59話 養蜂家にぶち込むCheat、俺は皇帝へ簿記をTeach[2/2]
そして俺の真横で様々な帳簿の概念を書いたパピルスにくぎ付けになっている皇帝を見て思う。
俺の臭い、不敬になってない? 大丈夫?
今の所、完全に皇帝陛下の興味は帳簿の方に向かっているためか、一切指摘されていないが、入り口に控える衛兵さんの目とか、たまに飲み物を持ってきてくれる給仕の女性の目がね、めっちゃ「おまえないわー」みたいな目をしてるんだもん。
そらそうだよ、今の俺、超絶ニンニク臭いはずだよ?
連行されるちょっと前まで致死量のニンニクマシマシ餃子ぱーちーに興じてたんだもん。
なるべく呼吸由来のニンニクブレスを増やさないように息を減らしてるので嫌な汗が出てきた。
でもニンニクって汗からも臭いするんだよね。
死、かな?
「――あぁそうだ、この貸借対照表にある、この減価償却という項目は――ん?どうしたルシウスよ。だいぶ汗をかいているようだが」
そんな俺の心境を知ってか知らずか、減価償却という概念に質問を飛ばしてくる皇帝陛下。
「いやその、今の僕の息はかなり臭いので、せめて息を少なくして臭いを減らそうかと……」
「なんだそんなことを気にしていたのか、気にしなくてよい。楽にせよ。むしろそのニンニクの臭いの方がずっと好印象だぞ?わざとらしい香水の匂いでもつけてこられていたら、追い返していたかもしれぬ」
もしかして皇帝、コスムスとは別ベクトルの悪臭フェチなのだろうか??
というか俺も香水使う事業やってるんですがそれは……。
……っは!? つまりニンニクぱーちーではなく、お嬢様の調香に付き合ってる日とかに連行されてたなら速攻で帰れてたってコト!?
なんでその日に拉致ってくれなかったの!!
くそう……。
まあ、とりあえず不敬罪として罰せられなそうだし、ええか。
無駄な後悔をしても仕方がないので、俺は気を取り直して減価償却のメリットについて説明を始める。
「減価償却とは、寿命のある資産が長期にわたってどのようなコストとなるのかを正しく計算するための方法です。例えば今ローマで陛下がおつくりになられている闘技場。あれの工費が仮に金貨100万枚だったとしましょう。現在はこの建物がどの程度の公共事業と同じかは、総額でしか判断ができませんね?例えばパンの配給などと比べてです」
「あぁそうだな。按察官が管理こそするが、その建物がパンの配給に比べてどうなのか?というのは分からないな」
そう、この時代は基本的に国家的な建築物は作ってはい終わり!となる。
もちろん、どんな資産があるのか、その状態がどういう状態なのかとかは、按察官が管理するが、具体的にいくら資産が棄損していくか、という考え方はしないのだ。
しかし、減価償却の概念を使うと考え方は変わってくる。
「では減価償却の概念を取り入れたらどうか?例えばそうですね……あの闘技場の寿命を仮に100年間としましょう。その場合、闘技場はまずは資産として金貨100万枚の価値を持ち、1年あたりの減価償却費は金貨1万枚となります。ちなみに陛下は、パン配給で使われる費用はご存じですか?」
「大体年間金貨3~50万枚のはずだな」
推測しようと思ったらスッと出てきた。暗記してるの?すげぇ……。
「闘技場の減価償却費、年間コストは金貨1万枚です。公演の費用や維持費は別途かかるでしょうが、あの闘技場で市民への娯楽提供をする際にかかる費用はパン配給の数パーセント程度と考えることができるようになります」
「……なるほど、こういう考え方をすると、単発のパン配給と、長期にわたる闘技場の費用を同じ土台で考えることが可能になるという訳か……」
「もちろんこれだけで国家事業を判断することは難しいですが、一つの指標としては非常に重要な意味を持つ概念となります」
そう言って俺は質問への回答の締めとし、チラリと皇帝の顔色を窺った。
ここに来る時に気になっていたもう一つの要素、皇帝の体調。
見たところ、血色は一応、良い。
声にも張りがあり、立ち上がる時の動きにはさすがに老いを感じさせるが、すぐに死にそうな感じでは、ない。
史実のウェスパシアヌス帝が死ぬのは、西暦79年。つまりは噴火の年だ。
だが、今のこの様子を見る限り、所々の衰えは目立つものの、少なくともあと数年は余裕で生きそうだ。
……ってことは、今はまだ西暦70年代の前半から半ばくらいなのか?
