第二章 それぞれの過去 ④
通りの石畳を踏み鳴らす音がして、フウの意識は現在に、狭い倉庫に引き戻された。ドアに近寄って外の音に耳を澄ます。子どもたちの楽しげな声が遠ざかっていく。
フウはほっと胸を撫で下ろすと、寝床の上に座った。寝床といっても、藁を積んでその上に古布を何枚も重ねただけの簡易的なもの。寝心地など考えている場合ではなかった。
フウは窓から差す陽光に目を細め、それから父の言葉を思い出す。父はあの男たちを王都から来たと言っていた。王家の紋章が描かれたブローチを身につけているとも。であれば、フウの家族を殺すよう命じたのは国王なのか。フウを追い、胸元にぶら下がる青銅色の笛を奪おうとしているのは、国王の意思なのか。
試しに、この国の王の姿を思い浮かべようとしたが、何も浮かんでこなかった。そもそも国王のこと、王家のことなどフウは何も知らなかった。
それでも、王都に来れば何かわかるかもしれない、フウはそう考えてここにやってきた。もちろん危険は承知で。
フウは足元から麻袋を取ると中を開いた。朝日を受け、宝石がいつも以上に美しく輝く。まずはこれを金に換えるところからだ。フウは一息つくと、腰を上げた。
地平線に朝日が昇ってきた。オレンジの光線を背に受け、岩山の稜線が鈍色に浮かび上がる。見渡す限り続く岩肌には、波がうねったような模様が刻まれている。吹き抜ける風が、数千年もの歳月をかけて作り出した、自然の彫刻だ。
岩肌の小さな砂たちが朝日を浴びてキラキラと輝く様子を、カイルは飛行船から見つめていた。甲板の端に立ち、銀色に鈍く光る柵に体を預けている。
空賊たちとディグラダードを発って初めての夜が来ても、あまり眠れなかった。与えられた小さな個室のベッドで一晩中寝返りを打ち、結局夜明け前に甲板に出て、それからずっと、取り留めのない考えを巡らせていた。
「早起きだな」
背後で声がして振り返る。ドウェインが船橋の壁に背をもたれかけて立っていた。手に持った紺色のマグカップから湯気が立ち昇っている。
「それとも眠れなかったか?」
背を壁から離すと、ゆっくりこちらに近づいてくる。
「分け前はたんまりやるよ。それを持って家族の元に帰ればいい。あんたは貧民街の英雄になれる」
隣に来ると、柵に片肘を乗せ、マグカップをあおった。カイルの鼻に、コーヒーの香ばしい匂いが漂ってきた。
「あの男」
しばらくの沈黙の後、カイルが静かに口を開いた。
「本物のストレンダー。あんたのことをドウェイン公爵って呼んでた」
ドウェインは黙ったままカイルを見据え、コーヒーを飲む。
「公爵ってことは、あんたも国王の親戚なんだろ。なんで空賊なんかやってるんだ?」
ドウェインはカイルから視線を外すと、朝日の方に向き直った。
「そんなにおかしいか?」
「おかしいだろ」
カイルが笑う。
「食う、寝るには苦労しない、一生金には困らない。その生活を捨てるなんて理解できないね」
ドウェインは黙って聞いている。
「もしかしてあれか?」
カイルがドウェインに体を向ける。
「王家に馴染めない変わり者で、反発して不良の道にいったとか?」
ドウェインが微笑む。
「まあ、馴染めてないのは間違いないな」
「じゃあやっぱり・・・・・・」
「二十年前の戦争を知ってるか?」
唐突な質問にカイルは一瞬驚いたが、すぐにその戦争について思い起こす。生まれる四年前のことで、経験したわけではなかったが、それでもよく大人たちから聞かされていた。
隣国のポーツマンド共和国と勃発した戦争は、両国が停戦協定に至るまでの約一年間続き、その戦いは凄惨を極めた。国中が荒れ、ディグラダードのすぐ近くまでポーツマンド軍が侵攻してきたこともあったという。その時は、昼も夜も遠くで砲撃の音が響き、街の通りのいたるところに負傷兵が横たわり、貧民街のすぐ近くにも即席の医療所が設けられていた。父親代わりであるグランから、当時の街の様子をそう聞かされていた。確か、つい最近停戦協定が破られ、戦争が再開したと風の噂で聞いた。
「ああ、色々聞いてるよ」
「どんな風に?」
「どんな風って・・・・・・激戦だったらしい、くらいにしか知らない」
「そうか」
ドウェインの次の言葉を待ったが、彼はそこで黙り込んでしまった。
「なんだよ、その戦争がどうした?」
ドウェインが静かに、大きなため息をついた。
「当時の俺は、戦いの最前線にいた。将軍としてな」
カイルは短く相槌を打つ。
