57話 利益誘導ヨシ!
「有限責任?なぜそれが商人にとっての利益への課税を受け入れるメリットになるのだ?」
有限責任と増税の関連が結びつかず、怪訝な顔でドミティアヌス殿下が俺に聞いてくる。
どちらかというと因果が逆で、法人税という累進性の高い税金を徴収するために商人にとって極めてメリットが大きい、有限責任組合という制度を作るというのが正しいのだが、そこをかいつまんで説明することにはあまり意味がないので、俺は既にある制度を例にとって説明することにする。
「例えば国家的な建設事業においては、徴税人組合から始まった、ソキエタス・プブリカノルムの結成が認められ、その責任は出資した範囲内に収められますよね?」
「うむ、ソキエタス・プブリカノルムは確かに個人で責任を負いきれない国家事業で組成されるが……よく知っているな」
「僕の主人はポンペイの有力騎士のルクレィウス・フロント様ですので」
「ふむ、お前のような奴なら家宰奴隷から話を聞くこともあるか」
「えぇ、そんな感じでして。で、このソキエタス・プブリカノルム、出資以上の負担は求められない、つまり責任範囲が限られる、有限責任ですよね?」
「まあ、複数の有力者が結託してようやく行えるような事業を、通常の組合と同じようにしてしまっては国家事業に関与する商人がいなくなってしまうからな」
「ほかにも奴隷が特有財産の中で行った事業は、家長は特有財産の中でのみ責任を負いますよね?」
「まあ、そう言う慣習はあるな」
「この考えを拡大し、有限責任の組合、有限責任組合という存在を恒常的な有限責任で運用できる器にしてしまうのです。たとえ利益への課税が行われるとしても有限責任という魅力には商人……いえ、商人に限らず財を持つものであればその魅力にあらがうことはできません」
「よくわからんな。リスクの制限というならば奴隷に特有財産を与えて商売をやることでも果たせるではないか。有限責任組合のどこが財を持つものに魅力的なのだ?」
「流動性が段違いに上がります。奴隷という単位から組織という単位への出資が可能になるということは、一点賭けしなくて済むということなんですよ。分かりやすい例として、貿易を上げましょうか」
そう言って俺は史実での会社の成立過程である貿易を例に挙げることにする。
さてみんな! 今年はエジプトでハチミツが儲かるらしいぞ!諸々込みで1往復で投資額の倍になって戻ってくるらしい!
俺は船を1隻借りれる資産を持っていて、商才のある高級奴隷を1人保有している。
街で集まった船は10隻。
では奴隷を使った場合と有限責任組合の場合を比較してみよう!
既存の制度では、俺は全財産を使って奴隷に船を1隻借りさせ、奴隷に特有財産として与え利益を得ようとする。
しかし儲かる航路は危険もいっぱい。1割は毎回戻ってこない……。
この場合、俺の奴隷が運営する貿易商会は、9割の確率で出資が倍になって返ってくるが、1割の確率で全額を失うことになる。
では有限責任会社の場合は?
