第一話 林檎のお茶と魔法師と少女
第一話 林檎のお茶と魔法師と少女
北大陸アパフィール地方最北端に位置し、国土の3分の2を山と森でおおわれたビュードガイア王国。
北にはロン山脈をはさみギュナン海域、西はフィール海、東にビルガ火山帯を国境にギナ皇国、南に大陸一の国土を誇るファイゼン王国がある。
深い森におおわれたビュードガイア王国は長く戦など行っていなかったが、今より10年前、ギナ歴437年。ファイゼン王国ペンハイアー領領主が国境を侵し金の盗掘を行ったことが明るみになり、翌年領主同士のいざこざから国同士の戦へと転じた。
のちにシェファ大戦、3年戦争とも言われる戦いは、国力・物資・軍事力、全てにおいて勝っていたファイゼン王国側の勝利かと思われた、が圧倒的な魔法師たちの力によりビュードガイア王国の事実上圧勝に終わり平和協定が結ばれることとなる。
この勝利には、黒の魔法師と言われたビュードガイア王国王宮魔法師団長の活躍が大きくあげられている。
捕虜としたファイゼン兵士30名を魔法耐性の媒体を持たさずに、ファイゼン王国国王の寝室に転送したのである。
考えてみていただきたい、個体の耐性が必要な魔法を、耐性のないただの兵士に使うという事を……。熱に耐性のない物に熱湯をかけたら壊れるのと同じだ。
結果、29名が空間転移に耐えられず死亡、唯一生き残った1人も普通に社会生活ができる状態ではなくなっていた。
そこに来てやっと「手を出してはいけない国」としてビュードガイア側の勝利に終わったのである。
シェファ大戦から6年――― ビュードガイア王国王宮魔法師団が所属する王宮軍統合総括部第3執務室で今年56歳になるタルズ元帥は、泣きそうになっていた。
自分が休暇を取っている間に裏で手を廻し辞表を提出し受理させた部下を思い泣きそうに、いや心で泣いていた。
確かに、自分に直接辞表を出しても受理するわけは無かっただろう。しかし、だからといって不在中にに勝手に辞めて王都からも出ていくとは考えもしなかった。
もう一度、渡された辞表を見る。とても簡潔な文面だった――。
『お世話になりました。隠居します』
黒の魔法師と異名をとった王宮魔法師団長ヴィルブラインの字に間違いがないことを再度確認し。
「王は何をお考えになって許可されたのだ……」
と、つぶやき……本当に泣けてきた……。
***
今年16になったシェスカ・フォンボルトは青褐色の瞳を後ろに立つ青年に向けてさり気なく観察していた。
どこか抜けている母と、最近足腰がめっきり弱くなった祖母を自分が守らなくてはならないのだ。変な人物をアパートの住人として迎えるわけにはいかない。大家として入居者を見ることは大切なことでもある。
鉄色の髪とはしばみ色の瞳。物腰の柔らかそうな青年を見上げ言う。
「2階は5部屋、ウルブリヒト学園の生徒さんたちです。1階は3部屋、右手の部屋はオーデルさん御夫妻。左手の部屋は空き室です」
説明に青年はうなずき、突き当りの部屋の前でシェスカに質問した。
「荷物はもう中に?」
「今朝届いた分は部屋に入れてもらっています。中、確かめてくださいね」
答えて、木造りの扉を開け。
「鍵を付け替える場合は先に言ってください」
と、青年に今開けた分の鍵を渡す。うなずき青年は受け取り、今日から住むことになる部屋へ入る。
入ってすぐに台所と食堂、左側に小部屋あり換気の為か扉は開いていた。右手には多分寝室であろう、こちらも扉が開いている。台所にも扉が一つ。
「あのドアは?」
聞くと少女は、裏庭に出られますと言って何やら書かれた紙を差し出してきた。
「家賃は毎月末に集金に来ます。翌月分の前払い制です。この紙は受けとった際サインしていきますから失くさないでください。それと、いちおう掃除はしておきましたが気になるならあとはご自分でお願いします。夕方までならあたしも手伝いますので」
「はい。―― ああそうだ。近くに食事ができる店は?」
「定食屋と酒場があります。定食屋は持ち帰りもできますけど、お皿は持参で。借りると別料金かかりますから。地図書きます? 案内しましょうか?」
「いえ、地図で……」
わかりました、と少女はうなずいて「わからない事があれば母屋まで来てください」と部屋を出ようとした。先に届いた荷物を確認していた青年は少女を見やり。
「えっと、フォンボルトさん? 入居の審査は?」
「紹介状もちゃんとしていますし、前払い分もきちんと頂いています。それに、シェファ大戦で負傷して退役されたのでしょう? そんな方、断れないわ」
