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双竜戦記 〜砂漠のスリ師と竜の巫女〜  作者:
第二章 それぞれの過去
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第二章 それぞれの過去 ③

 その夜は雨が降っていた。フウはいつものように、弟と妹に料理を作っていた。シチューを皿によそうと、溶けるほど煮込んだじゃがいもと玉ねぎが、乳白色のルーの中から顔を出した。


「えー玉ねぎ入ってる!」


妹がごねるような声を上げた。


「げっ!」


弟が顔を引きつらせる。


「しっかり煮込んだから、もう食感残ってないよ」


フウは優しく、しかし芯のある口調で言った。


「本当?」


妹が疑わしげにフウを見上げた。


「大丈夫、お姉ちゃんを信じなさい」


フウは胸を張った。


 恐る恐るシチューに手を伸ばした二人は、ほぼ同時に感嘆の声を上げた。


「すごいお姉ちゃん!本当に食べられる!」


「俺、もう苦手コクフクしたかも!」


舌が回らず、克服、の部分が怪しい弟に、フウは思わず吹き出した。


「ご満足いただけて何よりです」


そう言って二人に笑顔を向けたものの、フウの心には不安が広がっていた。


 どこまでも続く赤土の荒野。その広大な大地に、ひび割れのような亀裂があった。幅数キロに及ぶそれは、何千年もの歳月をかけて雨風が作り出した、渓谷だった。千メートルを超える高さの断崖が向かい合う麓には、小川が流れている。この土地では数少ない水場に動物たちが集まる光景は、この殺伐とした赤褐色の世界で、唯一生命の息吹を感じられるものだった。


 その断崖の中腹、わずかに平らになった部分に、フウと家族が住む集落はあった。村のあちこちに風車小屋が置かれ、渓谷を吹き抜ける強い風を糧として人々は生活していた。また、岩壁に巣を作る鳥の卵は大変美味であり、その入手の困難さからも、他の地域に高値で出荷されていた。そのため、卵はこの村の主な収入源の一つであった。もう一つの収入源は、岩壁に開いた洞窟の中で取れる、希少な鉱物、宝石だった。様々な色で美しく輝く宝石は、各地の富豪に売れ、さらには王家に献上することで評判と価値を高めていた。


 フウの両親が営んでいたのは、その宝石の採掘業だった。岩壁は険しく、洞窟は崩れやすかったため、採掘用の機械は持ち込めなかった。そのため手作業で採掘していたので、一度に取れる量はたかが知れていた。それでも、フウたち三姉弟を育てるのには充分な額が手に入っていた。


 真っ暗な窓に伝う雨粒を見て、フウは小さく、妹たちにバレないようため息をついた。


 雨の日は地盤が緩み、特に洞窟が危険となるため、作業は控えるのが決まりだった。


 今朝は雲ひとつない青空で、両親は何の疑問も持たずに仕事に出かけた。ところが、日が沈もうかという頃、急に暗雲が渓谷に立ち込め、あっという間に向かいの岩壁も見えないほどの土砂降りとなった。


 当然両親は心配だったが、普段でもまだ帰宅する時間ではなかったため、フウは必要以上に考えないようにしていた。ただ目の前の家事や、妹たちの世話に集中した。


 時計に目をやる。普段なら両親が帰っているであろう時間になり、いよいよフウの不安も抑えられなくなってきた。


「姉ちゃんおかわり!」


弟の無邪気な声が飛び、急いで何でもない顔に戻す。


「おっ、嬉しいなあ。手間暇かけた甲斐があるわ」


冗談っぽく笑い、弟から皿を受け取る。


 キッチンから、もう一度時計を見やる。どこか遠くで、雷が鳴った気がした。フウは思わず首から下げた笛を握った。


 フウの小指ほどの大きさで、青銅のような金属で作られた笛。吹き口と、その反対に息が抜ける穴、そして吹き口のすぐ近くの側面に、斜めの切れ込みのような穴が一つ開いている。切れ込みと反対の面には小さな紋章のようなものが彫り込まれているが、風化していて、その図柄はよくわからない。


