66話 お嬢様に最高の教育環境をご用意しました!
お嬢様の見事なまでの増長っぷりを聞いた日から、さらに数日後。
「んー……良い香りね♪」
俺の前では、いつものようにルクレティアお嬢様がカモミールティを飲みながら、ご満悦顔で椅子に座っていた。
お嬢様がご機嫌な理由は単純明快。
俺が『お嬢様にふさわしい教育環境をご用意いたしましたのでデキムス邸にご来訪ください』と連絡したからだ。
おそらく、お嬢様の中では俺が家庭教師をする、もしくは俺と一緒に授業を受けるとあたりをつけているのだろう。
そしてその様子をルシアに見せつけてマウントを取ろうという算段に思える。
それは、ばっちり気合の入った今日のコーデを見れば一目瞭然だ。
サフラン色のトゥニカとその上に羽織っている外衣には、細やかな刺しゅうが施されている。
あえて軽く纏められているだけの髪には、琥珀をはめ込んだカメオの髪留め。
そして我が家に来る前に一度入浴してきたのであろう、頬は少し朱色が残り、部屋に風が吹くたびにお嬢様が自ら調香した新作石鹸の香りがほのかに香ってくる。
お嬢様にしては珍しく、シナモン系が強めのその香りは、暖かな印象を与える琥珀の髪留めによく合っていた。
論じるまでもなく、完全に誰かにアピールすることを前面にした装いだ。
……本当にマウントにかける情熱が凄い。
何がお嬢様をそこまで駆り立てるのだろうか。
「やっぱりルシウスは私のことを一番よくわかっているわね♪私に必要のない教育を突っぱねただけとはいえ、流石にちょっとピソ様に対して気まずかったのよねぇ」
そんな風にお嬢様を観察していると、ご機嫌な様子を崩さずに俺に切り出してくるルクレティアお嬢様。
気まずいなら大人しく修辞学とかギリシア文学を勉強してください、という言葉が喉から出かけるが、ぐっと飲みこんでお嬢様に笑顔を向ける。
「えぇ。この不肖ルシウス、お嬢様のために手を尽くし、最上の環境をご用意いたしました。お嬢様の貴重な時間を奪ってしまうようで心苦しい限りですが、ご容赦いただければと……」
「大丈夫よ!あなたが私に不利益になることなんて、今までしたことなかったもの!信頼してるわ!!」
そう言ってお嬢様は俺に無邪気な笑顔を向けてくる。
……まあ、俺にとってルクレティアお嬢様はポンペイ脱出の鍵となる人物だった。
そして、前世の記憶が戻る前にはだいぶ良くしてもらった記憶もある。
それ故に特別な思いも持っているし、今でもお嬢様のためにという行動理由は割と俺の上位を構成する理由になっているのは変わらない。
この場で『知ってる人から一人だけしか助けられないがだれを選ぶ?』と聞かれたら俺はノータイムでお嬢様を選択する程度にはお嬢様への優先順位は高い。
しかしそれと甘やかすかどうかは話は別。
すいませんが、今回はお嬢様にだまし討ちをさせていただきます。
騙して悪いがお嬢様の将来の為なんです、ご寛恕ください。
「それで、授業って何かしら?ルシウスが手とり足取り教えてくれちゃったり?それとも――」
「ルシウス君ー、輿到着したってー」
「ちょっとルシア!今、私はルシウスと私の授業の話を――」
「だから、ルクレティアお嬢様が受けに行く授業のお迎えが来たって伝言ですよ?ねえルシウス君?」
「――――え?」
「……使者の人にはすぐ行くって言っといて」
「はーい」
いつものように、かるーい感じで返事をして正門の方に小走りで去っていくルシア。
そんなルシアを唖然とした目で見つめた後、いまいちよく理解できてない、といった表情を向けてくるルクレティアお嬢様。
「じゃあ迎えも来たようですし、行きましょうか」
「え?え?」
そう言って俺はお嬢様がフリーズしている間に、とりあえずお嬢様の手を取って正門に誘導する。
「ドミティアヌス殿下の命にてお迎えに上がりました。ルクレティア・フロンティーナ様」
正門では、大きな天蓋付きの輿と、その周りには数人の厳つい近衛兵。
そして使者と思しき厳格そうな男性がお嬢様に向かって一礼をし口上を述べる。
