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双竜戦記 〜砂漠のスリ師と竜の巫女〜  作者:
第一章 スリと空賊
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第一章 スリと空賊 ②

「面倒なことになったな」


カイルはため息をついた。前髪にかかるブロンドを指でいじりながら、ずいぶん伸びたな、と思う。


 また独り言だ。思ったことをすぐ口にする自分の癖が嫌いだった。


「まったく、緊張しすぎだっての」


そう声に出して言ったことが、緊張している何よりの証拠だった。


 砂漠のオアシス、ディグラダードの路地裏で、カイルは不安そうに歩き回っていた。どこを見回しても土壁の家が建ち並び、人の姿はない。遠くに街の喧騒が聞こえる。


 見上げると、家々の間から宮殿の瑠璃色の屋根がわずかに見える。カイルはまたため息をついた。


 ことの始まりは一週間前だった。その日、朝日を頬に受け目を覚ましたカイルは、目をこすりながら寝床から起き出した。


 カイルが寝起きしているのは、貧民街の一角にある路上生活者の溜まり場だった。廃墟となりすっかり崩れ去った家と家の間の小さな広場にそれはあった。各々が持ち寄った古い布切れや藁の束などを廃墟の間に渡し、それを屋根がわりとして厳しい日差しや雨風を凌いでいた。


 カイルは物心ついた頃からこの広場に住んでいる。親はいない。そう聞かされているだけで、そもそもここに来る前の記憶がない。だが、それは実際どうでもよかった。ただ、毎日食べるものがあって、寝るところがある。カイルにはそれで充分だった。


「よおカイル」


「おはようカイル」


見慣れた顔が声をかけてくる。カイルも相手の名前を呼んで応じる。いつもと同じ朝だ。


 そう、今日もいつも通りの一日が始まる、そう思っていた。


「カイル!」


黄色い声がして、カイルはこちらに駆けてくる少女に目をやった。マルタは、四歳くらいの少女だ。五歳かもしれない。いずれにせよ、カイルとは一回りほど離れている。当然、正確な年齢は知らなかった。ここにいる人間はみんなそうだ。


 初めてやってきた時、マルタはまだ乳幼児だったが、みんなで世話をしてすくすくと成長した。いつしかカイルにとっては妹のような存在になっていた。


「どうしたマルタ、またハロゲンに怒られたか?お前があいつの飴を盗むから悪いんだぞ」


「違う!そうじゃない!」


「じゃあなんだ?」


 マルタは泣き出しそうな顔で一瞬口ごもる。


「パパが、パパが・・・・・・」


 朝日はみるみる高度を上げ、ディグラダードの高い壁を完全に超えていた。家々の間の狭い路地にも、日の光が例外なく差し込んでいる。


 その中を、カイルは息を切らして走っていた。


 マルタが言ったパパとは、グランのことだった。グランは、貧民街を束ねるリーダーであり、その思慮深さとカリスマ性、面倒見の良さで仲間から絶対的な信頼を集める男だった。そして同時に、ディグラダードの伝説的な盗賊でもある。


 カイル、そしてマルタは物心つく前からグランに育てられており、二人にとって彼は父親同然だった。マルタがグランをパパと呼ぶのも当然のことだった。


 特にカイルは、グランからその盗賊術を学んでおり、二人で街を訪れる富裕層から金品をくすねては、貧民街の仲間に分け与えていた。


 そんなグランが捕まった。マルタが告げた言葉を、カイルはとても信じられなかった。しかし、彼女は確かに見たという。グランが男たちに取り押さえられ、連れて行かれるのを。カイルは焦る気持ちを抑え、狭い路地裏を駆け抜けた。


