2話 ポンペイ脱出RTAはっじまるよー(震え声)
入ってきたのは豪奢な刺繍が入ったチュニカを纏った俺より一つ年下の少女。
ルクレティウス家の至宝、ルクレティアお嬢様だ。
「お嬢様……!ご心配をおかけしました」
俺は慌ててベッド(といっても簡素な寝台だが)から身を剥がし、頭を下げた。
奴隷としての俺の記憶が勝手に体を動かしていた。
「別に心配なんてしてないわ。あなたがいないと私の計算の宿題が終わらないじゃない。それに、ミネルヴァ様の祭壇へ供える花もあなたが選ばないとセンスが悪いんだもの」
彼女はツンと鼻を鳴らして、彼女と共に入ってきた奴隷が用意した椅子に腰掛けた。
9歳にしては出来すぎた大人びた仕草。
だがその瞳には寝込んでいた俺への心配の色が隠せていない。
根はやさしい方だからな、かなり心配したのだろう。
そうだ、ルクレティアお嬢様ならば今の年代を知っているかもしれない。
そう思った俺はさっそくルクレティアお嬢様に質問を投げかける。
「お嬢様、一つ……お聞きしてもよろしいでしょうか」
「何よ、あなたが質問なんて珍しいじゃない」
「今は……何年でしょうか。熱が下がってから、何か年号をどうしても知らなければいけない気がしてまして……」
俺の質問にルクレティアお嬢は満面の笑みを浮かべる。
前世の記憶が一部覚醒していた俺はルクレティアお嬢様の側近候補として6歳から10歳までの4年間、彼女に仕えてきた。
その中でも計算で家財管理の奴隷などに頼られる地位になっており、彼女に質問をする事なんて今までなかった。
そんな俺が病み上がりとはいえ、急に質問をしてきたことで彼女の知識を披露できるシチュエーションができたことがうれしいのだろう。
「ふふん、そういう知識はルシウスも持ってないものね。計算はあんなに得意なのに、こういう公的な知識には弱いわねものね」
「そのとおりでございます」
「じゃあ教えてあげるわ」
彼女は胸を張り家庭教師から教わったばかりであろう教養を誇らしげに披露した。
「今は、ヴェスパシアヌス陛下が8回目、そしてあの若き英雄ティトゥス様が6回目の執政官をお務めになっている平和な年よ!って、お父様が仰っていたわ。この二人が国を治めている限りローマは安泰だって」
……ティトゥスがいるぅぅぅぅうぅぅぅううッ!!
あかんあかんあかん!!!!!
ティトゥスおるやん!
思わず関西弁になっちゃったよ!
いやおちつけ、まだティトゥス帝が即位するまでには時間があるかも!
ほら、現皇帝がまだ若ければ十数年くらい余裕がある可能性も!
「現皇帝陛下はおいくつなのですか?」
「うーん……私もそこまでは教えてもらってないけど、結構な高齢ってお父様から聞いた気がするわ」
やべえじゃん。
超やべえじゃん!
ローマ時代は西暦使ってないから詳しい年代はわからないけど、現皇帝が高齢ならいつ交代してもおかしくないぞ。
つまり俺が考えていた最悪なシナリオの1年弱でポンペイとともに消えるルートもあり得るやんけ。
絶望が背筋を駆け抜ける。
今の俺はただの奴隷だ。
「山が爆発します、逃げましょう」なんて言ったところで高熱で頭がおかしくなったと思われるだけ。
下手したら廃棄だ。
しかもあの綺麗なヴェスヴィウス山が牙を剥くなどこの時代の誰だって信じない。
だが逃げなければ死ぬ。
だが逃げたら逃亡奴隷だ。
この恵まれた環境(ガチャならSSR)を捨てて逃亡奴隷になったとてどういいルートをたどれても貧民街に紛れて辛酸をなめるルートしか想像できない。
ルクレティウス家としてもメンツをかけて絶対に探すだろうし連れ戻されたらほぼ死。
だから逃げる案もNG。
じゃあどうする?
……方法はひとつしかない。
速攻で現代知識チートを使って財を得るとともにルクレティアお嬢様の信頼を得て、外とも何とか伝手を確保してあわよくば「夏の間はポンペイ以外の場所にいる」というわがままを通せる地位に、それが無理でも噴火直後に逃げれる発言力を持つこと。
「ルシウス? またぼーっとして。やっぱりまだ熱があるんじゃないの?」
ルクレティアお嬢様が心配そうに俺の額に手を伸ばしてくる。
その小さな手の温かさに、俺は決意した。
ルクレティウス家に拾われたのは俺の知識由来だが、そこから俺を気に入って重用してくれたのはルクレティアお嬢様だ。
そのおかげで、今の俺は奴隷の中でも比較的上位にいる。
今考えた案を実行するためのチート知識だって今の俺の地位ならちょっとした材料程度ならルクレティアお嬢様におねだりも可能だ。
つまり俺の生命線の半分は彼女に気に入られたこと由来といっても過言ではない。
よし。
今日から始まるチキチキポンペイ脱出RTA計画始動だ。
ルクレティアお嬢様をうまく転がして最低限ルクレティアお嬢様だけは助けるルートで。
スローライフをあきらめたわけではない。
が、まずポンペイ脱出RTAができないと即死だ。
不審がるルクレティアお嬢様を尻目に、俺は第一目標のための言いくるめを始めることにした。
ヴェスパシアヌスが8回目、ティトゥスが6回目の執政官の年:
西暦77年。物語開始時点の季節は秋なのでポンペイ噴火まで大体2年弱だよ!よーいドン!
なお、誰が執政官をして何年というのは執政官暦表と呼ばれ、帝政ローマ末期までは主要な暦表だった。
西暦、つまりキリスト生誕年を基準とする暦がヨーロッパでメインになるのは6世紀ごろの話。




