この世界で生きること
現在、この作品は加筆(改訂)作業中です。
まだ、第二話以降は加筆(改訂)作業は終了しておりません。
ご注意ください。
愛犬に、深刻な相談した日から十数日過ぎた。
彼も、舌足らずではあるが、「ろあ」(ロラ:愛犬)「まんま」(ママ:母親)「うんば」(ウバ:乳母)「ぱぱ」(パパ:父親)「じーじ」(ジージ:祖父)を含む、簡単な言葉の発音が出来るようになり、微妙なコミュニケーションを周囲ととりつつある。
更にやっと、『這う』から、『ハイハイ』が出来るようになった今、ようやく周囲の状況が分かってきた。
家庭環境は、祖父と両親と自分の四人家族、祖父の顔は厳つい、物心つく前には本能に任せて、あやしてもらったのに泣きだすくらい厳つく、またガッチリしている。まるで、ファンタジー世界のドワーフの伸長を高くしたような感じである。逆に父親は、やや痩せ型で整った穏やかな顔をしている。(彼が父親は祖母似だねと思うくらい)祖父とは対照的だ。二人とも髪・眼ともに黒だ。そして、母親、金髪碧眼で、少し病的な感じで線が細い。
彼は、三人に「ラトゥ」と呼ばれながら、大切に優しく育てられている。
(あぁ、俺の名はラトゥって言うのか。まあ、ただの愛称かもしれないけどね)
あやしてくれる父と祖父の手からは、土の匂いがする。ラトゥにとっては懐かしい匂い。もしかしたら、農業を生業としているのかもしれない。
更に、乳母が二人、多少の事では動じない大らかで豊満な赤髪の女性と、少し几帳面で線がやや細い優しそうな銀髪の女性。どちらの乳母も彼を大切に扱っていた。
勿論、この事から二人の乳兄弟がいる事を推測した。
そして、この家は広い。まだ行っていない部屋があるが、十数部屋ありそうだ。また、乳母を雇う余裕があることから、大農園の一家かな?と、彼は推定した。
(何だかんだで俺は、また幸せな家庭に生まれたんだな。もう少し家が狭ければ成功したんだけど……)
数十回目の愛犬に乗って外の世界へ行こうとしての失敗の最中、赤髪の乳母に抱えられながら思った。
(しかし、いつ外に出してもらえるんだろうか?ついでに乳兄弟にも会えるんだろうか?)
更に数日経った。
暖炉の有る応接間で、三人の女性が編み物し、三人の乳幼児が木製の玩具で遊んでいる。いや、二人の乳幼児が無邪気に遊び、もう一人が本能に逆いつつ周囲を窺っていた。
チャチャチャチャチャチャ
床と爪で、小気味良い足音をたてながら、愛犬は、神経質になりつつあるラトゥの元に向かってくる。ほかの二人の乳幼児が気付き対照的な反応を示す中、彼が叫ぶ。
「ろあ、あぅ」
『ロラ、待て』
愛犬は、一瞬の躊躇の後、その場に留まり座る。
(よし、いいぞ。そのポジションだ)
怯えていた大人しそうな銀髪の乳幼児が、近づいてこないことを確認して再び玩具に向かい。やんちゃそうな赤髪の乳幼児が犬に向かおうとするが、ラトゥは機先を制して玩具を渡す。
目の前の玩具に関心が移ったのか、その玩具に没頭する。
(二日前は、失敗したらな)
胸を撫で下ろしながら、前回、ロラが近付いて、片方が泣き喚き、もう片方が愛犬の毛を引っ張り、それを嫌がって吠え掛り、その吠えたことで二人揃って泣き出した。
(悪夢だった。遊んでいる風を装って、ロラに乗って外へ行く計画が、阿鼻叫喚の地獄絵図。最悪なことに 昨日はロラが背中に乗せてくれなかった)
玩具で遊びながら、母親と二人の乳母を窺う。
三人とも、編み物しながらお喋りをしている。
彼は大きく深呼吸し、また愛犬の尻尾を引っ張りたいのか、玩具を片手に愛犬を窺う赤毛の乳兄弟を横目で見る。もう一人の乳兄弟も確認するが、愛犬が近付かないと理解したのか素直に玩具で遊んでいる。
その素直に遊んでいる乳兄弟に、とっておきの玩具、振ると音の出る木製のガラガラの様な物を、目の前で振り、目の色が変わったように興味を示したのを、確認したうえで断腸の思いで渡し、彼は愛犬に向かって這う。
彼の後ろでは、ガラガラの取り合いが始まる。
二人と愛犬の中間の位置でラトゥは機会を待つ。
後方での二人の鳴き声。玩具を奪い合った結果。泣き出し、大人が二人の方に向かう。
この瞬間を待っていた。
(今だ)
ラトゥは、ハイハイする。密かに習得していた通常より早い高速ハイハイで愛犬の元へ。耳をピクピクしがなら伏せている愛犬の背に、いつもより素早く乗り
「ろあ、あえぇ」
