48話 レピュテーション・ロンダリングは神殿の香り
5月。死者祭祀の真っ最中。
「友ルシウスよ。今日は麦の蜜の腸に対する効能について聞きたいのだが。自由民向けの麦の蜜は、初めに私に贈られたシリゴを使った麦の蜜と何か効能に対する違いはあるのか?」
残念なことに、うちの悪霊はこの邸宅の所有者かつ要人のため侵入を防ぐことはできず、黒豆を後ろに投げても、銅の器を鳴らしても、立ち去ってはくれない。
今日も元気いっぱいに古代ローマ版LLMこと俺に質問を飛ばしてくる。
そして、今日の質問は麦の蜜の一般品と高級品の効能の違い。
「うーん……一般品は主に大麦を使っていますので、腸の中の良い精霊が好むと考えると多少の差はあるかとは思いますが」
大麦はβ-グルカンを多量に含むので、どっちが腸に良い?と言われれば大麦……のはずだけど、そもそもβ-グルカンは糖化にあたって分解されるはずなので、糖化しきれなかったβ-グルカンが多少の効果を生む程度だと思う。
「うむ!そういう多少の差でもよいのだ!!それが積み重なることだ重要だ!……しかし、大麦か……確かに剣闘士が丈夫なのは大麦を食することからと考える意見もあるが……しかし、うーむ……」
俺の返答にガバっと反応した後、何やらプッさんは考え込んでしまう。
おそらく実験台にしている人がそこそこの地位にある人なのだろう。
もしかしたらプッさんの知り合いの元老院議員の可能性もある。
貴族からは家畜のえさ、自由民ですら食べるのは罰扱いされているのが大麦だ。
流石のプッさんでもその実験台の人に大麦を食べさせるのは気が引けているのだろう。
そして、この大麦問題。
実は麦の蜜工房のフランチャイズ展開でも大きな課題になっている。
一切大麦を使わない小麦麦芽水あめは、幸いなことにルクレティアお嬢様用に作る必要に迫られたことから、だいぶ初期には開発が完了しているため、作ることそのものはできるし、量産手法も確立している。
なので、大麦麦芽水あめをラインナップから除外したフランチャイズ展開は、無理ではない。
しかし大規模供給のしやすさやコスト面を考えると、やはり廉価品のラインナップに大麦麦芽水あめは加えたい。
なんせ大麦は小麦に比べて同じ重さならば価格が半分以下、その上麦芽化の難易度も小麦麦芽に比べて圧倒的に低く、歩留まりも良い。
そして正直、一般自由民から準富裕層までは一々食品の原材料なんて気にしない。
一瞬今まで通り黙って何も言わずに売ればいじゃんと思うじゃん?
フランチャイズ化を進める場合、そううまくはいかないんだよなあ。
一般層が原材料を一々気にしないのは『大っぴらにされなければ』という話だ。
自分の工房で生産が完結していた今までであれば黙って売ってしまえばよいのだが、フランチャイズ化の場合は加盟者に製法を開示する必要がある。
つまり関与する人間が増えるわけで、原材料についてはいずれ情報通な層にはバレると考えなければいけない。
そして情報がバレた際には、甘味市場としての競合になるハチミツ業界の組合から『麦の蜜は家畜や剣闘士が食べる大麦が主な材料の野蛮な食べ物だ』などというネガティブキャンペーンが張られる恐れもある。
それは小麦麦芽の水あめだけを製造しても同じだが、実際に大麦麦芽水あめの販売量が多い場合、噂ではなく事実になるので、よりダメージが大きい。
そんな『ブランディング戦略上は非常にデメリットが大きいが、大量生産を考えると何とかしてラインナップに入れたい』大麦麦芽水あめの立ち位置が、麦の蜜工房フランチャイズ化の壁になっていた。
「大麦が持つ悪い印象をどうにかする方法、友ルシウスは何か思いつかないか?」
「そんなんあったら僕が知りたいですよプリニウス様……」
そんな感じで解決策の出ない問題に悩む俺とプッさん。
「うーん……ん?来客かな」
うんうん二人で唸っていると、広間の先、正面玄関の方から二人分の足音。
「ルシウス君、お客様だよ」
「やあやあ、失礼するよ。ローマに来たので立ち寄ってみたよ……実家よりだいぶ大きいね、ここ」
顔を上げると、ルシアに案内されて入ってくる、見覚えのある顔。
「若様!」
そこにいたのは、マルクス・ルクレティウス・フロント。
と言っても、俺の主人であるルクレティアお嬢様の父の方ではなく、お嬢様の兄、長男の方。
今は亡き前妻の子で、ルクレティアお嬢様とは年の離れた腹違いの兄妹となる。
俺がルクレティウス家に買われた時には、既に別に居を構えていたため、あまり会う機会はなかったが、それでも面識はある。
たしか、今はポンペイのユピテル神殿で司祭を務めているはずなのだが、どうしたのだろうか?