「その時は、自分の行いに誇りを持ってたよ。祖国のために命をかけることは、気高くて、尊ばれるべき素晴らしい行いだとな。それに、あんたの言う通り俺は王家に馴染めてなかった。親戚からは一族の恥と呼ばれ、両親も扱いに困ってた。優秀な姉とは大違いさ」
ドウェインが自虐的な笑みをこぼした。
「だから、戦争で手柄を立てれば、親戚連中を見返せる、両親に認められる、そう思ってた。そりゃあもう、文字通り命がけで戦ったさ。連日連夜、各地を飛び回った。音を上げる部下は厳しく処罰した。おかげで俺の連隊は連戦連勝さ。もちろん人をたくさん殺した。捕虜は見せしめに吊るし、敵の領地に攻め入った時は、村も焼き払った。家畜を殺し、必要だと思ったら女子どもまで殺した」
カイルの顔に嫌悪の色が浮かぶ。だがカイルは、ドウェイン自身の顔にも同じ色が浮かんでいることに気づいた。苦痛にもがくようでもあり、自分を激しく蔑むようでもある、そんな表情だった。
「俺の心はみるみる荒んだよ。どこかの時点で気づいてたんだ、自分がやっていることは間違っているとな。でも目を逸らした。考えないようにしたんだ。考えたら、その瞬間心が壊れる気がしてな」
ドウェインの悲壮な横顔を、朝日が柔らかく照らす。
「でも今になって思う。あの時が引き返す最後のチャンスだったってな」
「・・・・・・それで、どうなったんだ?」
そう聞いてすぐに、マグカップを持つドウェインの手が小刻みに震えていることに気づく。
「ある時知らせが入った。ブラームラに敵軍が奇襲を仕掛けたとな」
ブラームラ、カイルもその名前には聞き覚えがあった。
「王家の保養地か」
「そうだ。俺は嫌な予感がして、すぐにブラームラに向かったよ。あそこは小さい頃からよく行ってた。高地に大きな湖があってな。周りには一面緑が広がってて、その奥には何千メートルもある山がそびえ立ってる。山頂には夏でも雪が見えたよ」
ドウェインはそこで短く息を吐く。
「俺は到着した時、そこがブラームラだと信じられなかった。一帯は焼き払われてて、まだ火の粉混じりの煙が上がってた。湖には死体がごまんと浮いてたよ。ほとんどが王家の護衛兵だが、中には王家の人間もいた。俺は血眼になって両親を探したよ。その時期は毎年、両親もブラームラに行ってたからな」
カイルは黙ったまま、ドウェインを見つめる。
「小一時間探して、見つけたよ、王家の別荘から少し離れた森の入り口で。親父は胴を真っ二つに切られてた。両目をくり抜かれて、それがぽっかり開いた口に詰め込まれてたよ。お袋は全身に矢を受けてた。手足を釘で木に打ち付けられててな、弓試合の的にされたらしい」
カイルは眉間に深い皺を寄せ、小さく口を開いて、淡々と話すドウェインを見つめることしかできない。
「何が一番恐ろしかったと思う?奴らが俺の両親にした拷問を、俺も敵兵にやってたってことだ」
カイルが目を見開く。驚愕と嫌悪と、それに恐怖が入り混じった目がドウェインに釘付けになる。表情ひとつ変えずに話す目の前の男の、その顔の皮膚のすぐ下で、怪物が息をしている気がして悪寒が走った。
「戦場でよくある〝お遊び〟さ。あの頃はみんなやってた、どっちの軍もな。誰もそれが異常だと気づいてなかった。みんなもうとっくに壊れてたんだよ。それがわかった瞬間、俺はその場で吐いた。体の中のものが全部出たんじゃないかってくらい吐いた後、気を失ったよ」
ドウェインの手の震えは止まっていた。マグカップから昇り立つ湯気も、もうすっかり消えている。
「目覚めた時、俺は王都の自分の家にいた。一週間眠りっぱなしだったらしい。その間に停戦協定が結ばれて、戦争が終わったと知った。まあこっちは国王と王妃が殺されたんだ、対等な条件の停戦で済んで良かったってところだろうな」
「・・・・・・ちょっと待って、国王と王妃?じゃあまさか・・・・・・」
「ああ、俺は国王の息子だ。出来損ないの王子様さ」
「・・・・・・それで・・・・・・」
「王位は姉さんの夫が継いだよ。その時の俺はとてもじゃないが・・・・・・わかるだろ?」
ドウェインがまた、自嘲するように笑った。
「俺は姉さんの情けで公爵の座についた。元王子が公爵に、なんて世間じゃ笑いものだったが俺は気にしなかった。もう心はとっくに死んでたからな。ただ、静かに生活できればいい。淡々とくだらない仕事をこなしたよ。ところが・・・・・・」
ドウェインの横顔に、初めて違う色が浮かんだ。それが怒りだと、カイルにはすぐにわかった。
