65話 ルクレティアお嬢様の増長
決算報告会での内容を鑑み、今年の主方針を『お嬢様に最高の婚姻条件を提供するよう立ち回る』に定めた翌日。
その第一歩がつまずきそうな相談を、俺はフェリクスのおっちゃんから受けていた。
今までポンペイに居たフェリクスのおっちゃんがローマに来て早々、ルクレティアお嬢様に関する相談というから何かと思ったが、どうやら預け先のピソ家から情報共有を受けるなり自身で解決できないと早々に見切りをつけて俺に持ち込んだということらしい。
そしてその内容は、例によって結構厄介。
「えーと、もう一回言ってもらえる?」
「去年の秋からすでに4人、お嬢様の家庭教師が音を上げて辞めている」
聞き間違えかと思ってもう一度聞く俺に、同じセリフを繰り返すフェリクスのおっちゃん。
「oh……もう……」
聞き間違えじゃない事実に俺は頭を抱えてしまう。
どういうことかというと、俺が誘導したお嬢様のトレンドセッター化が、悪い方向にも作用した結果だった。
ポンペイの環境によって下地を作られた感性が、コスムスという変態なものの超一流の調香師の薫陶によって育てられた結果、見事に調香の才能を花開かせたルクレティアお嬢様。
今や、ローマ女性社交界において、ルクレティアお嬢様は最上級の賓客という地位を手に入れていた。
主家を侮るような物言いになってしまうが、最新流行に敏感な保養地とはいえ、地方都市の騎士身分にすぎない田舎貴族令嬢が、だ。
宴でお嬢様が調香を披露する時、参加者は皆それまで興じていた詩作や噂話を投げ出し、釘付け。
皆、お嬢様がプロデュースする新商品や限定品の情報を得ようと、彼女をもてはやす。
お嬢様のいる宴では、誰もお嬢様の苦手分野の話などはしなくなった。
だってお嬢様から不興を買ったが最後、ローマ最新の美容アイテムである石鹸・グリセリン化粧水に関する最新情報はお嬢様から入ってこなくなるんだもん。
その結果どうなったかというと、ルクレティアお嬢様の中でのギリシャ学問やその他のピソ家が付けている家庭教師の重要性が大暴落。
そして、見事に増長。
そしてお嬢様は調香以外の教養をぶん投げだし、苦言を呈する教師には調香によって得た社交界の地位を笠に着てのマウント三昧と相成ったとのこと。
「ちなみに、直近で泣きを入れてきた修辞学の高名なギリシア人家庭教師は、『この授業に私の貴重な時間をその時間に使って、ローマの全女性が待ってる香りを一つ消す価値を教えてくださる?』と言われて心が折れてしまったらしい」
うわあ。
「お嬢様付きの奴隷の家庭教師は?奴隷はやめれないじゃん?」
たしかお嬢様が最初に調香に活路を見出すきっかけになった『高慢ちきのギリシア人教師』は奴隷だったはず。
自由人の教師と違って奴隷は逃げることはできないので、今もお嬢様付きのはずだが……。
「とっくに心が折れて、お嬢様のイエスマンになってる。それに対してのお嬢様の反応は『やっぱり私の判断は正しかったわね!』だ」
う わ あ。
「うーん、実にお嬢様らしい清々しい増長っぷり」
俺に対して事業に絡ませろと言ってきたとき『香りで私の独壇場になればギリシア文学の引用なんでポイーよポイ!』とか言ってたように思うが、まさか本当に全力でぶん投げるとはさすがに思わなかった。
「感心してないで何とかしてくれ……。確かにお嬢様に一つ突出した才能があったのは歓迎すべきことだが、それはそれ以外の能力をぶん投げで良いってことじゃないんだよ」
「まあねえ、社交に限らず一点賭けが危ないのは一般論だからなあ……」
フェリクスのおっちゃんの言葉に俺は同意する。
今は新技術を活用した香りという分野の一人者として先行者利益を享受しているが、それがいつまでも続くとは限らない。
才能というのは、いつでも次々のPOPしてくるものなのだ。
いずれ上流階級においても調香の才能があるものは現れる。
その人たちは高確率で、うちの化粧品事業のフランチャイジーとなり、自力で今お嬢様が行っている調香から製品プロデュースという流れを真似してくるだろう。
なにしろお嬢様という成功例があるのだ。絶対真似する人は出てくる。
そして俺は、フランチャイジーが安全性が確認された香料でオリジナルの新製品の開発することを禁止する気はない。
つまりライバルの出現は必然なのだ。
そうなったとき、香り一本打法でいるのはあまりにも危ない。
それ故にいくら今は調香という強みを持てていると言っても、それ以外の分野全文投げしてよいという話にはならないのだ。
最上位な調香の才能だけの人と、上位レベル調香の才能と上位レベルの修辞学の才能がある人だと、社交界で優位なのは後者。
そういう意味で、お嬢様の現状は危ないとしか言いようがない。
今年の俺の目標である、お嬢様に最高の婚姻条件を!という目標にも影響するので何とか軌道修正したいところだが……。
「ルクレティアお嬢様、調香だけで社交界を乗り切るのは厳しいって言って、言うこと聞くと思う?」
「無理だな。今の地位が圧倒的すぎる」
「だよねぇ……」
将来において調香一本足で社交界を渡り歩くのは厳しいとはいえ、そこはあくまで一般論。
お嬢様は既に結果を出してしまっているので『なら調香でトップを走り続ければいいじゃない』と言われてしまうと、だいぶ厳しい。
お嬢様が悪いというわけではなく、成功しているときに他人の苦言を聞き入れるというのは、かなりの度量が必要なものなのだ。
成功体験により、その成功体験の裏に隠れているリスクを甘く見積もってしまい破滅するなどはよくあること。
俺の前世がそうだ。
逸般の誤家庭系実験でバズった結果、逸般の誤家庭をちょいちょい逸脱する実験動画に傾倒し、予備電源の確保を怠って実験を行った結果、高濃度硫化水素被弾からの古代ローマ送りである。
お嬢様が辿ろうとしているルートも、大体同じようなものだ。
このまま増長し続ければ、やがて社交界でも軋轢を生みだすだろう。
まんま悪役令嬢ルートからのざまあ破滅になってしまう。止めねば。
「誰かお嬢様を納得させられるような教師を連れて来るか、お嬢様を黙らせられるほどルクレティウス家にとってメリットがある状況に押し込むかの2択だよねこれって」
……ギリ現実的なのは後者?
「そうだな。……あるか?」
「俺が奴隷ってこと忘れてない?さすがに家にとってもメリットの出る問答無用の教育環境なんてそんなすぐ思いつかないよ」
「だよなぁ……」
「どうすっかなー……ん?」
「ルシウス君ー」
すぐに対応方法が思い浮かばず、フェリクスのおっちゃんと唸っていると、ルシアが廊下から執務室をのぞき込んできていた。
「来客だよぉ~奥の談話室の方にお通ししておくね」
そして伝えられるのは、来客の報告。
「あー……そっか今日だった」
俺は記憶を整理し、そう言えば今日は昼頃にも来客があることを思い出す。