 何に使うのかも、誰がくれたのかも知らない。フウが両親に拾われた時、唯一身につけていたもの。フウがこの家族の中で、本当は一人だけ血の繋がらないよそ者であることを思い出させる、呪いの笛。


 にも関わらず、フウはそれをずっと持ち続けていた。お守りのように、肌身離さず持ち歩いていた。そして今のように、不安になると無意識に触る癖があった。


 ふいに玄関のドアが開き、父の顔が見えた。ずぶ濡れで、もみあげと繋がった豊かな茶色の髭から雫が垂れている。


「遅くなった!すまん」


「急にこの雨でしょ、洞窟でしばらく様子を見てたの」


父の後ろから家に入ってきた母が言った。肺炎持ちで寝込みがちだが、いつも明るく前向きな彼女に、フウは何度救われたかわからない。


「しかし全く止まんもんで、これは濡れて帰るしかないなという話になった」


父はハッハと笑い声を上げると、太い指を広げて弟の頭を撫でた。


 フウは安堵のため息をついた。


「もう、本気で心配したんだからね」


「悪かったなフウ。弟たちの面倒をありがとう」


父は本当に申し訳なさそうな顔でキッチンに入ってきた。


「それで、今日の収穫は?」


弟のおかわりを皿に掬いながらフウが聞いた。


「ああ、それなりだ」


父が小さな麻袋を開くと、中で色とりどりの宝石がジャリジャリと音を立てた。


 いい感じだね、というフウの言葉を背に受けながら、父は麻袋を流しの下の戸棚に仕舞った。


 ドンドン、というドアを叩く音がして、家族の視線が一斉に玄関に向いた。


「こんな時間に誰だ?」


そう言った父を見て首を傾げた母が玄関に向かい、ドアを開けた。真っ暗な嵐の中に部屋の光が漏れ、外に立つ男の姿を浮かび上がらせた。漆黒の装束に、同じ色の長髪の男。その肌は死人のように青白い。