 表通りに出ると、道の真ん中に人だかりができている。カイルは人ごみをかき分けて先に進んだ。


 人垣の先頭に出て、カイルは思わず声を漏らした。屈強な男たち数人に取り囲まれ、グランが地面に倒れ込んでいる。顔は大きく腫れ、口の端からは血が流れていた。


「親父!」


カイルは叫んでグランに駆け寄ったが、すぐに男たちに捕まった。


「待て、離してやれ」


声がして、カイルを掴んでいた男たちが一斉に手を離す。


 自由になったカイルは、声の主に目をやった。


「やあ、お前がカイルだな」


そう言ったのは、ぶくぶくと肥えた背の低い中年男だった。顔にはおびただしい数の吹き出物があり、たるんだまぶたの奥から小さな瞳がこちらを見ていた。


「誰だ?」


カイルが男を睨む。男の方は、それを気にする様子もなく、高級そうなマントを翻し、指にいくつもはめた大きな宝石の指輪をガチャガチャと鳴らした。


「私はダフリン公爵。当然、聞いたことがあるだろう?」


公爵は黄色い歯を覗かせると、鼻息荒く笑った。


「おいデブ、親父に何しやがった!」


カイルが怒号を浴びせる。


「貴様!こちらは現国王陛下のいとこ叔父に当たられる方だぞ、わきまえろ!」


屈強な男の一人がそう言ってカイルの胸ぐらを掴んだ。


「やれやれ、離してやれと言っただろう」


公爵がねちっこい声でそう言うと、男は渋々カイルから手を引いた。


「こいつらは私のボディーガードでね、優秀だがちと荒っぽい」


公爵はソーセージのように太い自分の指、その先端の爪を眺めながら言った。


「実はだね、そこに転がっている男が私の宝石を盗もうとした。だがもちろん、私は馬鹿ではない。すぐに気づいてこの男たちに取り押さえさせた」


公爵は砂の上に倒れ、肩で息をするグランに目をやる。


「しかし私は幸運だったよ、あの伝説の盗賊に会えるとは。王都から腰を上げて、こんな砂漠の真ん中まで来た甲斐があった」


カイルは黙って公爵を睨みつけている。


「盗賊には相棒がいる、それは知っていた。もちろん、その名前も突き止めていた」


それを聞き、カイルは心拍数が跳ね上がるのを感じた。


「相棒の名前は、カイル」


公爵は顔を上げると、意地汚い笑みを浮かべカイルを見た。


「私は君に用があってね」


「・・・・・・俺を誘き出すために親父を殴ったのか?」


「いや、正確には私は殴ってない。ボディーガードがやったんだ」


公爵がおどけたように言った。カイルは怒りに駆られ一歩踏み出したが、すぐに男たちが割って入る。


「・・・・・・俺に何の用だ」


「私は王族だが、ビジネスマンでね」


そう切り出した公爵の意図が掴めず、カイルは眉を上げる。


「お前には私のビジネスパートナーになってもらいたい」


「俺に何をさせたいんだよ」


「それはここで話せない、ついてきたまえ」


公爵はカイルに手招きした。


「親父はどうなる?」


カイルは一歩も動かず言った。


「ああ、この男なら私のボディーガードに送らせよう、お前たちのゴミ溜め、ああ違った、家までね」


「俺もついていく」


「だめだ」


公爵は厳しい口調で言った。


「お前には仕事がある。大丈夫だ、この男は責任を持って送り届ける。それとも、この灼熱の砂の上に置いて行ってもいいんだが」


公爵の嫌味な顔を見て、それからグランに視線を移し、カイルはため息をついた。


「わかった、話は聞いてやる」


「それでいい」


公爵は鼻を鳴らした。


 公爵に続いて、カイルは近くの建物の屋上に登った。そこは大きな屋根と、そこから伸びる日除けのカーテンのおかげで直射日光が入らず、明るいながらも涼しく、静かだった。薄いカーテンからは街を行き交う人々の様子が透けて見えた。


