42話 どうせでつくなら大きな嘘を
「して……これは完全に興味本位なのだが……いったいルクレティウス殿は、わが友ルシウスの価値をいくらとしたのだ?」
プッさんの口からポロリとこぼれた何気ない一言。
その一言に、場がシン……と静まり返る気配を感じる。
マルクス様の顔が、一瞬浮かべた安堵の顔から一転、第一志望の面接で嘘で塗り固めた回答にぼろが出始めた就活生のように、死人のような土気色に変わっていくのがはっきりと分かった。
「……そ、それは……その……」
かつてないほど激しく視線を泳がせ、言い淀むマルクス様。
無理もない。
この質問をクリアすれば大団円だが……一方で、この質問は一歩間違えれば即死の地雷なのだ。
ローマにおける一般的な征服地産の肉体労働奴隷の相場は、およそ1000~1500セステルティウス程度。
ラテン語が話せる属州やイタリア半島産の奴隷であればその倍、読み書きができたり、特殊な技術を持った高級奴隷であれば、さらに数倍から十倍の値段がつくこともある。
化粧品工房のために試しに医者の奴隷がいくらなのかをフェリクスのおっちゃんに聞いてみたところ数万セステルティウスとか言っていた。
だが、プッさんから初日に友認定されているこの俺に、安易な金額をつければどうなるか。
たとえば、医者くらいの水準である5万セステルティウスとかなんて値段を言おうものなら、プッさんは間違いなく『その程度の端金と友の知性を評価しているのか!』とブチ切れること間違いなしだ。
では逆に、法外な金額ならいいか?
それはそれで『最初から解放する気などないではないか!わが友は純真故に騙されているかもしれぬが私の目はごまかせんぞ!』などの激怒ルートが想定される。
安く見積もれば才を安く見ていると軽蔑され、高く見積もれば手放す気がない強欲だと非難される。
ちょうどよい、そう、石鹸のpH値のように丁度良い金額でないといけないのだ。
しかもpH指示薬もなしでだ。
マルクス様の額から、滝のように冷や汗が流れ落ちている。
先ほどのように誰かが打開策を出してくれるのを期待してか、あたりを見回すが、マルクス様と視線の合ったフェリクスのおっちゃんは目をスッとそらし、デキムスさんに至ってはさっきの啖呵で精魂尽き果てたのか、白目を剥いてそのままへたり込んでいる。
蚊帳の外のウンブリキウス様は面白そうにそんな様子を見ている。
多分この場で二番目に宴を満喫できていたのはこの人だと思う。
まあ客だし間違ってはいないのだが。
そしてそんな様子を見て、はたと俺は良いことを思いついた。
マルクス様の中で金額が定まっていないのならば俺が決めちゃえばよくない?
プッさんに対して吹いた大ぼらは現実にしなければいけないので、先ほどデキムスさんが言った、俺とルシアの恋物語は履行されるだろう。
しかし現状のままだとデキムスさんがマルクス様に恨まれる可能性がある。
しかし俺がここでそんなことがどうでもよくなるような額を提示したら?
そっちに意識が奪われて、そのあたりがうやむやになるのではないだろうか。
それに、俺が直接抱えている恩はルクレティアお嬢様への物だが、実際問題として奴隷身分でありながらここまで好きにできるのはルクレティウス家の奴隷という立場ゆえだ。
そのため、テキトーに舌を回したが、マルクス様に対しても良い印象を基本的には俺は持っている。
それに別にここで大ぼらを吹いても、最終的にそれを叶えてしまえば嘘ではなくなるのだ。
ローマに行けば、今の行動範囲とは比べ物にならないほど手札は増えると俺は見込んでいる。
じゃあ、そのローマで次は『ちみつな事業計画で最速奴隷解放を目指すRTA』でもやろうじゃないか。
ポンペイ噴火脱出RTAとちがって死なない分、気楽なものだ。
「――プリニウス様」
俺は沈黙が広がるこの場を打破するため、静かに口を開いた。
「おお、友ルシウス。どうしたのだ?」
「我が主、マルクス様が言い淀んでいるのには、実は深い理由がございます。その額が、あまりにも、法外なのです」
「ほぅ……?やはり解放など――」
プッさんの目が細くなり、その視線がマルクス様を刺す。
マイナス10000プリニーポイントといったところか。
誤解されたままではかわいそうなのでそのまま俺は言葉を被せる。
「しかしその額はマルクス様が定めたものではございません。僕が、僕自身が申し出た値段なのです」
「なに?法外な値段を、自ら?……なぜ?」
プッさんが目を丸くする。
奴隷が自らの値段を決められるのであれば、安くするのが当然。
しかし俺はその反対と宣言した。
その理由が分からずに俺に聞き返してくるプッさん。
「僕は愛を曲げぬために、道理を曲げ、無理を押し通しました。ならば、自らの値段は僕が考えうる適正価格でなければ、今度は僕が恩に報いることのできない忘恩者になってしまいます。しかし、僕が僕自身に付けた値段は、あまりにも法外。故に、我が主マルクス様は言いよどんでいるのです」
言い切った後に、マルクス様をちらりと見る。
マルクス様も俺が金額を決めるということそのものには同意しても良いようで首を小さく動かしながら『いい。それでいけ。頼むぞ』とアイコンタクトを返してきた。
あとはマルクス様が絶対に後から撤回できず、さらに俺が将来ローマに行ったときにローマ市中の話題をかっさらえるような強烈な『箔付け』になる金額を提示してしまえばミッションコンプリートだ。
「ますます気になるな!」
プッさんは目を血走らせ、また俺の肩をつかんで唾を飛ばしながら続ける。
「自らの知恵を自覚するお前が、己自身につけた価値!ただの金額ではない、お前の『誇り』の重さ!ぜひ聞かせてもらおうか、我が友ルシウスよ!」
プッさんの言葉のあと、ゴクリ、とこの場にいる全員が固唾を飲む音が聞こえる。
広間を見回す。
マルクス様は『これでようやく宴が無事に終わった、良かった』とすでに安堵顔。
フェリクスのおっちゃんは『やめろ、どうせろくでもない額を言うつもりだろ、やめろ』と目で訴えかけてきている。うん無視。
デキムスさんはまだプルートーと商談をしているようで帰ってこない。
ウンブリキウス様はニヤニヤと興味津々で眺めている。
「はい。僕が自身が付けた、僕の価格。それは――」
俺は一拍置き、夜の広間の静寂を肺一杯に吸い込んでその額を言い放った。
「100万セステルティウス」




