64話 デキムス商会第一期決算報告会[2/2]
「では次は今年度の見込みだな。一番影響を受ける麦の蜜事業の方の見込みからで良いですか?」
そう切り出したのはテレンティウスさん。
彼が言う通り、春ごろに法人税と有限責任組合の法案が可決されることになれば、その認可第一号となるのが麦の蜜業界と石鹸・グリセリン化粧水業界。
おそらく春ごろには元老院議会で法案が可決され、有限責任組合の組成許可と、有限責任組合への法人税課税が開始されえる。
当然、その認可第一号はデキムス麦の蜜工房、第二号はデキムス化粧品工房となる。
それはローマ帝国初の継続を前提とした企業――つまりは資本集積型産業が誕生することを意味した。
ローマ経済の中心たる元老院階級がこれに気づかないはずはない。
彼らは元老院階級という大帝国の立法権を持つ強大な権力故、実は土地由来の収益以外に直接商売をすることは禁じられていた。
そのため、被保護者や会計奴隷等の高級奴隷のペクリウムを通じてた抜け道により、家財を増やしていたのだが、これは物理的な奴隷の数制限を受ける。
一方で、この有限責任組合への出資は、奴隷や被保護者を挟まなければいけない点は変わらないが、その先のリスクヘッジは今までとは比較にならないほどに自由度があがる。
「――そんなわけで、だいぶ界隈の動きは活発化している」
テレンティウスさんの口から共有されるここ数か月の界隈の動向は、俺の見込み通り、元老院議員を始めとするローマ上流階級の大資本が現在のフランチャイジーへ出資と有限責任組合化への打診を行う流れが、すでに大っぴらに行われているという情報。
そして、一部のパン屋は市場の大きいアエギュプトゥスやタラコネンシスなどの属州への移住を打診されており、何人か法案の成立をもって移住を決めている状態とのこと。
「パン屋近辺ほどではないが、うちも似たり寄ったりだ」
それは化粧品事業に加盟している香水商会や貿易商も同じようで、こちらはある程度コスムスさんが利害調整をしてくれているが、早晩麦の蜜事業のパン屋の親方衆のように、上流階級の新たな儲けの絶好の狩場になるだろうという見解を出すステファヌスさん。
ちなみにこれだけ派手な動きが出ていれば、フランチャイズ本部であるデキムス工房への出資の打診も来そうなものだが、そこは目論見通り、デキムス商会の屋敷の中を見た途端、打診の使者の人はまるで潮が引くように去っていく状態になっていた。
誰を見て去る決断をしたのかはわからないが、ガンギマリ梁山泊の二人(プッさんorドミティアヌス殿下)のうちのどちらかだろう。
まあ態々面倒事が手招きしているエリアに入らなくても、ローマのそこら中に美味しい餌場(零細資本のフランチャイズ加盟済の親方)が散らばっているのだ。
普通ならそっちを食いきってから考える。俺だってそうする。
厄介度も高いが、やはりこういう時はあの二人の名前はすごく役に立つ。
そんなわけで属州展開を考慮した上での今期予想経常利益をまとめるとこのような結果に。
麦の蜜製造販売13万2千セステルティウス
麦の蜜フランチャイズ17万2千セステルティウス
麦の蜜フランチャイズ(属州)25万2千セステルティウス
化粧品製造販売10万8千セステルティウス
化粧品フランチャイズ12万セステルティウス
化粧品フランチャイズ(属州)20万セステルティウス
つまり合計で98万4千セステルティウス。
法人税率が20%と仮定して、税引き後純利益が78万7千セステルティウス程度の見込みということになった。
「プリニウス閣下との宴席との夜に行けると確信してはいたが……実際の今期予想の数字として目の当たりにすると、さすがに言い表しようのない気分になるな」
デキムスさんによって配られた今期予想を記載された蝋版をコツコツ叩きながら、珍しく何とも言えない顔をしているアウ爺が予測に対しての感想を述べる。
まあ、気持ちは分からないでもない。
この規模になると、アウ爺の行っているガルム事業を軽く凌駕する規模になる。
自らが数十年で到達した規模にわずか2年で追いつく見込みの麦の蜜、化粧品税総事業。
もちろんそのかなりの部分がアウ爺や、改めて数字を見て乾いた笑いを浮かべているテレンティウスさんやステファヌスさんという成功した商人のノウハウや人的・物的資本を惜しみなく投じたブーストではある。
あるのだが、それでも達成感や驚愕、嫉妬、高揚感など、いろんな感情が入り交じったような気分なのだろう。
「だが、懸念材料については本当にないのか?麦の蜜はハチミツ業界の組合が相当警戒していただろう?」
そして、アウ爺の次に顔を上げて質問を上げたのはステファヌスさん。
前年の春から夏に発生していたハチミツ業界の組合との軋轢を確認してくる。
「そう言えば夏以降、ハチミツ業界から不審な動きがしんと止まったが……もう大丈夫との説明はウンブリキウス殿から聞いていたが、そのあたりはどうなんだ?」
