僕の疑問
何故、世界はこんなに残酷なのだろうか。
何故、世界はこんなに美しいのだろうか。
何故、世界は回るのだろうか。
何故、動物は生きているのだろうか。
何故、人間は存在しているのだろうか。
何故、僕は生まれてきたのだろうか。
何故、この世界は死んでいるのだろう。
そう思い始めたのは、いつだったか覚えていない。
いや、むしろ、これは思ったことなのか?生まれた時から持っていた疑問かもしれない。それすらわからない僕は何なんだろうか。
「学んでいくことで分かっていく」って誰かが言ってた気がした。だけど、それは、学校で、全て教えてくれるわけじゃない。だからといって社会に出て、就職して死ぬまでに疑問が全てわかるわけじゃない。じゃあ、どしたらいいのか。
簡単な話だ。考えなければいいんだ。疑問なんて持たなければいいんだ。そしたら、悩むこともなく、苦もないだろう。
だが、疑問を持たなくなれば、感情もなくなる気がする。そうしたら、人間でもなくなるんじゃないか。
あぁ、また疑問が増えた。疑問を解決しようと考え、自分なりの答えを出すと、次の疑問が出てくる。考えることをやめるなんてできないのかもしれない。
これは、一種の欲なのかもしれない。全て知りたいなんて欲張りなのかもしれない。でも、知りたいと思えば、自分で考えるのが当たり前だろ。
例えば、算数、数学も問題がわからない。でも、ヒントは十分に与えられいるから、時間をかければ解ける。
例えば、PCで出来るフリー探索ゲームが攻略できない。でも、アイテムや、周りを調べれば前に進めるようになる。
これと同じものだと、僕は思う。
今疑問に思ってることは、これらに当てはまるものもあれば、当てはまらないかもしれない。つまり、ヒントはどこかにあるということだ。算数や数学の問題みたいに目に見えてるものもあれば、探索ゲームのように、探さないと目には見えないもの、もしくはそれ以外の方法。
それを、当てはめてどう答えが出るのか、楽しみなんだ。自分で考えた答えは、答え合わせをしなければならない。
例に出したものは、調べれば統一された答えが出てくるが、僕が疑問に思ってることは調べても統一された答えは出ない。
だから、全てを知りたい。どれが本当で、僕の導き出した答えは正しいのか。
そして、僕の存在を知りたい。存在している意味。
だから、僕は求め続ける。