11話 当事者不在で決まる処遇
「なら製造方法の使用料は正式に我が家の帳簿に入れるとして」
「ちょっと????」
フェリクスのおっちゃんの聞捨てならない言葉に俺は聞き返す。
「ん?なんだ?」
「いや、なんだじゃないよ。なんで製造方法の使用料が家の帳簿に入るのさ。俺がミネルヴァ様からもらった知識だよ?俺のじゃん????」
俺は思わず湯船から身を乗り出した。
それじゃ俺の取分無くなるじゃんよ。工房作らないほうがマシじゃんよ。
「いいかルシ坊、落ち着け」
フェリクスのおっちゃんは呆れたように鼻を鳴らした。
「お前がミネルヴァ様から授かったことが事実としても、だ。最終的にはマルクス様の資産だろう?」
「????」
「わかって無い様だな。俺たち奴隷には、ペクリウムという特有財産は確かにある。しかし、逆を言えばそれ以外はすべて所有者である家長のものだ。それは知識なんかでも変わりはない」
「でも今の製造分はペクリウムに入れてるじゃん」
「もうそんな規模じゃないって言っている。買い出しの残金を役得として懐に入れるのと、家の金庫に手を付けるのでは大違いなのはお前ならわかるだろう?」
「まあ、そうだね」
厳密には両方とも主人の財産に手を付けているが前者は役得で済むが後者は横領として最悪の場合は家長の権限で殺されても文句は言えない。
「それと同じだ。もう麦の蜜の製造方法は後者なんだよ。お前が考えた製造方法でも、お前が勝手に権利を売って、その代金をお前の懐に入れるというのは――マルクス様の財産の横領になるんだ。しかもお前の案だと俺もデキムスの工房のソキエタスに出資するだろう?お前は単純に横領、それを黙認した俺は横領の見逃して自分のペクリウムを増やしたわけだから同じく横領になるわけだ」
フェリクスのおっちゃんの説明で俺はようやくフェリクスのおっちゃんが悩んでいた背景を理解する。
確かに工房で製造を始めれば最大製造能力は今の数十倍、月産2000セクスタリウスを超えることも視野に入れられるだろう。
最大能力を基準にすると売上は2万アスで使用料はその10%の2000アス、つまり銀貨125枚。
パン屋需要を満たすだけの量を製造する想定でも月産600セクスタリウス、つまり最大製造能力の3割だから125×30%で使用料は銀貨37枚半。
主人の財産を売って得る金と考えるなら、どう考えても勝手に懐に入れて良い金額ではない。
「……世知辛いなぁ。そういやそうだった」
俺はガックリと肩を落とし、再び湯船に深く沈んだ。
「じゃあ、おっちゃんの出資分で得られる分配金の半分でいいや」
そして即座に考えを切り替え今まで通りフェリクスのおっちゃんから搾り取る方に舵を切る。
「おい」
「俺に何の利益もないなら製造方法教えるのは面倒だなぁ……そうしたらこの儲け話はご破算だなあ?」
「まあ俺も分配金の一部をお前にも渡すつもりだったが……半分は多すぎだろ!?俺が何年かけて溜めたペクリウムだと思ってやがる!?……1割でどうだ?」
「確実に儲かる話で成功のキーマンが俺なんだからそりゃないよー3割」
「もし万一事業が跳ねた時にマルクス様に説明するのは俺なんだぞ?2割」
2割か……。
ソキエタスの分配が2割くらいとして、ざっくり営利が50%と考えると、
最大:2万アス×50%×20%×20%=400アス=銀貨25枚
最小:最大の30%=銀貨25枚×30%=7枚半
か。
まあそれくらいあれば自由度は一気に高まるな。
「わかった。2割でいいよ。その代わり工房設立前の利益は全額使わせて」
工房が立ち上がるにはどう短く見積もっても1か月はかかるだろう。
その間何もしないつもりはない。
丁度良いタイミングなのでもう一つくらい知識チートを突っ込むための道具や材料の購入資金を確保しておきたい。
というわけで現状の利益をフェリクスのおっちゃんから毟ることを画策する。
「……それだとドラコや他の奴隷への施しで少し足が出るんだが……まあ仕方ないか。それで手を打とう。ちょうどデキムスには今日明日に用があるからその時に言っておこう」
俺の提案に少し渋い顔をしたものの、これから行う投資とそのリターンに比べたら誤差とあきらめたのか同意するフェリクスのおっちゃん。
「あぁ、一応麦の蜜の存在については、時期を見て俺からマルクス様に軽く共有しておくぞ。金額は我が家全体の事業から考えれば些細な額かもしれないが、ルクレティアお嬢様が社交に使っている以上、そう遠くないうちに出所がうちというのは知られるだろうからな」
「……マルクス様、首を突っ込んでこないかな?やだよ俺ペクリウム没収されるの」
「あのな……マルクス様はポンペイの名門中の名門だぞ?そんな高々奴隷が稼ぐ程度のペクリウムに興味を示すわけがないだろう」
俺の懸念にフェリクスのおっちゃんはあきれ顔で諭す。
最大稼働時の月に銀貨100枚(おっちゃんの取分)と使用料銀貨125枚って結構な額だと思うんだけど……ヴィリクスとして長年仕えてきたおっちゃんの見込みなら、信じるしかない。
