30話 化粧品事業開始(強制)
ルシアとのデートから数日後。
「ルシウス!!」
いつものように空いた時間で蝋版に日本語でチート商材のアイデアを書いていると、突然ルクレティアお嬢様が怒鳴りこんできた。
「お、お嬢様……?」
「ちょっと座りなさい!!」
背中に怒気を背負い有無を言わさぬ雰囲気で椅子に座って床を指さすルクレティアお嬢様。
あの……そんなに怒気をにじませるような何かを俺がした覚えはないんですがお嬢様……?
「一体何でしょうか、ルクレティアお嬢――」
「貴方はいったい誰の物?」
疑問を投げかける俺の声を遮り圧をかけつつ質問してくるお嬢様。
誰の物ってそりゃあ……。
「俺はマルクス様に買われた奴隷ですので、マルクス様の所有となりますが……」
「ちーがーうーでしょ!違うでしょ!?お父様から私の為に付けられたのだからルシウスは私の奴隷でしょ!?」
「まあそうともいうかもしれません」
「じゃあ貴方は私の物でしょ!?」
「まあ、はい」
そうともいうかもしれない。
「じゃあ、はい」
少し落ち着いたのか怒気を引っ込ませて手を出してくるお嬢様。
えっと……お手でもすればよいので?
とりあえずお嬢様の手のひらに手を載せてみる。
「違う!!!」
ぺちーん!
「痛……」
もう片方の手で思いっきり手をはたかれた。
「あの……話が見えないんですが……?―――ぐえっ!?」
本気でルクレティアお嬢様が何をしたいのかが分からず首をかしげる俺。
そんな俺の反応が怒髪天をついたのか、俺のトゥニカの襟首をつかんで思いっきり引っ張ってくるルクレティアお嬢様。
「匂いよ、匂い!」
「匂い?」
はて?
「昨日、いつものお茶会が終わってお友達を門に見送ったときのことよ。ルシアが道を通り過ぎたのよ!」
まあ、そりゃあいつ俺のストーキングをしてますからね。
このあたりは彼女の行動範囲でもある。
「あの子、なんだかものすごく良い匂いがしたの!香油じゃない、もっと自然で、清純で、花そのものみたいな……!それに髪だってシルクみたいに滑らかだったわ!」
「あー……」
多分石鹸の効果だろう。
早速俺がプレゼントした石鹸を活用しているようだ。
次に会うのが楽しみだ。
って、そうじゃない。
……なんとなくお嬢様が言いたいことが分かってきた気がする。
「お友達の視線も彼女にくぎ付けになったわ!『まあ、なんて素敵な香り、それにあのつややかなのに滑らかな髪は一体!?』って!私も思ったもの!!でもこの私を差し置いて、商人の娘が!私の家の前で話題をかっさらっていったのよ!?この汚名、返上しないわけにはいかないでしょう!?」
香りと言えば香油のこの時代、石鹸による残り香的な優しい香りは上流階級のご令嬢たちにも衝撃的だったらしい。
髪についてもケアは基本的に香油などの油が中心だったこの時代、グリセリン入り石鹸によるつややかさを保ちつつ滑らかな髪質は矛盾を打破したような印象を持ったことだろう。
肌艶に対しての言及がないのは、彼女たちの肌年齢自体が若いのでそこは気にするポイントじゃなかったからだろう。
これが石鹸と化粧水を渡したのがルシアの母とかで、見られていたのが奥様とかだったらもっと危なかった。
「それと俺が詰問されているのは何の関係が……?」
大体状況は把握したが、言い訳を考えるために一旦俺はすっとぼける。
「あの香りは数日前ルシウスからした香りと同じでしょうが!!!!!」
バレテーラ。
俺のすっとぼけた態度にブチ切れ、がくがくと激しく俺を揺さぶるルクレティアお嬢様。
そう言えばルシアに渡す前に自分自身で実験してたから、その匂いをお嬢様にも嗅がれていたんだった。
「だいたい、あんな未知の体験の原因がルシウス由来以外なわけないでしょう!?」
うん、まあそうっすね。