「くつろいでくれ」


公爵は中央のソファにどかっと座ると、カイルにそう言った。重い尻がソファに沈み込んでいる。両側には肌を露出した女性が立ち、大きな植物の葉で公爵を扇いでいる。


「さっさと用件を言えよ、〝デブ〟リン公爵」


カイルは高級そうな絨毯の上に立ったまま、公爵を睨みつけた。


 カイルを非難しようとした側近を手で制し、公爵は口を開く。


「さっき言った私のビジネスだが、人前で話すのははばかられてね」


「というと?」


カイルが冷静に返す。


「言ってしまえば、お前たちと同業ということだよ」


カイルは、ハッという呆れるような笑い声を上げた。


「あんたらも盗賊かよ。公爵が聞いて呆れるな」


「なんとでも言いたまえ。だが最後まで聞け、お前にも悪い話ではあるまい」


公爵はそう言うと太い体を折り曲げて身を乗り出した。


「我々が狙っているのは、宮殿の財宝だ」


カイルは目を見開いた。思わずカーテンの向こうの瑠璃色の屋根に視線を移す。


「驚いたか?そうだろうな」


公爵が笑う。


 カイルは落ち着きを取り戻すと、公爵に視線を戻した。


「あんた国王の叔父かなんかだろ?甥っ子から盗むのかよ」


蔑むような笑みを浮かべ、ソファの公爵を見下ろす。


「正確にはいとこ甥、国王は私のいとこの息子だ・・・・・・まあ何でもいいが」


公爵は緑の宝石がついた指輪を弄びながら言った。


「私はただ、あそこに納められた宝物の価値を知っているだけのことだ。そして、宮殿で腐らせておくより、より相応しい場所、あの宝物の真の価値を知る者の元へ届けたいと考えている」


「要するに、宮殿から宝を盗んで、金持ちに売りつけるって意味だろ」


カイルは冷めた口調と眼差しで言った。


「まあ、端的に言えばそうだな」


公爵は平然と言ってのけた。


「で、どうだね、協力する気はあるか?」


カイルはため息をついた。


「金持ちどものマネーゲームには興味ないけど、やらないと親父を殺すんだろ?他の仲間たちのことも」


「まあ、間違いなくそうなるだろうね」


公爵はまた指輪をいじりながら言った。


「選択肢がないんなら、とっとと始めようぜ」


カイルは、声が震えないように注意しながら言った。気づけば、肩が震え、膝も笑っていた。


 これまで道ゆく行商人や富豪、貴族から金品を盗んだことはあるが、宮殿に忍び込むなど考えたこともなかった。そもそも、貧民街から遠くそびえる宮殿は、カイルにとっては別の世界も同然だった。そこに立ち入る、宝を盗む、考えただけでも恐怖が全身を覆った。


 しかし、カイルは微塵も態度に出さなかった。不敵な笑みを浮かべ公爵を見据えていた。脳裏には、グランと仲間たち、そしてマルタの顔が浮かんでいた。


 遠くで大きな音がして、カイルは回想から引き戻された。どうやら大通りでサーカス団が爆竹を鳴らしたらしい。


 あの日から、カイルは一度も貧民街に帰っていない。公爵とその仲間たちから盗みの計画について聞かされ、その後一週間、準備に明け暮れていたからだ。グランは無事だろうか。マルタは、仲間たちは元気だろうか。公爵に何度か尋ねたが、返事はいつも、グランの容体は安定している、部下が見張っている、のどちらかだった。カイルを安心させると同時に、それは脅しでもあった。グランの容体を常に確認しているということは、いつでもその命を奪うことができるという意味でもあるのだ。


「よう」


低い声がして、カイルは顔を上げた。日陰から、顎ひげの男がぬっと現れた。不敵な笑みを浮かべ、少し目尻の下がった目の奥で漆黒の瞳が光っている。


「誰だ?」


「あんたの仕事仲間だよ」


「・・・・・・公爵はどこだ?」


周囲を見回し、カイルが聞く。


「あいつがここに来るわけないだろ」


これだから素人は、そう言いながら男は息を吐いた。


「じゃあ、あんたと俺だけでやるのか?」


男が頷く。


「ふざけるな!王宮に忍び込むのに二人だけなんて・・・・・・」


カイルは苛立ち、声を荒げた。


「人数は少なければ少ないだけいいんだよ」


男はしゃがみ込んで足元で何かを準備している。


「それに、あんたやり手なんだろ?聞いてるぜ」


男が立ち上がり、にやけ面をカイルに向けた。手にはロープが掴まれている。ロープの先端には、鉤爪のようなものがくくりつけられていた。


「あんたをどう信頼しろってんだ」


カイルが怪訝な顔で男を見る。男は堪えきれないとばかりに笑うと、カイルを見つめ返した。


「そうだ、自己紹介がまだだったな。俺はストレンダー侯爵。この街の領主であり、〝今から忍び込む宮殿の主〟だ。どうだ、少しは俺を信用する気になったか?」

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