22話 お嬢様との小旅行
「最高の景色ね!ご主人様!」
12月の冷涼な空気の中、ルクレティアお嬢様の弾んだ声が響く。
眼下に広がるのはポンペイの街並み、その向こうには輝くナポリ湾の青い海。
ここはヴェスヴィオ山の南斜面。
目の前には葡萄畑が広がる丘陵地帯。
そして少し先にはルクレティウス家所有のワイン農場が見えている。
今日の俺たちの目的地だ。
なんでそんなところに行くのかというと、俺へのご褒美である。
リバーシの件でマルクス様から『何か金銭以外の褒美が欲しいか』と聞かれた結果、『ワイン農場の近くにある温泉に行きたいです』と言ったところ、フェリクスのおっちゃんによる高級ワインの圧搾の視察に合わせる形という条件付きで、要望があっさり通ったのだ。
しかも一泊二日という日程で。
マルクス様的にも、上流階級の女性社会への影響力増加というのはそれくらいの褒美を出しても良いと思える功績らしい。
なお、この一泊二日の小旅行はルクレティアお嬢様へのご褒美も兼ねているので、ルクレティアお嬢様も同行している。
そんなわけで、とある計画のためにこのワイナリーに向かうために馬車をガタゴト揺られていた。
貴族用の馬車とはいえ、スプリングなんてないこの時代、俺の尻に大ダメージを与えている。
ルクレティアお嬢様は平気なのだろうかと横を見ると、ずっと窓からキャッキャと遠くを眺めてご機嫌の様子。
なるほど、ずっと立っているから膝がスプリングになっているのか。
「もうすぐ到着ね!ご主人様!」
ウキウキ顔のルクレティアお嬢様が俺に言う。
「はい、ルクレティアお嬢様。街の喧騒が嘘のような静けさですね」
朝、町を出る時にはすでに町中が農神祭の熱気に包まれていた。
そこから市街に出た途端、のどかな田園風景。
あまりのギャップに不思議な気分になる。
「もう、そうじゃないでしょ!ご・主・人・様?」
念押しするように俺を『ご主人様』と呼ぶルクレティアお嬢様。
「……そうだな、ルクレティア」
ルクレティアお嬢様の言葉に俺は苦笑し、言葉遣いを『正しいもの』に変える。
「むふー♪」
何か満足そうなルクレティアお嬢様。
そう、今日は農神祭の真っ只中。
このお祭りの特徴に、社会身分が表面上180度回転するというものがある。
表面上、俺とルクレティアお嬢様は、この期間に限って言えば俺が主でお嬢様が奴隷となるのだ。
今のお嬢様は久々の外出と農神祭による無礼講を心の底から楽しんでいるようだった。
ワイン農場が視界に見えてから少しして、ようやくワイン農場に到着した俺は、馬車によるケツの拷問から解放され、その足でワイン農場の圧搾場に入った。
お嬢様は物珍しそうに圧搾場を見回している。
そして、フェリクスのおっちゃんは農場管理奴隷の奥さんから搾りたての原酒を渡されていた。
「うむ。今年のワインの仕込みも順調なようですね、マニウスさん」
フェリクスのおっちゃんが圧搾の済んだばかりの原酒を一口飲み、感想を口にする。
「おうよ、今年は夏が暑かったからなぁ。果実も甘くていいワインになるぜフェリクスよぅ!」
フェリクスのおっちゃんの肩をたたくのはこのワイン農場を管理する農場管理奴隷のマニウスさん。
この二人、本来は本社の副社長と地方のいち工場長のような身分差なのだが、現在はそれが逆転している。
「ほらー!父ちゃんきびきび絞れー!!」
「早く仕事終わらせないと農神祭が終わっちゃうぞー!!」
「あー!うー!」
奥の建物では、俺よりも数歳年下から、まだ乳児と思われる子供奴隷たちが親と思われる農場奴隷をどやしつけながら圧搾を行っている。
なるほど、今は農神祭だから農場管理奴隷が怒鳴りつけるのはできないからこうやるのか。
俺は感心しながら目的のブツを探す。
それは圧搾機のすぐそばの桶の中に大量に積み上げられていた。
「おい飲んだくれどもー!あの搾りカスは使っていいんだよね?」
俺はそれを見つけるとすぐにフェリクスのおっちゃんとマニウスさんの会話に割って入る。