遠慮がちに言われた言葉に内心冷汗がでる。すいませんピンピンしています……。
「大家として隣人として、これから宜しくお願いしますね? ヴィルブライン・ヴァン・カフカさん」
にっこり笑って言う少女につられて、ヴィルブラインも笑顔をかえした。
ビュードガイア王国王都シェールから西へ馬車で4日ほど。フィール海方面では1番大きな町であるラインザル町に移り住んでから2週間、引越しの片付けも終わり―― 着替えと本程度しか荷物はなかったのだが……どうにか落ち着いてきた。
北国の夏は短い。それでも暑いことには変わりなく、汗が頬を伝い顎から落ちる。
ヴィルブラインは汗を流しながら洗濯をしていた。
大家の家とアパートの間にはリンゴの木がある庭があり、雪が積もっても埋まらないように屋根付きの共用の井戸がある。その井戸の横でガシガシと汚れがなかなか取れないシャツと格闘している……。
― とれないかも…… ― あきらめかけた時、後ろから声をかけられた。
「染み、とれないんですか?」
少し高めの、この2週間で随分聞きなれた少女の声に手を止めて振りむく。しゃがんでいるのでヴィルが見上げる形になった。
「あー、まあ」
あいまいに返事をかえす。子供じゃあるまいし食事中にソースをこぼした、とは11歳も年下のシェスカには言いにくい。
「そんな洗い方じゃよけい染みになりますから。あの、お塩は?」
「塩?」
「染み抜きに使うので、あるのなら持ってきてくださいますか?」
知らなかった……塩で染み抜きができるのか? しかし塩がない。料理が全くできないこともあり、調味料類は買いそろえていない。
「お塩くらいはあった方がいいと思います」
塩がない、というとちょっと呆れ気味に言われた。昼から買いに行こう……。
結局洗濯は昼から買い物の荷物持ちをする代わりにシェスカにしてもらった。もう落ちない、と思っていた染みは結構簡単に落ちた。……塩は素晴らしい。
「じゃあ、絨毯も何もまだなかったの?」
並んで歩く自分より頭1つ分くらい背の低い少女は瞳を軽く見開く。まだ幼さの残る顔は美人というより愛らしかった。
瞳と同じ青褐色の少し癖のある長い髪はあかるい山吹色のリボンで一つに結われていて、歩くとサラサラと揺れている。
(馬の尻尾みたいですね)思ったが口には出せない。
「引っ越してから部屋に合うのを買うつもりでいたので。今朝買いに行って配達を頼んできたから。片づけの手伝いを頼める人いますか?」
絨毯とタペストリーなどの調度品を買いに出て、定食屋で朝食を取っている時にソースをこぼしたのだ。
今はシャツをシェスカに洗濯してもらった代わりの荷物持ち中だ。じゃが芋やら鹿肉やらを買い込んで、自分用に塩も買った。
石造りの町並み。露天には野菜や果物、ガラス製品に日用品と様々な品が目を楽しませ行きかう人々の足を止める。
短い夏を満喫するように街は活気にあふれていた。そんな様子を見ながらヴィルはなんだか嬉しくなる。ただ街を歩く。それがこんなに和やかなものとは思わなかった。
ふっとよぎった後ろめたい気持ちは胸にしまう。
もちろんお礼はしますので、と手伝い賃の額を伝えたら「多すぎるわ」と言われた。
「銅5枚で十分です。明日でもいいのなら、午後から手伝ってくれる人を紹介しますわ」
言ったシェスカに助かりますと、ヴィルは礼を言う。
母と夕食の支度をしながらシェスカは新しい住人のことを考える。
ヴィルブライン・ヴァン・カフカ。27歳。退役軍人。顔は、まあそこそこ整っている。
元軍属とは思えない、おっとりとした、なんだか世間ずれした青年だと思う。
昨日は庭にあるリンゴの木の下で昼寝をしていた。夕方になっても寝ていたので、声をかけたら「分かりました、適当にサインしといて下さい」と、訳のわからない寝言を返された。
それに……部屋の片づけの駄賃に銀3枚、なんてどうかしている。
裕福な家の子の 一月分の小遣いくらいある。― ちなみにシェスカは銀半枚分だ。
お小遣いというよりは刺繍の内職で得た賃金の内から自分で決めた額だが。
そういえば、洗ったシャツは絹で作られていた。絹のシャツを普段着にできる人がどうして築35年のアパートに来たのか?理由がわからない。
賭博や女性で失敗して逃げてきた? いや、そうは見えない。
そもそも本当に傷痍兵なのか? どうみても健康体だし持病があるようにも思えない。
よし。とシェスカは1人うなずく。気になるなら自分から行けばいい。
***
はたきをかけて床を掃いて、毛の厚い深緑色の絨毯を敷く。
壁には赤茶色のシンプルなタペストリーをかけていく。ようは冬支度だ。