様々な新しいものが入ってくる港町のポンペイとはいえ、上流階級であるルクレティアお嬢様のお眼鏡に叶う珍しいものなんてそう頻繁に入ってこない。
自然とそういうものは俺由来という話になってくるのだ。
しかも今回は事前に俺が香りを纏っていたという証拠付き。
「ルシウス……あんたね。ルシアと仲がいいのは知ってるけど主人の私を差し置いてあの子にだけ『英知』を渡すなんて、どういうつもり!?」
実験の時に口を出してこなかったのはいずれ自分に献上されると思っていたからということか。
そして自分には献上されないのにルシアにそれを渡したことにご立腹、と。
「い、いえ、あれは試作品でして……そ、そう!もちろんルクレティアお嬢様にもお渡しするつもりでしたよ!?しかしその前にルシアで実験をしてた訳でして!ええ!」
やばい気配をようやく理解できたので言い訳に舌を回す。
pH値の調整ができないと危ないことは事実なので嘘は言っていない。
実際、未来の日本でもpH値チェックをおざなりにした結果、素人仕事で作った石鹸のせいで肌や髪がボロボロになるなんて事例は、自然派化粧品自作界隈で良く聞く話だ。
まあ俺の場合はバラで作った指示薬と自分自身へのパッチテストで安全性は確認してるので実験云々は半分嘘だが。
それでも半分試作品のようなあれを直接渡すという選択肢はちょっとなかったのは事実だ。
「……ふぅん?で、実験は成功したのよね?」
お嬢様の目が光る。
拒否は許さないという鉄の意思を感じ取り、俺は即座に土下座の姿勢をとった。
「はい!完成しました!」
「なら次にどうすればいいかは、もちろんわかるわよね?」
「はい!お嬢様専用の、最高級のバラ洗顔料と洗濯剤をご用意させていただきます!洗顔料は当然、髪にも使えます!!」
「よろしい。……じゃあ今すぐ作りなさい。必要なお金はフェリクスに用立ててもらいなさい」
「ハイヨロコンデー!!」
お嬢様の命令は絶対だ。
俺はお嬢様から逃げるように部屋を飛び出し、フェリクスのおっちゃんの元に向かう。
まあ最高級と言っても値が張るのは香料であるバラ位。
それもすぐに入手できるレベルのものとなると、銀貨数枚で何とかなるだろう。
しかし、俺は完全に頭から抜け落ちていたことがある。
それは、お嬢様が何の目的で自分にも寄こせと言っていたのかだ。
上流階級の奥様令嬢方からルクレティアお嬢様宛に化粧品工房 (そんなものはない)の紹介依頼のパピルスの手紙が山のように積みあがるのは、お嬢様に洗顔洗髪用の石鹸を渡し、ついでに作ったグリセリン化粧水をルクレティアお嬢様経由で奥様に渡してから数日後のことだった。
なお、この間に衣類洗濯を屋敷で行おうとしてフルロ開店と勘違いしたフェリクスのおっちゃんにブチ切れられたたり、仕方ないので洗濯業者に任せることにし、仕上げ方法を指定したところすごい勢いで石鹸に食いつかれたりとひと悶着あったがそれは別の話。
「まっ、私とお母様の美貌を見たらそうなるわよね。ふふん♪」
積みあがる紹介依頼のパピルスを前に、麦の蜜でグループを形成したとき以上のどや顔を見せるお嬢様。
お嬢様の隣には、グリセリン化粧水で玉のような肌を取り戻した奥様がニコニコ顔で座っている。
「というわけでルシウス。デキムスに作らせなさい。工房」
「皆様首を長くして待ってらっしゃるようだから、早めにね?来月くらいが良いんじゃないかしら。……できるわよね?」
まるでちょっとした買い物を指示するように工房の設立を命令するルクレティアお嬢様、納期についても追加注文をする奥様。
「ハイヨロコンデー!!!」
お嬢様の命令は絶対だ。
そこに奥様の意向が入ったとあれば拒否という単語を思い浮かべる選択肢そのものがなくなる。
というかね、ニコニコしている奥様のね、目が、ね、笑ってないんですよ。
