26話 水あめ工房試運転
「ルシウス~~~!!!!言われた通り水時計と湯煎槽だけは作って、奴隷には煮炊きだけは教えたけど……大丈夫なんだよね??この後の工程本当に多くないんだよね???年末に試運転は間に合うんだよね?信じてるよ!?!?!?!?」
「うおっとあぶねぇ!?」
出来上がったばかりのガリレオ温度計を持って町はずれにある『デキムスの麦の蜜工房(仮)』に入った途端、俺に縋りつきながらまくし立ててくるデキムスさん。
ちょっと今まさに年末の試運転に間に合わせるための必須アイテムである温度計を落としそうになったんだが?????
「ちょっとお父ちゃんみっともないよ!?奴隷の4人も見てるじゃん!」
そしてそれをすぐさま引きはがしてくれるルシア。
奥の方では男性奴隷二人があきれ顔で、椅子に座った女性奴隷二人がおろおろしながらこちらを見ている。
女性奴隷の足を見ると片足の下ふくらはぎに大きな傷がある。
おそらく男女で逃亡を図り、失敗した結果アキレス腱を切断されたのだろう。
そのおかげでデキムスさんはこの4人を安く買えたのだが。
俺が運がいいだけで、古代ローマって基本ナチュラルに残酷なんだよなぁ……。
しかしどんなに残酷でも現実は現実。
奴隷である俺の手のひらでどうこうできる範囲は限られているので彼彼女らに同情して歩みを止めるわけにはいかない。
そもそも残酷云々を言い始めたら近い将来噴火が訪れる事を分かってるのに、数千人を見捨てるしかない現状が最低最悪に残酷なのだ。
工房が上手く行ったらデキムスさんに彼彼女たちの待遇を上げるように提案しようと心に決めて、工房稼働のための作業に意識を移す。
「俺が小旅行に行く前に伝言した設備が完成してるなら年末と言わず今日でも稼働できますよデキムスさん」
「本当かい!?」
「さすがルシウス君!でも本当に?全然設備できてないよ?」
そう言ってルシアは工房の中を指さす。
元パン工房だった室内にはでかでかと大型のオーブンが鎮座しており、他に使える火元はその奥にあるルクレティウス邸の台所よりもずっと小さい2口のかまど。
鍋や商品用の壺、桶こそあるものの、改装はほとんど進んでいないようだった。
「桶の水時計への改造と湯煎槽はできてるんですよね?」
「あ、あぁ。こっちだよルシウス」
デキムスさんが俺を工房の奥に案内し、台の上に載っている木の板を下ろす。
そうすると、人が数人は入れそうな四角いコンクリート製の槽が現れる。
「あぁこれなら大丈夫そう」
槽の中を見ながら俺はデキムスさんに言う。
農神祭から新年までは工房も職人もほぼアイドリングモード。
そのなかで使えそうな工数はすべてこの湯煎槽の制作に突っ込むように言っていたのが上手くいったようだ。
「ところでルシウス君。さっきから持ってるそのガラスの壺はなーに?」
俺が工房の稼働ができることを確信していると、ルシアが不思議そうにガリレオ温度計について聞いてきた。
「これ?これはね……工房稼働の肝になる重要部品だよ」
じゃあ早速製造ラインのフロー確認と行きましょうか。
さあ始まりました!属人化絶対許さないマンによる古代ローマチキチキ麦の蜜工房安定稼働試運転~~~!!
どんどんパフパフー!
まずは水あめの作り方についておさらいだ!
水あめは良い感じの温度の麦粥に麦芽をぶちこんで良い感じに温度を維持して糖化液を作ってそれを煮詰めて完成!終了!
重要なのはこの酵素がいい感じに快適になる温度、つまり60度前後に維持する必要があるという部分。
逆に言えば60度前後を維持できれば放置して煮詰めるだけでよいのが麦芽水あめの良いところ。
厳密にいえば煮詰めの工程にもベストな粘度にするための職人芸とかがゆくゆくは発生するが、今はそこまでは求めていない。
簡単だと思うでしょ?そう、簡単なんだ。
温度の維持以外は!
今までは作る量が商売としてはごく少量だったこともあり、俺が指で麦芽投入の温度を把握し、その後は灰を使った魔法瓶もどきで温度を維持していた。
麦芽投入温度も、灰による温度維持の方法もいわゆる俺の『感覚』だより。
だが事業として数倍どころか数十倍の量を生産する場合はそうはいかない。
毎回俺が指で温度を測るわけにはいかないのだ。
指が茹で上がるわ!
かと言ってこれをすぐに言葉の通じない奴隷に教えるのも難しい。
そしてもう一つの問題がロットごとの工程管理。
どの壺がいつ糖化を開始していつ頃上げればよいのか。
今までは1回で一気に作って夜間放置式だが大量製造の場合はそうもいかない。
自然と日中製造になるわけだが、この時代の時間は日時計基準。
夏は長く冬は短くなる。
この二つの問題を解決するアイテム、それが水時計とガリレオ温度計だ。
ガリレオ温度計は俺がさっき作ったこれ。
そしてもひとつの水時計はデキムスさんに作ってもらった。
水時計の作り方は簡単で、小さい木製のコップに穴をあけ、水をもう一つのコップに落とす。
落とす時間はルシアの心拍を基準とする。
10代前半の人間の心拍は大体80~100なので大体90とし、手で脈を測って90回になったら穴の開いた水をコップに落とすのをやめる。
もうひとつのコップに溜っている量がこの2つのコップで1分間を計測するために必要な量だ。水をためる方のコップに印をつけると必要な水の量が決まるので水面のラインに印をつけておく。
次に別の桶を2つ用意して、この1分水時計を10回繰り返すことで10分時計を作り、同じ要領で6時間時計を作る。
そうすれば大体毎回6時間を測れる水時計の完成。
麦芽投入開始と同時に水時計を稼働させれば、そのロットで6時間経ったら水時計が停止するので一目で糖化完了しているかどうかが分かる。
複数個水時計を稼働する時は水時計と糖化中の壺に同じ〇×△とか言葉が分からなくてもセットだと一目でわかるマークをつけておけばよいだろう。
さてこの二つのアイテムで正確な時間と正確な温度が測れるようになった。
では工程はどう改善する?