同じように1隻に全賭けする? まさか。
賢い俺は10隻全部に分散して出資する。奴隷にはそのうちの1隻を任せよう。何なら別に高級奴隷はいらない。他人の有限責任組合への出資だけでもよい。
確実に1隻分の出資額が失うことになるが、残りの9割は倍。
つまり金貨100枚を出資した場合、確実に金貨180枚が戻ってくる。
仮に運が悪くても、全体の半分が壊滅するなんて大惨事にならない限り、出資額を分配金が下回ることはない。
そして1回の航海を終えた貴方は新しい情報を得た。
今度は紅海の乳香が儲かるらしい。
奴隷のペクリウムの場合は、奴隷ごと売るか、奴隷の商会を解散させる必要がある。
金貨100枚、一人の高級奴隷で運営する商会に地中海貿易と紅海貿易の両方を差配させるのは流石に厳しい。
でも、有限責任組合の場合は自分の持分を誰かに買い取ってもらえばよい。
何しろ1回実績があるのだ。金貨10枚で出資した持分はもしかしたら金貨11枚で売れる可能性もある。
「さて、殿下を始めとする、上流階級の皆様はこの二つの方法が存在する場合、どちらを選びますか?」
なお、元老院階級などのガチ富裕層の場合は信頼できる奴隷は複数人居るとはいえ、それでも奴隷という手札の制限は受けるため、細かくリスク分散をハンドリングでいる証券による投資というメリットは確実に出る。
「……有限責任組合だな。信頼できる奴隷を用意しなくても持分という考え方で気軽に分散投資できるのは魅力的だ。しかし逆に出資する商会が信用できるかが心配だな」
俺の説明に、ドミティアヌス殿下は信用面での懸念を上げてくる。
確かに、奴隷のペクリウムの場合は最悪すべてを没収してしまえばよいが、有限責任組合の場合はそうはいかない。
「それこそ名家に庇護されている商会や名家の奴隷や開放奴隷が設立する商会に出資すればよいのです。それらの商会が信義に悖ることをするということは庇護者の名誉を傷つけるということになります。制度的な面で言えば、複式簿記を導入するという方法もあります」
所謂現代の監査による不正抑止を庇護者の面子を人質に取る形で代替してしまえばよいのだ。
正直、庇護を与えると言っても様々なレベルがあり、小さいパン屋への庇護で客との細かいトラブルに庇護者は一々出っ張ってこないが、例に挙げた貿易ビジネスで詐欺を行ったなどの行為がある場合は庇護者の名誉に泥を塗ったものになり、庇護者自身が敵対することもあり得る。
「庇護者の面子を利用するというのは分かるが……複式簿記とはなんだ?」
「簡単に言うと、現金の増減しかわからない現状の帳簿から、原因と結果、資産と損益まで網羅的に見えるようになる帳簿の付け方ですね。デキムス商会で採用している帳簿方式でして、不正をするコストは上がり、不正を検知するコストは下がるという特徴を持っています」
ちなみにこの複式簿記、ここ半年でデキムスさんにみっちり仕込んだので、デキムス商会の会計は他の商会と一線を画する正確性を持っている。
「聞いただけでも商人にとってすごい価値を持っている知識に聞こえるが」
「殿下が望まれるなら、我が恋人の父デキムスが、殿下の指名する会計に明るいものに教示を行うことも可能でございます」
自分で教えるのはもうめんどくさいのでとりあえず欲しそうな場合はデキムスさんに矛先が向くようにしておく。
今もアウ爺の別荘で、アウ爺と親しい商人の会計奴隷に教えてるみたいだし、多少増えても問題はないだろう。
「ふむ……お前が言うのであれば確かなのだろう、複式簿記については神殿の会計官を後で遣わそう。信用についても問題なさそうだな」
早速矛先が飛んでったわ。予防線張っといてよかった。
「それで、今までのお前の説明を整理すると、商人どもは金を集めやすくなり、貴族や富裕層は今までよりも身軽に財産を未来のある事業に投資できるようになるということか」
「左様でございます」
「……いける、か?しかし元老院議会を動かす動機が薄いな……そこは何とかならぬか?」
ドミティアヌス殿下の中では、すでに思考実験を超えて実際の立法を検討するレベルと判断されたらしい。
……ならちょうどいいし、恩を売るふりをして俺の利権固定の要素をしれっとねじ込んでみようかな。
