50話 ミネルヴァ様ガチ勢[2/2]
目の前の人が皇族であることを告げられた俺は、思わずプッさんを二度見する。
…………プッさん? ちょっとプッさん??
皇族を商人と奴隷が依頼する神事に呼び出すとかいいの?
流石にそれどうなん? 皇族の人怒ってない?
そう思いながらドミティアヌス殿下の顔を見る。
微笑を浮かべつつ、その目は全く笑っていない。
ぶちぎれてますやん。
後ろを見ると、デキムスさんはすでに絶望を通り越して『おれはもうおしまいです。しんでんのくもつにされちゃうんです』みたいな魂が抜けた顔で棒立ちになっている。
なんとかデキムスさんを差し出して逃げれないかな。
「お前が、ミネルヴァ様から直接英知を授かったという、ルシウスだな?」
そんな考えが頭をよぎっている俺に、ドミティアヌス殿下が一歩近づいてき、声をかける。
そして、
「プリニウスから話は聞いているぞ!なんでも熱にうなされる中でミネルヴァ様を見たとか!どんな姿だった?フクロウはいたのか?声色は?服は着ていたか?槍は持っていたか?人に例えると何歳くらいに見えたのだ!?対面したときどんな思いを抱いた!?麦の蜜の知識を授かったというがどのように!?ハチミツに飽きてお前に麦の蜜つくりを命じたとのことだが飽きたのはどこのハチミツだ!?夢の中でパピルスに書かれた文書でも渡されたのか!?それとも何か神聖な概念によってお前の頭の中に直接英知を流し込んで来たのか?その時どう思った!?奴隷であるお前の前には姿を現すのに、私のような高貴なものの前に姿を現さないことについて何か言ってなかったか?さあ、素晴らしき知恵の女神であるミネルヴァ様を見た時の様子を、ぜひ、ぜひ私に詳しく語ってくれ!」
ガッシリと、肩が痛くなるような握力で俺の両肩をつかみつつ、一声でまくし立てるように俺に問いかけてくるドミティアヌス殿下。
予想外の反応に俺が呆然としていると、プッさんが横から補足情報を流し込んてくる。
「殿下は女神ミネルヴァ様を熱心に信仰しておられてな、私が参内したときにミネルヴァ様への拝謁の話を少ししたところ、その神事は殿下が直接行いたいと熱心に言われてな」
なるほど、だからローマでも最も権威のある神殿を使えることになったわけか。
知識チートの言い訳に女神ミネルヴァ様を使った結果、皇族のミネルヴァ様ガチ勢が釣れてしまったという訳か。
正直、目が血走りながら俺の肩を強くつかむその様子は、単純に狂信者みたいで怖いが、まあ(嘘とはいえ)ミネルヴァ様から英知を授かった俺への印象は悪くなさそうだし、次男ってことは皇帝になるわけでも無いでしょ?
ということは今の所は俺に特にデメリットとかないか。ヨシ!
「ミネルヴァ様についてのお話は神事の後に」
俺が利害計算を終えるのと同時に、プッさんが俺に詰め寄るドミティアヌス殿下を俺から引きはがす。
「あぁ、そうだったな!神事の方が重要だ。ミネルヴァ様を待たせることなどあってはならぬ!して、今回の神事だが、布と共に今後も変わらぬ麦の蜜への恩恵を願い、祈祷した布をそこにいる商人に下賜すればよいのだな?プリニウスよ」
「左様にございます」
そして流れる様に神事の段取りが進んで行く。
ただ、一つ疑問があったので、俺は少し遠慮気味に殿下に対して口を開く。
「あの、今回はこのカピトリウム神殿にて神事を行う栄誉に浴することができて、光栄の極みなのですが……この麦の蜜はミネルヴァ様の英知の恩恵を広めるべく、他の商人にも広めたいと思っております、その際は、どの神殿を利用すればよいでしょうか……?」
2回目以降はミネルヴァ様ガチ勢をスルーするよと言う振る舞いは、絶対にこの人は許さなそうに感じたので、あらかじめ2回目以降はどうすればいいかの見解を聞いておくことにする。
「ん?この神聖なる『知恵の蜜の布』を下賜する儀式は今後も私が執り行うぞ?むしろ、他の神官などにやらせることは許さん!」
俺の質問に、ドミティアヌス殿下はさも当たり前かのように返してきた。
それ、ええんか皇族……。
というか毎回この神殿を使うとなると、別の問題も出てくる。
「あの、さすがにそれでは手元が心もとなく……」
「手元?あぁ、そう言えばお前は奴隷だったのだな。ミネルヴァ様から英知を授かってなお金の心配などをせねばならぬとは……奴隷の身分はつらいものだな。安心せよ!金などいらぬ!なにせお前はこの私と同じ、ミネルヴァ様からの恩恵を直に得る者なのだからな!!では早速神事を始めようではないか」
まじで!?