正確な西暦がわからない以上、皇帝の健康状態はポンペイ噴火へのカウントダウンを推測する貴重なバロメーターだ。
この様子だと、あと数年は時間的猶予があると考えていいだろう。
パチパチパチ……。
「見事だ。実に見事だ。先ほども言ったが、こんな美しい帳簿は見たことがない」
そんなことを俺が考えている間に、皇帝はこの『講義』の感想をまとめ終わったようだ。
俺の方を向きながら、最大限の賞賛である拍手をしてくる。
「100万セステルティウスの奴隷というのは大言壮語でもなさそうだな」
おぉぅ、撒いて広めてる噂だけど、ついに皇帝の耳にまで入っちゃってるのか。
「そして奴隷の献策を受け入れたドミティアヌス。以前のお前であれば奴隷の献策など一笑に付していただろう。成長したな」
「あ、えぇ……最近、思うところがありまして」
父であるウェスパシアヌス帝から褒められたドミティアヌス殿下は、一瞬目を丸くした後、少し困惑顔で皇帝に言葉を返す。
まあ推し活仲間だから特別扱いしてるとは言いづらいわな。
そんな微妙な表情の殿下を満足そうに見た後、また俺の方を向く皇帝。
「して、ルシウスよ。100万セステルティウスを稼いだ、その後はどうするのだ?」
「……子供の身で少し張り切り過ぎましたので、ゆっくりと年相応に時間をかけて考えようかと」
スローライフしたい!!!を最大限オブラートに包んで回答する俺。
「まあ、一理ある。なら、その休みの後の道を一つ示そうではないか」
しかしその本意は皇帝には伝わらなかったようで、皇帝はトンでもない厄ネタを投げつけてきた。
「――我が長男、ティトゥスの元で働かないか?ティトゥスの財務官の代行として、この複式簿記をもってローマ全土の財政を管理するのだ」
「そ、それは……」
……あああ嫌あああああああああ!!!!!!!!
俺は表情が崩れるのを、とっさに狼狽えて顔を隠したかのように偽装しながら、内心で絶叫する。
冗談じゃない!!
俺は解放されたら、厄ネタは全部デキムスさんに投げて、お気楽知識チートの楽隠居を決め込んで余生を過ごす予定なんだ。
なんで俺がそんな次期皇帝の側近とか言う特大厄ネタ&ストレスフルな立場にならなきゃいけないわけ?
大体ね皇帝陛下? 俺奴隷よ?
解放されても身分は解放奴隷なわけ? わかる?
解☆放☆奴☆隷♪
そんな奴が、次期皇帝の財務官代行なんていう国家の金庫番に収まったらどうなるか。
間違いなく、元老院議員や騎士階級から猛烈な嫉妬とヘイトを買う。
彼らは自分を儲けさせてくれる下僕には優しいが、自らの立ち位置を危機に陥れる害虫には容赦がないのだ。
家宰奴隷であるフェリクスのおっちゃんを通じて騎士階級を何年も見てきたのだ。そのあたりの温度感はよくわかる。
なんで何のメリットもないのにそんな苦難の道歩まなきゃいけないわけ?
名誉?
いや『100万セステルティウスの奴隷』で名声は得てるからもういらんし。
貴族的な意味での名誉はマルクス様とかと違って名誉フェチじゃないので俺はいりません。ノーサンキュー!!
しかし皇帝からのお誘いは実質的に強制。これを断るにはそれ相応の大義名分がいる。
なにか、何かいい感じに厄介ごとを回避できる大義名分はないか?
俺は皇帝に顔を向けず、うつむいたまま部屋の中のあちこちに視線を泳がす。
この部屋にいるのは、侍女さんと数人の衛兵――そして、ドミティアヌス殿下。
そうだ殿下だ!