「僕が何とか出来る業界である麦の蜜業と、石鹸・グリセリン製造業で、試験的に有限責任組合を認める。という案から出してみるのはどうでしょうか?その際はデキムス商会も有限責任組合として組成しなおします。そして元老院への飴はこの2業界が上手くいった後の追加の許可業界の選任権と、有限責任組合への売上税の免除、会計人員の有限責任組合へのあっせん、などはどうでしょう?」
「なるほど、成功すればそれを議員どもが良く出資している業界へ広げる権利を奴らに与え、利益で税金は取るが売上税は逆に免除することで赤字リスクを減らすということか、最後の会計人員のあっせんとはなんだ?」
「これは特権として明記することではないですが、確実に彼らがすぐに考える事だと思います。有限責任組合に義務化する複式簿記は、既存の会計に比べて難易度が高い。つまり頭脳労働人員が大量に必要になります。会計奴隷だけではおそらく足りないでしょう。つまりそこには雇用が生まれるわけで、議員の皆さんは中流の知識階層への仕事のあっせんという恩が売れる場所が1つ増えることになるわけです」
「たしかに、多くの被保護者を持つ元老院議員にとって、数字に明るい自由民への職のあっせんが行えるというのは、影響力を増す重要な要素になるな」
「これなら元老院議員の方々も前向きになるのではないでしょうか?」
「うむ。父上に上奏後、きちんと元老院に根回しを行えば、すんなり通りそうな気がしてきたぞ」
俺の素案に対して、ポジティブな感想を言うドミティアヌス殿下を見ながら、俺は心の中でガッツボーズを取る。
これが通れば、事業の方での心配は、ほぼしなくても良い状態になると言ってよいだろう。
水あめ事業・化粧品事業で有限責任組合、つまり有限責任の商会を作れるということは、その産業の資本が大規模化することを意味し、それは規模の大規模化につながる。
水あめの需要があることは既に知られているのだ、元老院議員や大商人が今の小規模パン工房併設の麦の蜜に有限責任組合化の提案という名の圧力をかけ、大資本化した上でローマ全土に大規模工場が建てられるのは時間の問題になるだろう。化粧品工房も早晩同じ流れをたどると見込まれる。
そしてしれっとバーターでねじ込んだ売上税の免除が通れば、今後最悪ハチミツ組合が妨害行為を行ってきたとて、課税面での利益圧縮は心配しなくてよくなる。
「しかしルシウス、この案はお前の商会にとってはただ損をするだけになるのではないか?」
俺の本命を知らない殿下は、優しいことにデキムス商会の損を心配してくれている。
確かに元々の計画から利益が税金によって減ってしまうので、今年の収益は流石に計画を下回ってしまうだろうが、それよりもなるべく喧嘩を避けれることにメリットがあるので大したことではないのだが、それはそれ。
是が非でも通してもらうために俺は殊勝な態度で舌を回すことにする。
「僕は恋と忠義の両方を取るために、自らの道理を押し通している身です。ここで損を被ることで元老院の皆様や、殿下に対してローマ社会への忠義もあると思っていただけるのであれば、被るべき損だと思っております。それは恋人の父、デキムスも同じでしょう」
「その姿勢!素晴らしいぞルシウス!そこまで言われたのならば、私もこの案は是が非でも通さねばなるまいな!すぐに父上の元へ行き、お前の言う有限責任組合と法人税について上奏してこよう!!早ければ秋にも吉報を届けられるであろうよ!」
俺の建前はドミティアヌス殿下にクリティカルヒットしたらしく、やる気に満ちた顔で立ち上がり、そのまま出口の方へと立ち去っていく殿下。
俺の横を過ぎ去る時に「これで私にも実績が……!」とか呟いているのが聞こえた。
そう言えば、プッさんから聞くところによると、殿下は今は形式的な役職にしかついていないと聞いた気がする。
片や次期皇帝として軍務もこなし、名声を得る兄。一方で実質的な役職のない自分。
そんな状況に、何か思うところがあったのかもしれない。
……まあ、俺には関係のないことだ。
俺は誰もいなくなったテラスで、大きく伸びをした。
プッさんのような延々知識を絞られ続ける無限ループは疲れるが、今のような実務的で端的なディスカッションはさほど苦ではない。
「やっぱりプッさんが濃すぎるだけで、普通の人との会話はさっくり進むもんだよなあ」
しみじみと呟きながら、俺はドミティアヌス殿下が来る前まではキンキンに冷えていたはずの、ぬるくなった果実水を飲み干し、立ち上がる。
「よし、今度こそ気晴らしに別荘の浴室で温冷交代浴して整っちゃうかなー」