なんで横柄な物言いをしているかというと、農神祭の今、表面上この農場で立場が上なのは乳児、子供奴隷と来てその次に俺だから。
さて、農神祭用の態度はおいておいて、今日の目的に移ろう。
今日の目的はこの搾りかすだ。
「あぁ、このワイン農場は高級ワイン製造専用だからな。搾りカスは農場内の『役得用』以外は安ワインにせずに土壌に戻すんだ。絞りなおしたりするわけじゃないですよね?」
俺に対して念のためといった確認をするマニウスさん。
「うん。水を加えて加熱はするけど絞り直しはしないよ」
「なら自由に使ってくれて構わない。それでいいんだろ?フェリクス」
「えぇ、私も何を作るのかは知らないんですけど、ルシぼ……ルシウス様の作るものはすごい付加価値のつくものばかりですから、今回もなんかいいものができるんでしょう。多分」
若干投げやりな態度でマニウスさんに補足するフェリクスのおっちゃん。
「副産物は多分驚くと思うよ、二人ともね」
そんなフェリクスのおっちゃんに呼応し、もったいぶった物言いをしてみる。
今回のお目当てはあの搾りかすに含まれるアルコールだ。
より詳しく言うと所謂粕取り焼酎のワイン版――グラッパと、その過程で出るヘッド――飲用はできないけど高純度なエタノール溶液を作ることが目的だ。
なお今回の本命はこのヘッドである高純度エタノールの方。
蒸留酒は副産物、というか農場の人員を使う大義名分を得るための餌といってもいい。
もちろん蒸留酒もいくらかは今後の仕込みや再蒸留用に確保する予定だがそれ以外は基本はフェリクスのおっちゃんに扱いをぶん投げる予定。
ちなみにこの高純度エタノールの確保計画、最初は普通に安ワインで作ろうと思ったのだが、高級ワインの圧搾があるとフェリクスのおっちゃんから聞いて、『タダで作れるじゃん!』と思い立ち、二度搾りで安ワインの製造にも使ってないことを確認した上で計画を変更し、俺に縋りつくデキムスさんを振り払って小旅行を計画したのだ。
タダ。なんて素敵な言葉なのだろう。
ゼロアス工房開設である。
いやーそれにしても、デキムスさんはしつこかった。
工房設立期限が設定され、守れなかったときに降り注ぐ3倍の利息というものすごいプレッシャーにより、俺が小旅行をすると知るなりものすごい勢いで縋り付いてきたデキムスさん。
ちょっと悪いことをしたような気分にもなったが、むしろ工房の安定稼働に必須な材料を確保しに来たので俺は悪くない。
これがあると無いのとでは工房の稼働率が段違いなので受け入れてもろて。
メロスを待つセリヌンティウスくらいの気持ちでいればいいと思うよ。
そんな感じで、とりあえず今この場に居ない人のことは頭の片隅に追いやり、マニウスさんの方を見る。
「今期の搾りかすはできれば全部コレにしたいから農場の人にもやり方覚えてもらっていい?」
とりあえず俺がいる今日と明日朝だけでは全部作り切ることはできないので、マニウスさん人員の確保をお願いをする。
蒸留6回分くらいのヘッドは欲しいので出来れば明日以降不眠不休で作ってもらいたい。
「まあやるかどうかは物を見てからになりますが……いいですよ。じゃあ私が見ましょう。事前に連絡を受けた通り、かまどは用意してありますよ。こっちです」
俺の提案に自ら名乗りを上げるマニウスさん。
そしてそのまま俺を即席かまどの方に案内する。
多分安ワインにするわけじゃないことを見るためだろう。
俺はもってきた蘭引をマニウスさんが事前に用意してくれたかまどの横に置き、蒸留の準備を開始した。
ワインの圧搾時期:
本来であればワインの圧搾は11月に行われるが、この農場で醸造されているワインは高級ワインなため、発酵期間が長く12月中旬となっている。
なお、ルクレティウス・フロントくらいの名門の場合、高級品向けと一般向けのワイン農場を別々に保有していることも珍しくなく、12話でフェリクスが提供した廃棄直前のワインはルクレティウス家が保有する別のワイン農場の物。




