34話 フェリクス、進退窮まる[1/2]
2月中旬に行われるパレンタリアが近づき、春の空気が混じり始める今日このごろ。
主であるマルクス・ルクレティウス・フロント様は昨日から郊外の農園の視察に出かけられており、昼前までお戻りにならない。
今は、早朝の倉庫の納入チェックも終え、朝が過ぎ去りようとしている時間帯。
家財管理奴隷である俺にとっては、この時間は朝の業務が終えてひと段落し、朝食もとり終えようやく休憩できる貴重な時間だ。
「フェリクスのおっちゃんおはよぅ……1月の報告書でたらしいよ」
「おはようございます、フェリクス様」
自室で一つ大きな欠伸を噛み殺していると、部屋の外からまだ幼さを残す男女の声が聞こえてきた。
「あぁ、入ってもいいぞ」
俺の声を待って部屋に入ってきたのは、我が家の英知で俺にとっては豊穣神でもあり悪霊でもあるルシウスと、最近すっかり身なりが良くなったデキムスの娘ルシアだった。
ルシウスの言葉から察するに、麦の蜜工房の事業報告とリバーシの使用料の報告なのだろうが……それならばいるはずのもう一人の姿がない。
「今日はルシアだけか?ソキエタスや我が家への報告なのにデキムスはいないのか?」
「お父ちゃ――お父様は今、日中は麦の蜜工房とリバーシの製造を任せてる工房とか……あと化粧品工房の件で、洗濯屋のステファヌスさんに人員の話をしたりとか、テレンティウス様に物件の話をしに行ったりとかで来られないみたいなんです……」
俺が尋ねると、ルシアは「うっ」といった表情を浮かべて言い訳を並べてきた。
「俺が報告書受け取りに行ったら化粧品受注のリストとにらめっこして唸ってたから報告書だけ奪ってルシアを名代ってことで来てもらった。別にいいでしょ?数字見てお金受け取るだけだし」
ルシアの言葉を補足しながら彼女の方を指すルシウス。
見ると、ルシアは両手でぎゅっと袋二つと安いパピルスの巻物を抱え込んでいる。
「あー……」
二人の言葉に、俺は納得して頷いた。
先月、つまり1月の半ば頃、パン屋の親方衆やテレンティウスとのゴタゴタを経て、デキムスの麦の蜜工房はついに本格稼働を開始した。
しかし、それと並行してリバーシの製造・納品という巨大な案件も抱えている。
それだけならまだしも、極めつけはルクレティアお嬢様と奥様をはじめとするポンペイ上流階級女性たち陰に日向に圧をかけられている化粧品工房の準備も同時並行でこなしている。
どう考えても身の丈を超えている。
難易度も、そもそもの量も、プレッシャーも、ものすごいだろう。
少なくとも俺なら絶対にやりたくないし、抱えきれない。
「ま、まあ、無理もない。倒れて死なない程度に休むよう伝えておけ」
初月の報告にもかかわらずソキエタスを結んだ相手への報告に本人が出向いてこないという行為は無礼極まりないのだが、それよりも同情が上回った俺は、その無礼は不問にすることにした。
「ありがとうございますフェリクス様」
ルシアがぺこりと頭を下げたことで一旦追及は終了。
話を報告に切り替えることにする。
「……それで、初月の生産高はどうだったんだ?我が家の厨房で作っていた時の5倍、300セクスタリウスくらいは製造しててほしいが」
俺はパピルスの報告書と、ずしりと重い2つの皮袋を受け取りながらデキムスの代理のルシアに尋ねた。
「えっと……」
「フェリクスのおっちゃん……何言ってるの?そんなわけないでしょ?」
ルシアの代わりにルシウスが、なぜかあきれを含んだ口調で言う。
……まあさすがに初月だからな、設備も下旬まで改修中だったようだし、そこまではいかないか。
とすると製造高は200の前半か?
それだと赤字はないにしても大して利益は出ていない可能性もあるな。
「まあこういう事業はゆっくり育てていくものだからな、どれ……」
俺はパピルスの紐を解き、デキムスが震える手で書いたであろう1月の報告書に目を通した。
『1月度 麦の蜜工房 収支報告』
・総製造量:1500セクスタリウス
・総売上:912デナリウス
・利益:477デナリウス
『ルクレティウス家への納入金』
・『麦の蜜』使用料:91デナリウス
・『リバーシ』使用料:99デナリウス
計:190デナリウス
『ソキエタス分配金』
・フェリクス様宛:95デナリウス
「…………は?」
パピルスに記載された文字を見て、思考が一瞬完全に停止した。
読み間違いかと思い、目を凝らしてもう一度見る。
総製造量:1500セクスタリウス。
300どころではない。
「な、なんだこの異常な製造量は……!?1500セクスタリウスだと!?テレンティウスさんのところの工房を借りたわけでもないのに、どうやって初月からこんな量を!?」
「うーん計算通り。ヨシ」
何見てヨシって言ってるんだお前は!?
……ま、まあこいつが組んだ工房だ、製造量そのものはまあ受け入れたとしよう。
売上と利益は絶対間違いだろう!?
あ、なるほど分かったぞ。
「……は、ははぁん。さてはデキムスめ、デナリウスとセステルティウスを書き間違えたな?そうだろう?ルシア」
「えっと……」
口ごもるルシア。あぁやっぱりそうか。
そうに違いない。
あいつも忙しいからなー。
さすがにちょっとセステルティウスをデナリウスに書き間違えるのは怒りたくなるレベルのポカだがまあ、麦の蜜にリバーシに化粧品事業も抱えてるんだ。
初月は許してやろう。
この金額でも俺の予想よりは上振れしてるしな。
そう思いながら何か困った顔をしているルシアを見つつ、皮袋に入ったルクレティウス家への支払いと俺への分配金の袋を見る。
とりあえずは俺の袋から開けるか。
そーれ。




