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第十一話  オ モ イ シ ル

 春の陽気は万人に眠気を誘う。

 ヴィルは欠伸を噛み殺しながら、凝ってきた肩を鳴らして腕を回してほぐした。

 アパートの庭には薄紫の小さな花やチューリップ ― 花に疎いヴィルでもそれくらいなら分かる ― が色鮮やかに咲き誇っている。

 裏戸と窓を開け放っているため、気持ちの良い風も入ってくる。


「眠い」

 ヴィルはぼそっと漏らして書類の束だらけの机に突っ伏した。

 そのままうとうととしていたら勢いよく玄関が開かれた。

 ヴィルは机に頭を乗せたままそちらに目を向ける。その目はかなりとろんとしていた。

 ヴィルの視線の先に現れたのは、私服姿のオトだ。

「ただいま戻りました。って、何寝てるんですか師団長!」

 両手鍋を抱えたオトが憮然とした声を張り上げる。

 づかづかとヴィルに近づき書類を覗き込み、白紙に近いそれを見て。

「昼食は書き上げてからですね」

「先にご飯ください。じゃなきゃ寝ます。それと師団長は貴方です」

 身を起こしながらの、かつての上司の言葉にオトは呆れながら「子供みたいな言い方しないでください」と、ぴしゃりと返した。

「買ってきた煮物温め直しますから、その間にせめて禁呪の使用報告書だけでも書き上げてくださいよ」

「てっとり早いから使いま」

「駄目に決まってます!あと適当にサインしておいては通じませんからね!」

 そこそこ使い込まれた鍋を持ったオトに凄まれても怖くはなかったが、ヴィルはペンを手にして「わかりましたよ」と嫌そうに答えた。


 ヴィルは王宮の封印結界が解かれ蘇った過去の遺物である魔法生物兵器との一戦を終え、もろもろの事後処理をさせられて、やっと1週間前にラインザル町に帰って来た。

 戻って来た時には既に魔法具屋の改装は終わっており、帳簿や会計箱などの備品を揃えればいいだけになっていた。

 改装費は前払いにしておいたため、依頼主であるヴィルがいなくとも仕事はしてくれたようだ。後払いで姿を消したとなれば問題になっていたかもしれない。

 開店日は予定より遅れてしまったが、ヴィルは急ぎ備品を揃えて商品をいくつか並ばせて、魔法具を作るための部屋を整えてと、それなりに忙しくしていたら今朝急に書類の束を持ったオトがやってきた。

 逃げられませんよ? とにっこり笑ったオトを、ヴィルはしぶしぶ家に上げたのだ。


「20分もあれば支度できますからね。さっさと書いてください」

 竈に魔法で火を着けながら、しつこく言ってくるオトにヴィルは小声で「……小姑」とぼやいた。


 報告書の類を書き上げて、書名だけで済む分に目を通していく ― ゼダ島の被害報告書には心中で詫びながら ― 順々に片付けていく。

 オトが向かい合わせで座って自身の書類仕事をしているので、居眠りが出来なかったからか思っていたよりも早く終わった。


 書き上げた書類を仕分けしながらオトが何気に聞いてきた。

「そういえば、ディケンズさんが言っていたヴィルブライン師団長の恋人って、ここのアパートの大家なんですよね。ってことは年上ですか? だったら友達紹介してくれませんか?」