おこぼれにあずかれるであろう柱に隠れている侍女さんとほかの屋敷内の女性奴隷の目もね、笑ってないんですよ。
そもそもね、積みあがっている、手紙。
封蝋による家名入り封印がされた白いパピルスというね、儀礼に則った正式なモノなんですよ。
……考えうる最速ルートで安定供給を実現しないと女性社会全体を敵に回す。(確信)
仕方がないのでその受注打診が書かれたパピルスをそのままデキムスさんにぶん投げ、各家に年間契約を取り付け、その受注を担保に金貸しに金を借りさせることにした。
ついでにフェリクスのおっちゃんにも話を共有し、使用料の調整と化粧品工房のソキエタスへの追加出資も忘れずに。
フェリクスのおっちゃんはリバーシの件があったので一瞬他の出入り商人へ割り当てすることも考えたようだが、すでにルクレティウス家の庇護下にある商人は相応の規模なのでデキムスさんみたく小回りは効かない。
そのため、奥様とルクレティアお嬢様、そして屋敷内の女性奴隷を含めた女性の総意としての『さっさと工房作れ』の圧力にあらがうことはできず、他の商人に投げる案は無事廃案。
デキムスさんにぶん投げることが確定した。
そして今回ばかりは技術の秘匿とかは無視。
まず量産体制確立が最優先。
つーか早く量産にこぎつけないと(社会的に)死ぬデス。
まあ石鹸製造、というか化粧品事業はリバーシなんて比較にならないほど信頼がものをいうブランド事業だ。
製造方法が仮に漏れても品質管理の部分さえきちんと押さえておけばよいので、水あめ事業ほど製法方法を秘匿する必要はない。
まあ、逆にその品質管理が死ぬほどきついのだが。
製造時のpH値の管理はもちろん、完成品の製造ロットごとのpH値やパッチテストの結果保管、参考品の保管、製造後の虐待試験を含むロット別品質検証など、消費者に見えない部分の品質管理が重要になってくる。
これをしないとあっというまに健康被害事故発生からの事業崩壊が待っている。
いや、事業崩壊で済むならマシだ。
今の顧客属性から考えて製造瑕疵由来の健康被害なんて出てみろ、死より恐ろしい未来が待っている。
そんなことを金を借り終わったデキムスさんに伝えると、死にそうな顔で「無理無理無理!!!絶対無理!」と抵抗しだした。
なんだよ、工房の人員確保は外部の手を借りてもいいんだしいけるっしょ。
なんなら難易度下がってるでしょ?喜んで?
それにね、無理っていうのは嘘つきの言葉なんだよ?
途中で止めずにやり切っちゃえば無理じゃなくなるんだよ?
まあ今回も例によってデキムスさんに拒否権はない。
特に今回はルシアとルシアのお母さんも(なんならパッチテストで恩恵を受ける水あめ工房の女性奴隷も)強力に後押しをしているし、あきらめて?
この件についてはアンタの家に味方はいないぞ。
さて、デキムスさんが死ぬのは確定として、俺も品質管理手法の管理体制を確立しないといけないからデスマ決定だ。
なおこの品質管理デスマに終わりはない。
少なくとも医師奴隷みたいなある程度医学が分かる高級奴隷でも確保しない限りは終わりはない。
夏どころか生きて春を迎えられるだろうか……?
……まあ、そもそも石鹸事業を没にしてた理由は販売初動戦略の問題だったし、それが解決できた上に石鹸事業だけじゃなくてグリセリン化粧水を含む化粧品事業として開始できるなら、まあやる価値はあるか……利益率もバカ高いしね……ヨシ!
そう自分に言い聞かせて、化粧品事業は強制的にスタートするのであった。
化粧品事業立ち上げ:
中規模工房の貸し出し、高技能人員の派遣、まとまった金を貸す
どれも最低でもそこそこ資産を持っている人々しかできないぞ。つまり最低でも富裕層。
だいたいそういう人々は妻帯者だぞ。
つまりデキムスが事前に奥様令嬢に受注伺いをしに来ている可能性が高いぞ。
あとは……わかるね?