殿下の太っ腹な返答に、俺は心の中で全力のガッツポーズをする。
まあさすがに言葉をそのまま受け取るわけにはいかないので、麦の蜜工房フランチャイズの加盟金からいくらか神殿にドミティアヌス殿下を通して寄進する必要はあるだろうが、それでも金額について悩まなくてよいと言うのは願ってもない申し出だ。
そして同時に麦の蜜フランチャイズの成功が約束されたことも、俺の中で確信する。
元々、麦の蜜工房のフランチャイズは2年くらいでピークアウトするだろうと予測をしていた。
生産効率の肝になる温度計関連の技術が抑えられるとはいえ、製法そのものは単純で、糖化開始の温度さえわかってしまえば、テキトーに作ってもそこそこの物はできてしまう。
そしてこの時代、『解放奴隷と主人』『庇護者と被保護者』といった義務で縛られていない同規模の商人同士の約束の価値は低い。
フランチャイズで成功した商人が、自らの解放奴隷にFCに加盟せずに同じ商売をさせれば、FCを介さずに事業展開などは容易なのだ。
しかし、ここで水あめフランチャイズのFC加盟工程に、この神聖な布を下賜するという手順、つまり、
『麦の蜜工房とは、カピトリウム本殿でミネルヴァ様に祈願し、皇帝の次男であるドミティアヌス殿下直々に下賜された布、つまりはミネルヴァ様の英知の恩恵に浴して作るものである』
という手順を付加したら?
もし加盟店がフランチャイズ本部であるデキムス商会を裏切って勝手にFCから離脱して商売を始めたり、FC料の支払いをごまかしたりすれば……。
それは商人同士の小競り合いという範囲をいともたやすく超えてしまう。
皇帝の次男と、ミネルヴァ様、そしてローマ最大の神殿という最強メンバーに対する不義理となる。
たとえどんな悪徳商人であろうとも、そんなリスクを冒すことはないだろう。
それでなくても、布は毎回大麦を撫でていけば劣化していく。
毎年新たな布を神殿から受け取る必要が出てくるだろう。
そんな時に、不義理をした加盟者を呼ぶ義理は俺にはない。
つまり、いずれ陳腐化と共に水あめ業界の1ブランド程度に収まっていくであろうFCから、最強の義務で縛れる最強FCに、麦の蜜工房FCは進化したのだ。
ミネルヴァ様の部屋で、ドミティアヌス殿下主導もの元で神事が進んで行く中、俺は内心で黒い笑みを浮かべた。
そして神事の翌日。
テスタッチョ地区のアウ爺の倉庫の片隅に設けられた麦の蜜工房で、ミネルヴァ様の恩恵を帯びた布によりレピュテーション・ロンダリング済みの初期ロット『大麦の麦の蜜』が販売用の壺に入れられていく。
「いやぁ、昨日は素晴らしい儀式だったな、友ルシウス!」
そして1日経っても魂が抜けたままのデキムスさんから小壺を受け取り、満面の笑みを浮かべるプッさん。
なんでかは知らないが、プッさんは今回、態々このテスタッチョ地区まで出向き、直々にこの大麦の麦の蜜を受け取りに来ていた。
「では私は重要な用事があるのでな、これで失礼するぞ」
そう言ってすぐに輿に乗り、立ち去っていくプッさん。
ちなみに、今後は定期的にこの大麦の麦の蜜をプッさんと宮殿と神殿に届ける手はずになった。
宮殿向け配送ってことは、どうやらドミティアヌス殿下も大麦の麦の蜜が気に入ったようだな。
まあ必要経費としては格安もいいところだ、それくらいならいくらでも定期配送しますよ。
特に不審に思うこともなく、俺は次の打ち手に考えを巡らせることにした。
ドミティアヌス:
フラウィウス朝3代目皇帝。兄ティトゥスの急逝により皇帝に即位する。
50話の西暦78年5月時点では26歳。
なおフルネームはティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌスなので、実は彼も兄と同じで名前はティトゥスだったりもする。ローマの命名側ややこしいんじゃ。
西暦78年時点では、おそらく皇位継承争いを避けるためか相当冷遇されており、一番鬱屈していた時期。(神官団に名を連ねる等の形式的な役職はあったものの実質的にはほぼ無職)
なおこの時期には宮殿には住んでいない。
後に金貨に自らとミネルヴァを刻印させたり、第1軍団ミネルウァを編成したり、ミネルヴァ広場を作らせたりと狂信的なミネルヴァ信者になっているが、多分この鬱屈した環境への答えを求めるために知恵の女神への信仰を深めていたと考えるのが自然。