『ロラ、行けぇ』
「わん」
小声で意思疎通して、愛犬とラトゥが犬用ドアに一直線に向かう。
まだ、大人は二人の騒動で、一人と一匹の行動に気付かない。初動の差が計画の鍵だった。
気付かれた時には、犬用ドアは目の前だった。
一週間前に一度だけ、ここまでは来れた。だが、ドアの狭さに邪魔され、どこぞのコメディの様に愛犬は外へ。ラトゥだけ壁に邪魔され、彼はズルズル滑り落ち家の中で悔し涙を流した経験がある。
(これも、対応済みだ)
愛犬にしがみ付き叫ぶ。
「ろあ、あぅえぇ」
『ロラ、低く飛べ』
「わん」
愛犬はヘッドスライディングの要領で、低く飛び。ラトゥの頭をかすめながら扉を通過する。
その調子で、部屋を抜け、廊下を走り、正面玄関の(ロラ専用の)扉も、再び息の合ったコンビプレイでクリアーし、ついに念願の外の世界へ。
青い空、白い雲、ついでに周囲が薄ら白く光り輝く雪化粧した極寒の世界に出る。
「…っふぅぅ」
『さっむぅぅ』
「わん」
一瞬で体温が奪われる。肌着以外身に着けていなかった。ラトゥは震えながらロラにしがみ付く。ロラの体温だけが生命線だった。
(冬だったら、冬って言ってよ)
想定外の厳しい世界に、泣き言を言いながらも周囲を見回す。
(やっぱり、広い屋敷だ)
広い庭、立派な木製の門構え、雪かきされた石畳の通路
(あれ?普通の農家にしては立派すぎない?村長とか?)
順調に門を出ると眼下には無数の民家が見える。それは街というよりは、大きな村の印象が強い。更に周囲を観察しようとした時。
愛犬が、鼻をヒクヒク動かし何かを感じると
「わをぉぉぉぉぉぉぉおん」
大きく遠吠えをして愛犬が走る。しかも、さっきより速度を上げて、まるで背中に乳幼児を背負っている感じはなく、何かに興奮しているように一直線に走る。
(そんなに速度を上げられたら、周囲を見れないじゃないか)
興奮している愛犬をなだめようと声を上げようとするも、しがみ付くのが精いっぱいで、声さえも出ない。
そんな逃避行は、唐突に終わりを迎える。
「わん」
一声、大きく吠えると二人のフードの人物に飛びかかり、背の低いガッチリした方のフード付きの外套が捲れる。そこには、鬚を蓄えた厳つい顔、一瞬驚いたような顔をする。だが、ロラを見るなり顔には笑みを浮かべロラの頭を撫で回す。
(ちょっと、ロラこの姿勢はキツいって)
二本足で立っている愛犬の体勢では、乳幼児の腕力では限界がすぐに来た。
転げ落ちようとした瞬間、もう一人のフード付きの外套の人物が助ける。
一瞬、本能に負けて半泣きになる。泣くのを察した人物が、フードを捲り優しくあやしてくれる。
しかし、ラトゥはあやしてくれることより男性の耳に釘付けになる、耳は木の葉の様で先端は細く尖っている。
(……エルフ?)
優しげなエルフ耳の男に、身振り手振りでせがみ耳を触らせて貰う。触った質感から本物みたいだ。
(……ここは異世界?ファンタジーの世界ですか?)
半分呆けている間に、複数のフードをかぶった人物が集まってきた。
エルフ耳の男は、何かを命令すると、集まってきた内の一人が暖かそうな毛布を持ってくる。すぐにラトゥは手際よく毛布みたいな物で包まれる。
寒さから解放され、平常心を取り戻したラトゥは周囲を見回す。
ここは少し開けた場所であり、馬から荷物を降ろしている最中だったようだ。
(あ~、この村と交易している人達かな?)
愛犬の慣れ方から、勝手に推測する。
「ラトゥ、ラトゥ、ラトゥ」
家の方から、着の身着のままの母親が叫びながら蒼い顔をして走ってくる。
エルフ耳の男が一言、二言、声をかけラトゥを渡すと、冷たい腕で優しく抱きしめた。
一粒、もう一粒、母親の涙がラトゥの頬に落ち、緊張が解けたのか声を押し殺して泣き崩れる。
小声で、ラトゥの名を呼びながら……
(俺は、とんでもない事をしてしまったのかもしれない。どこかで、日本の感じで行動していた。だけど、ここは日本では無いんだった)
後悔の念が胸を締め付け
「まんま、ごえんね」
『ママ、ゴメンネ』
静かに泣く母親に謝る。
(いつ以来だろう、こんなに素直に謝れたのは、こんな風に素直に謝れてたら……もう少し素直だったら)
戻れない世界が胸中を過ぎる。
少しの間、目を閉じる。
そこには戻れない世界、もう会えない人達……
ゆっくりと目を開く、そこには静かに泣く母親と青い空
(俺は、この世界で生きるんだ。悔いの無いように)