 ヴィルは何しに来たのだと思いつつ、頬杖をついて何度目かの欠伸をした。

「何か色々間違ってますよ」

 取り合えずそうとだけ返した。

 オトは鞄に書類や筆記具を仕舞い。

「私より年上ならそれでいいんですけどね。軍にいたら出会いなんかないですからね」

 その言葉にヴィルは首を傾げる

 オトは貴族でも準貴族でもないが、現王宮魔法師団長は彼だ。25歳にもなればそういう話もあるだろうに。

 そんな風に考えていたら、察したオトが苦笑して。

「魔法師団長っていうだけで、貴族の令嬢押し付けられるのは、ちょっと」

「ああ、まあ、そうですね」

 オトのその気持ちは分からなくない。ヴィル自身も似たような経験は(主に姉のせいで)ある。

 それにと、オトは続ける。

「政略結婚組だと思っていた2人が恋愛しているのが非常に腹が立ちます」

 半眼で恨めしそうに言われてヴィルは。

「……何か色々間違っていますよ」

 そう、半眼で返した。

「紹介するしないは兎も角、夜にはディクリスも来るそうなので、久しぶりに飲みにでも行きますか?」

 そういったヴィルにオトは頷く。


***


 オトはギール商会に用があるというヴィルを見送り、古びてはいるが手入れは行き届いている様子のアパートで元上司の帰りを待った。

 1人で住むには十分な広さ。しかしヴィルブラインが本来住まう場所ではないアパート。

 しかも彼は自身で商売人の真似事まで始めたという。

 聞いたときは驚いた。

 軍を辞めると知らされたときよりも意外だった。

 楽しそうにしているから、いいのだろう。そう思う。

「昔から変なとこ変わってたからな師団長は」

 貴族特有の人を見下す態度もなかった。だからこそ、平民のオトでも実力だけで側近としてヴィルが叩き上げたのだ。

 思考にふけっていても仕方がない。散策でもしようか? とオトが考えていたとき。

「こんにちは。ヴィルさん」

 裏戸からの明るい声に、オトは立ち上がった。

 声の主はお邪魔しますと、言いながら慣れた様子で室内に入ってきて、オトを見つけ吃驚した顔で目を瞬いた。 


 シェスカはヤマモモのパイを手に単純に知らない人に驚いた。が、戸惑いながらも黒髪の青年に言葉をかけた。

「え、っと。こんにちは。ヴィルさんいますか?」

「用事で出掛けてるよ」

 何か用? とオトは視線で問う。

「あ、じゃあ、これを。パイです」と台所のテーブルに皿ごと置き「アパートの大家の娘のシェスカ・フォンボルトです。お友達ですか?」

「娘?」

 16,7歳か? こんなに大きな子供がいるなら師団長の恋人は幾つなんだろう?

 そう思ってオトは眉を顰める。

「子持ち……」

「はい?」

「や、別に。ルーフィル・オト。ヴィルブラインさ、んの元同僚」

 元同僚と聞いてシェスカははっと記憶がつながる。

 突然転移してきてヴィルを連れて行った軍人だ。また、ヴィルは家を空けるのだろうか?

 シェスカのそんな不安を知らないオトは不思議そうに、好奇心を隠して問う。

「ここの大家は君の母親? 年はいくつ?」

「え、母ですか? 32です、けど、なにか?」

「32、師団長今年28になったから、おかしくはないか……」

 オトは顎に手を当てながらぶつぶつと呟く。

 子持ちだろうと不倫ではないのだから、ここは元部下兼友人として祝福しなくてはならないだろう。

 オトは首を傾げているシェスカに向かってにっこりと笑って言う。

「まあ、取り合えずはおめでとう」

「はい?」

 シェスカはきょとんと聞き返した。

「君の母親とヴィルブラインさん、結婚するんでしょ?」

 オトは確かにディクリスからそう聞いた。


 シェスカは数回瞬きをして、ぽかんと口を開けた。


***


 ビュードガイア王国の女性の衣装はスカートが長い。

 平均12,3歳で成人してからは膝が見える丈の衣装は纏わない。

 シェスカは普段は隠れている足が見える事も構わずに、裾をからげてギール商会まで疾走した。

 

 ギール家の使用人は汗だくで現れたシェスカと、彼女を追いかけてきた見知らぬ男性―― オトに不審な目を向けながらも、シェスカがこの男性に追いかけられて逃げ込んできたわけではないと知り、2人をビアンカの自室に案内した。