「フウ、しゃがめ」


父が小声で言った。聞いたことのない、張り詰めて鬼気迫る声だった。フウは心拍数が跳ね上がるのを感じながらも、言われた通りにした。


「いいか、フウ」


父もしゃがみ込むと、血の繋がらない娘の目をまっすぐ見つめた。その瞳には警戒、不安、そして恐怖が浮かんでいた。


「絶対に動くな、絶対にだ。もし何か・・・・・・よくないことが起こった時は、あれを持って・・・・・・」


父は戸棚の方を見た。宝石のことを言っているというのはすぐにわかった。


「あるだけ全部持って、裏口から逃げろ。絶対に立ち止まるな、振り返るな。いいな?」


フウは釘付けになるように父を見つめ返すばかりで、言葉が出てこない。


「約束できるか?フウ」


父が落ち着いて、しかし凄みのある声で聞く。フウは無言で頷いた後、何とか声を絞り出した。


「約束する」


「よし」


父は立ち上がると、カウンター越しに玄関の方に向き直った。フウは戸棚の間から覗き込む。


 男はいつのまにか家の中に入ってきていた。その後ろには、鳥のくちばしを思わせる奇妙な兜を被った人物が何人も控えている。


「素晴らしいお宅ですな」


男は壁にかかった写真を眺めながら言った。その声があまりに冷たく、優しさや思いやりといった感情とは無縁に感じられ、フウは軽く身震いした。


「何の用ですかな?」


父の声は僅かに険しさを帯びている。


「お子さんが三人ですか」


父を無視して、男が言った。闇夜のように黒い靴を鳴らしながら、ゆっくりと食堂を歩き回る。弟が唾を飲み込む音が聞こえた。


「おや?」


男は立ち止まると、今や食事に全く手をつけず固まっている、弟と妹を見下ろした。


「一人足りないようですが」


男が突然体を折り、弟にぬっと顔を近づけた。弟が思わず体を震わせる。


「お姉ちゃん、どこかな」


低く抑揚のない声で、淡々と尋ねる。弟は自分の指を見つめて黙っていたが、男は弟の横顔を冷たい目で凝視している。


「お姉ちゃん、どこかな」


男は一度目と全く同じ口調で言った。


「あっ・・・・・・ええと・・・・・・」


弟が口を開いた。助けを求めるように、母と妹に視線を送る。


「娘はいません」


父が割り込むように声を上げた。男は弟から離れると父を見た。


「昨日から隣町に使いにやってましてな」


男はしばらく黙っていたが、やがて感情のない微笑を浮かべた。


「そうですか。いつ戻りますか」


「わかりません。娘には宝石を全部売り切るまで帰ってくるなと発破をかけているので」


父はハッハと笑ったが、フウの顔のすぐそばにある両膝は震えていた。


 ふむ、と小さく呟くと、男がこちらにゆっくりと近づいてきた。カウンターの裏で、父の足元で、フウは口元を抑えた。全身が震え、歯がカチカチと鳴るのを聞かれまいとして。


「それで、まだ用件を聞いていませんが」


父がカウンターを出た。男の足音が止まり、フウは静かに息を吐く。


「王都からいらしたんですよね。お仲間がつけているブローチでわかりましたよ。王家の紋章が付いていますからな」


フウは驚いた。王都の、しかも王家の関係者が、こんな辺鄙な村に何の用があるというのだろう。しかも話を聞く限り、その用件の相手は自分らしい。フウは食堂の様子が気になったが、もう顔を出す勇気はなかった。


「娘さんとは血の繋がりがありませんね」


男の言葉に、思わずフウは声を出しそうになる。確かにそうだが、なぜそんな話を持ち出すのか。耳を澄ましてみたが、父は黙っている。


「どのような経緯でこの家に?」


「・・・・・・あの子は捨てられていたんです。朝起きたら泣き声がして、軒先に赤ん坊がいた。王都じゃどうか知らないが、この辺りじゃ里親なんて探しても見つからない。だからすべきことをした。実の子として育てることに決めたんです。何かおかしいですか?」