「え?ちょ、あ……ん?ド、ドミティアヌスって、ティトゥス殿下の弟君の……?」
「はい、我が主、フラウィウス・ドミティアヌス様より、本日よりコルブロ殿下の『ご学友』となるルクレティア・フロンティーナ様をお迎えに参上した次第でございます」
「ちょ、ちょーっとそちらで、このルシウスと話したいことがあるので、数分だけ失礼してもよろしいかしら?」
「えぇ、かまいませんが」
使者の人の返答を受けて、お嬢様は俺を正門の影に誘導する。
「説明!!!!」
その表情は先ほどのご機嫌から一転、怒髪天。
「このルシウス、お嬢様に最高の教育環境を提供するため、頑張りました」
「頑張りましたじゃないのよ!なんでそれがコルブロ殿下のご学友になるって話になるのよ!!」
「だってやっぱり最高の教育を受けれる人って言ったら皇族じゃないですか。この前当家にいらっしゃっていたドミティアヌス様にお嬢様の教育環境について雑談の態で相談をしたところ、ちょうどコルブロく…殿下がギリシア学問をそろそろ受け始められるということでして……頑張ってお嬢様がコルブロ殿下のご学友になれるように交渉しました!!!」
そう。フェリクスのおっちゃんとうんうんうなっていた日の来訪者はドミティアヌス殿下だったのだ。
法人税法案の最終詰めに関する相談を受けた後、流石にこれだけ協力をしてもらって何もなしでは筋が通らんと殿下が言い出したので、お嬢様にふさわしい教育を用意したいという相談をしたところ、ドミティアヌス殿下がかなり前のめりでこの提案をしてきたという次第になる。
「頼んでないわよ!!!!撤回!やっぱナシって言ってきなさい!!!」
「いや、流石に殿下のご学友になるなんて好機をこっちから撤回とか無理ですよお嬢様。この話は既にフェリクスのおっちゃんを通じてマルクス様にも連絡済みなんで……」
実際、冷遇されているとはいえ、法人税法案が成立すればそれなりに元老院や財務官僚との友好関係が構築されるドミティアヌス殿下に近づいておくことは、マルクス様が目指されているローマ政界進出のための材料としては、かなり美味しい状況だ。
すでにこの座組はお嬢様の一存で撤回できる範囲を超えているのだ。
「うー……じゃあルシウスも一緒に!」
「俺マジで忙しいんですよ。お嬢様を送った後もプリニウス様がいらっしゃいますし」
トークン利用制限でましになったとはいえ、俺の日中は大体、次の打ち手のための実験か、ガンギマリ梁山泊関係の対応で埋まっており、せいぜい開けられるのは週一。
その週一もローマ市民への『100万セステルティウスの奴隷とその恋人』のアピールかデキムス商会関係に使う日になっており、マジでまとまった時間の空きはないのだ。
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「ご準備は整いましたかな?」
「あ、はい。お手数をおかけしました。さっ、お嬢様。説明も済んだことですし」
お嬢様も反論できなくなったため、使者の人に催促を受けた俺はそのままお嬢様を輿の方に誘導する。
「ルシウス~~~~~」
状況的に抵抗できないことは理解したようで、涙目で俺に目線を向けはするものの、お嬢様はそのまま大人しく輿に乗った。
「あ、ちなみに教師の方はネルウァって元老院議員の方らしいので、失礼のないようにお願いしますね」
「ちょっ――!?」
流石に皇族の屋敷で今までのような無体を行うことはないだろうが、事前にくぎを刺しておく俺。
なんでもこのネルウァという人、作詩に優れた人らしく、ドミティアヌス殿下も教えを受けていたことがあったらしい。
立場が立場なだけに、さすがにこの環境ならお嬢様も大人しく学習に励んでくれるだろう。
「―――!!―――!!」
動き出した輿の合間からお嬢様が何かボディーランゲージをしているが、何を言っているかよくわからないのでそのままスルーする。
そして輿が通りの角を曲がったのを確認して、俺は屋敷に戻ることにした。