 木底の靴を履いたスカート姿の少女に、全力で走っても見失わないようにするのがやっとだったオトは、少し自尊心が傷ついた。



「どう? シェスカ、少しは落ち着きましたかしら?」

 ビアンカは心配げな顔を見せながら、長椅子でぐったりと横になっている友人に扇で風を送り、濡らしたハンカチを額に置いてやる。

 部屋に入った途端に床に崩れたシェスカをオトに運ばせ、塩を舐めさせ水を大量に飲ませた。

 何があったかは知らないが、兎に角シェスカを休ませる事が先だと、看病に専念する。

「う、ん。ごめんねビアンカ」

 答えるシェスカの声は弱弱しい。

「もう少し休んでらっしゃい、お父様の所にいるヴィルブライン様も直ぐにこちらに来ますわ」

 伝えると、シェスカの肩が小さく震えた。

 ビアンカはゆっくりと息を吐き、満面の笑顔で窓際の椅子に座っているオトに近づく。

 そしてシェスカに聞こえないように。

「で? どういうことですの?」

 と、オトに問う。

 赤毛の美少女の笑顔に乗せた言い知れぬ迫力に、オトは困惑気味に首を傾げる。

 こういう気の強そうな目をした女は曖昧な答えには絶対に納得しない。そう思える程度の経験はある。

 ややこしい事になったなと、オトは勝手に辟易した。

「個人の問題だし、ヴィルブラインさんが来るなら直接聞いたほうがいいよ」

 オトは無難にそう言って、冷茶に口をつけた。



 しばらくして慌てたように扉が叩かれた。

 オトは現れた、滅多に見ない焦った顔の元上司におや? と眉目を上げた。


「シェスカは? いったいどうしたのです?」

 ヴィルは上ずりそうになる声を堪えながら、長椅子に横たわっているシェスカに近づいていく。

 ビアンカの部屋に着くなり倒れたと聞いた時は、魔法生物兵器との戦闘の時よりも血の気が引いた。

 ヴィルは膝立ちになり、シェスカの顔を覗き込んだ。

「話すのが辛いなら頷くだけでいいですから、日に当てられたの?」

 そう問いかける優しい声音に、シェスカは少し泣きそうになる。

 この気遣いも、字を教えてくれていることも、優しい手も、暖かくなる気持ちも……好いている人の娘だから、くれているのだろうか?

 そう思うと鼻の奥がつんとしてきた。嗚咽が漏れそうになる。

「……あ」

「何?」

「あ、あたし」

 シェスカは途切れそうになる言葉を、それでも一息に言い放つ。

「あたしの父さんは1人だけなのっ!」

「???」

 ヴィルは張り上げられた声に、意味が分からず目を丸くした。

 ビアンカも同じようにきょとんとしている。

 オトはある意味修羅場だろうか? と、どきどきしていた。  


 そうして静まり返ったビアンカの部屋に、両手いっぱいの花束を抱えてやってきたディクリスが。

「ん? なにやってんだお前ら? 何でオト居んの?」

 と、首を傾げた。

 

***


 初夏といえど、夜は半袖で過ごすには少し肌寒い。

 それでも酒場のテーブルの幾つかは店先に出されて、外で飲食を楽しめるようになっている。

 軒先に吊るされた5つほどの角灯と出入り口近くに置かれた篝火。そして月明かりで辺りは随分と明るい。

 アルコールの熱気と喧騒が冷やされた空気に程よく心地よい。

 店外にある4人がけのテーブルに、ヴィルとディクリスとオトは陣取り、料理と酒を囲っている。


 ディクリスがやってきた後、オトとシェスカの勘違いが分かり、シェスカは自身の早とちりに赤くなり、ヴィルはカシェの歳を知り内心かなり複雑になり、オトはヴィルたち2人の様子に「ああ、なるほど」と思い、ビアンカは呆れた。

 