父の声が熱を帯びていることに気づき、フウは嬉しく、誇らしい気持ちになった。


「いいえ、気高い行いです。こんなご両親に育てられたんだ、きっと素晴らしい娘さんでしょう。ぜひお目にかかりたい」


「ですから、まだ用件を・・・・・・」


「彼女は笛を持っていたはずだ」


男の声色が急激に変わった。より冷たく、思わず全身の毛が逆立つような恐ろしい声に。


「なっ・・・・・・何?」


父が口ごもる。意表をつかれ、動揺したのは明らかだった。


「笛だ。赤ん坊を拾った時身につけていたはず。そして今もまだ持っている」


「さあね、見当もつか・・・・・・」


そこで父の声が途切れ、続けて呻き声が上がった。


「お父さん!」


妹の悲鳴が聞こえ、フウは思わず戸棚の隙間を覗き込む。


 男が父の首を締め上げていた。長身の男に持ち上げられ、父の足が床板から浮いている。


 怒りに駆られ、フウが飛び出そうとした瞬間、父と目が合った。その意図はすぐにわかった。フウは悔しさに唇を噛み締めると、音を立てずカウンターの陰に戻った。


 次の瞬間、フウの背に衝撃が走った。父の体がカウンターに投げつけられたのだと気づく。


「なあいいか、俺はおしゃべりしにこんな僻地に来たわけじゃないんだよ」


苛立ちを噛み殺したような男の声が聞こえる。


 足音が近づき、父の呻き声が上がる。続いてパキパキという音。父の絶叫、家族の悲鳴。


「もう一本の腕も折られたいか?」


男の暗い、そしてこの上なく楽しそうな声が、フウの鼓膜に響いた。


「・・・・・・そうか、いいだろう」


バキッという、さらに大きな音。父は叫んだが、一度目より明らかに弱々しくなっている。


「娘はどこだ!」


男が初めて怒号を上げた。


 怒り、怖さ、無力感。感情がごちゃ混ぜになり、フウは大粒の涙を垂れ流していた。鼻水と涙が頬を伝い、口に塩辛い味が広がる。


「仕方ない・・・・・・」


男が立ち上がり、足音が離れていく。きゃっ、という悲鳴が妹のものだと気づき、フウの手足が冷たくなる。


「もう一度聞くぞ、娘はどこだ?」


男の声がうわずった。理由はすぐにわかった。笑っているのだ。


「・・・・・・そうか、わかった」


 妹の喚く声、やめて、という母の絶叫。続いてくぐもった低い声が耳に届いた。喉元を締め付けられ、満足に声を出せないような、呻き声。


 ごぎゅん、歪な音が鼓膜を突いた。どさっという、重いものが床に落ちる音。指先に振動まで伝わった。


 一瞬の静寂。次の瞬間、家中に響いたのは母の叫び声だった。あまりに痛々しい、言葉にならない声。決壊した川の水の如く、止めどなく溢れ空気を震わせる。


 ドンッ、という音が、母の声を止めた。弾を装填し直す音が続き、フウはそれが銃声であったことに気づく。気づいた瞬間、気づいてしまった瞬間、フウの心に暗闇が広がった。涙が止めどなく溢れ、嗚咽を止めるため必死で口を覆う。それでも止まらず、自分の手のひらに噛みついた。それでも歯は、音を立てずに震え続けている。


「ありがとうシン。おかげで静かになった」


男が言った。おそらく、発砲した部下に。


 その声があまりに自然で、あまりにも日常の匂いを纏っていて、フウは吐き気を催した。それすら断ち切ろうと、さらに歯を食いしばる。噛みついた手のひらから、ポタポタと血が滴った。


「さて」


男は言葉を続ける。


「妹は首を折って死んだ。お兄ちゃんはどうやって死にたいかな?」


弟の、歯がぶつかるガチガチという音が聞こえる。まだフウの半分も生きていない、小さな子どもが恐怖に蝕まれ、飲み込まれていく音が。


「お父さんに頼んだら助かるかもしれないよ」


男の声が、語尾に向かうにつれ不気味に甲高くなる。堪えきれず漏れ出した忍び笑いが後に続く。


「ほら、ほら、お願いしなさい。お姉ちゃんの居場所を教えて。僕を助けてって」


「あっ・・・・・・あっ・・・・・・」


弟の消え入りそうな声がした。


「とっ・・・・・・とっ・・・・・・父さん・・・・・・お願い・・・・・・」


ごちん、鈍い音が響いた。がん、ばん、ばちん、がん、がん、がん、がん。何か、硬いものに少しずつひびが入る音。少しずつ形が歪み、壊れていく音。


 フウは両耳を塞いだ。音が入ってこないよう、心が壊れないよう。それでも音は、指の間をすり抜けて、手のひらの隙間を通り抜けて、フウの鼓膜に、心に届いた。フウは想像してしまう。弟の顔が血で真っ赤に染まっていくところを。男が腕を振り下ろすたび、弟の頭が変形していくところを。虚ろな目が、カウンター越しにフウを睨みつけているところを。


「さあて」


男の声に、震えていた全身が凍りつく。と同時に、フウの頭が不思議と冷静さを取り戻す。宝石の入った戸棚を見やり、目の前のドアに視線を移す。裏口から逃げろ、父の声が脳裏に響いた。


 音を立てぬよう、床を這っていく。背後で、父をいたぶるような男の声がしたが、無視する。立て付けの悪い戸棚を慎重に開け、麻袋を二つ取り出す。何か硬いものが砕ける音が天井まで響いたが、無視する。宝石同士がぶつかって音が出ないよう、麻袋をしっかり抱える。柔らかいものを無理やり引きちぎるような音がしたが、無視する。身を屈めたまま、裏口のドアノブに手をかける。


 回そうとして、手を止める。ドアノブは甲高い金属音を上げる。たまに帰宅が遅くなり、裏口からこっそり入るとすぐに家族にバレたものだ。危うく、楽しそうに笑う家族の顔を思い出しそうになり、振り払う。


