58話 養蜂家にぶち込むCheat、俺は皇帝へ簿記をTeach[1/2]
ドミティアヌス殿下に有限責任組合と法人税の抱き合わせ販売を提案してから1月経った頃のこと。
「――つまり、単式簿記というものは単なる『金銭の出入り』を記録するだけのものに過ぎません。もちろんそれを補うために各種管理帳票がありますが、帳票間の整合性は単式簿記とは必ずしも連動しないのです。しかし、この複式簿記という記帳法は、一つの取引を『原因』と『結果』という二つの側面から同時に記録するため帳票間の矛盾を―――」
俺はなぜか今、リエーティ保養地の中心、アクアエ・クティリアエの皇帝の別荘の一室で講義を行っていた。
目の前で俺の講義を熱心に聞いている、がっしりとした骨格からかつての頑強さを想像させる、どこか農夫のような素朴さと老獪さを併せ持つ一人の老人。
恰好も、高級ではあるものの簡素なリネンのトゥニカ一枚とラフな格好で、容貌だけ見ると、この老人が帝国の支配者とは一見ではわからない。
……そう、帝国の支配者。だ。
彼は、ローマ帝国皇帝、ウェスパシアヌスその人。
何故か俺は、皇帝相手にマンツーマンの複式簿記の授業を行う羽目になっていた。
どうして……。
「ほう。原因と結果の二面性、か。それは具体的にどういうことなのだ、ルシウスとやら」
皇帝陛下が、興味深そうに身を乗り出してくる。
俺はその威圧感に内心ビビり散らしながらも、用意されたパピルスにペンで線を引いた。
「例えば、国庫から1万セステルティウスの現金を支払って、属州から小麦を買い付けたとします。単式簿記では『小麦を買った -1万』としか書きません。しかし複式簿記では、『小麦1万/現金1万』書きます。つまり小麦という資産が1万増えましたよ。と書くのです」
「ふむ……」
「この左と右の合計金額は、いかなる時も必ず一致します。もし一致しなければ、それは『計算ミス』『何らかの要因で資産が棄損した』または『誰かが意図的に帳簿を誤魔化して中抜きをした』かのどれかであることが、一目で発覚するのです」
「なるほど、あとで在庫の帳簿と照らし合わせれば、在庫で入っている小麦が仮に8000セス分の価値しかなければ、そこに差が生まれる、という訳か。あとはその差が輸送の毀損なのか、それとも横領なのかを調べていけばよい。帳簿だけで不正の当たりをつけることが非常に容易になり、逆に不正を行う側は現金・在庫のすべてにおいて整合性がとれるようにしなければいけないので不正コストが上がる、ということか」
その目は、獲物を見つけた鷲のように爛々と輝いている。
皇帝ウェスパシアヌスはネロの散財で瀕死になっていた国家財政を何とか立て直した人だ。
帳簿による不正検知の手法には強い興味を持ったようだ。
「もちろん単式簿記でも各帳簿を全部検算しなおせば不正の検知は可能です。しかし複式簿記の場合は、その検算が自動で行われるという点が革新的と言えるでしょう」
「実に合理的な帳簿だ。芸術と言っても良い」
そう言うと、皇帝は興奮しきった様子で、俺の書いたパピルスの2つの帳簿例を穴が開くほど見つめている。
最初は椅子に横になりながら聞いていたのだが、腕を組んで俺を凝視するようになり、資産と損益の説明では立ち上がりはじめ、この不正の検知の話では黒板代わりに壁に立てかけた木の板にくぎ付けになっていた。
……さて。
俺がなぜ、こんな皇帝の専属講師みたいな体で、一介の奴隷の分際で簿記の講釈を垂れているのか。
事の発端は今日の昼過ぎに遡る。
今日はたまたまプッさんもおらず、女子たちはアクアエ・クティリアエに繰り出していた。
そのためこれ幸いと、前世の記憶を頼りに、奴隷の身分をかさに着て台所を強引に借りて、地元産のニンニクを親の仇のようにマシマシでぶち込んだ特製にんにくマシマシ焼き餃子を再現して一人にんにく餃子パーティを開いていたのだ。
しかし、そんなゆったりとした昼を強制終了させる複数人の物々しい足音。
突然、1か月前のごとくドミティアヌス殿下が凸ってきた。
しかも今回はなぜか近衛兵を引き連れて。
「なにごと!?」と混乱する俺に、興奮気味の殿下は一言。
「父上がお前に会いたいと仰っている。すぐに出仕せよ」
そして有無を言わさぬ連行。
こりゃ拉致だよ!
やったのが王だったらメロスがごとく邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意するとこだよ。
そんな俺の内心の抗議は一切届かず、皇帝が療養する別荘に連行されることになったのだ。
そして、本来ならこういう時は良い感じに舌を回して、デキムスさんを巻き込んで矢面に立たせるのだが、今回はその手は使えなかった。
何故かと言うと、不運なことにこういう時に役立つ弾避けことデキムスさんは現在、アウ爺と共にハチミツ組合のとある要人に、非常に魅力的な商品の売り込みに行っている真っ最中なのだ。
ちなみに商品の内容は『可動式巣枠式養蜂箱』と『手回し遠心分離式蜂蜜抽出器機』だ。
どちらもこの時代の木工職人で容易に作れるもので、導入すれば蜂蜜の収穫量が数倍になる代物だ。
麦の蜜フランチャイズの半年間の儲けの半分を突っ込み、分業生産による大量生産により安価で量産したこれらの商品を材料に「デキムス商会と仲良くしてくれたら蜂蜜業界さんにもメリットあるんだけどなー。具体的にはこれ!」という取引を持ち掛けているのだ。
商人としての交渉はアウ爺がメインだが、商品の有用性の説明は俺が知識を流し込んだデキムスさんがメイン。
そしてこの商談は、麦の蜜事業が敵を作らずに拡大できるかの大一番。
そんな状況なので、さすがにデキムスさんを身代わりにはできない状態で、こんな状況になってしまっていた。
どうして……。