「大家がそうだって聞いていたんですから、あんな子供がとは思いつかなかったですよ」

 オトは肉詰めのパイを切り分けながら不満そうな声で言う。

 確かに、あの少女は人妻になっていても可笑しくはない年齢だろうが、年上好きのオトから見れば子供にしか思えない。

 聞けばビアンカという少女も同い年と言うではないか。

「お二人とも、案外少女趣味だったんですね」

 オトがそう言うとディクリスはビールを飲みながらこう返した。

「うるせぇよ、年増好き」

「少女趣味……?」

 ヴィルは1人首を捻る。年齢差は分かっているが、そういう趣味に繋がるとは思った事もなかった。

 シェスカは来月には17になる。別段おかしくはないと考えていたのだが。

 しかし今はそれよりも。

「ディクリス、オトにどういう言い方していたんです?」

「そのまんま。お前の好きな子アパートの大家だって。俺、シェスカが管理してると思ってたからさ」

 ディクリスはオトから手渡されたパイを頬張りながら続けた。

「まだるっこいお前に良い事教えてやろう。この前シェスカはダルビーに告白されたらしいぜ?」

 知ってた? とにやっと笑うディクリスの底意地の悪さにヴィルは顔を歪めた。

「知りませんよ。何で知ってるんです?」

「ダルビー本人から聞いた」

 ビアンカに会う為に訪問を続ける内に彼女の兄と話す機会も増え、その時に聞いた事だ。

 オトはダルビーとは誰だろう? と思いつつ、疑問を口にする。

「こじれてるんですか?」

 オトの質問。ディクリスは答えを知っているが言うつもりはない。

「シェスカの返事次第でこじれるかもなぁ」

 と、目を細めて笑いヴィルを煽った。

 ディクリスはグラスに残ったビールを飲み干し。

「のんびり構えて未消化のまま、なんて後味悪いぞ?」

 ヴィルは、それは後味悪いですねと、口のわきを上げた。


***


 ここ1週間ほど雨がまったく降っていない。

 シェスカは照りつける太陽を帽子で遮って、じんわりと滲む汗を手で拭う。

 数度目になる水汲みは、少女の細腕では中々の重労働で、毎日の事といえど疲れるのは確かだ。

 汲みたての水を庭の花壇と、白い花が満開になったリンゴの木にたっぷりと撒いていく。

 洗濯物を取り込んでいる母親に目をやり、亡くなった父親を思う。

 ―― 母はこの先もずっと独りでいるのだろうか?

 親の再婚など今まで考えた事もなかった。

 昨日、勘違いからの母とヴィルとの結婚話を聞かされるまでは……。

 

『まだ若い、自分の人生をこのままにする事はない』

 

 以前、祖母が母に話していた事だ。

 シェスカはその時10歳だった。意味は分からなかったが胸がざわついた事は覚えている。今は、祖母が言った意味が分かる。

 嫁をずっと家に縛って良いのか考えたのだろう。当時母カシェは朝早くから夜遅くまで働いていた。

 守ってくれる人がいるのなら嫁げと、放逐するのではなく、それは祖母クレンの気遣いだろう。

(今は、どうなんだろう……)

 もし、誰かと再婚する事になったら……おめでとうと、ちゃんと言えるだろうか?

 

『あたしの父さんは1人だけなの!』

 昨日ヴィルに言った事を思いだし、シェスカは知らず溜息を付く。

 

「もし、そういう事があっても子供のわがままは言っちゃ駄目だよね」

 そっと呟いた。



 シェスカは家の用事が済むと汗を吸った服を着替え、手足や首元を蜜柑のオイルを数滴たらした水で拭った。

 冷たさにほっとして、髪を結い直す。

 最近、身なりを以前よりも気遣うようになった。

 理由は分かっている。

 彼の目に、少しでもより良く写るように。

 会う時の心地よい緊張感はきっと、相手がヴィルだからだ。

 シェスカは筆記具を手に自室を後にした。 

 

 シェスカが向かった先は、ここラインザル町で唯一になった魔法具屋―― ヴィルが商う店だ。

 商うと言ってもまだ正式に開店はしていない。自警団などに数点商品を納めている程度だ。

 今は一般市民でも手軽に使える守護の石や角灯の変わりになる物等を揃える為に、細々とした魔法具を作っている。

 