「俺は見てしまった、たった一枚の薄っぺらい書類を。それは密約書だった。ポーツマンドの大臣とボルドー将軍の間で交わされたな」
「ボルドー将軍?」
「この国の軍隊を統べる男だ。王家の人間じゃないが、一兵卒から立身出世して最高司令官までのし上がった。父の代から重用されてたよ。そのボルドーが、隣国の大臣と組んで、戦争を始めた。その内容は口に出すのもおぞましい。お互いに国の連中を煽り立てて戦争を起こす。戦いが激化して〝ちょうどいい〟頃合いになったら、ボルドーが国王と王妃を殺す。そのタイミングで停戦成立。しばらくは後釜の国王、つまりは俺の姉さんの夫が務めるが、その国王も暗殺する。すると王位の行方はどうなるか。不良品の弟に国王は務まらないとなり、姉さんが女王になるのは必然だ。しかしこの国では女の王位継承に否定的な声が大きい。程なくして王位は姉さんの幼い息子、俺の甥に引き継がれる。そうなれば傀儡として操るのは容易い。つまり、密約書に書かれていたのは、ボルドーによる国家転覆、王位簒奪の計画だったんだ!」
ドウェインは吐き捨てるようにそう叫び、肩で息をした。いつのまにか、その顔が紅潮している。
「もちろん俺はすぐに、姉さんと国王にそれを報告しようとした。ところが部屋を出たところでボルドーに鉢合わせてしまった。奴はすぐに自分の部下を呼び集めて、俺を殺すよう命じた。鳥のくちばしみたいな兜を被った、不気味な連中さ。ボルドーが個人的に傭兵を飼ってるという噂は知ってた。だがあれは傭兵なんかじゃない、殺し屋だ」
「それで、あんたは逃げたのか」
「ああ、途中で脇腹を刺されたがな」
ドウェインは右脇腹に手を当てる。
「なんとか王都を抜け出した俺は、人目につかないような場所を探した。地下闘技場や違法な港、当然危ない連中と関わることが増える。意外だったのは、俺はそういう連中とつるむのが苦じゃなかった。むしろ、王宮にいる時よりも自分らしくいられた」
「それで空賊になったのか。でもなんで王家の宝を狙う?ボルドーって奴への当てつけか?」
ドウェインが微笑んだ。
「ただの当てつけじゃないさ。俺には計画がある」
「計画?」
カイルがわずかに身を乗り出す。
「俺が逃げた後、ボルドーの計画は順調に進んだ。実際、そう経たないうちに国王は急死した。心臓がどうこうって噂だが、そんなもの毒を盛ればどうとでもなる」
カイルが頷く。
「王位は当然姉さんが継ぎ、つい数ヶ月前、その息子アーサーの戴冠式が行われた。幼い国王の誕生さ。それに前後して、停戦協定が解消、この国は今、戦争状態にある。まだ国境辺りで小競り合いがある程度だが、すぐに戦いは大きくなる。国が荒廃し、国民の不満は国王に向くだろう。まだ政務能力のない子どもに、この国は任せておけないと」
「ボルドーの狙い通りってことか」
「そうだ」
「でも、まだ話が繋がらない。なんであんたは王家の宝を奪うんだ?」
「金がなけりゃ、戦争はできない。王家は莫大な資産を持ってるが、そのほとんどが現金ではなく骨董品や美術品だ」
「つまりあんたは、王家の財源を奪って国が戦争を続けられないようにしたいのか」
「そういうことだ」
「でも、本当に悪いのはボルドーだろ?戦争を続けられないとなれば、ボルドーが強引な手に出るかもしれない。例えば国王を殺すとか」
「ああ、それも考えた。だがな、ボルドーお抱えの殺し屋たちは金で動く。奴でなく金に従っているんだ。だから奴の個人的な資産を奪えば、殺し屋たちはもう従わない。つまり、ボルドーは国王にも、誰にも手を出せなくなる」
「じゃあ次の獲物はボルドーってことか!この船は王都に向かってる?」
カイルの声が大きくなる。
「わかってきたみたいだな」
ドウェインが不敵な笑みを浮かべる。
「ちょっと待てよ。王都の、しかも将軍の宝を盗みに入ることなんて可能なのか?」
「確かに、警備は厳重だ。奴は誰にも知られてない秘密の宝物庫を持っているんだが、そこに至るまでには武装した警備兵が常にうろついてる。ディグラダードの宮殿みたいに甘くない。それにだ、肝心の宝物庫は頑丈で破壊するのはほぼ不可能、鍵はボルドー本人が肌身離さず持っていて、合鍵はないときた」
「じゃあ、鍵はボルドーから盗むしかないじゃないか。どうやって・・・・・・」
そこまで言って、カイルはその方法に思い当たる。
「その通り。だから一緒に来てもらったのだよ、カイル君」
ドウェインはまた口角を上げると、カイルの肩を叩いた。