俺は短く承諾した。
「で、だ」
おっちゃんが鋭い視線を向けてくる。
「ここまでしてデキムスを商人として儲けさせた後は、どうするつもりなんだ? 先の考えを聞かせろ」
ジト目でこちらを睨んでくるおっちゃん。
どうやらこっちの質問が本命らしい。
「デキムスさんの商売を成長させて、マルクス様が庇護を与えようとしたあたりで……デキムスさんが娘のルシアの婿にと、俺を指名して『懇願』してくれるのがベストかなぁ」
割とふわっとした行動指針だが、現状早急に自由に動き回れる立場になるにはこのルートしかない。
俺自身のペクリウムを増やして買い取るというのは、商人の家の奴隷ならとれたかもしれないが、騎士階級であるマルクス様へは使えない手段だ。
ルクレティアお嬢様の側仕えという厚遇を受けているのにあまりにも早いタイミングで解放を申し出るということは、下手をすると『私の家の待遇に不満があるのか?』と受け取られかねず、そうなった場合は開放どころか不忠として罰を受けかねない。
それならばデキムスさんをマルクス様が美味しい庇護先として見ることができるようになるまで育て、さらに俺という存在を将来的に開放して婿として送り込むことで二重の楔になるように誘導するのが一番確実に自由になる方法だと思う。
もちろん、解放はすぐにではないだろうが、そういう方向性になればデキムスさんに俺を『半分貸し出す』という方向にもっていくことは十分に可能で、1年の半分さえ自由に移動できることができれば目的の半分であるポンペイ脱出は達成になる。
そしてそれを提案できるほどにデキムスさんの事業、つまりデキムスさんが商人として巨大になっていれば、夏にルクレティアお嬢様をナポリやローマなどに招待するなどのたくらみも可能になる。
これが俺が現状考えられる範囲で最も穏便かつ早急に夏の間ポンペイを脱出できる案だ。
「……お前なぁ。ルクレティアお嬢様の側仕えって立場なのにそれを捨てるつもりなのか」
俺が考えている到達点を知らないフェリクスのおっちゃんは俺がデキムスさんを踏み台にして商人としてのし上がろうとしていると思ったのかあきれ顔だ。
基本保守的なフェリクスのおっちゃん的には親方日の丸の公務員を捨ててベンチャーで生きちゃるぜひゃっはーって弾けてるような人間を見ている気分なのだろう。
まあそこは分かり合えないし理由を説明するメリットもないので突っ込まないことにする。
「まあそんな感じにしたいわけ。だからそのために、麦の蜜の由来がミネルヴァ様から授かった知識だって、ルシアに漏らしたりしてみたり」
「……周到なことだ」
「デキムスさんも俺の話が本当だと思ったみたいで、最近俺の周りにルシアがかなりの頻度で出没してる。俺と仲良くしたいっていう意図が透けて見える。絶対家の近くで張ってると思うんだけどどこで待ち伏せしてるんだろうね?」
「このあたりの門番連中に壺にこびりついた水あめをパンでこそげ取った物を売って仲良くなってるみたいだぞ。家の周りですぐにお前の行動が特定されるのはそれが原因だな」
マジか。頭いいなそのやり方。
好きになっちゃいそう。
フェリクスのおっちゃんは工房の件が解決したのと俺の考えが確認できたことで満足したようで、俺の案はそのまま採用されることになった。
浴槽から上がり、フェリクスのおっちゃんのおごりでマッサージを受けながら今後のことを考える。
これでデキムスさん育成計画、つまりはポンペイ脱出計画フェーズ2が本格始動できる。
もし来年が噴火の年ならば残された時間はあと9か月。
とてもじゃないが自重していられる時間はない。
麦芽水あめで商売を当てられたのは運がよかった。
この機を逃さずに水あめ工房が稼働し次第、どんどんチートを突っ込んで、一刻も早くデキムスさんの育成と俺を事業と切っても切り離せない存在と認識させる手はずを整えないとな。
パトロヌスとクリエンテス:
いわゆる庇護関係。パトロヌス(庇護者)は法的・資金的な後援を行い、クリエンテス(被保護者)は選挙への協力や事業の利益の一部上納を行う。御恩と奉公のような概念。
ただ、どちらかが没落したからと言って見捨てたり関係を解消する行為は非常に名誉を損ねる行為であり、一度結ぶと簡単には解除できず、世代を超えて結ばれる縁だった。
ただ、時代の流れにより庇護者と被保護者の力関係が逆転することは当然ながらよくあり、その場合は関係の解消というわけではなく対等の友人関係や同盟者的関係なったり、実態として形骸化することは往々にして存在した。
開放奴隷の元主人への服従義務:
庇護関係と似て非なる関係。それが開放奴隷と元主人との関係。
解放奴隷は生涯にわたって元主人への義務を負った。
無論もう奴隷ではないので無制限にというわけではないが、その義務の範囲は庇護関係の比ではなかった。
例えば元主人から不当な扱いを受けたとしても、元主人を告訴することは原則として法務官の許可なしにはできなかったりしたし、子供を残さず死んだ場合は元主人に相続権が発生したりもした。