「父がローマ進出を目指すにあたって、まずは足場固めのあいさつ回りにね。ここに来たのは、妹の近況を聞きたくてね」
「友ルシウスよ。この青年は知り合いかな?どことなくルクレティウス殿の面影があるが」
「マルクス・ルクレティウス・フロントと申します。ポンペイの按察官を務めた市参事会員のマルクスの息子で、ポンペイのユピテル神殿の司祭をしております」
「おぉ、ルクレティウス殿の息子か。私はガイウス・プリニウス・セクンドゥス。つい最近まではミセヌム艦隊長官だったが、今では細々と陛下の助言役などを仰せつかっている」
「プリニウス様でしたか。妹の近況を聞きに来たところで、貴殿のような高名な学者にお目にかかれるとは……光栄です」
そう言ってにこやかに微笑む若様。
しかしプッさんにはさほど興味がない様子。
挨拶もそこそこに、すぐに俺の方に向き直る。
そして、俺とプッさんがいる、部屋の中央にある丸テーブルの椅子にさも当たり前のようにすっと腰を下ろした。
「ルシウス、私にも例のカモミールのインフュージョンを用意してくれるか?今日は朝から歩き通しで、喉がカラカラなんだ」
……どうやら、ルクレティアお嬢様がお気に入りのカモミールティの方が本命だったらしい。
若様は、どこか飄々としていてノリが軽い方だ。
そのありようは、貴族然としたマルクス様と対照的。
「あ、はい。すぐ用意しますね」
俺は慣れた手つきで茶を淹れ、若様の前に差し出した。
若様は満足げに香りを楽しみながら、ふと思い出したように口を開く。
「そういえばルシウス。君、きちんとミネルヴァ様のローマの本殿にお礼は申し上げたのかい?」
「お礼、ですか?」
「そうだよ。ここにある麦の蜜だって、もとはミネルヴァ様より知恵を賜って作ったものなのだろう?いつも祭壇に祈っているとはいえ、せっかくローマには帝国一の神殿があるんだ。礼をしに行くべきだろう?……ところでルシウス、大麦の方はどっちの壺なんだい?」
確かに若様の言う通り、ローマに来たというのに一番大きい神殿に行こうともしないのは不自然か?
そう思いつつ俺は若様のもう一つの質問に答える。
「あぁ、俺の側にあるのが大麦で作った麦の蜜、プリニウス様の方にあるのがシリゴを使った麦の蜜です」
「ふむ……どれどれ」
俺の言葉に、なぜか若様は俺の方にある壺を取ると、トガの袖から小さな布を取り出し、壺を撫でてから流れるような自然な動作で、自らのカモミールティーに大麦の麦の蜜を注ぐ。
「うん。やっぱりルクレティアから聞いてた通りだ。大麦の蜜の方が香ばしくて、私は好きだな。ウマイ!」
満足げにカモミールティを啜る若様。
いやウマイじゃないが?
心の中で俺は思わずツッコミを入れた。
「あの……若様。そっち、俺用の大麦で作った麦の蜜ですよ?いいんですか?大麦の方を口にされて」
そんな俺の疑問に、若様はあっけらかんとした顔で笑った。
「知っているよ。私はこっちの風味の方が好きだしね。それに、ルシウス。お前は何もわかっていないな」
若様は、先ほどの布をひらひらと振ってみせた。
「これはポンペイの祭事でだが、ミネルヴァ様への祭事の際に使った布だ」
「はぁ……そうなんですか」
だから何だってんだ。
「そんな神聖な布、ミネルヴァ様の英知を帯びた布によって、下賤なモノから神聖な甘味へと変化した『コレ』が、ただの大麦と同じ下賤なものなわけないじゃないか。あ、気に入ったから『コレ』定期配送ヨロシク。次回以降は原料の大麦をこの布で撫でてね」
その方が、『ちゃんとミネルヴァ様の布で触れたからミネルヴァ様の英知によって麦の蜜としての神性を帯びた、ということになるから』と付け加えながら俺に布を渡してくる若様。
………。
「「その手があったか!!!!」」
若様の屁理屈から一拍おいて、俺とプッさんの声がハモった。
そうだ。
そもそもが大麦が下賤なものというのは、つまり家畜が食うものだから汚い、奴隷や剣闘士が食うものだから野蛮、そんな感じのふわっとしたよくわからないイメージからくるものだ。
しかし、そんな『豚のえさ』が『神の恩恵』によって『香ばしい風味の絶品の甘味』になるとしたら?
マイナスイメージであればあるほど、神の恩恵という効果が強調され、そのネガティブイメージは払拭される。
なんなら大麦という面を前面に出した方が良いまである。
これは、現代でもヤンキー捨て犬理論などで立証されている、れっきとした心理学の裏付けのある理論だ。
『あの』大麦が、知恵の女神ミネルヴァ様の英知によってこんな甘味に!?
そこに感じる神性が付加価値となってくれるだろう。
つまり、神殿を挟むことで、大っぴらに、堂々と、レピュテーション・ロンダリングができるのだ!