 こんにちはと、声を掛けて店内に入る。

 店の奥からヴィルが顔を出す。自然に笑みが零れてくる。

 ヴィルはシェスカを手招いて。

 「こんにちは、暑かったでしょう?」

 今日は先週の復習からだねと笑い返す。

 店舗の奥には小部屋が2部屋あり、倉庫兼休憩室と魔法具を作る作業部屋になっている。

 シェスカは机に並べられたガラス瓶や見たことのない器具に目をやりながら。

「何作ってたの?」

「耐火の魔法具です。隣町からも受注がきたから、少し多めに作っておこうと思って」

 シェスカはへぇと珍しげに何気なく机に手を伸ばした。

 直ぐに、左肩と伸ばした右手を押さえられた。

 その近さにシェスカは足が震えた。

「これは触っては駄目。まだ安定してませんから」

 ヴィルの声にシェスカは無言で首を縦に振る。

 ヴィルは傍から微かに香る柑橘系の清々しい香りに、少し、離れがたくなる。

 手が置かれた肩が強張るのが分かった。ヴィルは苦笑して手を離す。

「さて、じゃあ勉強がんばりましょうねシェスカ」

 名前を呼ばれ、シェスカは「は、はい」と上擦った返事をした。


***


 ヴィルを煽るだけ煽ったディクリスは、今日もプレゼントを抱えてギール家へ向かう。

 もう随分通い慣れてきた道。

 通されなれたギール家の応接室。

 ディクリスは今日、1通の書状を手にビアンカの父ポドナの前に座っている。

 本当は昨日渡す予定だったが、そう出来る雰囲気ではなく今日になってしまった。

 背筋を伸ばし悠然と腰掛けるディクリスの姿は、礼儀作法を叩き込まれた者のそれだ。

 普段のがさつさなど微塵にも感じられない。

 もっともポドナは彼のがさつな面など目にしたことはなかったのだが。

 ポドナは読み終えた書状を丁寧に机に置き、ディクリスを見やる。

「受けさせられる躾は幼少時より習わせておるが、領主の隣に立つには生粋の貴族の令嬢と比べ劣る点もあろう」気性と気概は負けてはおらんがなと、ポドナは続ける。

 ディクリスは目を反らさずに。

「隣に立つのはビアンカしか考えられない」

 まっすぐなディクリスの目。ポドナは深い溜息を付いた。

 ディクリスが出入りする様になってから、いつかはこうなるだろうと覚悟していたが男親の寂しさは覚悟だけではどうにもならない。

「―― 後はあれの気持ち次第だ。嫌がる事は強要したくない。親のわがままだな」

 ポドナはきつくディクリスを睨みつけた。

「ビアンカ自身が望まない事をした時は、そちらの領地への物流に手を加えますぞ」

 娘の為になら一領主にでも楯突いてみせる。

 

 ディクリスは強く頷いて、親の気持ちを受け止めた。



 ミルレがオルガンを弾きにやってきたので、兄を呼んだ。午後のお茶を一緒にする為に。

 ビアンカは自分のこういう行為が差し出がましい事は分かっている。

 だが、会わせる事ぐらいはしてやりたいとも思う。

 ミルレの弾くオルガンを聴きながら、兄ダルビーに水出しの紅茶を淹れる。

 最近兄はシェスカが来てもわざわざ部屋に来る事がなくなった。挨拶程度になった。

 女特有の勘で振られたのねと、感じた。

 ミルレがその事に気付いているのかは分からない。

 振られたみたいよなどと気安くミルレには言えない。ある意味好機かも知れないが、そんな駆け引きはいらない。しっくりこない。

 オルガンを弾き終えたミレルにダルビーが拍手を送る。

 ありがとうございますと、金茶の髪を揺らしてミルレはお辞儀をした。

 

 のんびりとしたお茶会はディクリスの訪問で様子を変えた。

 初めて見る軍服姿は明らかに正装で、いつものおどけた表情がなければ一瞬誰だか判らなかったかもしれない。言い過ぎかもしれないが、それほど印象が違った。

 ディクリスの似合わないはにかんだ笑顔に、ダルビーは片眉を上げる。

 正装の意味が分からない程野暮ではない。ダルビーはミルレを連れて部屋を出た。

 

 ビアンカは兄がミルレを連れて部屋を出て行くのを、引き止めるタイミングがなくただ見送った。


 髪の付け根がぎゅっとする様な緊張と何処となく気まずさを感じつつ、ビアンカはディクリスの次の行動を待った。

 ディクリスはビアンカの前で膝を折り、口元に笑みを乗せ少女の白い手を取った。

 あれこれと言葉にする必要はない。

 伝えたい事は決まっている。

 回りくどく喧嘩友達を続けて、横から誰かに掻っ攫われるなんて事になったら冗談じゃない。

 硬い表情のビアンカに、はっきりとした口調でこう言った。


「私、ディクリス・ケフト・ディケンズはビアンカ・シア・ギールに婚姻を申し込む」

「……本気で仰っていますの?」

 ディクリスは笑う。この期に及んでそんな事を言うとはと。

 そういえば信用できないと言われたなと、頭を掻く。

 ディクリスはビアンカの手を取ったまま立ち上がり、ビアンカにとっては不遜にしか見えない顔で。

「思い知ればいいぜ? 俺がどんだけ本気かって事」

「今、わたくしがどれだけ迷惑かも思い知って頂きたいですわ……!」

 

 ビアンカは認めたくはないが、高揚した気持ちが顔を赤くしていくのが分かった。


***

 