まだ夏なのでは? と思っていたら北国では死活問題になる。涼しくなってきたなぁと思ったら、あっという間に雪が降り出してしまう。
石造りの建物が主のこの国では絨毯やタペストリー、毛皮の敷物で部屋を暖かくしつらえるのだ。毛織物のシェール織はこの国の特産品でもある。
「こんなものかしら?」
と、花柄の前掛けに三角巾をしたシェスカは、部屋を見渡しながらヴィルに言う。
結局手伝いにヴィルの部屋を訪れたのは、人を紹介すると言ったシェスカ本人だった。
石壁や床がむき出しだった部屋が彩りを変える。
お茶でも淹れましょう休んでいってください、と言ったヴィルの言葉をシェスカはありがたく受ける。
もともとお近づきになってあれこれ話をする為に手伝いに来たのだから、断る理由はまったくない。
「助かりました。フォンボルトさん」
シェスカは差し出されたリンゴの花のお茶を受け取る。甘い香りが部屋に広がる。
「シェスカでいいわ。ねえ、聞きたい事があるのだけれどいいかしら?」
シェスカの言葉にうわぁきたぁ、と思いつつヴィルは笑って聞き返す。
「何です?」
「ヴィルブラインさんって本当に軍人だったの?」
「ええ」
「怪我をして退役なさったのでしょう?」
「ええ」
「うそでしょう?」
「どうしてそう思うんです?」
「だってどう見ても健康そうですもの。それに、剣を持つ人の手じゃないわ、もっとこう……硬そうでしょう? 軍人さんの手って」
よく見ているな、と感心しながらヴィルは茶を一口飲む。
「剣は、まあ訓練はありましたが、向いてなかったですね。―― 僕は魔法師です」
魔法師ということは別段ばれても困らない。言わずにいて変に探られるよりは先に言っておいた方が好奇心をそげる。が。
「うそっ!」
(んー、やっぱり驚きますか)
もともと魔法師というのは修行すれば誰でもなれる、というものではない。
魔法師には個体の魔法に対する耐性が必要であり、耐性は主に遺伝性である。
故にビュードガイアは民族としては閉鎖性をもっている。魔法師育成・擁護の為に外の血をあまりいれていないのだ。
それでも他国と陸続きの王国で単一民族とはいかず、遺伝性はかなり薄れてきてはいる。
北大陸全体で見ても魔法師の数はかなり減ってきている。他国の倍以上の魔法師の数と力を有しているこの国においても、王都でもない限りそうそう見かけることはない。
町の教会にも1人2人治療師としているかいないかだ、驚くのも当然だ。
「うそよ絶対!魔法師なんて選ばれた優秀な人たちじゃないの?! そんな……よだれ垂らしながら庭で昼寝してる人が魔法師だなんて信じらんないわよ!」
「…………」
ヴィルはなんだかちょっと自分が情けなくなった……。
「だいたい魔法師なら王都でそれなりの生活できるんじゃないの? 魔法に使う道具とかって魔法師の血とかからしか作れないって、そういうのを作るだけでも食べていけるんでしょう? そりゃここら辺りじゃ一番大きな町だけど、わざわざ退役した魔法師が住み着きにくる場所じゃないでしょう?」
少し頬を赤らめて矢継ぎばやに聞くシェスカにヴィルブラインは。
「普段、そういう話し方なの?」
と、少しずれたことを聞き返した。
「…………」こほん、と空咳ひとつ「お、お部屋をお貸しする以上、素性は確認させていただきたいので。いくら紹介状がきちんとした物でも、なんだか……疑問に思えますわ」
いまさら遅い、と思いつつもシェスカは言葉づかいをただす。
それにヴィルは自然に笑う。
引っ越してからの食事はだいたい近くの定食屋か持ち帰りですませている。アパートの大家 ― 正確にはシェスカの母だが ― の噂もずいぶん耳にした。
おっとりした母と年老いた祖母の面倒をよく見ているとか、刺繍の腕前は町で1,2を争うとか、しっかりしなくちゃと頑なな所がたまにキズとか……。
多分、今もそうだろうと思う。自分が隣人として、ふさわしくない人物なら追い出す気かもしれない。
あまり使いなれていないだろう言葉で話して、子供っぽく見られないように気をはって……。その姿はとても好ましく思えた。
追い出されないようにしなくては。林檎の木の下も、とても気持ちがよかったのだから。
「普段どおりに話して? その方がいいよ。僕のこともヴィルでいいから」
お茶を一口。内緒話をするように、小声でシェスカに伝えた。
「ひみつにしていてくださいね? 実は―― 昼寝をするために退役したんです」
シェスカは眉をしかめて、はあ? と言った。
ギナ歴447年夏、魔法師と少女は一緒に林檎の花のお茶を飲んでいた。
初出 2009.2~