こう改善するぅ!
麦粥を作る→ガリレオ温度計で粥の温度を測り、適温になったら麦芽を投下→湯煎で複数ロットを温度計で適温管理→完成!
これなら言葉が通じない人にも何とか工程を覚えてもらえる製造ラインができるのだっ!
しかもこのフローなら
『糖化開始温度の見極め(今は手による感覚で判断)』
『温度低下の管理(今は手による感覚で判断)』
『予想外の温度低下による歩留まり率低下』
『糖化の必要時間の管理(今は一晩放置)』
という水あめ製造のボトルネックになっている部分はすべて解消!
誰がやっても大体安定した品質になるという最高の工房が出来上がるわけだ。
ちなみに作業時間中ずっとガリレオ温度計を槽に付けてるとガンガンアルコールが揮発してガリレオ温度計の内圧が上がり、壊れるリスクが爆増するので定期的な検温の形式にする。
本当は空気温度計を経由した上で最終的には液中温度計を作りたいが、試行錯誤が必要なのでしばらくはこのガリレオ温度計で乗り切っていきたい。
歴史的には空気温度計の方が発明が先だし、構造も簡単なのだが、ガラス技術の関係で試行錯誤という工程が必要なのですぐに採用できないのだ。
耐えてくれよ!ガリレオ温度計!!
いやーやっぱりこういう最適なシステムというのは設計するのは躍りますな。
パズルゲームやってる気分になる。
そんなわけで試運転の結果できた水あめがこちら。
煮詰めたてのほやほやの6セクスタリウスの水あめがデキムスさんの前に鎮座している。
まだ煮えたぎっていて熱いどころではないその出来立ての水あめをデキムスさんは直接指ですくい、口に含んだ。
「甘い……心なしか、いつも仕入れているモノよりも……ずっとだ」
半ば放心状態で感想を漏らすデキムスさん。
まあそら温度管理をちゃんとできたら糖化率も高いだろうし、そうするといつもよりも甘い水あめができるのは当然と言えば当然だ。
そして次にルシア、奴隷の人たちが木製のスプーンで水あめをなめる。
奴隷の人たちはひと舐めして目を見開く。
まあ自分達が作ってるものが甘味だとは思わないよね。
なんだか新鮮な視線。
「あと何回か4人だけに指示をしながらやって、その後4人だけでやれるようになったら試運転は完了でいいと思いますよ。そこから現行設備での月間の製造能力を試算して、その後に改修完了後の最大製造能力を試算した後に親方衆にお披露――」
「工房で麦の蜜ができたってスプリウス親方に行ってくる!あ、ほかの親方衆やテレンティウスも呼ばなきゃ!じゃあ俺は今呼んでくるからちょっとここは任せてもいいかな!?」
俺の説明を途中で遮り、デキムスさんは工房からはじけ飛ぶように外に飛び出す。
「あ、ちょ――」
「いやぁよかった!まにあってほんとうによかったよ!じゃ!」
そして止める間もなく表の道から駆け足でどこかへ駆けて行ってしまった。
……製造能力を試算せずに作れることだけを知らせると次は割り当ての問題が出てくるんだけどその辺分かっているのだろうか?
案の定想定していなかったらしく親方衆+テレンティウスさんに激詰めされて、俺が理論値の説明で何とか取り成すことになるのは、このあとすぐのことだった。
ともあれ、麦の蜜工房は年明けには本稼働を迎えることになる。
ようやく一つ目の打ち手が俺の手を離れることになるわけだ。
「ようやく1個成功。2個目もまあまあ、か」
しかし油断は禁物。
来年の夏に向けた次の策を考えなければいけない。
目指すのは春過ぎくらいにマルクス様にデキムスさんを美味しい被保護者と認識させ、庇護者として庇護をするという打診をさせること。
そしてその受諾の場でデキムスさんに俺をぜひ入り婿へと懇願させること。
後者はこのまま普通にデキムスさんに協力していきつつ、要所要所で匂わせをすれば割と行けそうな気がするが、難しいのは前者だ。
『固い』事業を複数抱えさせる必要がある。
水あめ事業だけだとちょっと心もとないな。
リバーシ事業は名声はあるが伸びるかと言われると正直微妙に思える。
とすると蒸留酒関係をもう少し発展させて、かつダメ押しでもう一個何か作るか……。
正直、ルクレティウス家は名門なので、勃興してから1年に満たない商人を被保護者とするのはかなり難易度が高い。
しかしその無理を通さなければ未来はない。
一つの成功に目がくらんでいる場合ではないのだ。
手を緩めずに無理を押し通さなければ……。
一歩一歩進んではいるもののタイムリミットが分からない焦燥感。
年末の寒気がそれをより一層助長させているように感じた。




