗に見えていますね」

 そうだと、ヴィルは思いつきシェスカを見やる。

 何? と言うシェスカにヴィルは空を指差して。

「もっと上から見ますか?」

 え? とシェスカは可愛く眉を寄せた。



「きゃあーーーっ!!」

「落ち着いて。まだそんなに地面から離れていません」

「ふえ?」

 ヴィルに抱えられた状態で、その首にしがみ付きながらシェスカは恐る恐る目を開けた。

 確かに、高さはそんなに変わっていない。けれども感じる浮遊感は初めてのもので。

 空を飛べると聞いた時は、凄い凄いと心が浮き立った。抱き上げられた時は気恥ずかしかったが嬉しくもあった。が、地面に足が着いていない状態がこんなにも怖いとは思わなかった。

「止めておきますか?」

「う。いい、行ってみたいから。お、重いからって落とさないでね?」

「重くはないですよ。大人しく抱えられてて下さい」

 ヴィルはそう言ってゆっくりと上昇し始める。

 腕の中で強張る少女をしっかりと引き寄せて「上見てごらん」と促した。

 濃い群青色の夜の色と沈む太陽の赤。瞬きだした月と星の光。

 美しさに恐怖感は消えた。

「綺麗……」

「もうすぐ、点燈式も始まりそうですよ」

「こんなふうに街を見下ろすなんて思いもしなかったわ」

 気に入りましたか? と問うヴィルにシェスカは頷いた。

 目を輝かせているシェスカにヴィルは笑って言う。

「望むなら、何度でも」

「空の散歩を?」

「そ」

 

 眼下にぽっと火が燈された。街の中心から等間隔で篝火が広がる。

 夜空の星と街の火。

 しばらくそのまま眺めていた。

 地面に降り立つ時は感覚が戻らずに、慣れないシェスカは足がふら付いた。支えてくれたヴィルの腕が心地よく、離れがたくてシェスカはヴィルの広い胸に頬を寄せた。

 ヴィルはそっとシェスカの左手を取った。


「シェスカ」

 優しい声に頭が痺れる。シェスカははいと小さく答えた。

 ヴィルは腕の中の少女を微笑み見つめる。

「リボンを、僕にくれますか?」

「はい」



 最高の笑顔を共に、シェスカはリボンを解いた。



本編はこれにて完結。

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