 深い紺色を基調にした部屋は、ビアンカの部屋ほど広くはないが落ち着いた雰囲気に整えられていた。

 ミルレは初めて入るダルビーの部屋で緊張で体を硬くした。

 ダルビーはそんなミルレの様子など気付くことなく。

「どう考えても求婚に来たんだろうな。ミルレはどう思う?」

「え? どうって……2人とも仲は良いと思いますよ?」

「まあ、それはね。見てたら分かるけど」

 自信がある時とない時とじゃ勇気の度合いが違うよなと、小さく呟いたダルビーにミルレはどう返そうか悩んだ。

「自信の有無は関係無いと思います」

 ミルレは落ち着きなく両手の指を絡ませる。

「そうかな? 断られるの薄々でも分かってるのに告白するのは勇気いるよ?」

 自分に対してのけじめを押し付ける事にもなる。分かりきっていた事なのに。伝えた後、わだかまり無く居れるのはシェスカの優しさとダルビーの努力があるからだ。

「……気持ちは、伝えないと、言葉にしないと分かりません。自信なんて、どんな時だってないです」

 ミルレは、そうかな? と言うダルビーにミルレは笑ってやる。

 自信なんて無くとも知って欲しい事があると、目の前の青年は分からないのだろうか?

 何だか可笑しくも無いのに笑ってしまう。

 ダルビーはにっこりと微笑む少女を不思議な目で見る。

「難題だな。取り様によるんじゃないかな?」

 

「私はダルビーが好きですよ?」

 笑顔を調和する優しい声音で言うミルレを、ダルビーは目を丸くし見返した。

 ミルレは続ける。

「自信なんてありません。貴方の気持ちが今ここにない事は何となくわかります」

 でもと、ミルレは一度顔を伏せる。

 深く息を吸いダルビーを見詰める。

「でも、気持ちを知って欲しい。そういう乙女の本懐、思い知ってください」

 これから先のことなんて、きっと誰にわからない。

 自分の全部を信じられなくても、想う事は1つ、貴方が好き。


 ダルビーは何度も瞬いて、答えられないよと告げた。

 ミルレは泣きそうになるのを堪えて「先のことなんてわかりませんから」そう言って小さく笑った。


***


 ヴィルは、日が落ちてきた街の中をシェスカと並んで家路に付く。

 勉強を見ている間中気が散って集中出来なかった。

 

 ダルビーに告白されたというのは本当の事なのだろう。

 そしてシェスカは、もう答えを出しているはずだ。

 何を必要以上に怖がっているのか……。一言、聞くか伝えるかすれば済む事だ。

 アパートに着き、裏庭で別れようとした時に、ヴィルは揺れるシェスカの髪をひと房手に取った。

 どうしたの? と、きょとんとシェスカはヴィルに聞く。

 足を止めて鉄色の髪の青年を見上げる。

  

 告げる言葉は容易く出た。

 追いつかない気持ちなら、追いつかせればいい。


 風に乗ってリンゴの花の香りが庭を包む。

 素直な微笑でヴィルはシェスカの前に立つ。

「シェスカ」

 呼ばれた名前に、背筋をぞっとする感覚が襲った。

 はしばみの瞳から目が離せない。

 シェスカはじっと次の言葉を待った。

「僕は、シェスカが――」

「ああ、丁度よかったです! 師団長。ゼダ島の禁呪の報告書で訂正箇所がありまし」

 書類を片手にやってきたオトは、2人の様子に『まずい、しまった……』と居た堪れないプレッシャーを感じた。

 何をどう、取り繕えば良いのかヴィルにもオトにも分らなかった。

 展開を呆気に取られて傍観していたシェスカは。

「え、えっと、ヴィルさん、じゃあ、また今度ね。オトさんも失礼します」

 と、慌てて小腰を屈めて母屋へと駆け込んだ。

 

 オトは無言で立ち尽くす元上司に、ただひたすら謝った。

 ヴィルはかなり、泣きたかった……。



 自宅の扉を開けるとシチューの良い匂いが鼻腔をくすぐった。

 シェスカは手を洗い、夕食の支度を手伝いだした。

 先ほどの出来事は頭から追いやる。そうしないと麻痺しそうだ、気持ちが、溢れ過ぎて。 


 シェスカは鼻歌を歌いながらパンを焼き直す母を見る。

 ふと口にしたのは好奇心ではなく、疑問からだ。

「ねえ母さん。母さんは再婚とか、考えた事無いの?」

 え? と、カシェはぽかんとした。そしてふふっと笑った。

「そんなのあるわけ無いじゃない。お母さん、お父さんが好きなんだから」

 ほら、お皿並べてと、カシェは笑う。

 

 シェスカは、そんな母の笑顔を見て、温かくなるのと同じ位、胸が辛くなった。


 好きだと思い続ける事の真摯さと、切なさと少しの痛み。

 

 温かさと共に、思い知らされた気がした。


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