詳しい情報を聞いていなかったテレンティウスさんも、その質問に興味を示す。
「あぁ、それについてはハチミツ業界の組合の養蜂家の皆さんにも、収穫量を飛躍的に上げる機械を卸す形で関係改善が進みまして――」
それに対してデキムスさんは、去年の避暑中にアウ爺と一緒にハチミツ業界の組合の要人を取り込んだ経緯を説明する。
あの夏の合意以降、ハチミツの収穫効率を飛躍的に上げることのできる手回し遠心分離式蜂蜜抽出器機を大量生産に物を言わせた格安価格でデキムス商会が卸した結果、ハチミツ業界の組合の関係は急激に改善しており、可動式巣枠式養蜂箱についても一部は効果が出だしている。
つまりは蜂蜜組合も生産量爆増による値下げという手段により、健全に麦の蜜業界との競争ができる関係になった事により、政治的暗躍による暗闘というルートは無事つぶれた。
デキムスさんの説明に、テレンティウスさんとステファヌスさんは安堵の息を漏らす。
まあ、そこだけが不安要素ではあったからね。
そして不安要素が無くなったところで今期予測に関する議題は一段落し、雑談半分に話題は『俺』へのことに。
「で、前期までは月の儲けの半分を坊の解放資金として公表していたが、今期はどうする?」
今まで触れてこなかったが、俺の解放資金の進捗は、『100万セステルティウスの奴隷』の話題をローマ市民の話題の中心で居続けさせるために、フランチャイジーや卸売り先などを通じて広く公表している。
毎月下旬に公表している解放資金の情報は、今ではローマ市民の話題の中心となっていた。
「デキムスが無駄遣いしないなら今年は営業利益の7割くらいに見直して良いんじゃないか?」
「あの、テレンティウス殿?俺はそんなに無駄遣いとかしてないんですけど……」
「お前夏前に怪しい貿易商に必要のない家具一式押し売りされかけてたの忘れたか?」
「うっ」
テレンティウスさんの懸念に抗議したデキムスさんが、速攻でテレンティウスさんに一刀両断されて黙りこくる。
いや、俺の知らない間に去年の初夏にそんな事件あったんかい。
「デキムスさん?それ、俺初耳なんですけど……」
「今は大丈夫だから!……そもそも殿下や財政官殿達への講義で屋敷にこもりっぱなしだし、それ以外の商談はここのだれかしらが同行してるし……」
そう言って遠い目をするデキムスさん。
……なら、いいか。
俺の反応に、デキムスさんは何か言いたげにこちらを見るが、それを無視して俺は解放資金に関する話題を続ける。
「あと、屋敷の支出そのものは今期は多分だいぶ減るんで、そう言う意味でも大丈夫だと思います。」
「「「「あー」」」」
俺の言葉にデキムスさんが反論したときとは打って変わって同意の声を出す一同。
原因は夏以降いつの間にか受け入れることになった講義生たちの存在。
これは我が家がガンギマリ梁山泊と化す途中で自然発生したことなのだが、ここで受講している軍人や財務官さんたちはいずれもかなりの地位がある人々ばかり、軍人は最低でも百人隊長クラス、財務官も目端が利く元老院議員やら、ドミティアヌス殿下と接近している人たち。
そうすると、講義に対する謝礼もそれなりのものになる。
単純な貨幣による謝礼だけでも月間5000セステルティウス程度になるが、それ以上に大きいのが、季節や講義の節目での贈答品。
彼らの地場となる地方の高級品や、たまたま市場で出た高級品などが数十人の受講生からひっきりなしに我が家に届くのだ。
当然、贈答品として家の威信をかけて送り届けられるものなので、品質も折り紙付き。
結果、秋以降のムニウス家の消費財や食品関係支出は夏に比べて10分の1以下というよくわからない減少幅となっていた。
そして、収入に関しても、実は今回の報告会に入れていないリバーシの収入などで10万セステルティウス程度の上乗せがある。
そう言う事情も考慮すると、来年の3月、アンナ・ペレンナの祭りあたりが資金が溜まる時期なんじゃないかなと、俺は予測していた。
それと参加している大人たちに伝えつつ、俺は今年の俺自身の方針を考える方に思考を切り替える。
正直、100万セステルティウスを稼ぐための仕組みに、もう俺が手を出せるところは少ない。
そうすると、解放後に備えた準備をする方向に舵を切った方が良いかもしれない。
とすると、とりあえずお嬢様周りかな。
お嬢様も今年で11歳。
ローマの上流階級の女性としては、そろそろ結婚適齢期を迎えることになる。
少しでも良い条件の婚姻をお嬢様に提供するため、今年の時間を割くというのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はまだ『100万セステルティウスの奴隷』の話題を続ける大人たちをよそに、今年の計画について計画を巡らせていくことにした。