 何の前触れもなく、父の絶叫が轟いた。鼓膜を突き抜け、脳を揺すった。しかし、すぐに思う。今がチャンスだと。父の声に紛れ、ドアノブを回す。ドアがゆっくりと開き、今日は豪雨だったことを思い出す。頬にぴたぴたと冷たい感触を覚え、それに集中する。父の声が、断末魔の叫びだということは最初からわかっていた。だから考えないようにした。何もかも無視して、雨粒の冷ややかな出迎えに集中した。


「おや」


男の声がして、全ての音が消えた。まるで暗闇の中にポツンと立っているかのように、世界が遠のいた。自分の心音さえ聞こえない。


 ほとんど無意識に振り向く。キッチンの入り口に、男が立っていた。黒い装束は鮮血が付いたところが赤黒くなり、陰惨なまだら模様を描いている。男の顔は、信じられないほど紳士的で穏やかだった。


「ここにいたんだね」


男が一歩踏み出す。


「お父上は外出中だと言っておられたが、嘘だったわけだ」


男がまた一歩近づく。


「ああ、お父上だけどね、死んだよ。母親も妹も、クソガキの弟も、みんな死んだ」


男がまた足を踏み出す。フウは目を離せない。


「妹は首を折る前に失禁してたね。弟は笑えたよ、一発殴ったら体が痙攣してね。震えが止まるまでに随分殴ったよ。三発目あたりで死んでたとは思うが」


男がまた一歩近づく、もうフウとは二メートルも離れていなかった。


「笛、あるかな」


男は立ち止まっている。


「笛だよ・・・・・・ああ、首にかけてるんだね。さあ」


手を広げ、こちらに差し出す。


「さあ」


男の顔に、邪悪なものが広がっていく。それはフウが初めて相対したもの、殺意だった。


「さあ!」


男が叫び、足を踏み出そうとしたその時、雷鳴が轟いた。


 フウの背後から、まばゆい雷光が差した。その瞬間、フウは全身に力が入るのを感じた。今しかない、本能的にそう思っていた。立ち上がり、背を向け、嵐の中に飛び出した。背後から男の怒号、続いて駆け寄ってくる足音。フウは構わず走り続けた。


 外は目を開けているのも困難なほどの大雨だったが、それがよかった。絶え間なく降り注ぐ雨粒の群れが、ベールのようにフウの姿を隠してくれた。激しく地面を叩く雨音が、フウの足音をかき消した。


 大雨の中でも、土地勘は鈍らなかった。地の利はフウにあったのだ。しばらく走って見えてきた階段を、滑らないよう注意を払いながら降りる。目指すは渓谷の底に流れる川だ。川岸に家族のボートが停めてある。手漕ぎの小さなものだが、この雨だ、激しさを増した川の流れに乗れれば、川下まで一気に逃げられる。


 千メートル以上の岸壁を降りる時間は、永遠にも感じられた。普段なら、風の力を利用して動く昇降機を使うのだが、こんな嵐の夜に使うのは自殺行為だ。一方で、フウは追いつかれない自信があった。今頃あの男とその部下たちは、自分の痕跡を辿るどころか右左もわからず混乱しているだろうと。


 幸い、フウの読みは当たっていた。何時間もかけて崖を降り、ボートに乗り込んだ後も、追ってくる人影はなかった。激しくうねる川を進むのは命懸けだったが、川はまっすぐで大きな岩場もない。フウ自身が軽いこともあって、舟は流れに任せてどんどん進んでいった。


 やがて嵐が去り、川下でボートを降りてしばらく経った頃、フウは自分の考えが甘かったことに気づく。宝石を金に換えようと近くの街を訪れた時だった。人混みの向こうに、あの兜の集団が見えた。中央には、長髪の男。どうやら住人に聞き込みしているらしい。その内容は明らかだった。


 フウは宝石を売るのを諦め、すぐに街を発った。しばらくは逃げ仰ることができたが、やがて追いつかれ、あの海岸線での出来事につながる。

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