俺の中で瞬時に、俺の義理堅さを補強できる名案が作り出される。
「……恐れながら、皇帝陛下。この身に余るお誘い、大変ありがたく存じますが、お受けすることはできません」
名案に基づき、俺は悩みに悩んだような、絞り出すような声で皇帝をまっすぐ見ながら拒絶の言葉を口にする。
断られるとは思っていなかったのだろう、皇帝は少し驚いたように眉を上げた。
「なぜだ? 不満があるのか?」
「いえ、そうではございません」
そう言葉を区切り、俺は皇帝の横に立つドミティアヌス殿下をチラリと見、続ける。
「神殿で私の知識を見出し、恐れ多くも皇帝陛下の御前にまで導いてくださったのは、他ならぬドミティアヌス殿下でございます。もし皇室に仕えるのであれば、ドミティアヌス殿下を奉じるのが筋。その筋を曲げる道は、私の道には存在しませぬ。どうか、この無礼をお許しください」
こちとら恋と忠義のために道理を曲げる奴隷というハロー効果を持つ俺。
いくら皇帝の命とはいえ、忠義 (嘘)に反することは絶対にせんぞ!
そんな感じなんで面倒事には巻き込まないでくださいお願いします!!!
「……ふむ。そうか。恩人への忠義を重んじるか。噂通りの頑固者だな」
頭を下げたままなので皇帝の顔は伺い知れないが、頭上で発せられる皇帝の言葉は、特に怒気は含んでいない。
「奴隷でありながら立派な気骨を持っているな、ルシウスよ。ならば無理強いはすまい。惜しいが、その忠義は忘れるなよ」
よっしゃ通ったあああああ! 計画通り! ヨシ!
「はっ。寛大なお言葉、感謝いたします。それでは……僕はこれで暇を頂いても、よいでしょうか?」
「あぁ、実に有意義な時間であったぞ」
皇帝の言葉に入り口に控えている衛兵が部屋の扉を開ける。
あっさりと諦めてくれた皇帝陛下に、俺は心の中でガッツポーズをした。
よし、これで解放後の面倒なフラグは折れた。
帰れる!!
帰ったら歯ぁ磨いてクソして寝る!!
まだ日も沈んでないけど今日はどっと疲れた! ねりゅ!!
「では、私はこれで失礼いたします」
俺は深く一礼し、場から退室しようと踵を返した。
そしてそそくさとドミティアヌス殿下の横を通り過ぎる。
「――っ!?」
その瞬間。なんかすげえ悪寒。
悪寒の先に視線を感じ、顔を上げる。
「…………」
――ドミティアヌス殿下が、俺の顔を無言でジッと凝視していた。
え?なにあれ、こわ……。どういう感情?
その視線からは感情が読めない。
でも多分、悪いものではないはず。
あれかな? なんか兄ティトゥスを蹴って自分に忠義を向けられたことに、何か思うところがあったのだろうか。
まあでもドミティアヌス殿下は基本冷遇されてるっぽいし、法人税による税収アップの功績があろうとも、その流れに大きな変化はないだろう。
つまり、ティトゥス殿下がいる限り、ドミティアヌス殿下の冷遇は終わらないわけで、ドミティアヌス殿下がいくら何か暗躍したとて、俺を何らかの要職に付けるのは無理だろう。
つまりいくらドミティアヌス殿下が俺に熱視線を向けても無害! ヨシ!
何故かなかなか消えない不安をごまかすように、俺は自分自身に言い聞かせ、そのままそそくさと皇帝の別荘を後にした。
香水とニンニクとウェスパシアヌス:
おそらく皇帝になる前の時。
ウェスパシアヌスはある若い士官の採用面接で香水の香りが気に入らず不採用にし、その時「高い香水なんぞよりニンニクの臭いでもつけておけばよい」と言い捨てたという逸話がある。
そんな遠い昔の話があった上で、年老いた後にダメ息子がなんか有能な奴隷を連れてきて、しかもその奴隷、めっちゃニンニクくせえ!
そら昔のことを思い出してニッコニコになりますわ。




